第3話
駅から徒歩十分——。家賃が安そうなボロアパートに着いた。
「ここがボクの家です」
「お邪魔しまーす」
陰気臭い玄関には色褪せた靴が何個か転がっていた。どれも男物のスニーカーだ。
「靴は脱いだ方がいい?」
「ぜひ、脱いでください」
リビングに入ると大量のゴミ袋を発見。色んな虫が湧いてそうで土足じゃないと安心できない。私の部屋も大概汚いが、今いる部屋はもっとヤバい。
「さすがに部屋、掃除した方がいいと思うよ」
「ボクもそう思います」
「なら、やれよ」
「いや、掃除できない理由があると言いますか、なんと言いますか——」
「ついでだし私が掃除してあげる」
「それはダメです‼」
思いっ切り裾を引っ張られ、バランスを崩す。後ろを振り返ると体をモジモジさせて必要以上に目を泳がせる彼がいた。男を名乗るにしては女々しいヤツだ。臆病な性格が前面に出る。
「その辺に置いてある物はなるべく、動かさないようにしてください」
「なに、そういうこだわりがあんの?」
「はい……」
ゴミ屋敷の住人みたいなことを言う。ま、本人がそういうのなら放っておこう。
「どこに座ればいい?」
「えっと、あそこにある座布団の——」
「あれはイヤ。汚そう。ベッドに座るわ」
彼に指定された座布団はギリギリ原型を留めているが、黄色く変色した綿が中から飛び出している。あれに座るのはちょっと抵抗がある。
私はまだ綺麗そうなベッドの上に腰を下ろす。
「で、ピアスの穴開けるってなに?」
「えっと、えっと、それは……」
「そもそも、今日初めて会ったばかりの女を自分の家に連れ込むとかどういう神経してんの?」
「えっと、えっと、えっと……」
「性欲丸出しできっしょい」
「うぅぅぅぅぅ……」
「ちっ……」
大の字になってベッドに転がり軽く舌打ち。
ちょっとキツく言い過ぎたかな。目の前で突っ立ている彼が酷く怯えている。一応、フォロー入れとくか。
「私は別に男の人の家に行くのは抵抗ないし、嫌じゃない。たとえ初対面でもね」
「えっ……」
「今のは世の女の意見を代弁しただけ。常識的に考えて、いきなりお家デートを勧めるのはどうかと思うよ、恋愛初心者さん」
「はい、勉強になります。先生‼」
「先生はやめろ」
優等生みたくその辺にあった紙切れにメモを取る。そんなメモするほど大事なことは言ってないはずだが……?
「新島さんは恋愛経験豊富なんですか?」
「そこそこ」
「エ、エッチなこともたくさん——?」
「まあ、そこそこ」
「うっ⁉」
今、誰かに腹殴られた? 小さく呻き声を上げ、私に背を向けてうずくまる。
「もしかして初めては処女が良かった?」
「違います」
「それとも自分は童貞なのに相手が処女じゃないと知って妬いてんの?」
「違います。そういう問題じゃないです‼」
怒ったように頬をぷくっと膨らませる。ここまで謝ってばかりだったが、やっと他の感情が表に出る。
「もういいです。早くこれで穴開けてください‼」
「おっと……」
ベッドの上に乱暴に投げられたピアッサー。他にも消毒液や綿棒、保冷剤などが投げられる。意外と用意周到だ。
「どこに穴開けるつもり?」
「みみ、です……」
「へそじゃなくて?」
「へっ、へそっ⁉」
無防備で隣に座ってきたので、上着をめくりお腹を触ってやる。女の子みたいな声を上げ、顔を赤らめる。案の定、良い反応をしてくれる。
「へそはちょっと怖い、ですぅ……」
「了解。じゃあ、耳にするね」
「はいぃ……」
片手にピアッサーを持ち、耳を優しくつまむ。耳をつままれた彼はギュッと目をつぶり、プルプルと肩を震わせる。
「怖がり過ぎよ。ほら、肩の力抜いて」
「うぅぅ~」
「全然力抜けてない」
「うっ‼」
「余計に力入った」
「えぇ……」
「プフッ……!」
怖がる反応があまりにも面白くて思わず吹いてしまう。小さな子供を見ている気分だ。
「わ、笑わないでくださいぃ……」
「ゴメン、ゴメン、ちゃんとやるね」
パチッと乾いた音が部屋に響く。白くて冷たい耳たぶに小さな穴が開く。
「痛かった?」
「うぅ……。チクッとしましたぁ」
喜んでいると思いきや、まさかの半泣きだった。目尻に涙が溜めて、上目遣いでこちらを見詰めてくる。
「今度は左の耳も開けるけど大丈夫?」
「はぁい、全然大丈夫ですぅ……」
全然大丈夫ではなさそうだが、ここで変に間が空くと恐怖が増す。休憩を挟まずにそのまま右耳も穴を開ける。
「はい、これで完了。楽にしていいよ」
「ふぅ~」
強張っていた両肩がゆっくりと元に戻る。そのまま魂抜けそうなぐらい息を吐く。
反応が大袈裟すぎて、また笑みがこぼれてしまう。
「そう云えば、高校の時の親友がアンタとおんなじ反応してたわ」
「しんゆう……?」
「自分からピアスの穴開けたいって頼んできたくせに結局、開けず終い。直前になって痛いのが怖いって泣きじゃくって、中止になった」
「——」
私が親友の話をすると、急に表情を曇らせ下を向く。
「その親友さんって今は——?」
「どっかに消えた。突然ね」
「そう、ですか……」
不穏な空気を纏った彼は乱れた髪をかき分け、正面に向き直る。
「ゴメンなさい……。“セラちゃん”」
小さくそう謝ると彼の両腕が真っ直ぐ私の肩へ伸びる。肩を掴まれたの束の間、そのままベッドへ力強く押し倒された。
「どうしたの急に」
「——」
「おい!」
「——」
「私の声聞こえてる」
あっという間に馬乗りにされた。驚きのあまり抵抗するタイミングを見失う。彼の前髪が邪魔で表情を窺うことができない。ただ、頬が赤く火照って息を荒げているのは確か。
「このまま襲ったら警察呼んじゃうけどいい?」
「——ゴメンなさい」
「謝るなら退いて」
「——ゴメンなさい、ゴメンなさい」
「ヒロキ君。ホントに呼ぶよ」
「ゴメンなさい、ゴメンなさい、ゴメンなさい——、ゴメン……」
ずっと「ゴメンなさい」の一点張り。明らかに様子がおかしい。手の震えが私の肩に伝わる。暫くして彼の瞳から無色透明に輝く雫が零れ落ちる。
「何がゴメンなのか教えて?」
「ゴメン、ゴメン、ホントにゴメン……」
「——ああ、もう‼」
このままでは埒が明かない。肩を掴む手を全力で払いのけ、逆に彼の両肩を掴む。先ほどされたようにベッドに押し倒して馬乗りで体を固定する。
「アンタ、力弱すぎ。男のくせに形勢逆転されてやんの」
「うぅ。ゴメン、なさい……」
彼を押し倒したことによってやっと前髪で隠れていた表情が見える。赤く火照った顔は無様に蕩け切っていて、どこか悲しそうだった。
「なにその顔。最後まで男を“演じろよ”」
「はひっ……⁉」
本能的に彼の唇を奪う。お互いの舌が絡み合い、熱い吐息を漏らす。
「んっ……。セラちゃん、もうやめてぇ……」
「あっ……」
一時的だが頭が真っ白になっていた。慌てて"彼女"の唇から離れる。
なんとか正気を取り戻した私は、暫く放心状態に陥る。襲われた方も同じく放心状態だ。
「――セラちゃん」
「なに?」
「いつからボクが女だって分かってたの?」
濡れた唇を拭い、真っ直ぐな瞳がこちらに向けられる。
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