第8話
その男は健永が警察という職種についていなくても、不審な目を向けてしまうほど怪しい人物だった。
身長は170ほどだろう痩せ型で年齢は30ほどだろう。
顔色が悪く無精髭に伸び切った髪を見るに身だしなみには無頓着と見られる。
もしここが夜の飲み屋街ならそこまで違和感のない人物かもしれない。
しかし彼が今出てきたのはこの街一番の資産家、葉鳩の屋敷。
どうみてもこんな薄汚れた男とは不釣り合いな場所、健永の足は自然とその男の行く手を遮るように彼の正面に立った。
突然見知らぬ中年が目の前まで歩いてきたことに男は困惑をする。
そんな男の顔を健永は正面からマジマジと確認をするがやはり知らない顔だった。
葉鳩家の事は事前に調べていた。
両親亡き後、葉鳩家は今までの交友関係が希薄となりこの屋敷に住むには当主である兄弟と家政婦のみの筈このような男はいないのだが。
「僕に何か用ですか?」
行手を塞がれた男は困ったような笑みを浮かべそう尋ねてくる。
ヘラヘラとした笑みは軽薄そうな印象を健永に与えた。
「君はこの家の関係者か?なんの用があってここへきた」
有無言わさず答えてもらうよう警察手帳を見せ質問をする。
そうすると男は笑みをしまい、少しだけ驚いたように口を開いた。
「ああ。警察の方だったんですか。突然声をかけられたんで驚きましたよ」
健永が警察だと明かしても特に緊張をするような素振りも見せない男はまるでこれから世間話でも始めるような穏やかさを見せる。
警察と明かすことでこちらに主導権を握っときたい健永はやりにくい相手だと即座に判断した。
「それで、君は一体誰だね?」
「ああ、失礼。僕は東洞一峰と言いまして。こんななりですが一応医師です。この葉鳩家にも仕事できただけですよ」
名前を聞き照合してみると確かに東洞一峰は医者であることが判明した。
どうやら不審者ではないようだが、妙なことが一点。
「君、関西在住らしいが何故ここに?」
それは当然の疑問だった。
彼、東洞一峰は関西で開業医をしているらしいのだが、ここは九州わざわざこのようなところに来る理由がわからない。
「仕事ですよ」
「この家にか?医者ってことは患者がいるんだろ?誰の診察できたんだ?」
「守秘義務があるんで。どうしても知りたいのなら然るべき許可を取ってきてください」
やはり簡単に口を開く様な男ではないようだ。
うまくこの家の事を話してくれないかと期待した健永だがどうやらそれは見込めそうにないと諦める。
「・・・そうか、引き止めて悪かったな」
これ以上は無駄だと道を開けると東洞は会釈して坂を下っていく。
健永も葉鳩家へ向かおうとしたところで東洞の足がぴたりと止まり振り返る。
「ところで刑事さんはここへ何の用で?」
逆光で顔は影となって表情はよく伺えない。
まるで真っ黒な仮面をかぶっているようだ。
「それこそこちらにも守秘義務がある」
これ以上この男に用はない健永は突き放すようにそう告げる。
「そうですか。まぁ貴方が何のようでここに来たかは知らないですがあまり僕の患者を追い詰めないでいただきたい。心配です」
それは一体なにが心配なのか?
尋ねようとしたが、東洞もこれでもう用はないというようにそそくさと坂道を降りて行った。
何だろうか?
先程の言葉は忠告だろうか?
それは誰に対しての?
何か喉につっかえた様な息苦しさを感じる。
これは予感だ。
健永が事件と相対した時、時折感じる予感。
この様な予感が働く時大概良くないことが起きるのだが、逆に真相に近づいてきているそんな気もしてくる。
ここまで来て引き返すなんてことはできない、己の内にある不安を振り払う様に健永は呼び鈴を鳴らした。
『はい』
呼び鈴を鳴らすと同時に聞こえてくる物静かな女の声。
そのあまりの応対の速さに健永はギョッとしてしまう。
まるで待ち構えていたかの様な速さに健永は正面門に設置された監視カメラについ目を向けてしまう。
まさか、ずっと監視していたわけじゃないだろうな?
そんな疑いの目を向ける。
だらかに見られているそう考えると無機質なはずのカメラがまるで人の瞳の様に妙に艶かしく見えて不気味に感じられた。
監視カメラで人を確認することはあっても監視される機会はなかった健永にはこの見られるという状況に居心地の悪さを感じる。
「すみません。私こういう者ですが。中に入ってお話伺っても良いですか?」
警察手帳をカメラにかざすと『どうぞ』という声と共に門が開く。
門から屋敷までは石畳の一本道が約30メートルほど続いている。
緑の海の様に綺麗に整えられた芝生、その中央に敷かれる石畳を健永はまるでこの世界の主人のように堂々と突き進んでいく。
目の前に広がる館はまるで夜空を壁に閉じ込めたかの様な漆黒でその正面玄関にはエプロンを身につけた若い女性が立っていた。
健永はその女性の正面まで歩き足を止めた。
女性は健永が到着すると同時に深々とお辞儀をする。
「ようこそ、いらしゃいました」
その顔を見て健永は驚く。
顔を上げた女、野々咲尋美は以前資料写真で見たメイド服を身につけていた為、私服の時と印象が違う。
もちろんこの女がこの屋敷で働いている事は健永も承知の上、そのようなことでは驚かない。
驚いたのは彼女の表情だ。
写真で見た時も以前出会った時も感情の読めない仮面でもかぶったような無表情をしていた彼女が、今は張り付けたような笑みを浮かべていた。
その表情に健永は一瞬背筋が冷たくなるのを感じた。
この感情は恐れ?
自分は一体なにが怖いのか?
それがわからない健永は己の感情が決して表には出ないように野々咲に挨拶をした。
「こんにちは、野々咲さん。先日は急に失礼しました」
「そんな、私の方こそ急いでいたとはいえ話の途中でとんだ失礼を致しまして本当に申し訳ございません」
そういえばあの時、まだ会話の途中だったのに野々咲によって葉鳩を連れ去られた事を健永は思い出す。
とはいえ、あの時はあくまで接触が第一目的だった為健永は全く気にしていなかった。
それよりも気になるのは申し訳ないと口では語るがその顔は相変わらずニコニコしていて全く申し訳なさが表れていない。
「ところで、葉鳩さんは在宅中かな?」
「いえ、あいにく今は出かけておりまして。ですが夕方ごろには戻ると思うので中でお待ちになりますか?」
腕時計を確認すると時刻は15時を少し過ぎた頃。
夕方なら待っても2時間ほどだろうか?
今日は休暇日、どうせこの後の予定もないまた足を運ぶのも面倒なので待たせてもらうことにした。
健永が通されたのは、裏庭のバラ園が一望できる客室。
2階にあるその客室は大窓があり、そこからは色とりどりのバラが客人たちを迎え入れる。
おそらく、全て計算された上でこの部屋が作られたのだろう。
職人の技に感心しながら庭を眺めていると野々咲が台車を押しながら部屋へ入ってきた。
「ハーブティーです。よければどうぞ」
差し出されるカップを受け取り一口口に含むみ、健永は顔を顰めた。
ハーブティーというものは生まれて初めて飲んだが、これ程不味いものなのか。
できるだけ味合わないよう健永は薄緑の液体を流し込むように胃に収めた。
すぐさま野々咲がおかわりを注ごうとするがそれは丁重に断った。
「それで、本日はいったいどのような御用件で?」
不在の主人の代わりに用事を聞き入れようとする家政婦。
この女に事を話しても良いか一度、思案する健永だったがもしかすると彼女のように一つ距離を置いた立場の方が口を割りやすいかもと考える。
「そうだな、君なら知っているだろう?葉鳩君の両親。夫妻心中事件について聞かせてもらいたい」
夫妻心中事件その言葉を出した瞬間、野々咲の顔から張り付いた笑みが一瞬消えたのを健永は見逃さなかった。
これは間違いなく何かを隠している。
長年健永を支えてきた感がそう囁いてきた。
「何か知ってるな?あの事件は不審な点が多すぎる。ただの心中事件じゃないのは明白だ。いったい何を隠してる?」
興奮しながら野々咲へ詰め寄ろうとしたところで、健永の足がよろけた。
そしてそのまま腰が抜けるように床に膝をついてしまった。
「あれ?」
何か起きている。
でもそれが何なのか分からず答えを求めるかのように、まるで健永を見下ろすように立つ野々咲に顔をあげる。
彼女はまだ笑っていた。
その瞬間察してしまう何かを盛られたと。
「ハーブティーか?」
そう尋ねると野々咲はとても嬉しそうに頷く。
「私も驚いたんですよ。まさかこんな上手くいくなんて。途中気づかれたらどうしようなんて考えていた自分が馬鹿みたいに一気飲みしてくれましたね」
計画通りにことが進み気分がいいのか、野々咲は恍惚とした表情を見せる。
こんな小娘に良いようにされてたまるか、そんな根性で腕に力を入れ立ち上がろうとするが、そんな意思とは逆に肘はカクリと折れ顎から床に倒れる。
顎から倒れたというのに不思議と痛みはない。
それどころか、床の硬い感覚まであやふやになってくる。
視界もまるで風景が伸ばされるように遠く見える。
意識が、もたない。
それが健永の最後の思考だった。
どたん。
何か重いものが倒れる音で目が覚める。
目覚めると同時に刺すような頭痛が走り葉鳩典夫紀は顔を顰める。
部屋を見渡すと、見慣れた自室の光景が目に映る。
部屋にいるのは典夫紀1人、東洞先生は帰ったのだろうか?
典夫紀は先生の所在を尋ねようと少しふらつきながらベッドから立ち上がる。
寝床の脇にある机には眠る直前に飲んだ薬の袋と水を入れていたコップがそのままに残されていた。
ここ最近体調を崩していた典夫紀の為に気遣ってわざわざ遠路はるばる来ていただいた東洞先生には頭が下がる。
すぐに寝入ってしまったのは薬の影響だろう。
まだ頭も少しふらついている。
薬を飲み前、東洞は典夫紀に最近の疲れは精神的なものだろうと話してくれた。
高度のストレスが原因だとの事で東洞は早いうちにそのストレスを解消する方法を見つけろと助言を受けたがそんなものは無理だと典夫紀にはわかってる。
そもそもそんな簡単気切り捨てれる事なら自分はここまで追い詰められていないだろう。
このストレスはきっと死ぬまで自分を縛り続けるだろうと典夫紀は思う。
けれど確かにこんな体調がいつまでも続くにはきつい。
もしまだ東洞先生が残っていたらもっと薬をもらえるよう頼もう。
そう決め部屋を出たところで典夫紀は廊下で野々咲と鉢合わせした。
「ああ、典夫紀さま。目が覚めたんですね。気分はどうですか?薬が効いていれば良いんですが」
今まで一度として見たこともない野々咲の咲いたような笑顔。
けれどその顔もすぐにきっと気合の入った顔に変わる。
ズズと中腰で野々咲は大荷物を引きずりながら運んでいる。
問題なのはその荷物というのがどう見ても人間だという点だろう。
黒いスーツの足を引っ張られるその男に意識はない。
ただされるがままに床を引きずられている。
まるでバンザイでもしているように腕を伸ばし倒れる男に生気はない。
顔は土気色で口からは泡を吹いている。
その無残な姿に典夫紀は顔を背ける。
「野々咲さん一体何をしてるんですか?」
そんなの見ればわかるのに典夫紀はついつい聞いてしまう。
聞かずにはいられなかった。
「ああ、すみません。お見苦しいところを。なにぶん私も初めての事柄でして不慣れなんです」
不慣れとはいったい何の事を言っているのか?
典夫紀には彼女の言葉の意図が掴めない。
「典夫紀さまはどうぞご部屋でゆっくりしていてください。じき全て終わりますから」
それはいったい何が終わるのか、それも典夫紀にはわからない。
ただ、漠然とした実感はある自分の人生は完全に終わりを迎えたんだと。
呆然と立ち尽くす典夫紀を尻目に野々咲は死体運びを続けるの。
まだ死体を部屋から出しただけだというのに彼女の息は既に上がっている。
それは命を失った人間の体が彼女の予想を上まる重さだったからだが、今は殺人の高揚でそのような疲れは気にならない。
笑みを漏らしながら死体を引きずるその姿は狂気的である。
毒殺というのは死を肌で感じられないという点で少々物足りないものがあったが自ら命を奪ったという達成感は今まで色の無かった彼女の人生を一気にカラフルにするほどの衝撃があった。
それこそ今殺人を行ったばかりだというのにまた直ぐに命を奪いたいという衝動に駆られてしまうほどに。
けれど今はそれよりもしなければならない事がある。
野々咲は眼前の死体に目をやる。
さて、この大荷物はどうしたものか?
殺人を犯した後一番困るのは死体の処理だというが彼女の今まさにその問題に直面していた。
とりあえず部屋に放置するわけにはいかず運び出しはしたがこの後どうしようか?
一番安全なのは屋敷の庭にでも埋める事だけれど、当たり前だが死体はいずれ腐る。
虫でも沸いてしまったら嫌なので出来ればここで処理はしたくはない。
どこか遠くの山奥にでも処理できれば良いのだがそうすれば、今度は人目につく可能性がある。
どうしたものかと一旦死体を置き思案する野々咲に放心状態から戻ってきた典夫紀が近づいてきた。
「野々咲さん。警察に行こう」
当たり前のようにそう言いのけた典夫紀に野々咲の顔から笑顔が消えた。
「はい?一体何を言ってるんですか?そんなことしたら私がこの人を殺した意味ないじゃないですか?」
そこまで言われた事でようやく典夫紀も今目の前にある死体がいったい誰なのかがわかった。
「この人、あの時の刑事さんか?」
苦痛で表情はひどく歪み固定されてしまっているが、間違いなかった。
野々咲がこの男を殺した。
野々咲とこの男に関係性があるとは典夫紀は考えない。
野々咲は元々私生活が乏しい女性だ、この葉鳩家以外との交友関係などないに等しい。
つまり怨恨などでは無い理由があるとすれば一つ。
「この家の事がバレたのかい?」
「少なくとも疑われていました」
典夫紀が聞くと野々咲はすぐさまそう答える。
だとしても殺すことはなかっただろうと典夫紀は頭を抱える。
殺したところで疑いの目がさらに増えるだけだ。
もうどうすれば良いか分からずただ2人は沈黙のまま見つめ合っていると、いつの間にか帰宅したもう1人の住人が階段を登ってきた。
「えっと。コレどういう状況ですか?」
床に倒れる男の死体を見て困惑気な顔を見せる制服姿の妹に兄は青ざめた顔を向けるのだった。
鏡谷麻希の葬儀は重い曇天空の下行われた。
死んだ人間に天気なんて関係はないが残された遺族たちのためにも晴れ渡る天気の中見送りができればよかったのにとハバトは少し残念に思う。
ハバトは葬儀には参列しなかった。
彼らの交際は公にはしていなかった為、変に邪推されては面倒だと考えたからだ。
ただ参列こそしなかったものも、出棺の際は通行人を装い過ぎゆく車に密かに頭を下げ最後のお別れを伝えた。
死んだ人間に対して別れを告げても意味などないそう考えるハバトだが、一時とはいえ親密な関係となった相手、せめて頭でも下げるのが礼儀なのかもしれない。
不意にそう思っての行動だった。
結局彼は恋人の死に最後まで涙を流すことも、それどころか悲しいという感情すら湧くことはなかった。
それはハバトが鏡谷麻希になんの思入れもなかった為、という訳ではない。
彼はこの先も誰の死に対しても悲しみを感じることはないだろう。
それは結局ハバトが自身と人間たちを別種の生物みなすが故の壁だった。
そんなハバトにも彼女の死に思うところもある。
それは自殺の動機だ。
最期まで彼女の事を愛することのできなかったハバトだったが、それでも伊達に同じ時間を過ごしたわけではない。
彼女の事はそれなりに理解しているつもりだった。
彼女はどこまでも自分に正直でどこまでも勝手でそしてハバトを愛していた。
ハバトといつも一緒にいる事を望み、彼女が死ぬ3日前に会った時も次の連休に一緒に遊園地へ行こうと告げられていた。
そんな彼女が自殺?
これは例えハバトでなくとも疑問に思うだろう。
自殺なんて気配微塵もなかった鏡谷麻希、つまりたった短期間の期間に彼女は自ら命を断つほどの絶望に出会ってしまったという事だろう。
それは一体何なのか?
その答えが分かったのは彼女の葬儀から三日後の事だった。
「手紙が届いてました」
部屋をノックすると同時に部屋へ入ってくる家政婦にため息を吐きたい気分に陥る。
「まったく、その早さで入って来られたらノックしてる意味殆どないよ」
ハバトは部屋に入る家政婦に目を向ける事なく課題のレポートを書きながらそう苦言を述べた。
彼の部屋に別にやましいものはないが自身のプライベートの空間にズカズカと入って来られるのはやはり気分が良いものではない。
以前勝手に部屋に入って掃除を行なった家政婦に注意をして以降、留守中部屋に入る事は無くなったし、在宅中も先程のようにノックをしてくれるようにはなってくれた。
ただ、それでもノックと同時の入室は勝手に入るのとあまり変わらないとハバトは思う。
最低限相手が反応するまで待つべきだと思う。
部屋に入ってきた家政婦に顔を向けることもなく、苦言を述べたのは自分は怒ってますと少しでも態度で伝われば良いと思ったからだった。
けれどそんなハバトの意図など家政婦には伝わらないのだろう。
彼女はズカズカと机でレポートに集中するハバトの横に並ぶと、綺麗に教科書が並び机に淡い水色の封筒を差し出した。
「手紙です」
そう述べると家政婦は用は済んだと機械的に部屋から立ち去った。
自分宛に手紙?
珍しいなと、差出人を見て驚いた。
鏡谷麻希。
今まで彼女から手紙などもらった事はない。
もちろん生前書いたものだろうが、何故手紙なんて送ってきたのか?
答えを探るように封筒を開くと、そこには糸くずのようにふにゃりとした文字で書かれて手紙が出てきた。
それは見たこともない鏡谷麻希からの手紙だった。
-ごめんなさい。ヒーくん。
こんな手紙を最期に送る事になる私をどうか許してください。
この手紙があなたの元へ届く頃私は既にこの世にはいないと思います。
何だか不思議な気分です。
こんなドラマでしか見たことのないような手紙を自分が今書いてるなんて。
手紙でのサヨナラなんて誠意にかけるかもしれないけれど、もう今の私はあなたに顔向けすることができないので、どうか手紙での挨拶をするして下さい。
ヒーくん、私は本当にヒーくんのことが大好きでした。
話したことなかったけれど実は私男の人が苦手でした。
ビックリだよね、ヒーくんに対してあんなに積極的だったのに。
でもそれは失礼な言い方だけどヒーくんがまるで男の人だと感じさせなかったから。
だから私はあなたの事が好きになった。
ヒーくん、私死のうと思います。
私の身体は汚されてしまいました。
あの男、貝沼裕作に。
もうあなたの彼女である資格がありません、でもそれはとても辛い。
耐えれない程に。
だから死のうと思います。
こんな弱い私をどうか許して。
あなたとの日々はとても幸せでした。
以前ヒーくんが話してくれた、不幸のない世界、あれやっぱり私は無理だと思うの。
今回の件で実感した、やっぱり世の中には人を傷つけてでも自分の欲望を叶えようって人達がいてそんな人達の犠牲になる人はもっと多くいる。
そんな身勝手な人達がいる限り世の中の不幸は消えないと思う。
でも、ヒーくんの思う不幸のない世界ってとても素晴らしいと思います。
出来る事なら私もそこ世界で生きてみたかった、あなたと共に。
もし来世があるのなら今度こそあなたと共に行きたいと思います。
さようなら。
最後にこの手紙は読み終わったら処分して下さい。
あなた以外にこの事は知られたくないので。
手紙はそこで終わっていた。
ボールペンで書かれた文字は所々滲んでいて紙も酷くヨレヨレになっている様から涙を流しながら手紙を書いた事が伺えた。
手紙の内容からもその文字からも彼女の絶望が垣間見える手紙をハバトは封筒ごとビリビリに破くとゴミ箱へ捨てた。
後は燃えるゴミの日に他のゴミとまとめて出せば彼女の最後の望み通り跡形もなく処分できるだろう。
そこでハバトはさてと考える。
この手紙、これは彼女の遺書と考えて良いものだろうが結局のところ彼女の身に何が起きたのかが記されていない。
彼女の死の理由手紙の内容からある程度推測は出来はするがあくまでそれは推測であり確証はない。
理由まできちんと記してくれればこのような疑問持たずに済んだのだが、死を決意するほど事柄を彼氏に手紙で書くというのも酷だろう。
取り敢えず判明している事それは鏡谷麻希の死に貝沼裕作という人物が関わっているという事。
そこでハバトは天井を見上げ今一度思案する。
それこそあの世にいる彼女へ問いかけるように。
さて、自分はこれ以上彼女の死に首を突っ込むべきだろうかと?
もちろん死した彼女から返答など来るはずもないのでその決断はハバト自身が決めなければならない。
正直ハバトはこの手紙が来るまで彼女の死について調べる気は特になかった。
疑問には感じていたがそれだけ。
調べたところで彼女が生き返るわけではないし、死んだ以上もう苦しむこともないのでそれで良いと思っていた。
けれど貝沼裕作という人物がどうしても気になる。
この人物が彼女の死にどう関わっていたのか、そのんな事ではハバトは関心を持たない。
それは彼の冷え切った心故だ。
例え近しい人物に死であろうと全ては終わった事、そのような事はどうでも良いそれが彼の思考だ。
けれどもしこの貝沼裕作という人物がハバトの考えるような人物であったなら話は変わる。
あくまで可能性の話だが手紙の内容から何が彼らの間であったのかは想像がついた。
30秒ほど考えたところでハバトは決断する。
考えていても仕方がない本人に会うのが何よりも確実だと。
決断をすると同時にハバトは机の上のパソコンを起動する。
ウィーンという機械音と共に暗かった画面に灯が灯り情報の海へ潜る準備が整う。
もし貝沼という人物が考える通りの人柄だとしたら過去に何か問題を起こしている可能性がある、ネットで調べれば何かしらヒットするかもしれない。
とはいえ手がかりは名前だけ、試しにその名前を検索してみる。
するとまずはその名前で登録されたSNSのアカウントが出てくる。
それらを順番に開いてみるが、このどれが探し求める貝沼裕作なのかはハバトにはわからない。
取り敢えずいくつか確認をしてみるがやはり関係があるのかないのかさえ判別がつかない。
なのでこの方法は早々に諦め、次に名前の後に
津中市と町名を入れ検索をかけてみる。
鏡谷麻希はどちらかと言えばインドアであまり活動的ではなかった。
彼女とハバトのデートもほとんどがお家デートで最後に約束していた遊園地は彼らからすれば珍しい外出だった。
鏡谷麻希と貝沼裕作は少なくとも名前を知る程度に顔見知りだとすると県外など滅多に行かない彼女の行動範囲から考えるにこの町で出会った可能性が高いかもしれないハバトはそう考えたのだ。
そして運が良いことにその考えは見事に的中する事になる。
「レッドクイーン?暴走族か」
その記事に記されていたのはかつて存在した暴走族の事だった。
レッドクイーンと名乗ったそのチームは今から約40年ほど前に存在した暴走族のチームだった。
その頃の日本は今より治安が悪く多くの暴走族たちが各地に現れ警察と毎日のように争っていたという。
レッドクイーンもそんな暴走族の一つで貝沼裕作はそのチームの頭についていた。
当時まだ10代後半の彼だったが傷害窃盗恐喝強姦とあらゆる犯罪を犯してきたという。
それはハバトからすれば信じられない経歴だった。
理性のかけらもないケダモノのような生き方。
これで、人間として生きている意味があるのだろうかと思うほどに。
こんな生き方をもし今もしているとすればそれは他人も自身も不幸をにするだけでしかない。
だとしたら早く救わなければとハバトは新たな決意を胸に秘める。
その時、もはやハバトの心には鏡谷麻希の事は微塵も残っていなかった。
貝沼裕作の所在はさほど苦労する事なくハバトは手に入れる事ができた。
「貝沼?ああ、アイツなら夜になるとこの辺をふらついてるよ」
そう語るのは駅前でハンバーガー店を営む30代後半の男だ。
エプロンがはち切れそうなほどの胸板とスキンヘッド飲食店というよりは悪役レスラーが似合いそうな店長はそう答えると少し心配そうな顔見せてきた。
「君みたいな子があんな男に一体なんの様なんだい?」
普通に生活をしていればおそらく生涯決して関わることのなかっただろうとハバト自身が思う相手、他人に疑問に思われても不思議ではない。
事実今まで箱入りで育てられてきたハバトは外出も殆どたまに行く学校と家の往復くらいなものでこの様に駅前に一人できたのも初めての事だった。
情報収集の為に訪れた駅前でだが、人通りの多いこの場所でもハバトの容姿は目を引くらしく
まるで虫に様に人がよって来るのを見かねて声をかけてきたのがハンバーガー店伸之店主だった。
「探してるんです。知り合いがその人に何だか酷い目に遭わされたらしくて、それが事実か確認したいんです」
喋ってもいい真実だけを口にして簡単な説明をすると店主の顔は心配そうな顔からまるで可哀想なものでも見るような憐れみの目に変わった。
「その子がどんな目にあったのか大体想像はつく。けどなそういう事は警察に任せなさい。君がアイツにあったところで同じような目に遭うだけだ」
ジューと香ばしい匂いのするパティを手慣れた手つきでひっくり返す店主はこれでもう話は終わりだとでもいう様にハバトから目を逸らす。
ハバトもこれ以上追求する事はなく、お礼の代わりとしてオリジナルバーガーを一つだけ買ってその場を去った。
生まれて初めての買い食い、こうして街を歩いているとハバトはまるで自分も普通の学生になれたかの様な気分を少しだけ味わえた。
けれどそんな時間もハンバーガーを食べ終わると共に終わりを告げる。
駅前のベンチでバーガーを食べ終わるとゴミ箱に包み紙を捨てロータリーにある時計台に目を向ける。
時刻は午後四時半、夜までは時間は少しある。
一度家に帰り着替えようとハバトは歩きながら今後のことを考える。
先程の店主との会話で得た情報をまとめるに、
貝沼裕作という人物は未だにロクデモナイ人間で改心などしてはいなさそうという事。
そしてその貝沼と鏡谷麻希が出会っていた場合、手紙に書かれていた通り酷い目に遭わされた可能性が高いという事。
そしてその酷い事というのはどうにも自身が考えている事で間違いなさそうとい事。
最後に、夜あの駅前に行けば彼と出会える可能性は高いという事。
素人のがする情報収集なんて大したこと出来ないと考えていたけれどこれだけ分かれば十分だとハバトは現状に満足する。
後は本人に会えば自ずと結果はついて来るだろう。
そして、この日ハバトはまた新たな殺人に手を染めることとなった。
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