第10話

葉鳩家をから帰宅し別府のホテルに戻った後も一峰の頭からは日和達のことが抜けなかった。

日和がかつての日常から抜け出せなかった理由はなんとなくだが一峰はわかった気がした。

多分彼はそれ以外の生き方を知らないのだろう、そう誰も日和に普通の生き方を教えなかった。

だからあの聖美に支配されたあの異様な日々が彼にとっての日常と成り果て彼女がいなくなった今もその日々を続けている。

そしてもう一つ日和は自分が普通に生きられないともう諦めている。

館で日和は一峰に尋ねてきた「妹の央華は普通に生活できてる?」のかと。

それは奇妙な質問だった。

普通元気にしているのだとか今の現状を尋ねるのなら違和感など感じなかっただろう。

けれど日和は普通に生活出来ているのか?と尋ねてきた。

それは央華が普通の生活が出来ないと日和自身が予想しておるからに他ならない。

でなければこんな妙な言い回しはしないだろう。

そして、その質問の意図に一峰はすぐに気づいてしまう。

「ああ、やはり日和くんも何か特殊な体質を持ってしまっているんだね」

そう尋ねた一峰に日和はコクリと頷く。

それは、まぁ予想していたことではあった。

妹である央華の異様な体質、同じ血が流れているんだ兄の日和も何かしらあることは十分考えられた。

この葉鳩家で典夫紀の体調を見ることはあっても日和は一度もなかったのも恐らくはそれが関係しているのだろう。

「そうか、妹も。それで、やっぱり僕みたいに死ねない体をしているのかな?」

死ねない体というのが何を指しているのか、一峰にはそれが分かりかねるので手っ取り早く央華の体の現状を伝えることにする。


「なるほど、病もなく異様な自然回復を持つ体か。どうやら僕の体とはすこし違うみたい。先生面白いもの見せてあげるよ」

日和はニコリと笑うと台所に行きおもむろにアイスピックを取り出す。

なんだか嫌の予感がよぎり様子を伺うように一峰は自然と中腰になる。

「典夫紀がお酒を飲む時に使ってたものだけど、体調を崩してから飲んでないしコレでいいか」

日和はそう呟くとアイスピックを振り上げると自ら右目の眼球に勢いよく突き立てた。

止める間もない強行。

一瞬何が起きたか分からなかった一峰もすぐに現状を理解し手当てをしようと駆け寄り信じられないものを見た。

「慌てなくていいですよ先生。怪我なんてしてないから」

駆け寄ってきた一峰にホラとアイスピックを突き立てたまま状態を見せる日和。

確かに彼の言うように彼は怪我などしていなかった。

眼球に突き立てられたはずのアイスピックは目玉を突き破ることが出来ずその先端は眼球に当たったところで止まっていた。

それこそ鉄よりもさらに硬い何かに阻まれる様に。

寸前で止めているわけではない先端は間違いなく眼球の中心に押し当てられている。

それでも日和の目は何事もないように傷一つつかない。

そしてとうとうアイスピックの方が耐えれなくなりパキッと乾いた音を鳴らし持ち手付近から折れてしまった。

「ああ壊してしまった。ふふ、脆いな」

何が可笑しかったのか?

日和は折れたアイスピックを拾うとそのままゴミ箱へ捨てる。

「先生コレが僕の体だよ。この体のおかげで僕は痛みや死とは無縁でね、死や痛みを知ることができる人間たちが少しだけ羨ましいよ」

まるで自分は人間ではないような言いようそれが一峰には央華の姿と重なって見える。

日和が人間ではないそのような事一峰は思わない、けれどもどのような言葉をかければいいのかも分からない。

一峰はごく一般的な肉体しか持ち得ず、長年見てきた央華も怪我はしていた。

傷つくことも死ぬことも出来ないとはいったいどのような感覚なのか?

それが分からない一峰は何も答えることが出来なかった。

かけるべき言葉が見つからなかったのである。


「何か言うべきだっただろうか?」

ホテルでソファーに寄り掛かりタバコを吹かす一峰は紫煙を追うように天井を見上げた。

結局気の利いたことも言えず葉鳩家から帰ってきた訳だが、日和には自分の言葉なんてそもそも要らなかったかも知れないと今は思う。

一峰がそう思えたには彼の目に宿る力強さを感じたからだ。

それは根拠としてはものすごく曖昧なものだったが、今日会った彼の目には以前までにはなかった力強さのようなものを感じた。

未来だけをただ見続けているようなその視線は妹の央華というより香夜のそれに似ていた。

香夜が一峰との未来を語る時に見せるあのキラキラした目。

もしかすると日和も何か夢のようなものを見つけたのかもしれない。

そうだと良いなと願望も入り混じりながら一峰は考えるがふと、日和が見つけるであろう夢というのが気になった。

まぁ、そもそもその夢というものが一峰の憶測でしか無いのだが突然自身の体質のことを話し出したりと何か心境に変化があったことは確かだろう。

タバコを一本吸い終えた一峰は火を消すと間髪入れずに二本目を吸い出す。

まるで煙に誘われるように彼は現実のホテルの部屋から思考の海へ意識を移らせる。

気になるのは夕方出会った刑事の事だ。

ヨレヨレのシャツに白髪混じりの髪をオールバックに纏めた男は老いや顔つきとは裏腹にギラギラとした生気に満ちた瞳をしていた。

制服ではなかったが客人という感じではなかったあの男は一体何の用で葉鳩家へ訪れたのか?

刑事ということは何かの事件だろうか?

事件といえばここ最近この町で連続殺人が起きているという話は街を探索中に風の噂で耳に入っていた。

なんとなく街にいる人々の数が少なく見えたのももしかしたらその影響かもしれないと一峰は思う。

いったいどのような事件なのだろうか?

興味が惹かれた一峰はタバコの火を消すとソファーに寝っ転がりズボンからスマホを取り出すとすぐに事件について検索をかける。

事件自体は全国的にももう報道されているらしく詳細は直ぐに知ることが出来た。

犠牲者は現在四名、被害者同士の接点はなく無差別殺人に可能性もあるというのが警察の見解らしい。

被害者は皆首の骨を折られ殺害されているらしく一峰はゴリラのような巨漢の犯人像を思い浮かべる。

被害者の殺し方が共通という点からそこに何かしらのメッセージを感じるが今一峰が気になったのは最初の事件その現場の事だった。

この連続殺人、始まりの犠牲者はこの近所に住む無職の男性だったそうだがその死体が遺棄されていたという空き地、そこは葉鳩の屋敷その目と鼻の先にあるという。

だとしたらあの刑事が訪れた理由は聞き込みだろうか?

いやその可能性は低いだろう、と一峰はすぐに自身の考えを否定する。

第一の事件から既に何ヶ月も経っている今更聞き込み調査なんてしないだろう。

では別件の可能性は?

それも低いだろう。

警察に訪問、町での事件、家の前が事件現場これだけの要素があって別問題とは考えにくい。

そして聞き込みではなく警察が訪れたということは少なくともあの刑事は葉鳩家の人間を疑っているという事だろう。

そう考えれば典夫紀の極度のストレスも納得できる。

自分たちが疑われるとなるとそれは辛いだろう。

暑くは無いはずなのにいつの間にか一峰の額には拭うほどの汗が浮かんでいた。

まずいなぁ、全てが繋がってしまう。

あくまで全ては一峰机上の空論だが単なる妄想だと片付けてはいけない不安感がある。

このまま全ては思い過ごしだとソファーで寝て全てを忘れてしまえば良い、きっとそれが最良の道だろうというのに一峰はソファーから起き上がると部屋着から着替えを済ませ部屋を出る。

もう遅い時刻だというのにフロントは昼間と変わらず明るく、受付嬢の疲れも見せない「行ってらっしゃいませ」と丁寧な挨拶に目もくれず一峰はレンタカーに乗り込んだ。

時刻は午後10時半、この時間なら混雑することもないので日を跨ぐまでには葉鳩家へ着けるだろう。

一峰はエンジンが唸る程日曜日アクセルを踏み締め車を発進させた。



夜とはいえ高速道路でも無い場所を100キロ近くで走り警察に見つからなかったのは幸運というほかないだろう。

けれどその甲斐もあり1時間足らずで葉鳩家に着いた。

夜の闇に飲み込まれた葉鳩家はまるで小さな山の様にも見える。

そして一峰を待ち受けていたものは全てが終わり、もうどうしようもないほどに手遅れとなった光景だった。


「コレは一体?」

車を例の遺体が発見されたという空き地に停め葉鳩家のインターホンを押す一峰だがどれだけ待とうと反応がない。

いつもはギョロギョロとこちらを監視してくるカメラも微動だにしない。

何か変だ、一峰は門前から屋敷の様子を伺う。

屋敷は灯ひとつなく人の気配がない。

普段ならどこかしらの明かりがついているはずなのに今は庭の照明すら消え敷地は完全に闇へと覆われていた。

出かけているなんて事はないだろう、かといって就寝中で気づいていないとも思えない。

どうしようかと鉄扉を前に考える。

扉の大きさは約3メートル程乗り越えるには無理で試しに押してみるが重くて開きそうにない。

けれど力一杯押してみるとわずかにだが動く気配はあることからロックは外れているようだ。

確かこの鉄扉は電子ロックが設置されていたと記憶している。

やはり屋敷内の電気は完全に途絶えている様だ。

とはいえ恐らく数百キロはあるだろう扉を無理矢理こじ開ける力も体力も一峰には無い。

困ったそう途方に暮れていると不意に扉がギィと耳障りな音を立ててゆっくりと開いた。

「あれ?驚いた。こんばんは、先生こんな夜更けにどうかしました?」

人一人通れるほどに開いた扉から顔を出した日和は自宅前に立ち尽くす知人に目を丸くする。

「日和くん、君こそこんな時間に一体どうしたんだい?」

どうやって扉を開けたのか?

まさか素手で開けたとでもいうのか?

力こぶすら作れそうのないこの細腕にそんな力があるのかと一峰はまじまじと日和を見てしまう。

鉄扉から姿を見せた日和は紺色のロングコートに萌葱色のカーゴパンツを着用し腕には父の形見の腕時計その肩には大きな黒色のボストンバックをかけていた。

まるで今から旅行にでも出かけるかのような出で立ち、違和感を感じるには十分過ぎるものだった。

「その格好、何処かへ出かけるのかな?」

戸惑いながら尋ねる一峰に、日和はどう答えようかと思案する様に目線を一度上に向ける。

「うん。今日からこの家を出て暮らすんだ。独り立ちってやつかな。前々から考えていたんだけど、今日急遽決まったんだ」

じゃあと語る事は語ったとでも言うようにその場をさろうとする日和を一峰は肩を掴み止める。

そのまるで逃げるかの様な動きがとても彼らしくなく不審に思えてならなかったからだ。

「待ちなさい。家を出るだって?それは典夫紀くんは知っているのかい?」

日和はゆっくり振り返ると天使の微笑でいいえと微笑む。

「一応はね。でももうあまり関係ないかな。僕がどうしようと典夫紀にはもう何も関係のない話だから」

スッと視線を一峰の後方にある葉鳩家へ向ける日和。

その視線にゾワリと寒いものを感じた一峰は屋敷に振り向く。

見えるにはやはり一切の光が灯らない漆黒の館。

どう考えても何かが変だと一峰は吸い込まれるように日和が開け放った門をくぐり抜け敷地内へ入る。

日和もまるで一峰の行動を観察するかのように後をついてくる。

真っ暗の敷地をiPhoneの明かりを頼りに進む。

今日は曇りのため月明かりもなく足元を照らさなければ直ぐに転んでしまいそうなほど視界が悪い。

後についてくる日和は慣れた道だからか光も点けずスイスイとついて来ている。

正直な所、一峰の頭の中では葉鳩家で何が起きたのかが予想が立ってはいた。

警察の訪問、連続殺人、葉鳩夫婦の変死、そして屋敷を後にしようとする日和。

それを踏まえると自ずと答えは出てしまう。

考えたくもない様な答えが。

けれどそれは考える限り最悪の答えでできればこの目で確認するまでは否定したいという気持ちがどうしても一峰には出来てしまう。

間違いなくこの暗闇の先にはなんらかの真実がある、正直言って確認などしたくはないけれど、ここで引き返すこともできないと一峰は次第に足早に館へと近づく。

そんな勇足の一峰を今度は日和が肩を掴み停めた。

それは女性のような細腕からは想像できないほどの力で、一峰は振り解くことも進むこともできなくなる。

「先生、危ないよ。館に入れば先生も怪我じゃ済まなくなるかもしれない」

それはつまり館に行けば命に関わるという事。

いったいどうゆうことなのかと静寂の中屋敷に目をこらす。

妙に張り詰めた空気が続く中、ようやく目が慣れ暗闇の中に館の外観が朧げながら見てとれてくる。

その漆黒に館に僅かに揺れ動くオレンジ色の光、その光は時間と共に成長するかの如くだんだんと大きくなってくる。

「炎?」

呟くと共に確信に変わる。

少しずつ大きく成長する光源は僅かに揺れ動いている。

アレは間違いなく火だ。

振り返ると日和は相変わらず涼しい顔をしていた。

「火を放ったのかい?屋敷に」

「うん。今度は完全に焼け落ちるようにした。だからあそこに行くのは危ないよ先生。あそこに行ったって助けられれる人なんていないんだから」

分かってはいたがその決定的な発言に一峰は肩を落とす。

今の言葉でやはり自分の予想は当たってしまったのだと意を決して聞いてみる。

「典夫紀を殺したのかい?」

「うん。後、野々咲もね」

まさかメイドもと驚くがすぐに思い直す。

この子にとってもはや一人も二人もそこに大きな差はないのだろうと。

「町での殺人、そして葉鳩夫妻を殺したのも君だね?」

「うん」

「どうして殺した?君とは関係のない人たちもいただろう?」

殺す理由なんてあるはずがない、けれども日和が無意味に人を殺すような人物であるとも一峰には思えない、だからこそ分からなかった日和の考えが。

「そうだな、理由は彼らを救うためだね。先生、死はね最大の救済なんだよ」

よく聞いてくれたとでもいう様に日和はそこから饒舌に自らの動機を語り始めた。

きっかけは父の死を看取った事だったと。

この世界には生きていることが苦しみの人々もいるそんな人たちにとっての救いに自分はなるのだという。

日和いわく、生きることに絶望した人間をこれ以上苦しめないために死なせてあげている。

自己の為の多数の人々を不幸にする人間これも皆んなの幸せと本人の為にも死んでもらう。

世の中の不幸を死によって救う事で一つでも多くの絶望無くす、それが自分の存在意義だと日和は語った。

それは一峰には到底理解し難い思想だった。

「日和くんその思想は間違っている。そもそも死による救済などあり得ない。それは問題の解決にはならないし、余りにも短絡的な考えだ」

信じたくはないが日和がその思想のもとこれまでに多くの人々を殺してきたのは事実。

そんな彼の前でその思想を否定する事は自身の身の危険にもつながる可能性があるというのに一峰は一切の恐れを見せない。

そして日和の方もその否定の言葉なんて気にもしていないような穏やかな表情を見せる。

「僕は先生の考え否定しませんよ。人それぞれ考え方があると思うし。でも僕はこの道を歩いて行きます、それが僕の選んだ道だから」

「傲慢すぎる。君がどの様な価値観を持とうとそれを人に強制する権利などあるはずがない。神にでもなったつもりかい?」

死によって人を救うなどそのような事は神の領域決して人が踏み込んでいい場所ではないと一峰はいうが日和はそんな彼を嘲笑する。

「神?先生そんなものはこの世に存在しませんよ。それは人間が生み出した都合の良い偶像です。もし神がこの世にいるならこの世がこんなに地獄であるはずがない、仮にいるとすれば悪魔の方でしょ」

そこまで言って日和は何かを考え込む様に一度言葉を区切り、その後納得するかの様に一度だけ頷いた。

「でもそうですね。先生、人の生死に手を出すのが人の領域を超えているというのならば、僕にはその資格があると思うんですよ」

それはきっと自分の体質、死ぬことができないその異質な体のことを指しているのだろう。

確かに不死身の肉体など神の領域にある存在だろう。

それでも一峰は首を振り否定をする。

「君は人間だ」

静かながらも力強い言葉だが日和には全く響かず。

「そう思っているのは先生だけだよ」

と彼の言葉を否定した。

これで話は終わりだと日和は屋敷の外へ向かって歩き出す。

「先生も人が集まる前にここを去りなよ」

「君はこれからもこんなことを続けるつもりなのかい?」

去りゆく背中にそう尋ねると日和は振り向くことなく頷いた。

「うん、永遠に」

それが今から8年前の出来事であった。



「あの日以来、日和くんには会っていない。連絡もつかないしね。ただ、間違いなく生きている」

「事件が未だに続いているから?」

「ああ」

香夜の質問に一峰は小さな声で返答をする。

「なるほどね、葉鳩典夫紀が苦しんでいたには義弟の日和が殺人犯だと気づいていたからで、その苦しみから解放する為に日和は彼を殺したってことか。んで、その時一緒に死んだメイドさんが、女で通していた日和と誤認されてしまって彼は晴れて自由のみになったってわけね」

ふむふむと香夜は現在に至る事件のあらましを理解し顎に手を当て頷く。

犯人自体は推測通りだったが、動機や日和の人格などは知らなかった香夜にとってはとても興味深い内容だった。

何より犯人である南風日和そんな存在が本当にいるとは、それは香夜の世界観がひっくり返る様な出来事だった。

やっぱりまだまだ知らないことが世の中にはあるな、なんて感心してしまう。

「君は今の話信じるのかい?特に日和くんの体質なんて信じ難い内容だとは思うんだがね」

あまりに飲み込みが早い香夜に一峰の方がその純粋さに不安を覚えそう質問をしてしまうと、香夜は何を言われたのかよく分からないというようにポカンとした表情をした。

「先生、私が先生の話を疑うわけないじゃん。

先生がこんなタチの悪い作り話する人でもつまらない嘘をつく人でもないことくらい私だって知ってるんだからね」

そうどこまでも真っ直ぐな香夜の信頼は一峰には少しばかり重いものだったが、くすぐられる様な喜ばしさも同時に感じていた。

「そうか。ありがとう信じてくれて」

僅かに微笑みながら感謝の意を述べる一峰、その彼がたまに見せる優しい笑みに香夜は赤面する。

もう四十前だというのに、こう素直な時の一峰はまるで少年の様にあどけない表情をするのでそのギャップに香夜はまたときめいてしまうのだ。

「いやいや、お願いしたの私だし感謝するのはこっちの方だよ」

カッと火照る顔を隠す様に大袈裟に手を振る。

そんな香夜の挙動は可愛らしく一峰は微笑ましくその姿を見つめる。

その後はお互い何を語るべきかと思案する様な短い沈黙の後、先に口火を切ったのは香夜の方だった。

「央華ちゃんも犯人知ってるんだよね。自分の兄が殺人犯だって」

「うん、そうだね」

央華もかつて自身の出生に疑問を持ち己がルーツを調べていく過程で兄、南風日和の存在とその所業に行き着いた。

その事を相談されたのは今から二年前のことだった。

当時、央華は兄に会いたいと言っていたが一峰はそれを丁重に断った。

兄である日和に会いたいという気持ちはわかるが日和に会った所で央華に良い事はないだろうし、何より一峰も日和に会う手段など持ちあわせていなかったからである。

あれから二年、香夜に話を聞くまでもうとっくに諦めていたものだと思っていたが、どうやら彼女はこの先も日和の事を諦めるつもりはないらしい。

「そっか二年前に気づいて。でも央華ちゃんは今も事件のことを調べてる、それってお兄さんを探してるってことだよね?」

央華は兄の行いに気づいていながらそれを警察には話さず独自に調査を続けている。

それはつまり警察の逮捕は望んではおらず自身で兄を探そうという意思の表れに他ならないだろう。

「そうだね。どこまで日和くんにたどり着いているかは分からないが、多分あの子はいつか日和くんへたどり着く」

「止めないの?」

そう聞く香夜に一峰は首を振る。

「止めれないさ、積極的に合わせるつもりは勿論ないがあの二人は血の繋がった家族、僕が止めようとした所で央華くんは諦めないだろう」

いや、それ以上に央華にとって日和は自身以上に特殊な体質を持つただ一人の存在追い求めてしまうのは仕方がないことかもしれない。

あるいは、央華が長年抱えている自身の体に対する悩みが解決するかもしれないと考えているかもしれない。

「なるほどね。まぁ確かにあの央華ちゃんが止められたくらいで辞めるわけないか」

央華の事件への執着を家で既に見ている香夜も言っても無駄だろうという事は容易に想像がついいた為早々に諦める。

ただ気になるのは央華が日和と会って一体どうする気なのかというところだ。

二人が出会ってしまった時一体何が起きるのかそればかりは一峰も香夜も知る事はできない。

「香夜くん君は責めないのかい?僕が全てを知りながら黙っていたことを」

「私が先生を?なんで?別に先生警察じゃないんだから事件を追う必要も犯人を捕まえる義務もないじゃん。それに、こんな話警察が信じてくれるとは思えない。先生もそう考えたから黙ってたんでしょ?」

一峰はその通りだと頷きつつもそれが理由の全てではない事を語った。

日和はこの殺人が自分の存在意義だと認識していた。

そんな彼の元に警察が行ったらどうなるか?

無論警察は彼を逮捕しようとするだろう。

それは間違い無く正しい行いだ。

けれど日和からすればこの殺人を止めるという事は己の存在を否定されたことに等しい、そんな彼が警察に対してどの様な行いをするのかは想像できない。

あるいはおとなしく法の裁きを受けるかもしれない、けれどそうならない可能性もある。

特殊な体を持ち長年警察に尻尾さえ掴ませない日和の能力と思想は未知数だ、余計なことをすればあらぬ犠牲が生まれる可能性もある。

そしてその狂気は警察だけではなく自分自身を追うものにも向かうかもしれない。

「だから香夜くん。君は決して日和くんを探そうだなんてしないでくれ」

普段の眠そうな一峰からは想像できないほど真剣な眼差を向けられた香夜はまるで体が石になったかの様に硬直してしまう。

それでいて胸の鼓動は動かない体の代わりだとでも言う様にけたましく高まり続ける。

「先生、私のこと心配してくれるの?」

そんな当たり前のことをわざわざ聞いてくるのは心外だったが一峰は直ぐに言葉にしていって欲しいのかと理解する。

「当たり前だ、君が心配だ香夜くんだからこれ以上この事件のことは調べないでくれ」

一峰がそう告げると同時に香夜は腰を浮かせ彼の首元に抱きついてきた。

「はい先生。ありがとう心配してくれて。大好きです」

もう何度目かわからない香夜からの愛の告白に一峰はやはりどう答えるべきかがわからず、たじろいてしまうのだった。



ハバトこと南風日和が連続殺人に走ってから既に八年の何月が流れた。

東洞一峰と言葉を交わしたあの夜、十七年ともに過ごした家族を殺し家に火を放ち故郷を去ってから実に50人以上の人々を手にかけた。

誰もが人生に絶望した者や生きていても仕方がない人間たちだった。


夫の不倫相手を殺し社会でも家庭内でも居場所を無くしてしまった養母。

妻に不倫相手を殺され社会的な立場が崩れてしまった養父。

罪を隠蔽することにはしたがその日から家庭は崩壊し罪がバレないようまるで監獄の様にお互いを監視し合い出した夫婦。

そんな二人はたった数日で精神が摩耗し死を考える様になった。

だから殺した。

今まで育ててくれた感謝を込めて。

貝沼という男もそうだ、あのまま生かしておいても罪を重ね多くの人が彼によって絶望に晒される。

そして彼自身も多くの人から恨みを買い、いつ報いを受けるかも分からないそんな不安定で価値のない人生を送っていた。

だから殺した、こんな無駄な人生を早く終わらせてあげる為に。

年金がもらえず生活に苦しんでいた老夫婦がいた。

貧しい夫婦だったがたまにしか学校に行かない自分のことを覚えてくれて「おや、今日は学校かい?頑張ってくるんだよ」なんて声をかけてくれる優しい夫婦だった。

そんな夫婦と日和が会うのは登校時間のわずかな時だけ、それも月に一度くらいの頻度だ。

それでも会うたびの老夫婦は日和に別嬪な子だねなんて気さくに声をかけてくれてそのたびに日和はどんどんと痩せ細っていく夫婦の姿が気がかりだった。

普段この二人はどの様な暮らしをしているのだろう?

それが気がかりとなって一度だけ彼らの暮らしを盗み見たことがあった。

そこで見た光景はまさに飢餓地獄だった。

二人して無心で居間の畳を指でほじくり返し、その畳の残骸を夢中で口に入れていた。

恐らくもう何日も前から食料がつくているのだろう。

七畳に畳は至る所に穴が空き虫食い状態となっていた。

会話もすることもなく畳を貪る二人の姿はまさに餓鬼の様で、その姿からもこのままでは二人の命は長くないことがわかった。

そこで日和は考える、この二人を助けるのならやはり食料を調達してあげればそれで済む話だ。

そうすれば飢えは凌、命も延命される。

しかしその行為に一体どれだけの価値があるというのだろうか?

ここで腹を満たしても生活が改善されない以上いずれ飢えは来る。

ならばその度に自分が彼らを助けるのか?

答えはノーだ。

一度だけならまだしも、そこまでの事をしてあげる義理もなければ時間もない。

その様な付け焼き刃の様な救いになんの意味もない。

だから殺した。

これ以上飢えで苦しむことがない様に。

浪川南美という女性は自ら橋から川へ飛び込み入水自殺をしようとしていた。

たまたまその場を通りかかった日和はつい声をかけてしまった。

「そのやり方じゃ、確実に死ねるか分からないよ」と。

日和を見て浪川は随分と慌てていたが日和はそんな彼女を落ち着かせる様に言ってあげる。

「死にたいのなら死ねばいい。生きることが苦しいのなら死んで楽になるのも手だよ」

そう彼女の行動を肯定してあげた。

そんな思わぬ言葉に驚いた表情を見せた彼女だが、恐る恐るといった表情で日和に尋ねる。

「じゃあ、どうすれば確実に楽に死ねるのよ」

どうすればいいのか教えて欲しい、そう聞く彼女は疲れ切った虚な目をしていて、すぐに日和も気付く。

この人にも僕の救いが必要なんだと。

「僕なら確実に死なせてあげます楽に一瞬で美しくね」

「アンタ一体なんなの?」

疑う様な眼差しの彼女に日和は簡単な自己紹介をする。

「僕はハバト。そうだね、簡単に言えば人殺しだよ」

南風日和ではなくハバトと名乗ったのは父と母がくれた唯一のプレゼントである自身の本名をこんな人間に教えてあげる義理はないと思ったからだ。

それに今までハバトとして暮らしてきた日和にとってはもはやこちらの方が馴染み深いものがあった。

そんな自己紹介を前にして浪川は目を丸くする。

「人殺しって。それじゃあ、今街で起きている殺人事件。それもアンタが?」

「そうだよ」

どうせ死ぬ人間に隠す必要も無いだろうと日和はそうそうに己が犯罪を認め、その告白を前に浪川はほっとした様な安堵の笑みを見せた。

「神様って本当にいるのかもね。こんな私の前に殺人鬼が現れるなんて」

殺人鬼というのは正直語弊がある気がすると日和は思う。

別に自分は人殺しが好きなわけでは無い。

死という救いを皆んなにプレゼントしているだけなのだけれど、まぁ側から見れば大した違いはないかと弁解はせず反論の言葉は飲み込んだ。

「それでアンタは私を殺してくれるの?」

「いいよ」

即答する日和に浪川は小さくありがとうと感謝の意を示した。


「でも驚いた街を騒がしてる殺人鬼がこんな可愛い女の子だったなんて」

殺してくれるなら死に場所は選びたい。

そうお願いをしてきた彼女の要望を聞き入れ移動する最中、殺人犯と話す機会なんてない。

人生最後の思い出作りだと言う浪川との雑談に日和はこちらも道中の暇つぶしだと付き合ってあげる。

「勘違いするのは仕方がないことだけれど、僕は男だよ」

「えっ、マジ?」

その事実に浪川は引く様に驚く。

もし浪川が健全な精神状態だったのならば、もっと大きな驚きの声を漏らしただろうがあいにく今の彼女にはその様な元気はなく消え入る様なか細い声で驚きの声を漏らしたのだった。

「でも、アンタどう見たって女の子じゃん。顔も服もそうだし、ほら胸だってある」

そう指摘する浪川に日和は面倒くさそうな視線を向ける。

「生憎、顔は生まれついてこの容姿なんだよ。服なんて男だってスカート履こうと思えば履けるでしょ?あと胸は偽乳だよ」

「えっ、じゃあ女装してんの?なんで、警察の目を誤魔化すため?」

もう死ぬ覚悟が出来ている為だろうか?

人殺しが相手だというのにズカズカと質問をしてくる浪川は日和にとっては新鮮で少し面白かった。

「変装とかじゃないよ。普段からからコレ、似合ってるだろ?」

その場で一回転してみせる日和は実に可愛らしかった。

チェックのロングスカートが実に日和に似合っている。

確かにこれでは彼が男っぽい服を着ている方が違和感があるだろう。

どう見ても美少女が男装コスプレをしている様にしか見えない。

そういった意味では彼は実に自身に似合う服を選び着ていた。

「似合ってる。うん、似合ってるよ」

これで化粧の類は全くしていないというのだから、本当生まれてきた性別を間違えたとしか思えない。

「ところでさ、何で死ぬの?」

それはまるで明日の予定を聞くかの様な気軽さだった。

自分が死に至る理由を人に話すのは躊躇われた。

そんな事で死ぬの?とか、もっと頑張って生きなよなんて正論を振りかざされたら堪らないからだ。

でも死を肯定してくれるこの殺人鬼ならば、きっとその様なことはしないと思う。

だから浪川は素直に話した、ストーカーに付き纏われている事。

それが元カレである事、元カレが嫌がらせを始めた事。

その嫌がらせが職場にまで及び職場で孤立してしまった事、そして元カレに自身の情報を流していたのが親友だと思っていた相手だった事。

その全てを涙を流しながらぶち撒けた。

「なんだかもう疲れちゃって。親友が元凶だって知って心折れた。こんなのに耐えて生きてる意味ないなって。親友と元カレあの二人と関わった時点で私の人生終わってたんだ」

浪川はそう虚しく呟く。

「殺したいと思わないの?そんな奴ら死んで欲しいと思わない?」

ここで浪川が死んでほしいと言った所で日和が本当にその二人を殺すかはわからない。

日和が手を下すのは死ぬことが救いだと自身が判断した相手だけ、例え相手がどれだけの悪人だろうと日和が救われるべきだと判断しない限り手を下す事はない。

そんな彼の価値観など知らない浪川だが、その問いに彼女は首を振った。

「そんな気力もうないよ。もう全部がどうでもいい。とにかくこの世界から消えてしまいたい」

「そうか」

そこで二人の会話は終わりを告げた。

語るべき言葉はもうない、目的地は目の前にまで差し掛かっていた。



彼女のいう死に場所というのは公立高校だった。

私立に通う日和には縁はないがそれでも学校名くらいは知っていた。

「ここ私の母校。ここであの二人と出会って私の人生は終わった。だから死に場所もここにしたい」

学校内に入るのかと日和が聞くと浪川はこの校門前で良いという。

皆んなが真っ先に見つける場所で死んでいたい

それが彼女の望みだった。

わざわざ一番目につく場所を死に場所に選んだのはこれが彼女なりの復讐の仕方だったのかもしれないと日和は思う。

この学校は彼女の最悪の始まり、ここで死にその死に様を多くの人間に見せることで最悪を他の人達にも伝えようとしたのかもしれない。

あるいは元カレと親友へのなんらかのメッセージも兼ねていたののかも。

どちらにせよ、関係のない在校生や職員たちにとっては迷惑極まりない話であろう。


場所が決まればあとは殺すだけ。

日はすでに暮れているとはいえ、夜というにはまだまだ早い時間グズグズしておると人が来るかもしれない、日和は早速彼女の首に手をかけた。

「ごめん、こんなお願いして」

最後にそう謝罪する彼女に日和は優しく言う。

「気にしないで、これが僕の役目だから」

そして同時に浪川の首をへし折った。

脱力する彼女の身体を支えて壁際に寝かせた。

そこでふと思った。

そういえば屋敷外の人間に殺人行為を伝えたのは初めてだったなと。

3人になった自身の行いを知るものも直ぐに2人に戻り、その2人も数ヶ月後日和は自ら手にかけることとなる。

それが、葉鳩典夫紀と野々咲尋美だった。

2人は日和が養父母を手にかけた当初からその犯行に気付き影ながら隠し続けていたらしい。

典夫紀は日和を母からずっと助けられなかった負い目から、尋美は主人を守るために。

これだけ聞けばまるで野々咲尋美は強い忠誠心を持つような人物に聞こえるが実際はそうではない。

元来感情が希薄な彼女からすれば日和が殺人を犯そうと犯さまいがそれ自体はあまり気に留める様なことではなかったため、雇い主の身を優先しただけのことだった。

そんな彼女でも日和に対して思うところはあった。

野々咲尋美にとって葉鳩日和という主は一言でいえば哀れな存在だった。

母に軟禁され無機質な部屋に閉じ込められた主人、そんな彼が養父母を殺害したのは仕方がない事だったかもしれないと野々咲は思う。

殺人現場には立ち会って居なかったが、典夫紀が後日問い詰めると日和は素直に殺害の事実を認めた。

それを聞いた時、野々咲も典夫紀も母からの束縛が耐えれなくなったのだと思ったが動機はそんなものではなく、養父母達が苦しそうだったから殺してあげたと。

これは救いだと。

その話を聞いた時、典夫紀は理解できないと頭を抱え野々咲は何故かトクリと胸が僅かに鳴った。

この時は何故、無感動だった自身の心が反応したのか野々咲にはわからなかってけれどその答えが見つかったのはそれから数ヶ月後、小学生へのトラック追突事故が起きたからだ。

その時、野々咲初めて自身の趣向に気づいた。

それはリアルな人の死に悦びを感じてしまう異常性。

そして同時に目覚めてしまった殺人願望。

日和が両親を殺した時にはなかった殺人への恐れが自分へ置き換わった時彼女は初めてその行いに恐怖した。

この様な異常性を抱えてそして隠して生きていくことなど無理だと直ぐに察した野々咲は既に殺人を犯している日和に縋った。

野々咲も典夫紀も気づいたいた、日和が養父母殺害の後も殺人に手を染めていた事を。

二人は日和があの様に歪んでしまったのは自分たちの責任だとその行いを隠蔽した。

一度それをしてしまったら最後あとは罪を重ねるだけだった。

もう自分は罪人けれど人まで殺してしまったら完全に自分の理性と人格は崩壊してしまう。

きっと殺人行為を辞められなくなる。

そんな予感があった野々咲は日和に一つのお願いをした。

それが日和のいう救いを自分にも行って欲しいという事。

つまりもし自分が人を殺したら日和の手で殺して欲しいと願い出たのだ。

日和はその願いを受け入れた。

それで野々咲が救われるのならいいと。

この時から野々咲にとって日和は単なる雇用主ではなく真に使えるべき人となった。

自分を救ってくれる唯一の存在として最後の瞬間までこの人に仕えようそう誓ったのだ。

そうしてその約束は果たされた、野々咲が数町健永を殺した事で。


野々咲と数町二人の死体を前にして葉鳩典夫紀は完全に自分の人生は終わったのだと理解した。

いや、その様なものとっくに終わっていたのだろう、日和が殺人を犯した時から。

二人の遺体の前で呆けてしまっている典夫紀に日和が屈んで目線を合わせてきた。

真っ直ぐに典夫紀を見据える大きく美しい瞳には一切の同様の色がない。

幼少期より自分の世話をしてきた家政婦を今手にかけたばかりだというのが信じられないほどに日和は落ち着いていた。

本当に何も感じていないのだろうその心の有り様が典夫紀には恐ろしくてたまらない。

典夫紀にはもはや何が正常でそうでないのかがわからない。

彼の中の常識はもう完全に壊れてしまった。

それこそこの場で動揺している典夫紀の方が異常だと思ってしまう程に。

「典夫紀どうする?ここで殺人が起きた以上この家は捨てた方がいいと思うんだ。流石に警察にも気付かれるだろう。急だけど僕は今日にでもここを出て行くつもりだけど、君はどうする?」

どうするというのは勿論一緒のついてくるかという意味で聞いたのだが、この焦点が定まらないほどに思考が停止した典夫紀に一体どれだけ意味が通じただろうか?

がくりと項垂れた典夫紀はゆっくりとけれど確かに首を振った。

「僕はここにいる。僕は葉鳩家の当主だ、ここで生きてここで死ぬ」

つまり、自らもここで死ぬと典夫紀は日和に暗にそう伝えた。

「そう」

義兄の決意に日和はやっぱりかと納得する。

典夫紀はずっと罪の意識に耐えかねていた。

自身が身内の殺人を隠蔽しているという罪の意識に。

日和としては彼が話そうと話さまいがどうでも良かったけれど、罪に苛まれて日に日に憔悴して行く姿には哀れみを覚えた。

なんて脆い生命なんだろうと、この程度のことで壊れてしまうのかとその儚さに憐れみを覚えた。

警察に告白しても構わない、そう告げたこともあったが典夫紀は断った。

家族を売る様なことはしない。

それが典夫紀の答えだった。

例え典夫紀が警察に全てを話しても、無敵の肉体を持つ日和からすれば少々煩わしくなる程度でどうとでもなる問題であったが、彼がそう決めたのならそれで良いと日和はあくまで典夫紀の意思を尊重した。

典夫紀としては日和がこれ以上罪を犯さないと信じた上での決意だったのだが、その思惑に反し日和は殺人を犯し続けて行った。

日和からすれば典夫紀の決意と自身の行いは全く関係のないものなので辞める理由にはなり得なかっただけなのだが、これが典夫紀をさらに追い詰めていった。

日和が罪を重ねるごとにいつバレるかと本人に代わりの様に焦り、夜は被害者のことを思い寝れなかった。

日和のいう死は救いだという理論が全く理解できなかった典夫紀には一体なぜ彼が殺人を続けるのかが理解できなかった。

刑事が目の前に来た時、足場が崩れる様な絶望を感じると同時にどこか安堵があった。

これでようやく終われると。

でも物事はどんどん悪い方向に進んでいく様で

その刑事も野々咲に殺され、野々咲も日和によって殺された。

なんていう負の連鎖だろう。

きっと生きている限り自分はこの負の渦から抜け出すことは叶わないそう悟った時、典夫紀にはこの現実が地獄に思えそして日和が言うように死が救いだと感じられた。

結局、死ねば全て終わる。

苦しいことも悲しいことも楽しいことも嬉しいことも何も感じない。

全てが無へと消え去る。

そう完全に葉鳩典夫紀の心が絶望の底に沈み切ったのを見計らって日和が耳元で囁いた。

「ここで死ぬ?僕が救ってあげようか?」

その問いに典夫紀は頷いた。

おそらくは殆ど反射的に頷いてしまったのだろう。

頭で考えるより本能が死を求めてしまっていた。

そんな彼の首に日和はそっと手を伸ばした。

「日和、僕を殺した後死体は三体まとめて識別不明なくらい燃やしてくれ。もしかしたら君も死んだと警察が誤認してくれるかもしれない。

結局最後まで君を守ることができなかった。すまない」

まるでうわごとの様なか細い声での最後の願い

を聞き届け日和は首を振る。

「気にしないで。典夫紀はもう僕のこと気にかけなくて良いよ」

そうして日和は躊躇うことなく典夫紀の首をへし折った。

家族として長い間暮らしてきたがそこに情はない。

ただ自分は死を平等に与えるもの、その自覚がある日和には家族であろうと躊躇いなど生まれるはずがなかった。

ただ少しばかり驚かされたのは典夫紀が最後の瞬間まで日和の心配をしていたことだった。

勿論、日和には典夫紀を追い詰めているのは自身の行いだという自覚はあった。

いわば典夫紀の死の元凶である。

典夫紀の為に死の救いを止める気は全く無かったが、それでも人生を打ち壊した日和を憎む権利はあると日和自身が思っていた。

だというのにまさか最後の瞬間までこちらの身を案じてくるとは、それが日和には意外であった。

葉鳩典夫紀、もしかしたら誰よりも自分の事を心配してくれていたのかもしれないと日和はここに来てそう思える様になった。

とはいえそんな人物まで手にかけた日和を止めれるものなどもう誰もいるはずもなく。

彼の救済という名の殺人は大分から九州、九州から全国そして世界へとどんどん広がっていった。

そして救済の手を広げるたびに気付かされる。

この世界は絶望で満ち溢れているということを、どの様な場所に行っても死を望む人々はいることを。

そういった人間たちを殺すたびに実感するやはり死は救いであり、自分は死を迎えるべき生命に死を与える為に存在をしているんだと。

それと同時に思い知らされるやはり自分は人間とは違う生物としても成立しないだろう存在だという事を。

どんな人間も簡単に殺せた、それこそ蟻を潰すのと同じくらい簡単な作業だった。

人だけではない日和にとってこの世界のあるとあらゆるものは砂上の楼閣の様な存在だった。

意識的に力を込めればどの様なものでも壊れてしまう。

今目の前で倒れている男を殺すのも日和は何も苦労をしなかった。

深夜の廃校、光の類は夜空に浮かぶ星々と月明かりだけという不気味ながらも僅かに幻想的な空間。

ガラスは割れ、夜風が髪を撫でる月光に淡く照らされた廊下でその男は不自然に首を曲げた状態で倒れていた。

首の骨が折れているのは一目瞭然だった。

男のそばに転がる黒い鉄の塊、それは日本ではなかなかお目にかかることはない人殺しのための武器、拳銃。

けれどその中身はすでに空となっていて驚異はもはやない。

日和はその銃を手に取るとまるでクッキーの様に握りつぶし使い物にならなくなった鉄屑を割れた窓から投げ捨てた。

「銃で撃たれたのは初めてだったけどやっぱり痛みすら感じなかったか」

その声色には明らかな落胆の色が混ざる。

人を殺す為に作られた武器ならばあるいは自分の体に傷を負わすこともできるのではないだろうか?

そんな疑問の解消の為にも連続射殺事件を起こした人間を次のターゲットに選んだのだが結果は予想通り。

目、額、胸、腹と4発に鉛玉を喰らったにも関わらず日和の体にはかすり傷一つ出来なかった。

受けた損傷は服が破けた程度、かつて日和のことを人間だと言った人もいたがやはり自分は人間ではないと再実感してしまった。

経験はないが例えミサイルを打ち込まれても傷すら負わないだろうという確信が日和にはあった。

とはいえこれでこの町でこの男が人を撃つことはもう2度と無くなりこの男もこれ以上罪を重ねることなく死ぬことができた。

目的は果たしたと月明かりに照らされる日和は満足げに微笑む。

良いことをしたあとは気分がいい、それもこんな美しい月明かりの下だったら尚更だ。

鼻歌でも歌いたい程、高揚した気持ちの彼の耳にありえない音が響いてきた。

コツコツと小さくだが確かに聞こえる物音。

本来なら気にならないほどの微弱な物音だったが、辺りが静寂に満ちておるせいでその音は本来の何倍も大きく聞こえた。

普段周囲のことなど気にも留めない日和だが、こんな場所で聴こえる物音には流石に耳を傾けてしまう。

聞いているうちに音の正体を理解する。

コツコツとリズムよく響くのは間違いなく誰かの足音。

その足音はこの月夜の静寂を壊さぬ様に静かにけれど確実にこちらへと向かってきた。

数からして向かってきている人物はおそらく一人だけ。

先程の銃声を着て野次馬でもきたのだろうか?

それとも廃校探検の一般人か?

日和が立つ廊下は3階、出口へ向かう唯一の階段は今誰かが登ってきている。

その足音の大きさからして今2階まで登り切った頃だろう。

そしてその足音の人物は2階に留まることなく直ぐに3階へ向け歩き出す。

この校舎は3階建て、このままでは間違いなく鉢合わせしてしまうだろう。

とはいえ、逃げるだけならば簡単だ。

目の前の窓から飛び降りればいい。

3階の高さから飛び降りるなんて常人なら大怪我間違いなしだが日和ならばなんの問題もない。

けれど日和は一向に逃げ出さない。

近づく足音を向かい入れる様にその場から一歩たりとも動こうとしない。

というのも、彼にはこの足音に少しばかり心当たりがあったからだ。

この数日妙な違和感があった。

ずっと誰かに見られている様な妙な視線。

なんとなくだけれど、今向かってくるこの足音がその人物のものである気がしてならない。

その美しさ故かつてストーカー被害にも会ったことがあった日和だがこの足音の主はこの現場を見てどんな表情をするのだろうか?

廃校に転がる死体に月光に照らされる美しい女装男子。

非現実的なこの光景に腰を抜かし怖がるだろうか?

そんな無様なストーカーの姿を見るのも面白いかもしれない。

そんないたずら心が不意に湧いて日和はこの場に残ることを選ぶ。

割れた窓ガラスから再び夜風が吹き肩まで伸びた日和の髪が顔にまとわりつく。

髪ゴム持ってくればよかったな、そんなことを考えながら髪を整えていると廊下の奥、階段出口から一筋の光が漏れた。

懐中電灯の光だ、ついに来た。

ワクワクが抑えきれず日和の方からもその光へ向かっていく。

廊下に響き渡る二つの足音はそのどちらもが優雅でいて華麗。

不思議な感覚だった、日和本人もなぜ自分がこうも高揚しているのかが分からなかった。

無感動だった自分の心がこうも動くには自分の存在理由を見つけた時以来だった。

そうして互いに十歩ほど歩いたところで二人は足を止める。

足音の主は懐中電灯で日和とその背後にある死体に光を向ける。

その人物の顔に驚愕はなかったただ嬉しそうに笑っている。

逆に驚かされたには日和だった。

なぜこの子がここに?とその表情から微笑みが消えた。

「やっと見つけた。探したよお兄ちゃん」

愛染時央華はそう告げるともう逃さないという様に彼に抱きつく。

生まれながらにして人理の枠から外された兄妹は月夜が見守る中静かに再会を果たしたのであった。

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