第5話 

これは千夏が失踪する半年前の話。上級生が引退した次の日。


「課題曲、誰がファーストやる?」


担当楽器はトランペット。誰がファースト、セカンド、サードを演奏するか決める会議。この時間が世界一憂鬱だった。


「やっぱファーストをやるのはパート内で一番上手い新島先輩ではないでしょうか」

「私も新島先輩がいいで~す」


ウチの学校のトランペットは個々の能力を評価して役割を決める。一番実力がある人がファーストの座につく。その争いが毎度めんどくさいし、ウザイ。もっと他に決め方あるだろ。こんなんだからいつまで経っても県大会止まりなんだ。


「別にファーストは私じゃなくてもいいんじゃない。楽器の上手さだけで役割を決めるのは短絡的過ぎる」

「それは確かにそうですが——」

「技量はあるけど私の性格的にウッキウキでメロディーラインを吹ける自信がない。ファーストは他のヤツに任せた方がいい」


後輩たちが私の発言に戸惑う。正論をぶつけられてぐうの音も出ない感じ。


「でも、主旋律を担当する人は上級生でちゃんと吹ける人じゃないと——」

「なにバカなこと言ってんの。セカンドもサードも大事だっつーの。どれか一つでも欠ければ、曲なんて成り立たない」

「は、はい……」


私の後輩たちは少々、おつむが弱い。目に見えるものが全て真実だと信じる典型的な阿呆だ。実力を上辺だけでしか判断できないのは吹奏楽部の人間として致命的だ。


「じゃあ、ファーストは誰にしますか?」

「一発の音に華があって明るい性格の子いいかな」

「そんな人、パート内にいますか……?」


後輩たちがキョロキョロと辺りを見渡す。ウチの学校のトランペットは一年生が一人と二年生が二人、三年生が三人(幽霊部員含めて)で構成されている。人数は他の楽器のところと比べて多い方だが生憎、ほとんどのヤツが根暗だ。一応、クラスの一軍で性格が明るいと自称する後輩もいるが、ソイツはハッキリ言って性格が悪い。表向きではいい顔を見せているが、裏では弱者を食い物にして陰湿な遊びをするクズ。救いようのない人材だ。


「私がしましょうか」

「いや、アンタはダメだ」

「ぷぅ~」


案の定、そのクズが名乗りを上げる。当然、却下だ。クズは不服そうに顔を膨らませるが、私の怒りを冗長させるだけで無意味だ。


「アンタらさ、三年生の先輩が私しかいないと思ってない?」


ふと、教室の隅で居心地悪そうに椅子に座る彼女に目を向ける。


「先輩、もしかしてアイツなんかを……」


後輩たちの眉が一斉に歪む。前面に嫌悪感を滲ませる。


「千夏、ファーストいける?」

「ふぇっ⁉」


間抜けな声が静寂した教室に響く。今、思えばこれが最初の千夏との会話だったかもしれない。


■■■


暗闇に包まれたリビング。白い綿が飛び出したソファーで目を覚ます。


「うっかり寝ちゃってた……」


あの後、ホットケーキを食べてそのまま酒瓶をグイッと飲んだ。そこからの記憶は全くない。酒に弱すぎて自分で呆れる。

目を覚ます直前。懐かしい夢を見ていた気がするが、それすら覚えてない。


「今、何時……?」


壁にかけられた時計の針はちょうど九時を指す。窓の外が真っ暗なため、恐らく夜の方だ。何時から寝てたのか分からないが、首の痛さ加減から推測するに最低でも五時間は寝ていただろう。

重たい体を起こしてゴミが乱雑した机を見やる。


「なにあれ……?」


ゴミと同化して置かれた1枚の紙切れ。どうやらママの書き置きのようだ。


『お仕事に行ってきマース。セラのホットケーキまた食べたいな』


そう達筆で書かれていた。読み終わった紙切れをゴミ箱に捨てようかと考えたが捨てる直前で思いとどまる。そのまま棚にしまった。


「――ん?」


床に転がっていたスマホがバイブする。画面を開くと珍しくLINEの通知だった。しかも――、


『今、ひま?』


千夏からのメッセージだった。可愛い絵文字付きだ。


『暇っちゃ暇だけど、なに?』

『どっか遊びに行かない?』


「オーケー?」のスタンプがポンッと送られてきた。カレンダーを見て今日の予定を確認する。


「夜からのバイトは――、なしか」


今日の曜日の欄は空白。元々、夜勤のコンビニバイトは休みにする予定だった。


『確か月曜か木曜以外にしてくれって言ったはずだが』

『あっ、ゴメン。曜日感覚が無くて今日は火曜日かと思ってた』


テヘッと初期スタンプが送られてきた。少しイラッしたがここは堪える。『次は気をつけてね』とアニメキャラのスタンプを返す。


「――さて、準備しますか」


ズボンの裾がはみ出たクローゼットを開けて服選び。これから男に会うわけではないので適当に薄着にした。


■■■


時刻は9時半を回る。待ち合わせは昼間と同じ最寄り駅前。時間が遅いというのもあり、どこを見ても酔っ払いのサラリーマンしかいない。頭にネクタイを巻いて千鳥足で女房が待つ我が家に帰る。顔を真っ赤っかにして笑う姿はとても幸せそうだ。私もいつかあんな風に笑える日が来るだろうか。将来が心配だ。


「お待たせ!!」


ボーッと地面に横たわるサラリーマンを眺めていると前から千夏が走ってきた。


「突然遊びに誘っちゃってゴメン。しかもバイトがある日に……」

「別に気にしないで。元々、バイト休む予定だったから」


服装は昼間と同じ。身バレしてもなお男装用のウィッグを装着している。

私の顔を見るなり「ゴメン、ゴメン――」と頭がもげそうなぐらい謝ってくる。ブラック企業の上司と部下の関係かな。周りの目が気になるので下げ続ける頭を無理やり手で起こす。


「で、こんな夜遅くに呼び出して何がしたいわけ?」


大きな欠伸とともにそう質問する。


「――えっと、もしかして怒ってる?」

「別に怒ってない。でも寝起きだからすこぶる機嫌が悪い」

「うぅ……、ホントにゴメ――」

「もう謝罪の言葉は聞き飽きた。普通に話そ」

「うん……」


昼間もそうだったが、ずっと誰かに怯えているような表情なのが気になる。高校時代の私と千夏は一方的に遠慮されるような浅い関係ではなかった。七年のブランクを考慮しても少し違和感を覚える。当時、壊したはずの大きな壁がまた二人の間にそびえ立つ。














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