第5話
父が亡くなったのはハバトが13歳の誕生日を迎えたわずか2日後の事だった。
子供たち似つかぬ病弱な人だった。
生まれた時から長くは生きれないと医者に宣告されていたがそれでも33歳まで生きたのは彼の生きる執念がその体を支えたのだろう。
父が危篤だと連絡が来たのはハバトの誕生日前日の事だった。
彼が長くないことはハバト自身も分かっていたことなので驚きはなかった。
ただ、ついに来たかと肉親の死に僅かに気分が沈んだだけ。
連絡を受け養母とともに病院へ向かうとそこには写真でしか見たことのない家族が揃っていた。
ハバトが到着するとベッドに寄り添っていた他の家族はそっと彼のために道を開けた。
唯一その場から離れなかったのは若い女と幼い少女。
おそらくコレが父の妻とその子供だろうとハバトは推測する。
とは言えお互いに興味はないのか会話はなく、ハバトは呼吸器を付け苦しそうに肩で息をする父の顔を覗き見る。
とても三十三歳とは思えないえない老人の様だ。
髪は白髪体は痩せ衰えているのにお腹だけはやけに張っている。
肌は土気色、目は開いているがその焦点は合っていない。
その姿は傍目でも死が近いことを肌で感じられた。
喋ることもできず死を待つだけの父、その姿が不憫で手を握ると弱々しく父も手を握り返してきた。
その弱々しい力が苦しいと自分に訴えてきているようにハバトには感じられた。
もう助からないのは一眼でわかる。
なら早く苦しみを終わらせてあげればいいのに、何故無理に生かすのだろう。
死ねないというのは苦しいことだと知っているハバトは頑張れだとか無責任なことを言って懸命に生かそうとする他の家族や医者たちに憤りを感じ始める。
何故わからないのだろうか、今この場において死こそが唯一父を苦しみから解放させることが出来る救いだということに。
いや皆気づいててもできないのだ。
殺人は罪だしそもそも命を経つという行為はどうしても皆恐れてしまう。
それになんとしても生きてもらいと思うのは人の情だろう。
そうハバトは自らの憤りを抑える為、常識論で自らを落ち着かせる。
父の死の前で皆が何もできないことはしょうがないことだと目を閉じて心を落ち着かせる。
けれど目を開けるとそこにはまるで水を無くした魚のように避けられない死を前にそれでも生きようとしている哀れな父の姿がどうしても焼き付く。
声には聞こえないが苦しい苦しともがいているのがハバトには分かる。
一緒に暮らしていなかった父に親子の情など無いはずなのに、それでも彼を救いたいと心がざわつく。
今すぐ殺してあげるべきだ、それで父は苦しみから永遠に解放される。
他のみんなは出来ない。
死を前に体がすくんでしまう。
動くことができない。
それが出来るのは常識外にいる自分だけ。
死とは永遠に無縁の自分だけ。
そう苦しませないように、首の骨をへし折れば全てが終わる。
よし、殺そう。
ハバトがそう決意し手を首に伸ばそうとしたところで、糸が切れるかのように父の呼吸が止まった。
それはまるでハバトに親殺しをさせない様に自ら息を引き取ったそんな幕切れだった。
ハバトは左手に光る腕時計を見るたびに父の死を思い出す。
所々傷の入ったその腕時計は父の愛用品をハバトが譲り受けたものだ。
彼の父は資産家だったこともあり、その莫大な遺産の相続権はもちろんハバトにもあったが彼は自身には似合わない腕時計を受け取ると他の遺産は全て相続権を放棄した。
元よりお金には興味がなかった。
そんな彼が腕時計だけ貰い受けた理由それは、この腕時計を見るたびに父の最期を思い返せるからだった。
普段写真でしかみたことのなかった父、その腕に毎回ついていた腕時計は父の姿を思い起こさせる。
別に父の思い出を思い起こすために腕時計を貰い受けたわけではない。
そもそも思い起こす様な思いではないのだから。
忘れない様にしたいのは父の死に様とその時の自身の決意だった。
苦しみ抜いて死んだ父。
その最後は無惨だった。
あのような生に意味があるとはハバトは思えない。
迅速な死こそが救いあの時のあの想いは決して間違っていないとハバトは今も信じている。
ただあの時は決断するのが遅く結果父は苦しみの末に死を迎えた。
二度とあんな不甲斐ない結末を迎えないためにつぎ苦しんでいる人がいたら迅速に安らかな死を迎えさせてあげる様に。
その決意を忘れないようにハバトは父の腕時計を身につけた。
そしてこの決意こそがハバトが起こす永遠と続く連続殺人のきっかけだった。
健永が伸之の行動に違和感を感じ始めたには去年の夏頃の事だった。
健永にとって勝木伸之という部下は一言で言ってダメな若者、それに尽きた。
勤務態度からやる気は感じられず、言われたことしかできず、ミスも度々繰り返した。
いい加減、注意するのも馬鹿らしくなったある日。
「健永さん!連続殺人事件の進展はどうなっているんでしょうか?」
唐突にそのような事を聞いてきた。
驚いたのは伸之の突然に発言ではなくその表情だった。
その顔は昨日までの覇気のなさが嘘だったようにやる気に満ちた真剣な眼差しをしていたのだ。
それはまるでかつての自分、青い理想を心に燃やす新米警察官になったばかりの己をみているようだった。
まるで別人のような変わりよう。
何かあったのは間違いないようだが昨日の有給で一体何があったというのか?
「なんだ、いきなり。お前からそんなこと聞くなんて。どうした?」
健永は驚きのあまり思ったままの疑問を口にする。
「いえ、元々あの事件のは第一発見者は自分ですしそりゃ気になりますよ。それに殺人鬼をいつまでも野放しにしてれば住民も不安じゃないですか?自分に出来ること何かないでしょうか。」
その回答は警察官としてはとても正しいものだったが今まで伸之の人間性を見てきた健永からすれば違和感しかないものだった。
結局その日は事件に大きな進展はなく、伸之は任された仕事をまず全うしろと伝えると不満そうな顔をしながらも日常業務へ戻っていった。
それが今から7ヶ月ほど前のこと。
未だに伸之は事件の進展を毎日のように聞いてくる。
ただ毎日聞いてくるだけなら面倒なだけだったが、あの日以降伸之は仕事に対する姿勢も変わってきた。
いつも任された仕事をタラタラと行い勤務時間を過ごしていた彼が今は素早く仕事をこなすようになり、空いた時間で例の殺人事件を調べるようになっていた。
そしてあれだけ嫌がっていた地域の巡回も積極的に行うようになった。
コレらの変化、もちろん真面目になったのはいい変化だがこうも変わるとやはり疑問は湧く。
その答えが見えてきたのは季節が冬になり年の終わりが近づいた頃だった。
「すみません、健永さん。今度の25日休みいただいてもいいでしょうか?」
その申し出に健永はすぐに渋い顔になる。
警察官といえどもちろん休日はある。
休むことは働く者に与えられた当然の権利である。
とはいえ年末年始は様々なイベントがある為大勢の人が街に溢れる。
人が集まればその分問題も発生しやすい。
クリスマスなどその際たるもの。
そんな日に休みをもらおうとするそれが警察官としての自意識の低さを示すものだということは流石に伸之も理解できているはずなのだが。
何故そのようなことが言えるのか、久しぶりに健永は伸之に対し怒りを覚える。
と同時に疑問の解消も出来た。
わざわざクリスマスに休みをもらおうとする独身男の理由なんて一つだ。
「なんだ、女か?」
その指摘に伸之は言葉を詰まらせる。
明らかな動揺、それは答えを言っているようなものだった。
なるほど最近妙にやる気に溢れていたのは女が原因だったわけか、そう納得する。
健永はため息を吐きたい思いを必死で抑える。
そんな健永を不安そうに見る伸之。
そも伺うような視線が既に鬱陶しかった。
「好きに休め。全く気楽なもんだ」
結局突き放すように彼の休みを許可し当時は健永が代わりに見回りを行うこととなった。
そしてクリスマス当日。
予想通り人が群がる街並みの中、健永は本当に偶然、伸之を見つけた。
人が必死に働く中、呑気にカフェで談笑している伸之の相手は予想に反して男だった。
毎年のことだがクリスマスの街並みはとても華やかで制服姿の中年が歩く姿はひどく浮いてしまう。
おまけに普通に歩くのも困難なほどの人の量、まだ巡回を始めてさほど時間は経ってないはずだが既に健永は酷い疲労感を感じていた。
一息つこうと人混みから離れ、自販機でコーヒーを買おうとしたところで目の前の喫茶店で談笑している伸之をたまたま見つけた。
全面ガラス張りのいかにも若者たちが集まりそうなオシャレ店内。
綺麗な服装をした若い男女がコーヒーを飲む姿はそれだけで店内の優雅な雰囲気が漂ってくる。
人を選びそうなその店に世間知らずの伸之が溶け込めるわけもなく、その姿はやはり傍目から見ても浮いていた。
本人もその自覚はあるのだろう、妙に縮こまり時たま自分の服装を気にするような素振りを見せる。
同席の男は誰だろうか?
ついつい刑事の癖で柱の影に隠れて2人の様子を伺ってしまう。
相手は若い男だった。
恐れくは二十代前半、スーツ姿の似合う同性の健永から見ても実に男前な人物だった。
2人はコーヒーを飲みながら何やら楽しそうに談笑をしているように見える。
友達だろうか?
クリスマスに男同士でお茶会とは、確かにコレが有給の理由なら恥ずかしくて女を理由にするのもわかると健永は勝手に納得する。
本来なら部下のプライベート、これ以上監視することなどないのだが、どうも相手の男の顔が健永の脳内に引っかかる。
あの男、どこかで見た覚えがある。
健永は正直言ってあまり記憶力がいい方ではない。
プライベートでは忘れ物や約束を間違えたりするのは日常茶飯事だ。
そんな彼だからせめて仕事の時はしっかりしようと今まで努めてきた。
そんな記憶力の悪い自分の脳内に引っかかるという事はおそらくあの男も何か事件関係で見たことがあるのだろうが、残念ながら今思い出すことはできない。
健永は携帯を取り出し男を隠し撮りする。
わざわざ隠し撮りなんてする必要があるだろうか?
そんな自問自答をしつつも心の引っかかりが気持ち悪く、結局は三枚ほど顔写真を撮ると再び見回りに戻る。
その後はさして問題もなく、職務が終わる。
人混みこそ多かったが殺人事件が起きている影響だろう、イベントも昨年までほど盛り上がっておらず。
クリスマスとは思えないほど早い時間に町は眠りにつき多くの人々は我が家へと帰っていった。
とはいえ警察官の健永が同じように帰宅できる訳はなく彼が家に帰り着いたのは26日の午前3時を過ぎたあたりだった。
約八畳のワンルームのアパート、帰って寝るだけが主のこの部屋に物は極端に少ない。
あるのは寝るための布団にテレビ後は冷蔵庫くらいのものだ。
健永は帰り着くと気力でシャワーを浴び布団へ倒れ込む。
最近巡回は伸之に任せっきりだったせいか今日は疲れが酷い。
本当ならばこのまま寝てしまいたいところだが、昼間の男の顔がどうにも頭をチラつき眠りを阻害する。
結局スマホを開くと蕪木に隠し撮り写真を送って確認をお願いする。
ヤツなら何か重大な事件の関係者なら忘れることなく覚えていると踏んだからだ。
返信を待つ間眠ろうとしたがどうにも目が冴えて眠れず布団の中で何度も寝返りをしなが朝を迎える羽目になる。
蕪木から返信が来たのは朝5時、ようやく夢心地になってきた頃だった。
『これ、神蔵町3丁目の夫婦不審死事件被害者の一人息子だろ?どうしてお前が写真持ってるんだ?』
その返信を見ると同時に健永は布団から飛び起きた。
そうだったと、何であんな大事件を忘れていたのだろうとつくづく己の忘れっぽさに苛立つ。
神蔵町3丁目夫妻殺害事件。
資産家の夫妻が殺害されたこの事件は最初物取りや怨恨説で捜査を進めていたが、なかなか進展が見られなかった。
なかなか進展しない捜査に上層部が怒りを覚え始めた頃、警察署への郵便物に不審なものが混ざり込んでいた。
宛先も送り先もない謎の小包。
何故こんなものが運ばれてきたのか?
誰もが疑問に思いその小包を危険視した。
過去に小包に爆弾を仕掛けるテロ事件が発生したこともあり、警戒心はどうしても強くなってしまう。
だが、いざ包装を紐解いてみると出てきたのは何の変哲もないスマホが一台現れた。
拍子抜け、安堵の空気が署員たちに漂い出すが、念のため調べてみるとこのスマホがとても
重要な証拠品だということが判明する。
持ち主を調べてみると、それが先の神蔵町3丁目夫妻不審死事件の被害者夫のものであることが判明する。
そしてそのスマホから男の不倫の事実が判明したため捜査は大きく進展することとなった。
まず警察が調べたのは浮気相手の女のことだった。
相手は直ぐに判明したが話を聞くことは叶わなかった。
彼女は夫妻不審死事件の数日前に他殺体で発見されていた。
この二つの事件、捜査本部は直ぐに関連性があるとし捜査の結果、不倫相手の殺害は夫妻の妻によるものとし、動機は浮気への怨恨とした。
また夫妻不審死事件はそれを苦にした無理心中と結論し、事件は一応の解決を迎えたのだ。
その結論に当日、健永は納得することができないでいた。
不倫相手の事件は確かにそれで話がまとまる。
問題は夫妻不審死の件だった。
警察の見解は妻が不倫相手を殺害後夫と無理心中を図ったというものだが、どうも違和感を感じる。
まず第一に彼らの家から火が上がっているのだがそれは一体誰がつけたのか?という点。
妻が火をつけたのだとしたらもちろん心中を図る前だろうが、肺にを調べたところ煙を吸った様子が無かったと検死結果が出ている。
また、夫妻は包丁で刺されたことが致命傷となっていたが刺された箇所は首に左胸。
どちらの傷も深さから考えてとても刺された後に動けるような傷ではなかった。
以上の事から当初は火を放った後心中をはかったと考えられていたが、その割に火災の範囲がやけに少なかった。
状況だけで考えるなら刺した後に火を放ったと考える方がしっくりくる状態。
故に彼ら夫妻があの傷の後火を放つ事は難しいので何か外的な要因で火の手が上がったもしくは時限装置的な仕掛けをしておりのちに火の手が上がったそれが捜査本部の最終結論だった。
健永はどうにもその結論に納得がいかない。
人が死んだ現場で都合よく火の手が上がるとは思えない。
わざわざ時限装置で火をつける理由が分からない。
それよりも誰かが夫妻を殺害し、その後に火をつけたという方が不自然ではない。
第二に夫妻の差し傷の向き不自然さがあった。
2人の刺し傷の向きはどちらも同じように下向きから刺されていた。
通常無理心中の場合、殺された側と自殺した側では刺し傷の向きは異なる。
当たり前のことだが人を刺すと自ら刺す事は大きく違う。
角度も覚悟も大きく異なる。
だが2人の傷はとても似通っており躊躇いのような物は全く見られず的確に急所を貫いていた。
この傷跡の事実も健永が心中ではなく殺人事件だと考える理由の一つだ。
だが事件を早く解決へとしたい上層部は両事件を夫妻の妻の起こした殺人と無理心中と結論づけ本事件を解決とした。
そうなってしまったら、もはや健永の力ではどうする事も出来ない。
そのことがずっと心に引っかかっていた。
そしておそらくその思いは健永だけのものではないのだろう。
本事件の正式名称は神蔵町3丁目夫妻心中事件だが健永を含めた幾人かの刑事達はいまだにこの事件を心中事件とは呼ばずに不審死事件としている。
この事件では心中の難を逃れた者がいた、それが夫妻の子供だ。
夫妻が死亡時刻子供は友達と初詣に出掛けていたらしく難を逃れた。
事件の資料で顔を見ただけだった為、指摘されるまで忘れていたが伸之と会っていた男こそがその夫妻の一人息子だった。
何故そんな男と伸之が?
2人の関係は分からないが、何か良くない予感がする。
健永は不安に煽られるように布団から起き上がると朝食も取らずに家を後にした。
情報社会とはよく言ったもので今や世の中の大概のことはネットを使えば調べることができる。
もちろん情報の正確性はピンキリなので自ら選別はしなければならないが、調べるだけなら検索するだけで大量の情報の海に潜ることができる。
それこそ数年前の忘れ去られた殺人事件だろうが中学生が簡単に詳細を知ることができるほどに。
央華に聞いた事件を調べてみた香夜だがネットに記されていた情報はほぼ央華が語った通りだった。
特に央華の話した部分に嘘は見当たらない。
そう話した部分の中では。
央華に見せてもらった資料にも記載されていたがこの事件での死者は2人の男女。
男の方は央華の兄、そして女の方は彼の妹とネット百科辞典には記載されていた。
その記載を不審に思いいろんなサイトを見て回るがどれも同じように記されている。
ここで香夜は首を傾げずにはいられなかった。
央華の兄の妹という事は央華にとっても死んだ女は姉か妹にあたる存在のはずである。
けれど先程の会話の中で央華は兄の事こそ口にしたが女の事については一切口にしていなかった。
これは一体どうゆう事だろうか?
忘れてたなんて事はあり得ないだろう、つまりそこには必ず何か意図があるはずだと香夜は考える。
それが意識的にしろ無意識的にしろ。
そう思い事件をさらに調べていくと、関連項目からまた一つ新たな事件に行き当たった。
それが神蔵町3丁目夫妻心中事件という央華の兄の両親が死亡した事件だった。
事件の記事を見て香夜は大きく驚いた。
まさか両親が無理心中事件を起こしていたとは思わなかったからだ。
央華は自身を養子だと語っていた。
という事はこの事件で亡くなった夫妻が央華の肉親という事だろうか?
同時期に親が亡くなったと言っていたので事故か何かだろうと香夜は想像していたがまさか心中だったとは予想外であった。
けれど予想外でもあり納得も出来た。
愛染時家は香夜の目から見ても実に理想的な家族だ。
経済的にも恵まれた裕福な家庭。
美しく優しい夫妻に同じく美しい子供達。
家族仲はとても良くそれはまさに香夜が憧れた理想の家族像だった。
そんな理想的な家庭の中で央華は少し浮いている様に感じていた。
どこかよそよそしく、家族なのに一歩距離が空いている。
まるで仲の良い家族を見守っている第三者の様、そんな違和感が央華にある事を香夜は感じていた。
それは彼女が養子だからという話を聞きもしかしたら央華なりに実子ではないという事実に劣等感を抱いていたのかもしれないと考えていた香夜だったが、真の理由はこの心中事件だったのだろう。
夫婦心中、その文字を見るだけで香夜の気持ちは重くなる。
両親の死そして兄弟の死、そんな過去が央華にもあった。
それならば自身の兄を殺した犯人を見つけ出したいと思うのは当然だというもの。
それでもやはり香夜は腑に落ちない。
犯人と話したい語った央華、あの瞳に憎しみはなかった。
あるのは悲しみだけ。
央華は犯人に対して哀れみを覚えている?
少なくとも香夜にはそのように感じられた。
単なる直感に過ぎないけれど、もしこの感が当たりだと仮定したらやはりおかしなことになる。
犯人を憎む事はあっても哀れみを覚えることなど本来あるはずがない。
やっぱりどうにも気になってしまう。
別にそこまでして調べる必要はないのだけれど、ここまで調べたんだどうせなら自分で納得できる答えを見つけたくなった香夜はさらに事件について深く調べていくのだった。
何か目標ができた時こそ人は己の無力さを知る。
コレは高校時代の学友が伸之に残した言葉だった。
当時その彼女は美術部に所属しており、才能があったのだろう全国コンクリートへ絵画を出すほど学校から期待されていた。
しかし結果は見事に落選。
今できる全力でその絵を完成させた彼女はひどく落ち込み先のセリフを口にした。
伸之は昔から何かに打ち込めるような情熱を宿した事がなかった。
だからこそ悲しみに暮れる彼女のその言葉は心に響かなかったし、正直どうでもよかった。
その後も伸之は何かに打ち込むこともなく社会人となり警察官となった。
世間的には正義とされる警察、その立場に立った伸之だがそこでも情熱は燃えない。
市民を守る使命感も悪を憎む正義感も彼とは無縁だった。
芯のない空っぽな人生、きっと自分はそのままなんとなく生きて人生を終えていくものだと彼自身が思っていた。
そんな彼の胸の内に火が灯ったのは去年の夏、ある少女との出会いだった。
美しい少女だった。
まさに絶世の美女といってもいいほど全てが可憐だった。
伸之は一眼見た時からその少女に心奪われてしまった。
初めて他人に対して大きく心揺さぶられた。
縁あって親交を結べた時、伸之は生まれて初めて神に感謝した。
そんな彼女のためにも町で起きている連続殺人事件は解決しないとならない伸之は警察官になって初めて犯人逮捕に躍起になった。
殺人鬼が街にいる。
もしかしたら彼女がその犠牲になるかもしれない、そう考えるといてもたってもいられなかった。
この半年、伸之はこれまでない努力で事件を調べてきた。
けれど努力すれば何事も結果を得れる、そんな事はないと伸之は事件を追う中でつくづく思い知った。
どれだけ伸之が犯人を追おうともその痕跡は全く掴めない。
むしろそれを嘲笑うかのように殺人は続く。
犯人逮捕という目的は伸之はもちろん警察誰もが成し遂げれない。
目的ができた故の挫折、それを経験した伸之は先の高校時代の友人言葉を今になって実感していた。
何も成し遂げれない己の無力さを呪った。
先日、彼女の兄ハバトに事件はいつ解決するかと聞かれた際は何と言えばいいか伸之は酷く動揺した。
そんな動揺が漏れたのだろうハバトは少し残念そうに笑った。
「そうか、まだ何も分かっていないんだね」
まるで残念がる己の表情を隠すかのように紅茶を口に運ぶハバトに伸之は申し訳なく顔を伏せる。
ハバトと出会った夏のあの日からすでに半年近く経ったが事件についてはあの頃と何も変わらず分かっていない。
それは伸之に限ったことではない、警察が総力を上げ捜査をしているが未だに犯人の足取りは掴めていない。
それなのに事件は未だ続き犠牲者は着実に増えている、それは一市民のハバトからすれば警察への不信感へとつながるものだろう。
頼りないと思われているかもしれない。
もしハバトのみならず彼女にもそう思われているのだとしたら、そんな想像をすると伸之は消えれなくなりたいほど己が情けなく思えてしまう。
「すまないね、伸之くん。君だって必死だろうにこんなこと尋ねてしまって。けれど自分の住む町で殺人が起きているその事実を前にするとどうしても不安になってしまうんだよ」
カップを置くと今度はハバトが申し訳なさそうに謝罪をしてきた。
「そんな、なぜハバトさんが謝るんですか?謝らないといけないのはこちらです。事件が起きてからいくつも月日が流れているのに未だに犯人を捕まえれず、被害者もさらに増やしてしまっている。本当に不甲斐ないです」
伸之の気持ち的には土下座くらいして謝罪したいところだがここはあいにくお店、そのような事をすればハバトまで変な目で見られると今は頭を下げるだけに自重する。
「警察が頑張ってくれているのは君を見ればわかるよ。それでも捕まらないならこの犯人はよっぽど狡猾なんだろうね」
狡猾、たしかにこの犯人は狡猾なのだろう。
でなければこうまで捕まらない通りがない。
そこでふと伸之は思う犯人は一体どういった人物なのだろうと?
「意外と犯人は近くにいたりしてね」
ハバトはスッと伸之を見据える。
その視線は何かを訴えている様にも感じられる。
もしかして彼は何か事件について気づいたことがあるのだろうか?
「伸之くんも気をつけなよ。警察だから仕方ないかもしれないが無茶はしないでくれ。友人として君が心配だ」
それは友人の無事を祈っての言葉だったのだろう、けれどこの時伸之は思ってもいなかったハバトのその言葉が現実になりつつある事を。
「妹さん元気にしてます?」
ハバトと店で落ち合ってから実に1時間ほど経ってから伸之は本命の話題に移った。
勿論今までの話も重要なことではあるが伸之にとっては事件よりも彼女のことが何よりも優先事項であった。
そもそも伸之が事件を気にするようになったのは彼女の存在があってからこそだ。
彼女がいたから自分は変われたそう思うほどに伸之にとっては運命の人だった。
「ああ、相変わらずって言ったところだね。事件のことはやっぱり気にしてるみたいだ。僕が伸之くんに聞いた話をすると少し安心した様子を見せてるよ」
その言葉に伸之は少し安堵する。
何も成果を成せていない自分だが、彼女を少しでも安心させることができているなら良かったと。
「あの、ハバトさん。コレなんですが妹さんに渡してもらえないでしょうか?」
そう言い伸之は自身のバックから握り拳程の包装された包箱を取り出す。
「もしかしてクリスマスプレゼントかい?」
微笑ましいものでもみたようにハバトは優しく伸之に尋ねる。
「まぁそうです」
色恋沙汰なんて今まで経験したことのなかった伸之にはこうして自分の気持ちを素直に認めるのはどうにも気恥ずかしい。
だから答える時ついつい顔を逸らしまった。
故に気づけなかったのだ、その時ハバトが悲しそうに伸之を見つめている事に。
「それでなんですがハバトさん。申し訳ないんですがコレ、妹さんに渡してはもらえないでしょうか?」
オズオズとハバトの方へとプレゼントを差し出す伸之に首を傾げる。
「おや、自分で渡せばいいじゃないか。なぜ僕に?」
「いや、直接なんてそんな!自分なんかが、そんな時間を取らせるわけにはいかないです」
本当は真正面からプレゼントなど気恥ずかしくてできないので兄のハバトを通して渡してもらえればと考えていた伸之は予想外の言葉にひどく動揺してしまう。
そんな伸之の内心などお見通しだという様にハバトは諭す様な口調で語りかけてくる。
「伸之くん、こういった品は自身の手で渡した方が気持ちが伝わるものだよ。大丈夫、妹は決して邪険になどしないさ。むしろ自分の手で渡さない方が失礼だと僕は思うね」
「そういうものでしょうか?」
「そうゆうものだよ。じゃあ行こうか」
荷物をまとめ席を立つハバトにつられる様に伸之もついつい立ち上がってしまう。
「どこに行くんです?」
「もちろん僕の家さ。妹に今から渡しに行こう!」
「マジですか?」
楽しそうなハバトに対して伸之の表情は曇る。
なにぶん急なことでまだ心の準備ができていないからだ。
そのまるで学生の様な初々しさに笑いそうになるのをハバトはどうにか我慢する。
「今日渡さなきゃ意味ないだろ?さぁ、行くよ」
結局は強引に押し切られる形で2人はハバト邸へと向かうのだった。
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