影の夜

九十九

影の夜

 月の上を滑るように、鎌がくるりと宙に舞う。地では黒衣が翻り、されこうべの面をしたのっぽがこきりと首を鳴らした。

 重力に従って落ちて来る鎌を、のっぽは片腕で受け止める。鎌が手の中に収まってから一拍、のっぽが地を蹴った。

 影が、人を喰う影が蠢いていた。夜よりも影よりも昏い色をしたそれは、どろどろと触手を伸ばす。

 影が人影を放り投げた。人影は空中で一回転すると、大口を開ける影めがけて真っ逆さまに落ちて来る。

 のっぽは跳躍し人影を抱えると、片腕に収まる鎌を影へと突き立てた。

 鎌が影を貫く。そのまま影は一つの拳大の結晶となる筈だった。だが影は膨れ上がり、蛇のようにとぐろを巻くと、四方八方へと飛び散り、姿を消した。

「ゼロ、失敗した」

 ゆらゆらと黒衣をひらめかせ、されこうべの面をしたのっぽ、ゼロは地に降り立つと項垂れた。

「あれは頭を叩かなきゃいけないタイプだったから、仕方ないよゼロ」

 ゼロの片腕に抱かれていた人影が、黒衣の中から顔を出した。錆びた桜色の髪に蜂蜜色の瞳を持った少女は、体躯を曲げて項垂れるゼロの頭を撫でてやる。

「ミエル怪我無い?」

「ゼロが受け止めてくれたから、四肢はバッチリ」

 少女、ミエルはゼロの頭を一しきり撫で終ると、腕の中から地面に降りた。ゼロはミエルをじっと見つめて、擦り傷が付いた頬を少女の顔よりも大きな手で撫でる。

「ミエル。ミエルの身体を使ってあいつら誘き出すの止めよう」

「どうして?」

「だって何時もミエル怪我する」

「死ぬ前にゼロが助けてくれるから大丈夫だよ」

「小さい傷までゼロは防げない。ミエルは小さい傷でも死ぬ」

「死なないよ」

「分からない」

 不満げにむくれるゼロにミエルは苦笑した。こうして時々、ゼロはミエルが囮になる事を嫌がる。

 ゼロは探索には向いていない。影を探し出す能力が乏しいゼロでは、影を見つけ出すことは難しい。その点、ミエルはある程度探索が出来、影を誘き出すことに特化している。ミエルの血が影にとって好物だからだ。血を垂らせば、たちまち影は匂いを嗅ぎつけミエルを喰いに来る。

 だからこそミエルは影を前に餌の役割を果たしているのだが、ゼロはミエルが死ぬ事を恐れてミエルが餌の役割に収まる事を嫌がっている。

 だからと言って、ゼロが影を探し出すことが難しい故に誘き出す他ないなどと口が裂けてもミエルには言えない。本人が一番気にしているのだ。己のせいでミエルが餌の役割を担っているとゼロは思っている。ミエルがまともに戦えない故に囮をしているのだと説き伏せてはあるが、ゼロは納得していない。

「ゼロ」

 ミエルはゼロのされこうべの面へと手を伸ばした。ゼロが察して屈むと、ミエルはゼロの頬を両手で挟み込む。

「止めないよゼロ」

「ミエル」

「あれらを消すなら、今のままの方が良い。だから止めない」

 言い聞かせるようにミエルは言う。ゼロだって本当はやらねばならない事だとは分かっている。分ってはいるが、時々こうして感情に押されてぐずってしまうのだ。

「ゼロ帰ろう。帰ったらゼロの好きなホットミルク入れてあげる」

 ミエルはゼロが安心するような笑顔で笑いかけた。

 ゼロは一瞬息を飲む事に失敗して、次いで大きく息を吐き出した。

「ゼロ帰る」

「うん、帰ろう」

 二人手を繋いで、ゼロとミエルは帰路に着いた。


 カーテンの僅かな隙間から昼の日差しが煌々と部屋を照らす。時刻は正午を回った所だった。

 ミエルは日の眩しさに布団の中で身じろぎすると、唸り始めた。ミエルは朝が滅法弱い。その上寝られるだけ寝たいタイプだ。起きるのは昼になってからで、起き上がるのだって数十分掛かる。

 暫く布団の上で唸り続けていたミエルは、時計の針が二十分を超えた所でようやく蜂蜜色の目を開いた。

「う……」

 何度か目を瞬き、緩慢な動作で布団から起き上がる。錆びた桜色の髪があちこちにはねていた。

 ミエルは布団をそのままに、玄関へと向かった。玄関のポストの中には毎朝、書類と新聞が一通ずつ投函されている。

 それらをまとめて引っ張り出して、部屋の隅に備え付けられた勉強机の椅子へと腰を掛けた。この部屋唯一の机と椅子だ。

 書類には昨日、影がどの様な場所に出たのかの報告が連なっている。とは言っても、大まかな範囲の話になるので、正確さは無い。現地に行って人に聞いて回るのとそう大差は無いのだが、有るのと無いのでは手間がまるで違うので、零からの探索が出来ないミエルとしては助かっている。

 ミエルは書類から、近場の中で、ある程度の場所をリストアップすると、新聞を開いた。

 新聞には大小様々な事件事故の情報が載っている。その中から影が関わって良そうなものを抜き出し、先程リストアップした場所と照合する。

「昨日の奴はこれだから、これは行方が分からない。探すとしたらこの辺だから、これかな」

 昨日の影を探す道順を組むと、道中に他の影がいるらしいので、それに目星を付ける。新聞には昨日の現場とそう離れていない所にある廃ビルで、肝試しをした人間が怪我を負ったと記されていた。何かに食い千切られたと記述された写真は如何にも影の仕業に見える。

「大きくは無いかな」

 傷の大きさからせいぜいが人間サイズだろう事が窺えた。

 影が出る月夜の時刻にはまだ早い。誘き出すには血がいる。血を作るためには食事が必要だった。

 ミエルは書類と新聞を机の隅に片付けて置くと、昼飯を腹に入れるためにキッチンへと足を向けた。

 

 玄関の鍵を閉めて歩き出すミエルの隣にゼロは居ない。ゼロもまた影と同様に月が出ている間しか外には出られない。日中はミエルの影や建物の蔭の中にゼロは潜んでいる。

「ミエル、廃ビルに行くの?」

「そうだよ」

 影の中から聞こえたゼロの声にミエルは答える。

「ねえミエル」

「うん?」

「ゼロ、今日は失敗しない」

「うん、ゼロなら出来るよ」

 通りすがりの男性が、ミエルを不思議そうに見た。ゼロの声は周囲には聞こえないから、周りから見たらミエルの独り言だ。ミエルは男性に会釈してその場を通り過ぎる。

「あ」

「どうしたミエル?」

「果物売ってる。食べるゼロ?」

「桃」

「私の好物だ。うん、良いね、買おっか」

 歩みを進めながら視線を上げると、鮮やかな果物がミエルの視界に入った。地面をじりじりと焼く太陽がようやく大人しくなり始めた季節ではあるが、未だに太陽に晒され続けては喉が渇く。瑞々しい桃は魅惑的だった。

 ミエルは店員から二つ桃を受け取り礼をすると、店を後にし、薄暗い路地裏へと入っていった。

「ゼロ」

「うん」

 影の中から腕だけ出したゼロに、桃を手渡す。ゼロの手の平に亀裂が入り、ぱかりと鋭い歯が並ぶ口を開けた。長い舌がミエルの差し出した桃を掬うように捉えると、一口で口内へと収めた。

 ゼロの咀嚼音が響く隣で、ミエルもまた皮ごと桃を口に含む。

 果肉を咀嚼し飲み込みながら、ミエルが視線を上げると、街の隙間から件の廃ビルが見えた。もう数年は人の手が入っていないような寂れた廃ビルは、太陽に照らされていても何処か薄暗い。

「あれが件の廃ビル」

「うん」

「ミエル何か視える?」

「窓にあれらの痕跡がある」

 ミエルの片目が昏い影と同じ色に変色する。窓に貼り付いた赤い手形がミエルには視えていた。

 ゼロは影から顔を出すと、じっと廃ビルを見詰めた。けれども直ぐにミエルの影の中へと沈んでいく。ゼロには見えないのだ。ゼロには影を探し出すことが出来ない。

 ミエルは屈むと、自分の影をそっと撫でた。

 手にしていた桃の最後の一欠片を口に含むと、ミエルは廃ビルへと足を向けた。


 辿り付いた廃ビルの中は何処か埃っぽく、薄汚れていた。窓には罅が入り、建物にも所々小さな亀裂が見られた。それでも建物自体はしっかりしているようで、瓦礫が落ちて来るような気配は無い。

 ミエルは玄関口から中へと入ると、周囲を見渡した。生き物の気配は感じられない。その代わり、床には点々と続く小さな血の痕があった。一度目を閉じたミエルの目が再び開いた時、その片目は黒く染まっていた。

 影の痕跡が赤く浮かび上がっているのをミエルは見ていた。玄関の窓に幾つか付いていた手形は、階段の方へと伸びている。

「上だ」

 呟き、窓の外を見る。夕暮れが近づいていた。

 ミエルは階段へと足を掛け、影の痕跡をもう一度確認すると、上の階へと登っていった。

 二階も三階も一階と同じように手形は付いていたが、追っていくとそれはやがて上の階へ続く階段へと続いていた。暴れたような痕跡もない事から、肝試しの人間が襲われた場所もここでは無いようだった。また、玄関から続く血の痕跡は、階段には付いているが二階三階のフロアには付いてはいなかった。

 ミエルはこつりこつりと足音を鳴らしながら階段を登り続ける。四階まで辿り着くと、幾つかの血溜まりがあった。赤黒くくすんだ血痕は、どうやらここが襲われた場所だと教えてくれた。

 ミエルは周囲を見遣る。一階、二階、三階とは比べ物にならない程、赤い痕跡があちらこちらに付いていた。

「ゼロ、ここに居る」

 外に出たような痕跡は無かった。その上暗く色を変えた片目が、勝手に右へ左へと揺れる。それは影が近くに潜んでいる時の合図だ。

「ミエル、ここ闘い辛い」

 四階は様々な箱や家具で溢れていた。撤収する時にそのままになったものが、影が暴れた事によって余計に散らかったのだ。

 影はおそらく、人間の形をしている。大きさも人間の大きさしかないだろう。手形の大きさからも大きくても平均的な成人男性のサイズであろうことが窺えた。

 対してゼロはのっぽだ。成人男性を優に超える体躯を持っている。その上扱うのは大鎌だ。天井や壁はともかくとして、箱や家具はどう見ても邪魔だった。

「三階に行こう」

 三階は四階とは打って変わって物が何も置かれていなかった。天井がやや邪魔だが、そこは大鎌を振り切らなければいい。ゼロはその身一つでも戦える。

 広くない故に場所をいっぱい使っても影と距離を取ることは難しいだろうが、それは相手も同じだ。互いに逃げにくければ、昨日のように影を取り逃す確率も減るだろう。

 一度屋上へと行き、廃ビルの周囲に痕跡がない事を確認する。中の痕跡を付けた影は廃ビルから外には出ていないようであるし、新たな影の痕跡も見られなかった。

 三階へと戻ると、ミエルは窓から空を見上げた。もう日が沈む。影が伸び、廃ビルの中は完全な闇に包まれようとしていた。

 フロアの中央に立ち、ナイフを取り出す。左手に巻かれた包帯の下、手の平には未だに連日の切り傷が深く残っていた。

 上から傷をなぞる様に、ミエルはナイフで片手を切る。流れ、床へと吸い込まれた血は赤い水溜りを作り出す。

 背後の窓の外では、夕日が地平線の向こう側に落ちた所だった。

 上の階で何か重いものが転がる音がした。ごとん、ごとん、と音は階段の方へと続いて行く。次いで、ぺたぺたと地面を蹴る音が階段から響いた。足の主は順調に階段を下り、三階へと向かっているようであった。

 ミエルはじっと入り口を見詰めた。まだ暗闇になれていないミエルの目では、痕跡を見つける事の出来る片目しか役には立たない。その目だって、本体がまともに見えるわけではない。

 入口に新たに赤い手形が付いた。暗闇の中で影が蠢く。

 影は一直線にミエルの元へと走り出す。そう広くは無いから、あっという間に影とミエルの距離は縮まった。だがミエルは動くことも無く、じっと前を見詰めている。

 残り腕一本分。影が獲物に牙を突き立てようと口を開いたその瞬間。ミエルと影の間に割り込むようにゼロが姿を現した。

 鎌の柄で影の口を噛ませると振り上げる。影は天井にぶつかり、柄から口を離した。

 距離を置き、互いに対峙する。

 影はゼロが現れて尚、意識はミエルへと向いていた。喉を鳴らし、口を開閉すると、ぼたぼたと唾液らしきものが零れた。ゼロはミエルの前に立ちふさがり、影の行く手を阻む。

「ミエルに意識が向いている」

「余程、食べたいみたいだね」

 手の感覚だけで包帯で止血しながら、ミエルはポケットの中を漁った。指先に固い感覚がして、それを取り出す。

「ゼロ」

「ん」

 声を掛けた瞬間、ゼロが横にずれた。ミエルはボタン程の大きさの装置を影がいるだろう方向に投げた。

 こつり、と音を立てて影へと当たると、装置からはワイヤーが幾重にも飛び出した。ワイヤーは影へと絡まり、抑え込むようにして収縮する。影は抜け出そうともがくが、特別製のワイヤーは影の質量が変わりでもしない限りは簡単には解けない。

 影がワイヤーへと気を取られている間に、ゼロは僅か数歩の距離を詰めた。鎌を持ち上げ、ワイヤーごと切り裂くように、影へと突き立てる。

 影は身体を硬直させ、次いで身体を崩壊させると、拳大の結晶へと収まった。

「終わったよミエル」

「お疲れ様ゼロ」

 ゼロが結晶を拾うと、手の平に亀裂が入り、鋭い歯列の口が覗いた。そうして桃を食べた時と同様に長い舌が現れると、掬うように結晶を口内へと収めた。

 ごくん、とひときわ大きな音が響く。

「ゼロ桃の方が良い」

「あはは」

 何処か不味そうな様子のゼロに、ミエルは声を上げて笑った。


 二人一緒に外に出た時、それは現れた。

 大きな地鳴りと共に、二人の歩く地面が盛り上がって罅割れた。

「ゼロ」

「ミエル」

 ゼロはミエルの身体を抱えると、大きく跳躍した。ミエルの足元ぎりぎりに触手が伸びるが、間数センチで避ける。

「地中だから何も見えなかった」

 悔し気に呟くミエルが地面を見下ろすと、地面の中から影が全ての姿を見せた所だった。

「昨日はそんな深く潜って無かったじゃん」

 昨日取り逃した影がそこにはいた。どうやら近くに居たせいで廃ビルの中で流した血に寄って来たらしい。影は触手を伸ばしミエルを捉えようとするが、ゼロが身体を捻り難なく避けて行く。

 距離を取って地面に足を付けた時、足元から僅かに音がした。

「あ」

「ミエル!」

 ゼロがミエルを抱えて地を飛ぶ瞬間、地が割れ、伸びた触手がミエルの足首を掴んだ。そうしてそのまま、地面に叩き付けるようにミエルを放り投げた。

「ゼロ後ろ!」

 ミエルに気を取られ、手を伸ばしたゼロの後ろからは影が迫っていた。触手を地面へと潜りこませミエルを捉えた傍ら、巨躯に見合う大きな口でゼロを噛み砕こうとしていた。

 ミエルは地面に叩き付けられる直前、ポケットから捕縛装置を取り出して、影へと投げた。装置は影に当たり、ワイヤーを伸ばす。

 対してゼロは背後を振りかえる事もせず、ミエルへと手を伸ばす。ミエルが地面に叩き付けられる瞬間、ゼロの手がミエルを掴んだ。

「ぐっ……」

「ミエル」

「大丈夫だよゼロ」

 ミエルの右肩は地面へと衝突したが、ゼロが掴んだことによって全身を打ち付けずに済んだ。だから大丈夫だと、ミエルは不安げな声を出したゼロの腕を撫でてやる。

 ゼロを噛み砕かんとしていた影は、ミエルの投げた装置によってワイヤーに巻き付かれ、口を閉じた状態で転がっていた。襲い掛かるそのままのスピードで突進する事も出来ただろうが、ワイヤーの動きが不快だったのかその場で蠢いている。

 だが捕縛できたのはそこまでで、影が巨躯を解くようにして触手を伸ばした。影の大きな身体は瞬時に解け、ワイヤーも影の身体に合わせて縮まるが僅かに開いた隙間から触手に引っ張られてしまい、影に抜け出されてしまう。

 身体を解いた影は蛇の身体に触手が幾本も付いたような身体をしており、その触手を一瞬の内に地面へと突き立てた。

 地面から先程のような小さい音がして、地面が罅割れる。ゼロはミエルを抱えて無数に這い出て来る触手を避けるが、次に次にとミエルに伸ばされる触手が邪魔で、本体へと中々近づけない。

「ゼロ」

「でも」

「大丈夫。あれも恐らく食べる事に固執してる」

「ミエルがまた怪我をする」

「痛くないから平気。それに触手を誘き寄せるだけだから」

 だから触手を己に任せて欲しい、とミエルは言った。ゼロは暫し考えた後、触手が一度引っ込んだ隙にミエルを地面に降ろす。

「直ぐ叩く」

「うん」

「ゼロ、今日は失敗しない」

「ゼロなら出来るよ」

 互いに手を合わせて、二人はそれぞれ反対の方向へと走り出す。

 ミエルの目論み通り、大半の触手はミエルを追い掛けて来た。本体の周りで蠢くのはほんの二本だ。

 下から横から捕らえようとする触手を体いっぱいで避け、降って来る触手の中を駆け抜け、掴まれた右腕はどうせ肩が抜けているからと力任せに引っ張り抜く。夜通しは無理だが、ゼロが頭を叩くまでであれば十分持つだろう。

 ミエルは足元が崩れないように足に力を入れると、首を掴んで来ようとする触手を避けた。

 大半の触手がミエルを捕まえようと躍起になっている横で、ゼロは難なく相手の懐に潜りこめた。鎌を強く握り、影の頭へと照準を定める。

 影の手元にあった二本の触手がゼロを薙ぎ払おうとしなった。風を切りながら襲い来る二本の触手をゼロは片手でまとめて引っ掴むと、力を込めて引き千切る。

 ぶちぶちと湿った音を立てて触手が千切れると、影が頭をもたげてゼロを見た。

「その頭を叩き切りたいんだけど」

 低い声でゼロは言う。影は歯を鳴らし、目の前のものを食いちぎらんと大口を開けて突っ込んでくる。

 ゼロは鎌を構え、正面を見据えてその時を待った。

 影がゼロへと接触する直前、ゼロは鎌を振り上げ、巨躯の下に滑り込んだ。そうして鎌を突き立てて、頭から尻尾まで真っ二つに切り裂いていく。

 真っ二つになった影の身体はそれぞれ地面へと倒れ、やがて崩れて行った。ミエルを追っていた触手も先の方から崩れて行く。

 ゼロは早々に結晶を回収すると、足早に地面に座り込んでいるミエルの元へと向かった。

「お疲れ様ゼロ」

 疲れた笑顔でミエルが顔を上げた。疲労してはいるが彼女の身体に大きな怪我はないようで、ゼロはそっと胸を撫で下ろす。

「お疲れ様ミエル」

 ゼロが手を差し出すと、ミエルは左手でゼロの手を掴んで引っ張り起きた。

「肩は?」

「外れてるけど平気」

 ミエルはピースサインを作ると、無事な方の左肩を回した。

「今日は終わり、だと良いなあ」

 見上げる空は未だに夜明けとは程遠い。この辺りでは他に目ぼしい影の情報は無かったが、今日発生しましたとなると分らない。

「帰ろうミエル」

「ん、帰ろっか」

 帰り際に遭遇したら、その時はその時で考えればいいか、とミエルは思考を彼方へとすっ飛ばした。


「んう」

 朝日に照らされて、ミエルは唸り声を上げる。まだ起きたくはないと布団へと顔を埋めては、息苦しくなって顔を上げると言う事を繰り返していた。

 微睡みながら何度か寝返りを打つ内に、昨日治療したばかりの右肩を下にしてしまい、ミエルは更に大きな唸り声を上げながらもぞもぞと起き上がる事になった。

 身体を起こして時計を見る。時刻は丁度正午を回った所だ。

 ミエルは玄関に向かい書類と新聞を取って来ると、勉強机でそれらを広げて、影の目星をつけだした。

 昨日とそう変わらない内容に、ミエルたちの周辺には影が出没していない事を知る。

「今日は見回りか」

「ミエル、今日は誘き出さない?」

 影の中から何処か安心したような声音でゼロが言った。ゼロは昨日負傷した右肩をしきりに心配している。

「影の痕跡を見つけなければ、今日は見回りで終わり」

 そうは言っても、半々の割合で見つける事もあるから、今日は誘き出さないとは言えない。ゼロとしては肩を直してやりたいが、影が出てはそうは言ってられないのも分かっている。だから今日は、取敢えずは見回りかも知れないと言う事で納得する事にした。

「ご飯にしようか」

「ゼロ、コッペパン食べたい」

「んふふ、じゃあ今日はコッペパンにしよっか」

 書類や新聞を脇に片付け、空いたお腹を満たすためミエルは席から立ち上がった。


 鍵を閉めて、歩き出す。今日も昨日と変わらず良い天気だった。

 最近ようやく涼しくなった風が通り抜け、髪を揺らす。ミエルは髪を手櫛で梳くと、空を見上げた。

 未だに夕日になり切れない太陽が街を煌々と照らしている。この空も、もう数時間もすれば夜に覆われ、そうして影が這い出て来る。

「ゼロ」

「何、ミエル?」

「行こうか」

「うん」

 太陽が照らす中、ミエルはゼロを伴って歩き始めた。

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影の夜 九十九 @chimaira

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