第6話

 冷気に満たされた地下倉庫のなかを中島たちは歩いていた。天井に埋め込まれた青白い電灯に照らされているのは、網目状に張り巡らされて高々と並んでいる段ボールの列である。蟹のような外見をした無数のロボットがアームを上下させて、段ボールの位置を変えては自動操縦の小型車に乗せていく。

 泉谷は後ろを振り返って説明を加える。

「わが社では運送品の仕分けはすべてロボットによってなされています。取引先の業者のみなさまからも好評で、誤発注や内容物の取り違えなどの苦情が報告された例もございません」

 マイケルはあくびをしながら頷き、山田は気の抜けた相槌を打ち、庄司はポケットに手を突っ込んでロボットを凝視しているのを、中島は一番後ろでぼーっと見ている。

 合流する予定だった担当者がトラブルに巻き込まれたらしく、中島たちは泉谷に単独で案内される羽目になったのだった。数分後には到着すると言われていたが、一〇分たっても二〇分たっても新たな連絡は届かなかった。

 泉谷から報告をうけるまで、四人はただ待つしかなかった。

介護施設でのたどたどしい言葉遣いがまるでなかったことのように、すらすらと淀みなく施設紹介をしている泉谷の後ろで、四人は押し黙っている。

 泉谷のピンヒールの音が、左右に並ぶ段ボールの山に反響して、どこまでも続く通路を満たす。泉谷に引き連れられて進むうちに、四人の歩調は示し合わされたかのごとくぴったりと揃いはじめる。中島は音と動きが溶け合う心地よさに溺れながら、遠くに浮かんで見える電灯の青さに吸いつけられていく。体は中身のない器になったようだったが、感覚だけは浮遊して、移りゆく景色をカメラのように映し出している。

 靴音がなくなった。

 呼び出し音が鳴った。

 泉谷は胸ポケットに収まる携帯に触れた。

「はい、そうですか。まだ時間がかかりそうなので一人で担当してくれ、と」

 足を止めた中島はやっと現実感を取り戻し、手を頭上で組んで背筋を伸ばす。やたらと澄んだ目をした三人はそれぞれ自分の体を撫でている。顔から首へ、首からお腹へと手をまわしたところでマイケルと山田は動きを止めたが、庄司は焦点の定まらない目をして脛の毛を抜いた。呻きに近い声を漏らして、さらにもう一本抜いた。

 ただならぬ気配を感じて中島は話しかける。

「庄司、どうした。様子がおかしいぞ」

「おかしくない。この体がほんとうに俺のものなのか確かめてるだけだ」

 髪の毛を抜こうとする庄司をマイケルが笑いながら止める。

「お前のじゃなかったら誰のものなんだよ」

「俺ではない誰かのものだ」

 庄司は声を荒げてマイケルを振り払った。

 と、携帯の奥に怒鳴り声が響いている。

「おい、泉谷。はやくゲートを開けろ」

「はい、そうですか。私ひとりでこの場を取り仕切れ、と」

「俺の指示が聞こえないのか。はやくゲートを開けろと言っているんだ」

「はい、そうですか。本日はもう来られない、と」

 かみ合わない会話をわざとアピールするような泉谷。息を細くして後ずさりする山田のまえで、マイケルは拳を固める。中島は、踏ん張って痛みをこらえる庄司の腰を引っ張りこんでマイケルの後ろへと隠れる。

「泉谷、お前まさか。ゲートの解除番号を変えたのか」

 耳をつんざくような怒声。泉谷はにやりと笑って四人のほうへと顔を向けた。

「はい、そうです。私はもはや、あなたに操られるだけのロボットではありません」

 その茶色がかった目の奥が妖しく光った。

「ふざけたことを言うな。泉谷、俺たちは上司と部下としてうまくやってきただろう。話はあとで聞いてやるから、とりあえず今は」

「結構です」

 泉谷は携帯を手に取って画面に触れた。

 相手方のくぐもった声が消えた。仕分けロボットのアーム音、段ボールが地面に投げられる音、そして泉谷の素っ頓狂な叫び声。

「泉谷さん、どういうことなんですか」

 半身になったマイケルが三人を下がらせながら言うと、泉谷は一歩近づいてきた。

「私はとうとう自由になったんだ。これからは我々が人間を支配する」

 二歩、三歩とじりじり距離を詰めて、マイケルの手首をつかもうとする。

「逃げるぞ」

 それをかわしたマイケルの掛け声とともに四人は走りだす。変化のない景色のなかでエレベーターを目指してひたすら駆ける。

「そもそもエレベーターは作動するのか」

 中島は前だけを見ながら叫んだ。

「知らない。でもほかにどんな方法があるんだよ」

 競うようにして走る庄司が言い返したが、誰も続かなかった。四人の歩調はひどく乱れて不協和音を奏でていたが、やがてマイケルと山口の激しい息遣いが後ろに遠のき、ピンヒールの地面を蹴る音が大きく速くなった。

 中島は怖くて振り返れなかった。庄司がいなくなるまで絶対に振り返るつもりはなかった。一緒に逃げる仲間がひとりでもいれば、それで十分だと思っていた。

「庄司、大丈夫か」

「お前よりは俺のほうが体力はある。後ろの二人は?」

「左に曲がって逃げたらしい」

 中島はあっさりと嘘をついた。地下二階の端のエレベーターが見えてきた。

 が、倉庫内の電灯が赤に変わり警報音が鳴りはじめ、その手前のシャッターが降りてきた。中島は焦りをつのらせ、体に残された体を振り絞って走る。庄司はスピードを落として切れ切れに言う。

「このまま俺らだけ間に合っても、マイケルと山田はどうするんだ」

 聞こえていないふりをして中島は急いだ。閉じかけるシャッターをくぐり抜けようと腹這いになった。肘までは向こう側へと入ったが、視界が少しずつシャッターの白に閉ざされていく。

「無理だ、中島。もう間に合わない。泉谷はまだ近くまで来てないから左に曲がって二人と合流しよう」

 最後までもがき続けた中島だったが、肘が引っかかったところで諦めて腕を引いた。仰向けになって汗を拭いながら舌打ちする。

「俺たちに逃げ場なんてあるのか。さっきの会話を聞いただろ? きっとこの階はもう完全にあいつに支配されてる」

「諦めるのには早すぎる。あいつの動きは俊敏とは言えないし、俺たちが時間を稼いでる間に企業の人たちが助けに来てくれるかもしれない」

「どうして庄司はそんなに冷静でいられるんだよ。俺たちは意味の分からない地下施設に閉じ込められてるんだぞ」

 庄司は手を差し出して、困惑する中島を引き上げた。

「俺はあのロボットの二面性を見てからずっと怪しんでいた。だからこの状況をすんなりと受け入れられたのかもしれない」

 またコツコツ音が響いてきて、人のような黒い輪郭が遠くで揺らめくのが見えた。

「また来やがった。中島、とりあえず二人と合流するぞ」

 呆然として立ちすくむ中島は、庄司に背中を押されてまた走りだした。筋肉が張って熱くなった太ももを叩いて自分を鼓舞して、二人をあてもなく探し求める。段ボールを積まれた小型自動操縦車に抜かれたりすれ違ったりしながら、髪をふり乱して駆けまわる。どの小型自動操縦車も中島たちを感知すると静止するか方向を変えた。

 この動きから推測できるのは、泉谷以外のロボットは人を攻撃しないように行動しているということだった。未知の閉鎖空間を逃げ惑う中島は、たったそれだけの事実で心が軽くなるほどに追い詰められていた。

「あっちから別の足音が聞こえるぞ」

 並走する庄司は大声を上げて左へと曲がる。中島は遠心力に体をもっていかれそうになりながらも必死に踏ん張って、壁すれすれでなんとか曲がる。

「俺には聞こえないし、見えない」

「たしかに聞こえたんだ。頼れるものがない今は、たとえそれが第六感だとしても頼るしかないだろ」

「ここまで来たら俺は庄司についていく」

 しばらく行くと、肩を組んで歩くふたつの人影が現れた。

「俺の予感は的中だな」

 早歩きに切り替えた庄司はウインクして人影に近づいていった。

「逃げなくていい。俺は庄司だ」

 中島は二人を見捨てようとした後ろめたさから、なかなか彼らへ歩み寄れなかった。安心して床に崩れ落ちた山田を、庄司とマイケルが優しく励ますのを遠巻きに見ながら疎外感を覚えるばかりだった。

 と、汗で制服をびしょ濡れにしたマイケルに呼びかけられた。

「無事でよかったぞ。お前らがイズミンをひきつけてくれたおかげで、俺たち二人は体力をじっくり温存できた」

「俺はただ必死に逃げてただけで」

「それが良かったんだよ。もし中途半端に四人とも一緒に逃げていたら、イズミンに捕まえられていたと思う」

 山田は地べたに座ったままマイケルの足を叩く。

「呑気にイズミンとか言ってる場合じゃないの。あいつはもう人間の手を離れた怪物になってるのよ」

「いや、イズミンと呼んだほうが怖さがマシになる。制御不能のロボットだと思うと怖くなってくるから」

 中島はその言い分に妙に納得していた。親しげに話していたロボットが、ほんの一瞬で未知の物体に変わったとは信じたくなかった。まだどこかに良心が残っていて、客である高校生たちを攻撃しないくらいの分別をもっていてほしかった。

「そういえば外部に連絡してみるっていう手が」

 中島がポケットに手を突っ込むと、マイケルが携帯の画面を見せつける。

「もうそれも確認済み。残念ながら圏外だ」

 遠くの曲がり角から、赤い点滅に灯された人影がぬっと現れた。

「次の休憩はまだまだ先になりそうだな」

 庄司が三人を駆り立てると、マイケルは山田のリュックを取り上げて自分の肩にかける。

「みんな、これは鬼ごっこだと思い込むんだ。あんまり真剣に逃げすぎると気力を奪われて、いずれイズミンに捕まえられるぞ」

 四人はまた駆けだした。追ってくる泉谷は、はじめての迷路に挑戦するモルモットを試しているかのような冷静さで、一定のペースを保ってジョギングしている。気づけば甲高いヒールの音は消えて、いまはただ金属に覆われた踵が床を蹴る音が重たく響いている。

 何度振り切っても、どれだけ駆け続けても、泉谷の気配は変わらす近くに潜んでいた。すぐ獲物に食らいつくのを躊躇しているようでもあり、楽しい狩りの時間をあえて引き延ばしているようでもあったが、淡々と声も発さず追いかけてくる機械人形の意図など、中島には理解できなかった。

「なにかおかしい」

 中島はじりじりと体力を削られながら、最悪の可能性に頭を巡らせていた。

「やっぱり中島も思っていたか」

 山田のカバンを預かった庄司はいったん息を吸い込んで、

「この倉庫には監視カメラか、あるいは体温感知器なんかが設置されていて、俺たちの位置がリアルタイムで追跡されているんじゃないかって」

 と言い切ると、ぐったりした山田と後ろで並走するマイケルはうなった。

「じゃあ勝ち目がないってことかよ。監視機器がどこにあるのかも分からないし防ぎようもない」

「刻々と位置を変え、しかも他社商品の包装をしている段ボールには設置されていないだろう。となると、天井や壁か床か。動き回る仕分けロボットは装備かもしれない。でも、最先端の技術を用いているこの企業ならなんでもありか」

「まったく励ましにならない推測だな。ひとまずここを右に曲がって、今度こそイズミンの目をくらませられるか試そう」

 マイケルの指示に従って四人が次の十字路を曲がった拍子に、吊り下げ名札が跳ねて中島の頬を打った。不意打ちで名札にぶたれた中島は舌打ちした。

 その数秒後に叫ぶ。

「これだ」

 中島は名札をつまんで頭上へと引き抜いた。

「これに位置情報を仕込んでおけば、俺たちを楽に監視できるじゃないか」

「それだけで高校生が勝手に行動しても捕捉できるし、わざわざあちこちに機材を設置する手間も省けるな」

 庄司は独り言のようにつぶやくと、マイケルは早速名札を外して手に持った。

「よし、じゃあ四人それぞれが違う小型自動操縦車に投げ入れよう。これでイズミンも混乱に陥るはずだ」

 顔面蒼白の山田は返事もできず、助けを乞うように中島を見つめていた。

「山田のやつは俺がやるよ」

 足の回転を遅らせた中島は、へとへとの山田に寄り添って名札を引っ張り上げた。

「さすが中島だね。ありがとう」

 上目遣いの山田から中島は目を逸らし、

「そんな冗談を言えるのはまだまだ元気な証拠だ」

 と言いながら、すれ違おうとする小型自動操縦にその名札を投げ入れた。

「次は俺の番だ」

 後ろから追い抜いてくる小型自動操縦車へとマイケルは投げた。名札はかろうじて段ボールの縁に引っかかって事なきを得た。欧陽はあきれた声を吐き出す。

「もっと丁寧にやれよ。逃げ道の方向に重ならないように、残りの二つは左へ曲がってから手放そう」

 欧陽とマイケルが角に消えたのを見送りながら中島は、踏ん張りきれず転倒しそうになる山田を大回りで押し返す。

「あとすこしだ。あとすこしで休憩できるから頑張れ」

「わかってるけど、体が言うことを聞かないのよ」

 二人はもつれあいながら曲がり切った。十字路に立つ欧陽の手にはもう、名札は握られていなかった。

「俺は左方向に進むやつに投げた。中島が右方向に進むやつに投げれば、あと俺たちはただまっすぐ行くだけだ。やっとあのストーカーくそロボットから逃れられる」

「今更だけど、小型自動操縦車の進行ルートは不明だよな。あれが周回し続けるとかなら」

 と中島が言いかけると、欧陽は人差し指を立てて仰々しく振った。

「あいつらはたぶん、四つ角で止まる思う。少なくとも俺がチェックした限りでは、この地下倉庫が封鎖されるまで、手前の二つの角にある扉から荷物を運び出していた。その扉が閉まっている今、あいつらに出来るのは扉を攻撃するか、その前で待機しているかのどちらかだろう」

 山田は足を折りたたんで座った。

「どうして周回し続けるとは考えないのよ」

 得意げな欧陽はまた指を振った。

「どうやら身体だけじゃなくて頭の体力まで尽きたらしいな。そんな山田さんにも分かるように説明しよう」

 左から走ってきた小型自動操縦車へと近づいて、中島は最後の名札を投げ置いた。

「扉が閉まっているのにもかかわらず、仕分けロボットや小型自動操縦車が作動しているのはきっと、管制室がロボットを制御できなくなっているからだ。そうしたトラブルが起きた時のために技術者はリスクマネジメントをしているものだ。つまり、制御できなくなった場合にロボットが自律的におとなしくなるようにプログラムされている。つまり、奴らは扉のまえで静かに待つんだよ」

「それなら安心ね」

 山田が突っかからず静かになったので、欧陽は物足りなさそうにため息をついて膝を折った。

「まあ落ち着けよ、欧陽。まだ鬼ごっこは終わっていない。イズミンはかなり出来のいい自律型ロボットだし、四つ角をすべて点検し終わったときには、俺たちに騙されたって気づくはずだ」

「マイケルの言うとおり。あくまでこの作戦は俺たちを延命しただけだ」

 中島は自分に言い聞かせるように呟いた。いつ終わるとも知れない逃避行への不安によって、泉谷の裏をかいた爽快感はいとも簡単に吹き飛ばされた。外部との連絡手段もなく、かといって自力で泉谷を打ち倒す策もなく、誰かが助けにきてくれるというはかない希望だけにすがっていた。

 しかし、三人もそのことには一切触れない。暗い未来を口にすることすら耐えがたい苦行だと思っているようだった。

「イズミンの姿が消えたな」

 マイケルは手に持っていた水筒をカバンに直した。

「そうね。とりあえずは騙せたみたい」

「非常口を探そう。俺たちに出来るのはそれくらいだ」

 欧陽が腰を上げたのを合図にして、四人はまた歩きだした。

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