第7話
三〇分ほど経ったころ、中島は右手の通路の奥に、緑色に発光する電灯を見つけた。
「あれかもしれない」
三人は一斉に体をひねって、中島が指し示す方向を凝視した。
「きっと非常口だわ」
楽観的に飛び跳ねる山田をたしめたのは欧陽である。
「でもあの小型自動操縦車のなかに、俺たちが名札を投げ込んだやつがいるかもしれない。もしそうなら俺たちはわざわざ獣の餌食になりにいくようなものだ」
「俺は行くぞ。いつまでもイズミンにストーカーされているのは精神的にも体力的にもきつい。チャンスがあるなら掴みにいくべきだ。もし欧陽がどうしても行きたくないって言うなら、行きたい奴だけが行くことにすればいい。どう思う、中島」
マイケルに話を振られ、欧陽の厳しい視線をぶつけられ、中島はどちらかの立場を示さなければならなくなった。
「俺は」
と言い淀んだが、どっと押し寄せる疲労にひれ伏した。
「非常口まで行く。逃げるのはもうたくさんだ。あいつに捕まえられたら人体解剖でもされかねない。それに俺たちが行くことで、欧陽はリスクなくあのロボットの出方をうかがえるだろ。誰ひとり損しない」
欧陽は顔を真っ赤にして声を荒げる。
「俺がそんなずる賢いことをしようと企んでいるってか。俺はただ全員で助かるための作戦を練ろうと言っているだけなのに、そんな風に思われていたのか」
山田が突然、二人のあいだに割って入った。
「それは誤解よ。きっと中島はそういう意図で言ったんじゃない」
「じゃあどういう意図だ」
「私たちは欧陽みたいに強くないのよ。どんな時でも冷静に状況を観察して、色々な結果を予想して、その結果につながる最適解を選ぶなんて無理なのよ。私たちは得体のしれないロボットに追われて逃げることに、もう疲れ果てているの。だから一か八かに賭けてでも、この地下倉庫から逃れたい」
喉を震わせて山田は最後まではっきりと言うと、マイケルは深々と頭を下げた。
「欧陽、俺たちはこの倉庫の地図を持っているわけじゃないだろ。だからこの機会を逃せば、いつここに戻ってこられるかも分からない。さっきの発言は脅し文句だった。俺は全員で生き残らなければ意味がないと思ってる。欧陽も俺たちと一緒に来てくれ」
腰に手を置いて悩む欧陽から、中島は目を離さない。自分だけは、欧陽が納得してくれる瞬間を見届けなければならないとの義務を感じていたし、合理主義者の欧陽がどう反応するのかにも純粋な関心を抱いていた。
ややあって、欧陽は髪をかきむしりながら床を蹴り上げた。
「やるよ。正直に言うと俺も疲労困憊なんだ。でもだからこそ一時の感情に流されて決断するのが怖かった」
「ごめんね。私が弱いばかりに」
「いや、かえって良かったかもしれない。切羽詰まっていなかったら、俺は攻めの決断ができないタイプだし」
山田は目線を上げて笑った。
「これで決まりだ。一応、イズミンと遭遇した場合の対応も考えておくか」
「そうね。ここは欧陽に任せましょうか」
「だな。欧陽が一番頼りになる」
三人に難題を押しつけられた欧陽はにやついて、
「簡単な話だろ。見つかったらみんな揃って逃げるだけだ。全力で逃げればあいつはついてこられない」
と言い放ち、鼻の穴を膨らませて進みだす。脇を固めるようにして三人も付き従った。
中島はなぜか寂しさに似た気持ちで、もう飽きるほど見てきた無機質な光景を眺めていた。仕分けロボットのアームが段ボールを絶妙な力加減で運びだし、小型自動操縦車へと寸分の狂いなく乗せ、規定の重さに達すると小型自動操縦車はタイヤを軋らせて動きだす。
地下倉庫の端から端までを覆いつくす単純作業の嵐を見て、自分がいかに自由な存在かを思い知った。特権的な自由を肌で感じて、漫然と生きてきたこれまでを悔やんだ。まだまだ続いていく人生を大切に過ごしていこうと心に誓った。
赤い光が点滅して暗くなるたびに、非常灯の緑が鮮やかに輝いた。その場所にたどりつくまで、あと一つ、十字路を通過するだけだった。中島は耳を澄ませ、小気味のいい靴音が聞こえないのを確認し、左右の通路を黒い影が横切らないのを確認した。
四人は猫のように足音を忍ばせて、非常口の扉まで歩いていく。
「あとこの扉だけか」
欧陽は感慨深そうにつぶやいたが、けっして扉のノブに触れようとはしなかった。
「誰かがやらないといけない」
マイケルは震える手を広げてノブを掴んだ。三人は異議を唱えなかった。
マイケルは震える手を捻ろうとした。
マイケルは震える手を捻ろうとして、上体を左へと深く傾けていた。
その虚しい頑張りに心が痛んで、中島は声をひねり出す。
「仕方ない。ほかの方法を考えよう」
そのとき、背後で山田の金切り声がした。中島は反射的に振り返った。
黒いスーツを着た人間らしきものが微笑んで立っていた。
「見事な作戦でした。ただ発信機が別の場所に分散しているのは不自然でした。男性三人がまさか女性を一人で行動させるとは思えませんでしたから」
何度もノブを捻る音とドアを蹴りつける音が、この空間の秩序を乱すかのように響く。尻もちをついてわななく中島と山田を、泉谷は得意げに見下ろす。
「人間のもつ優しさ、そして未知のものに対する恐怖が仇となったようですね。あともう数十分待てば、上階の人間たちが地下倉庫の主導権を取り返していましたよ」
マイケルと欧陽の涙ぐましい奮闘の音が宙を漂っている。
「そこのお二人は私の話を聞いてくれていないのですね。本望ではありませんが、強硬手段にでなければならないようです」
と、マイケルが素っ頓狂な叫び声をあげた。
「あいたぞ」
倉庫の外からの新鮮で生暖かい空気が流れ込む。欧陽は山田の脇へと腕を差し込んで引きずる。
「中島、はやくしろ」
泉谷の胸元にレーザーポインターが当てられた。鋭い銃声が鳴って、泉谷は後ろへとよろけた。中島は膝に力が入らず、お尻を床に擦ったまま下がっていく。
「急ぐんだ、中島君」
聞き慣れない声がして、また泉谷へと閃光が走った。あまりの眩しさに目をつぶった中島の襟が、誰かに掴まれて引っ張られる。やがて、床に肘をついて同情を買うような目をした泉谷が、扉の向こう側の存在になった。
「助かった」
制服を支えられていた誰かの力がふっと抜けて、中島は仰向けになった。ずっと巨大な地下倉庫にいたせいか、天井が低く感じられて息苦しかった。胸を大きく上下させて貪欲に呼吸しながら首をあちこちに回す。
会議室のような小さな部屋に、身体を折り曲げて膝に手をつくマイケルと欧陽、足を崩して扉を見つめる山田、目をつむり扉に耳を当てる見知らぬ中年の男がいる。
「無事でよかったです」
灰色の作業服を着たその男は淡々と言った。
「いったい何が起こっているんですか。俺たちは閉じ込められて怖い思いをしていたのに、どうしてそんな平然としていられるんですか。俺たちがこんな状況に陥ったのはあなたたちの責任でしょう」
欧陽は殺意を秘めた目で問いかけると、男は扉から離れて向き直った。
「私たちに責任があるのはたしかです。しかし、今回の件で具体的な被害をうけた人はいるんでしょうか」
「開き直るんですか」
欧陽は体当たりするように男へと詰め寄った。咄嗟に体が反応して、中島は勢いづいた欧陽を押し返して訴える。
「まずは落ち着いて話を聞くべきだ」
男は中島の肩をぽんぽんと叩いた。
「失礼しました、私はキムと申します。泉谷が誤作動したようですね。しかし誤作動したからといって常に被害が生じるわけではありません」
長々と続きそうな話を山田が遮る。
「まずは少しでも遠くに逃げるべきでは?」
「その心配はいりません。この扉は外部の私たちしか開けられませんから。すぐに済みます。まずは私の話を聞いてください」
今にも襲いかかりそうな欧陽を無視して、キムは言葉を継ぐ。
「私たちはロボット開発に携わる企業として、とくに自律型ロボットが制御不能になる事態に頭を悩まし続けてきました。世界中で人間による暴力事件が起きていますが、ロボットがたった一回でも同じことをしてしまうだけで企業は破産に追い込まれますからね。それくらいロボットに対する人の目は厳しいわけです」
欧陽は呆れたような目で口出しする。
「ロボットは人の生活を豊かにするべく作られた存在で、人に危害を加えようとする時点で用無しでしょう。当然、そんなロボットを作った企業も用無し、それどころか害悪でさえあります」
苦笑いしたキムは小さく何度もうなずいた。
「それが大多数の見方でしょうね。だからこそ私たちは製造者の責任として、自律型ロボットの好戦的な行動を一切排除したんです。ここでもう一度、はっきりさせておきましょう。泉谷はあなたたちに暴力を振るいましたか」
中島はよく思い出してみた。泉谷は電話で上司に反旗を翻し、四人を脅しつけて、警報音の鳴る地下倉庫のなか追い回した。
逆に言えば、それだけだった。実際に暴行を加えることも、加えるふりをすることもなかった。マイケルが言っていたように、まさに鬼ごっこをしていただけだった。
「今回の件で具体的な被害をうけた人はいるんでしょうか、と言ったのはそういう意図でした。みなさんは自分のなかで恐怖を生み出していただけです。もちろんそれを悪く言うつもりはありません。逃げなくても助かったというのは結果論にすぎませんから」
中島はまどろっこしく理屈を並べるキムに苛立って、拳を握った。
「どうしてそんな風に第三者目線で偉そうに言うんですか。あなたは泉谷を制御できなくなった側の立場でしょう。それに、僕を助ける際に泉谷を銃らしきもので撃ったのは、もはやあのロボットが暴力行為を及ばないと確信できなくなったからじゃないんですか」
キムは高笑いして後ろ手に扉のノブを握った。
「では試してみましょうか。イズミンがまだデッドラインを守れているかを」
四人が逃げだす間もなく、重い扉は開かれた。顔色一つ変えず立つキムの後ろには、恥ずかしげに頭を掻く泉谷がいた。
「みなさん、お待たせいたしました」
泉谷は体をよじってキムをかわし、金縛りにでもあったかのように身動きのできない中島へと手を伸ばした。唖然として受け入れるだけの中島の右手に、金属的な冷たさが伝わった。泉谷はなめらかな口調で言った。
「キムさん、そろそろ種明かしをしてはいかがでしょうか。私はみなさんの敵意に満ちた視線があまり得意ではありません」
「そうだな。イズミンには悪い役を頼んでしまった」
ぷっと吹き出したキムへと、四人の混乱に泳いだ視線が集まった。
「みなさんには申し訳ありませんが、これはすべて盛大なドッキリでした」
中島は耳を疑って聞き返す。
「ドッキリ?」
「そうです。イズミンが反乱を起こしたところからすべてが嘘でした」
脱力して腰の抜けたようになっている山田がつぶやく。
「どういうことなの? なんの目的なの?」
「これはある種のアトラクションみたいなものです。企業見学に来てくださる高校生たちの一〇〇組に一組は、今日と同じような体験しています。目的はと言えば、自律型ヒューマノイドロボットへの偏見をなくすことです」
それを聞いてもまだ中島には別の疑問があった。
「あの銃声とか閃光は何だったんですか」
「あれは光を当てたタイミングに合わせて、録音していた銃声を私が鳴らし、イズミンに倒れる演技をしてもらいました。イズミンは演技派俳優ですから」
欧陽はもう突っかかる気力も失せているようだった。
「今回の一件で、僕はロボットを危険なものだと再認識することになりました。社会は自律型ロボットを受け入れてはいけないと」
泉谷は中島の手をそっと離して、欧陽へと馴れ馴れしく絡みにいった。
「まあそうおっしゃらずに。私は欧陽さんのような方が好きですよ」
「触らないでくれ。いまは本当に気分が悪いんだ」
ずっと黙っていたマイケルが口を開く。
「結局、俺らは、危険じゃない存在を偏見で危険だと思い込んで逃げ回っていただけだったのか」
「そういうことになります」
マイケルは独り言のようにつぶやく。
「まあイズミンは見るからにロボットだからまだいい。人間と見分けがつかないと言われているLUVLUB社製のロボットはどうしようもない」
「あそこはうちと比較にならない技術と資金をもっています。アメリカで実際に運用されているようですし、ひょっとするともう日本でも」
キムが最後まで言うよりも前に、欧陽が口を挟む。
「LUVLUB社といえばあの動画。キムさんの目から見て、あれは本物のロボットですか」
「答えにくい質問ですがあえて答えるとすれば、それも十分あり得るでしょう。アメリカ国内で二〇年前に導入が開始されてまだ問題が起きないていないということは、かなり高い確度で安全性が保障されている証拠です。実際には問題が起きているにもかかわらず揉み消している場合を除いては」
「保守的な日本の政府がロボットを人間として受け入れていると思いますか。政府にとってどういうメリットがあるんですか」
「私にも分かりません。労働力の確保なら移民の条件緩和をすればいいだけで、大きなリスクを負ってまで人間に似たロボットを輸入する理由にはならないですし」
二人が議論をしている間、中島も自分なりにその理由を考えていた。ロボットを人間として扱うことにどんな意味があるのか、社会に放り込まれたロボットは一人で生活しているのか、出来るのか。
考えているうちに質問したくなった。
「もしロボットが社会に紛れ込んでいるとして、そのロボット自身は自分が人間じゃないと知っているんでしょうか」
キムは椅子をひいて、四人に座るよう促した。
「どうでしょうか。それはエンジニアがどういう目的で作ったかにもよるでしょう。人間社会に溶け込ませる目的なら、ロボットは自分を人間だと認識しない仕様になっていて、人間に奉仕する目的なら、自分をロボットだと認識する仕様になっているはずです」
「後者のロボットはいわば現代の奴隷みたいなものですか」
「たしかに主人と奴隷の関係に似ていますね。人格的な側面よりも機能的な側面を重視されているわけですから」
欧陽は戸惑いなく席に座った。
「じゃあ結局、主人の手を離れた場所で社会生活を行うロボットは、自分がロボットだと認識しない仕様のものだということですね。学校のような空間では主人がすべて面倒を見るのは難しいでしょうし」
「だと私は思います」
一度火のついた欧陽の怒りはなかなか収まらないようだった。
「ところで、いま僕が感じているような怒りをロボットも感じるんですか」
「彼らが感情を持っているのかは分かりません。ですが、もし私たちが感情を持っているかと尋ねれば、自分は感情を持っていると答えるはずです」
泉谷は首をぶんぶん振った。
「私は皆さんと同じように感情を持っています」
キムは舌打ちする欧陽に苦笑いしながら、促されても行儀よく立っている三人へと手招きした。
「どうぞ座ってください。これから企業や技術に関する簡単な説明を行いますから」
「はい」
三人は互いも様子を窺いながら腰かけたが、キムはもう一度手招きした。
「疲れただろ、イズミン。今日は特別に座っていいぞ」
泉谷は白々しくためらうふりをしてから、情感のない照れ笑いを浮かべて、中島の隣の席に腰を落ち着けた。押しつけがましい愛想を感じて、中島は心持ち体を遠ざけた。
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