第10話

 二人の家の位置の都合もあって、合流するのは遊園地の最寄り駅になった。昨日、一昨日とは打って変わって空はからっと晴れ上がり、夏の蒸し暑さがもう間近まで来ているのを感じさせる陽気である。

 父には今日の晩は遅くなると言われていたので、中島は時間を心配することなく遊べる予定だった。無口な彼女とともに長い時間を過ごせるのかと別の心配はあったが、それも実際に試してみるまで分からないことであるし、桃瀬は帰りたければ帰りたいとはっきり言う人間だから、判断は任せておけばよかった。

 駅から遊園地へとつながる長い橋の手すりにもたれかかって、中島は一〇秒ごとに携帯を確認しながら待っている。予定時間よりかなり早く来てしまった自分が悪いとは思いつつも、わがままながら桃瀬の少しでも早い到着を願っているのだった。

 若い男女や家族連れの集団が、駅のほうから押し寄せてきた。そのなかで浮いた動きをする若い女性を探せば、きっと桃瀬は見つかるはずだと中島は思った。

 しかしそんな女性を見つけられないまま、集団がばらばらになって散りおさめたころに、諦めの気持ちを視線に乗せて携帯をのぞいた。

「待った?」

 肩を叩かれて中島が振り向くと、青いワンピースに身を包んだ大人っぽい女性がいた。

 その涼しげな目元には、教室の窓際で見る桃瀬の面影があった。

「いや全然」

 狼狽した中島は首から耳まで赤くした。

「そう」

「うん」

 桃瀬は首を傾げてぽつんと立ったまま、太陽に目を細めて中島を見ている。自分の恋人がまさか面食らっているとは思わないらしく、白いサンダルからのぞく指先に視線を落として、いつものように中島が手を引っ張っていくのを待っている。

「じゃあ行くか」

「うん」

 拳一つ分だけ離れた二人は、キャラクターの顔があしらわれた花壇を通り過ぎて、仰々しいアーチに支えられた宮殿風のゲートで電子チケットを読み込ませて入場する。

 左右に居並ぶカラフルな洋館や、正面で飛沫をあげる巨大な噴水に目を奪われている桃瀬が愛おしくなって、中島はその横顔を黙って見守っていた。子供みたいに興味の赴くまま行ったり来たりする彼女に振り回されている間に、園内に混雑はさらにひどくなってきた。

 危機感を抱いた中島は服をはためかせながら言う。

「そろそろアトラクションを決めないと」

「うん」

 赤レンガの地面のうえに立つ、待ち時間を掲示する電子板には、お化け屋敷は二時間待ちとあった。どうやら施設を改修してから迎える初めての週末らしかった。中島はそんな基本的な情報を知らずにここへ来た自分を恥じた。

「待つか、ほかのアトラクションで時間を潰すか、どっちにする」

「待つ」

 即答した桃瀬が案内図にしたがい、男女が写真を撮ろうとしている画角に割って入りながら、最短コースで進んでいくのを見て、中島は苦笑いした。

 とんでもなく長い行列に並ぶと、遠くに三角屋根の巨大な屋敷がそびえていた。数ある窓から重い前髪を垂らした女性マネキンが身を乗り出し、欠けた瓦からは血のような赤いペンキがこびりつき、入り口扉のそばには座敷童みたいな像が立っている。

「どうしてこの洋風遊園地に和風幽霊屋敷なんだろうな」

「分からないけど私はこっちのほうがいい」

「でも俺や山田たちが経験したのは和風な怖さじゃないぞ」

「別にいい」

 すねたように唇を尖らせて桃瀬は列の先頭へと目をやった。

 それからしばらく中身のない話をしながら退屈を和らげていたが、桃瀬のお腹がぐるぐる鳴ったので、中島が露店でポップコーンを買ってくることになった。

「味は?」

「中島に任せる」

「嫌いな物はないの」

「とくにない」

「分かった」

 中島はあれこれ悩みながら列を抜けた。高くまで昇った太陽はあらゆる建物や機材を照らして、遊園地のなかをいっそう眩しく彩っていた。勢いよく滑り落ちてきたジェットコースターに壊された水面が、柵にもたれてたたずむ客を濡らす。

 赤と白で塗られたキッチンカーの前で、テンガロンハットを被った店員が中島へと愛想良く聞いた。

「ご注文はお決まりでしょうか」

 看板にはいくつか珍しいメニューがあったが、悩んだ末に中島が選んだのは、何の面白みもない塩味のポップコーンだった。

「承りました」

 作業に集中する店員を見ていたが、ジェットコースターから歓声が弾けるのに遅れて、水を掘るけたたましい音が響いたので、中島はふとそちらを向いた。

 高く張り巡らされた柵の手前に、太陽を背にして立つ男がいた。

 逆光のせいで顔までは見えないものの、その背格好は昨日転校した友人にしか思えなかった。中島は糸で引かれるように男へと近づいた。

 マイケルらしき男は身を翻して走りだした。

 その時、店員に呼び止められた。

「商品はこちらです」

 はっとなって中島は手早く精算を済ませ、溢れんばかりのポップコーンの詰まった容器を抱えて、例の男が逃げた方向へと駆ける。

 もし気のせいであるならば、彼が逃げた説明がつかない。中島が光の眩しさに順応しようとした瞬間、マイケルらしき男は正体がばれるのを恐れたに違いなかった。

「マイケル、どうして逃げるんだ。説明くらいしてくれてもいいだろ」

 中島はその一身に多くの人の視線を浴びていた。地面を蹴るたびに伝わる振動で、ポップコーンは甘いにおいを放ちながら宙を舞い、それを中島は後ろ足で踏みしだいていく。

 紙コップを持った子供とぶつかりそうになった。中島は体を回転させながら地面に肘をついた。

 その子の母親が駆け寄ってきて平謝りした。必死で走り去る男を目で追いながら中島があいまいな相槌をうっているうちに、手をつないだ親子は去っていた。

 例の男は影のように失せて、あたりに散乱したポップコーンが踏まれて弾ける、虚しい音だけが残った。

「あれはマイケルだったんだろうか」

 陽光にところどころ溶かされた輪郭を見ただけで、中島はあれはきっとマイケルだと確信した。

 入学式の時からそれなりに親しくしてきたのだ。中島は対等な友人関係に半端ではない執着してきたのだ。だからこそ、彼が去っていった理由が知りたかった。

 落ち着いた中島は肘から流れる血を拭いながら立ち上がり、少しは短くなっているだろう行列へと戻っていった。

 退屈そうに待っていた桃瀬は、容器の嵩の半分ほどに減ったポップコーンと黒く汚れた服に驚いたらしく、のけぞって腹から声を出した。

「なにかあったの」

「なにも」

「でも様子がおかしい」

「なにもなかったよ」

「そんな風には見えない」

 しつこく追及してくる桃瀬に腹が立って、中島は威嚇するように叫ぶ。

「なにもなかったって言ってるだろ」

 列をなす人たちの冷えた目が、恋人を怒鳴りつける若い男を刺した。

「ごめん。子供とぶつかりそうになって転んだんだ。桃瀬もお腹減らしてるみたいだったし急がなきゃと思って」

「子供に、けがはなかった?」

「うん」

「よかった」

 ワンピースの風を孕んだ首元のふくらみを、桃瀬の息がさらりと沈める。

 この幸福な時間をおかしな勘違いで壊したくないと中島は思った。マイケルが逃げたのも何も言わずに転校した心苦しさからもしれないし、深く考え込むだけ無駄なのだ。

 せっかく欧陽が気を遣って送り出してくれたデートなのだから、独りよがりな被害妄想をせず楽しむべきだと開き直った。

「大声をだしてごめん。それからポップコーンも」

「気にしてない」

 減ったとはいえまだだかなり容器に残っている甘い塊を、二人は争うようにして食べた。態度は控えめな桃瀬ではあったが、ひとつ口に含んでからは手がそれ専用の機械みたいに上下動を繰り返した。

「ラーメンを食べる時もそんな風だったな」

「うん。好きなものは取られる前に食べないと」

「俺が横取りするような奴だとでも」

「思ってないけど」

 口をパンパンに膨らませて桃瀬はぶつぶつ言った。

「なんだそれ。じゃあ残りは全部あげるから心配するな」

 空腹を我慢した中島が黙って待つうちに、桃瀬は容器の底に溜まった小さな欠片まで食べつくした。そのころには、幽霊屋敷の入り口である、奇怪な餓鬼が血で描かれたような襖のすぐ前まで来ていた。白装束の案内員がゆらゆらと語尾を震わせて、屋敷にまつわるおどろおどろしい伝説を語っている。

「ポップコーンの量はちょうどよかった」

「不幸中の幸いだな」

 いよいよお目当てのアトラクションが近くなり、ポップな足取りで進む桃瀬は喋り口まで軽くなった。

「中島よりは私のほうが怖がらないと思う」

「映画ではあんなに怖がってたのに」

「ううん。あの日から私はいっぱいホラー映画を観てきたから大丈夫」

「お手並み拝見だな」

 案内員はインカムからの報告を受けて襖を開ける。

「どうぞ」

 古びた和室へと二人が足を踏み入れた途端、後ろの襖が閉まり、鍵の回る音がした。

 部屋の隅に灯された四本の蝋燭が暗闇に浮かび上がる。砂嵐を映すブラウン管テレビの雑音が流れるなかに、床に転がる壊れたラジオから不気味なわらべ歌が混じって聞こえてくる。左にある荒れ果てた仏壇の下には、萎びた唐揚げのような物体が置いていた。

「これはへその緒だろうか」

 中島は数日前に家で見たへその緒を思い出しながら言った。

「知らない」

 と、仏壇の奥から風が吹きでて、おびただしい数のお札が舞い、赤子の泣き声が響いた。

 中島の腕に桃瀬がぎゅっと絡みつく。

「入り口でびびってるようじゃこの先どうなることやら」

 中島がせせら笑うと、桃瀬は掴んでいた腕を投げる。

「怖いと思うより先に体が驚いただけ」

「なんでもいいけどな」

 そのまま進んでいくと、畳の切れ目の先にはひび割れた木板の廊下が続いている。右側から、鞭で打たれて泣き叫ぶ男たちの声が湧いてくる。

「俺はなにもしていない。ほんとだから許してくれ」

 一瞬、音が止んだ。

 が、また風を切る音が鳴ったかと思うと、突然、赤い光が閃いてあたりを満たした。

 中島の右肩に触れんばかりに、全身に無数の痣をつくった男が檻の柵を握った。切り傷だらけの膝をわななかせて中島と桃瀬に助けを乞う。

「助けてくれ。救いの手を差し伸べてくれ」

 桃瀬が木板を踏み外したのを中島が支えた時、暗闇が立ち込めた。

 前のほうから響いてくるのは、訥々と読まれるお経と二人に呼びかける声。

「彼はもはやこの世の者ではない。目を合わせてはいけない」

 足もとに目を落として、二人は慎重に歩みを早める。今のところ中島の予想を裏切るような仕掛けはなかった。桃瀬の怖がる様をじっくり観察して、ここを出たあとに散々からかってやろうと企む余裕があった。

「やっぱり怖いか」

「ぜんぜん」

「強がるなよ」

「ぜんぜん」

 廊下を抜けると、二つの分かれ道になったが、いきなり斜め左の天井から人の首が落ちてきた。地面に衝突しそうになったところで、首に巻きつけられた釣り糸がぴんと張った。

 ふらふら揺れながら引き上げられていく途中で、充血した顔が中島のほうを向いた。

 マイケルの顔だった。

 見開かれた白目と、乾いた唇に鋭利な歯が刺さっているさまは、もだえ喚いた末についてしまった嘆きの傷かと思われた。

「どうしてこんなところに」

 叫びながら中島はその顔へと近づこうとしたが、地面からスモークが鋭く噴き上がって煙幕を張り、行く手を塞いだ。

 皿が割れる音が鳴ってすぐに、左の道へと続く襖が閉まった。

「右にしか行けないよ」

 足がすくんで動けない中島に、桃瀬はさらっと言った。

「おかしいだろ」

「なにが」

「桃瀬はあの顔が見えなかったのかよ」

 目を点にした桃瀬へと中島は懸命に訴える。

「転校したマイケルがここにいたんだよ。俺はさっきもポップコーンを買いに行ったときにもマイケルを見たんだ。俺がそれに気づいたらあいつは逃げていきやがった。そしてここでも、あいつは俺から逃げていった」

「そんなわけない」

「どうしてそう言い切れる」

「お化け屋敷で生首なんて使うわけない」

 喉元まで出かかっていた攻撃的な言葉を、中島は飲み込んだ。

自分がどれだけ荒唐無稽なことを言い立てていたのか、桃瀬に気付かされた。管理された恐怖を味わうために軽い気持ちで訪れた客を、生首まで使って驚かすはずがない。

 だいだいそんなリアリティを求める客もいない。

 たかだか小道具として使うために人の命を奪うリスクを、誰が負うのだ。

 開いた口を手で覆って桃瀬が笑っている。

「中島もじつは怖がってる。だからオモチャの首が本物に見える」

「そうなのかもしれない」

 中島は反発する元気を失って茫然自失でつぶやくと、桃瀬は、

「まだ終わってない」

 と言って、中島の汗に濡れた手を曳いていく。

「ごめん。おかしなこと言って」

「気にしてない」

 色褪せた竹が乱雑に連なる、田舎町の裏庭のような道を通っていると、男の威勢のいい声が耳に入ってきた。

「数年前、あの家で一人の赤子が病気で亡くなった。深く悲しんだ母親はその子が天国で腹を空かさぬように、毎日かかさず膨大な量の食事をお供えしていた。しかしそれを知った近所に住む一人のならず者は、隠れて家に忍び込み、お供えを根こそぎ食らうようになった。わが子の死に打ちひしがれて正気を失っていた母親は、空になった皿を見るたびに水子は腹を満たしているのだと幸せに思った。そんなある日」

 風が吹き抜けて葉擦れが起こった。

「ならず者がお供えを貪るのを母親は目撃してしまった。そして彼女は家の外に立てかけてあった鎌でその者たちを痛めつけて折檻した。子供が受けるべき愛を奪い取ったならず者を、罰するために」

 家庭菜園の跡が残っている庭へと出ると、声が消えた。

 桃瀬は首を傾げた。

「さっき檻の中にいた男がならず者なんだ。でも」

「あいつは幽霊じゃなくてまだ生きてるってことだ」

「じゃあ、彼はもはやこの世の者ではない、っていうのは嘘」

 黒電話が騒々しく鳴った。

 屋敷の軒先からぽとぽと水滴の垂れるあたりの段差を登って、二人が音の方向へと歩いていくと、垢のこびりついた洗面台があった。折れ曲がった歯ブラシが二本、長い髪の毛に絡んで排水溝に詰まっている。

 電話のわずらわしい音は、その下から響いているようだった。

 謎の男は二人を急かす。

「はやく電話をとれ。それは亡くなった赤子による冥界からの伝言だ」

 開き戸になっている洗面台の下を、桃瀬がのぞきこむ。

「中島が取って」

「せっかくなんだから桃瀬がやれよ」

「いや」

 顔をしかめた桃瀬は両手を後ろで組んで、強く意思表示した。

「結局、俺か」

 中島はぼやきながら床に膝をつけて背中を丸めた。

 しつこく鳴り続ける黒電話の音が、いっそう鬱々たる音のように聞こえてくる。

 受話器をとって、心の準備をして、耳にやんわりと当てた。

 秋の海のような穏やかな波音。

 と、油断した瞬間だった。

 背後から破裂音が響いた。振りかえると、脳の右半分を剥きだしにした長髪女性の人体模型が傾いていた。中島の記憶に眠っていた光景が呼び起こされた。

「これは」

 剥がれた皮膚からのぞく脳を走る細かなコード類、それなのに平然と腰を振ったり腕を妖艶にくねらせたりしている女性。

 風で前髪が巻き上げられ、白粉を塗りこまれた顔に黒目が禍々しく光った。

 マイケルたちと教室で見た、女子高生が踊る動画を中島は思い出した。

 そして、なぜ幽霊屋敷にロボットがいるのだと思い直す。

 女性は首を鳴らしながら近寄ってきて絶叫した。

「私の子供をかえせ、私の子供をかえせ、私の子供をかえせ、私の子供をかえせ、私の子供をかえせ、私の子供をかえせ、私の子供をかえせ、私の子供をかえせ」

 その嘆きに呼応するかのように、受話器から断末魔の叫びが起こった。

「ギャーギャーギャーギャーギャーギャーギャーギャーギャーギャー」

「ほらあっちに逃げないと」

 地蔵のように硬直していた欧陽は桃瀬に立たせられると、すぐに忌まわしい受話器を投げ捨てた。

 狭い廊下の奥に、日差しがうっすら浮かんでいた。

 二人は手をつないで走った。崩れ落ちた女性の怨嗟の叫びがまとわりつく。

「あの男を許すな。不当に愛を貪ったあの男を絶対に許すな。あのならず者をゆるすな。ゆるすな、ゆるすな、ゆるすな、ゆるすな、ゆるすな、ゆるすな」

 わが子の天国での幸せを願う母の善意をならず者に利用され、その女は呪うことを生きがいに決めたのだ。そしてその悪人に同情する者たちも敵だと断定するようになったのだ。

 遅れはじめた桃瀬の腕を引っ張りながら中島は吠える。

「俺たちはただ逃げればいいだけじゃない。まだ赤子の父親が出てきていない」

「どこかに潜んでいて私たちをビビらせるの?」

 左右を見渡して、人形や首や模型が飛び出てきそうな箇所を探る。

「暗い場所や棚の引き出しに注意しよう」

 前方の虫食いだらけの障子がぱっと開いた。幽霊屋敷の外で待つ案内員は、現実世界への帰還を祝福するかのように笑顔を輝かせて、

「お疲れさまでした」

 と手を振りながら、必死に走りくる二人を制止しようとする。

 赤子の父親らしき男は出てこないまま、心のうちにわだかまりを抱えた中島たちを、週末の昼の喧騒が迎えた。屋敷のなかの暗さとの落差がひどく、雲間から射すわずかな光さえもひどく眩しく感じられた。

「あっちで休もうか」

「うん」

 興奮冷めやらぬ様子で騒いでいる客たちをよけて、二人は木陰の小さなベンチに座る。

「楽しかったか」

「うん。入る前は強がっていたけど、やっぱり怖かった」

 桃瀬の手は太ももの上で握られていた。

「俺もなんか不気味な怖さを感じたよ」

 マイケルであり、もうマイケルではなくなってしまった、あの凄惨な顔が、頭から離れなかったのだ。ここはお化け屋敷なのであって、すべては恐怖を喚起するために用いられた小道具のはずなのに、転校したマイケルはじつは誰かに殺されていて、その死体がエンターテインメントとして客に消費されているのではないかと考えてしまう。

 そして、あの脳にコード類を巻きつけられた人体模型である。

 ネットで拡散された例の動画を元ネタにしているらしいあの造りも憎らしかった。 とくに若い世代で広がる、友達がロボットかもしれない不安をうまく掻き立てている。

 桃瀬は心配そうに中島をうかがう。

「体調わるいの?」

「悪いのかもしれない。お化け屋敷が怖すぎたのかな」

 中島が冗談めかして言うと、ひきつっていた桃瀬の頬がゆるんだ。

「わたしも疲れた」

「たしかに待ち時間は長かったけど、まだ一つ目が終わったばっかりだぞ?」

「うん」

「お目当てのお化け屋敷に行けたとはいえ、まだ他に気になるところはあるだろ」

「うーん」

 煮え切らない口ぶりで、桃瀬は手を開いたり閉じたりする。汗に滲んで太ももの線をくっきりと浮き上がらせるスカートに、中島の目はふらふらと誘われる。制服を着ている時には見られない、成熟した大人っぽさを意識させるやたらに生々しい丸みだった。

 中島はお化け屋敷の出口に目を転じる。

 親に手を曳かれて泣き叫ぶ子どもがいた。

「みんなそれなりに怖がってるみたいだな。結局、赤子の父親は現れなかったし、最後まで警戒していた俺がバカみたいだった。ちなみに桃瀬はどこが怖かった?」

「失った子供への善意を利用された母の恨み。あともう一つ」

 桃瀬はふざけて、出し惜しむように指を一本立てる。中島は考えるのが面倒くさくて、立った細い指を優しくたたみながら急かす。

「はやく教えろよ」

「思考を放棄していいの?」

「いいよ。はやく教えて」

 小鼻を膨らませた桃瀬だったが、諦めた様子で話し始めた。

「中島は、赤子の父親はどこかにいるかもしれないと言ったけど、結局出てこなかった。それはつまり、父親はもうあの家にいないからだと思う。子供のことがきっかけで妻が精神不調に陥ってしまって夫が逃げたとか、夫は名家の生まれでどうしても後継ぎが必要だったから別の女性のもとへ去ったとか。夫がいなくなって悩みを打ち明けられる人もおらず、赤子の供養だけが生き甲斐になった母親が、その最後の希望まで奪われた時にどうなるか。すべての不幸の原因をそのならず者に押しつけて攻撃することが、彼女の生き甲斐に変わる。その気持ちを知ってほしくて、この屋敷を訪れた客たちに、ならず者の極悪非道さを喧伝してる」

 一度も息をつかずに強い語調で言ってのけた桃瀬は、異様な覇気をまとっている。屋敷にいたその悲しき女が憑依したかのような、真に迫る圧があった。

「な、なるほどな」

 かろうじて相槌をうつ中島を見つめる、桃瀬の瞳は燃えていた。

「中島はそれで納得なの」

「納得したよ」

「屋敷の中で聞こえてきた男の声を父親のものとは思わなかったの? 歯ブラシだって二本あった」

 語気に押される中島へと桃瀬はぐいぐいと迫ってくる。

「あれが父親の声」

 そう呟きながらも、中島は鼻をくすぐってくる甘い香りに溺れかけていた。未知なるものへの恐怖とまとまらない思考に疲れ果て、唇を光らせるこの同級生の肌を汚したいという欲求に抗えなかった。

「そう。あれが父親の声だとしたら」

 まだ喋ろうとする桃瀬をかわして中島はベンチを立った。

「桃瀬はもう、ほかのアトラクションに興味はないんだよな?」

「え」

 不意をつかれて一拍置いた桃瀬に念を押す。

「どこか行きたいアトラクションはないんだよな?」

「う、うん」

「じゃあ俺の家に行こう。きっと桃瀬が喜んでくれるホラー映画を中古で買ったんだ。古すぎてネット配信では観られないようなマニア向きの作品。うちの父さんは家にいないしちょうど都合がいい」

「え、ちょっと待って」

「興味ないのか」

 中島が見下ろして押しかぶせるように言うと、桃瀬は見るからに怯んだ。

「気に入らなかったすぐに帰っていいし。それにここから桃瀬の家の方向に帰るまでの通り道にうちの家はある」

「うーん」

 はっきり拒絶しない限り可能性は十分にある、と中島は粘る。

「桃瀬はまだ自分の家を俺に教えたくないんだろ? まずは俺が自分の家を教えるよ。信頼はそうやって構築していくものだし」

「分かった」

 中島の尋常でない熱量に根負けしたようだった。

「ありがとう。あの映画を見に来たことは絶対に後悔しないと思う」

「うん」

 桃瀬の頬は心なしか火照っていた。

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