第4話
月日の巡りとは早いものだとこの歳になるとより実感してしまう。
一峰は悴んだ手で日めくりカレンダーを破る。
気づけば年が明けはや一月。
愛染時家で新年を迎えたのがつい先日のようだ。
一峰は無論愛染時家の人間ではないのだが、香夜たってのお願いで一緒に年越しをする事になった。
どうもあの家は香夜に甘い気がしてならない。
とはいえ香夜も本来なら例年通り友達と神社で年を越す予定だったのだが街で起きている連続殺人への警戒でそれも取り消しにされてしまった。
当然の処置とはいえ、本人の預かり知らぬ所で予定が狂うのは不憫だと一峰も思う。
そういった事情も考慮して愛染時家のお招きに参加したのだが、あの時の一峰が訪れた時の香夜の笑顔を思い起こすとその選択は間違いでは無かったと言えるだろう。
香夜も今のうちにハメを外したいはずだろう、もうひと月もすれば冬は終わり春が始まる。
一峰とは無縁の話だが学生たちは新生活迎える。
彼の身直でいえば羽馬斗や央華、香夜が当てはまる。
特に香夜は有名私立高校への特待生での進学を目指している、この一年が勝負だろう。
なんでも将来は医大に行きたいと考えているらしい。
なぜ彼女が医大を目指しているのか?
それは医者である一峰に少しでも近づきたいという思いからではあるのだが、その事を知らないのは恐らく一峰だけであろう。
香夜が目指すのは特待生、それも首席である。
理由は首席の特典を手にする為。
香夜が目指す高校は鏡川学園といい全国でも有数の名門高校。
その学園は生徒が望む各分野への専門講師を用意してくれあらゆる知識を提供してくれる。
この学園に通った時点で夢は叶う、そう豪語されるほどに夢を持つ少年少女は全国からこの学園を目指す。
無論そんな学園であるから学費は異様に高く一市民が通う事など出来ない選ばれたエリートのみが通うことが出来る。
この学園に香夜が通いたがっている事を知った愛染時泰輝は学費は援助すると申し出たが香夜本人が断りを入れた。
自分で選んだ道なのだから、学費も自分でどうにかするには筋だと。
その心意気は大変立派だが、心意気ではお金は賄えない。
その解決方法が学園の首席入学だった。
特進科首席その地位に着いた生徒は学費や寮での生活費その他あらゆる金銭面を学園が免除してくれるという。
香夜が狙っているのはそこだ。
鏡川学園の首席となれば生半可な努力で取れるものではない。
取り寄せた参考資料を机に並べ見てみる一峰だがその難しさに驚く。
これが日本最難関の学園のレベルかと舌を巻いてしまう。
流石に全く理解できないなんてことはないが、コレを分かりやすく解説しろと言われるといささか不安になる。
時計を見ると時刻はもうそろそろ午前10時、約束の時刻になろうとしている。
何もないのは味気ないとコーヒーでも作ろうとしたところでインターホンが鳴った。
「先生!こんにちわ!」
元気な挨拶をしてニコニコ微笑む香夜はほっぺを紅色に染めて口元を覆うほどマフラーを巻き付けていた。
玄関扉を開けたことで初めて一峰は気づいたが、昨夜は雪が降ったのか道路や家の屋根がほんのりと雪化粧をしていた。
外気はとても冷たく、突き刺さる様な冷気に一峰は身震いをしそうになった。
「雪が降ったのか。寒かったろ、ちょうどコーヒーを淹れたところだ中で飲もう」
「流石先生!用意良いね!じゃあお邪魔します!」
温かい飲み物が飲める冷え切った体にこれほど嬉しいことはないと香夜はぴょんぴょんと跳ねながら家の中へ入って行く。
彼女が跳ねるたびに背中に軽った大きなリュックがボンボンと揺れた。
「重そうだね。随分と物が入ってるみたいだ」
「うん、色々教えて貰おうと思って持って来れる分は全部持ってきた!」
香夜からリュックを受け取るとズンとボーリング玉でも入ってるかと思う程の重みが伝わってきた。
コレを背負ってここまできたのか?
その重さに一峰は少し驚く。
確かに少し背負うだけなら大した重さではないだろうが、愛染時邸から一峰の家まで徒歩で20分ほど。
今日は雪だったようなので移動にはさらに時間がかかっただろう。
雪はまだ降っているのか、香夜の髪はわずかに濡れていた。
「部屋に暖房が入ってる先に行ってなさい」
一峰がそう促すと凍えた体を癒したいのだろう香夜は急足で部屋の奥へと消えていった。
一峰はタオルを取ろうと洗面所へ向かったところで鏡に映る自分が酷くみすぼらしい姿をしている事に目がいった。
無精髭は伸び目元の皺も最近気になるほど深くなってきている。
まるで枯れ木のように自身が萎びてきているのが自覚できる。
それに比べて先程の香夜はどうだろうか?
まるで若葉のように生命力に満ち溢れ輝かしい未来に向かって生きている。
自身とはまるで正反対、それなのになぜあの子はこんなおじさんをこうも慕ってくれるのか?
最近、彼女の事をどう思っているのか自分でもわからなくなる。
親愛の気持ちはある。
けれどそれは決して恋ではない。
間違ってもそんな感情を持つべきではないことは一峰は承知していた。
現実的な問題だ。
一峰と香夜の間には年齢という圧倒的な壁があるのだから。
リビングに戻ると香夜は机に散乱している参考書を眺めていた。
「先生、ちゃんと勉強してくれてたんだ」
嬉しそうに笑う香夜に一峰は当然だと頷く。
「人にものを教える立場のヤツがわからないんじゃ意味無いからね。君の勉強を見ると決まった時から取り寄せて予習したんだよ」
正直勉強なんて何十年ぶりのことなので最初は彼女の勉強を引き受けた事を一峰はひどく後悔した。
それでも、孫娘を思ってだろう針河老人にああも頭を下げられると断ることは出来ない。
ただ針河老人もなかなかに大胆な男だと一峰は思う。
仮にも孫娘の想い人と二人っきりにするなんて。
それだけ信頼されているのか?
それとも中学生と中年男性何かあるはずがないと常識的に考えているのか?
どたらにせよ、同じ立場なら自分は無理だと一峰は考える。
そもそも年頃の女の子を赤の他人の男と二人っきりという事があり得ないと考えてしまう。
娘どころか家族もいないのにそんな事を考えるのは愛染時家と長い間擬似家族の関係を続けていた影響だろう。
一峰がありえない父親の気持ちを考えてしまうのは。
「先生、真面目だね。それに優しい、だから好き」
恥ずかしさなんて全くなく真剣な顔で愛を告白する香夜を一峰はあえて受け流す。
「良いから早く体を拭きなさい、風邪ひいてしまうよ」
真っ白なタオルを頭に被せると身体を温めるためにコーヒーを運んでくる。
「香夜くんは砂糖かミルク入れるかい?」
「んーじゃあミルク入れて!」
渡されたタオルで湿った髪を拭きながら香夜が答える。
その後場所をキッチンの長テーブルに移しコーヒーを飲みながら勉強を進めていくが流石首席を目指すと豪語するだけあり、香夜は一峰の想像を超えて勉強ができた。
それこそ一峰の存在が不要だと思うほどに。
「コレだけできるのなら僕は必要ないんじゃないのか?」
そうぼやくと香夜は首を振る。
「一人じゃ限界が出るかもしれないもの、やっぱり教えてくれる人がいる方が心強いもん」
「なら家にハバト君や央華君がいるじゃないか、彼らなら現役だし僕より役に立つだろうに」
ハバトや央華も通う学園こそ鏡川学園ではないが二人とも有名私立に通っていた。
それこそ学力で言えば鏡川学園にも一発合格出来るほどに優秀な成績を誇っている。
二人なら家庭教師としても申し分ないだろう。
もちろんそれができるならそれが一番だったろう、香夜とて選択肢としてはあった、けれど上手くいかなかったのだ。
「無理だよ。ハバトさんは大学の勉強とか忙しそうだし、央華ちゃんはなんか最近コソコソなんかしてる」
「コソコソ?」
そういえばと一峰も正月の央華の様子を思い出す。
あの時彼女は食事など最低限皆んなが集まる時以外は部屋にこもって何かを調べているようだった。
あの時は勉強でもしているのかと思っていたが、もしかしたそうでないのかもしれないここに来て一峰はそう考える。
「央華くんが何をしているかわかるかい?」
「多分、祈り連続殺人について調べてる」
その答えに一峰はズンと心に重い物がのしかかったような気がした。
祈り連続殺人それは今この町で起きている殺人事件の通称。
誰が呼び出したのか?
殺人が続くにつれてネットを中心にこの事件はそう呼ばれ出した。
名称の由来は被害者達の共通した死に様だった。
年齢性別、被害者同士の関係も見当たらないこの事件で唯一の繋がりが両手を縛る拘束物、そして殺害方法が共通して首の骨を折るという特殊な方法だという事だった。
縛られた両手はまるで祈りを捧げるかのように手を組んだ状態で胸元に添えられていた。
その様が世間に広がるといつしか人々はこの事件を祈り殺人事件と呼ぶようになりマスコミ達もこの通称を使用するようになった。
「央華ちゃんがなんでこんな事件調べてるか先生わかる?」
香夜がこの事を不思議に思うのも仕方がない。
もとより央華はこういった事件に興味を持つような性格ではない。
央華の興味は基本家族だけ。
もとより彼女の世界は殆どがあの愛染時家で完結してしまっている。
故に外の世界への興味はあってもそこに執着するべき物などない。
そんな彼女が一つの事件を自らの時間を削って調べている。
それが香夜には妙に感じてしまった。
最初は自分の住む町で起きている事件だから気になったその程度に考えていた。
世間的にも注目されている事件、テレビなどは基本見ない央華でも新聞は読む、それで事件を知った、そこまでなら理解できた。
でも部屋に引きこもってまで、そこまで何か一つのことに拘る央華を香夜は初めて見た。
おそらくそれは他の家族も同じなのだろう。
部屋に引き篭もる央華を皆が心配していた。
それで香夜も確信したやはり今の央華の行動は家族の目から見ても奇妙のものなんだと。
でも誰もがその理由がわからなかった。
「先生は心当たりない?央華ちゃんがこの殺人事件を気にするわけ?」
再度同じ事を問う香夜に一峰は首を捻る。
「さてね。僕が思い当たる事はないよ。央華くんだって事件に興味を持つ事だってあるだろう。央華くんの事より君はまず自分のことを気にかけなさい」
一峰がそう促すと香夜はふふっと笑う。
「先生って話題変えるの下手だね」
一峰の言葉をいったいどう捉えたのか?
香夜はそう呟くと再びノートと向き合った。
そんな彼女の言葉から目を逸らすように一峰も参考書に目を落としたのだった。
勉強会のお開きは午後四時までに及んだ。
10時から数えて丸々6時間、途中休憩を挟んだがこれほどの時間学習に取り組んだのは一峰は久方ぶりの事で異様に疲れを今はソファーに倒れ込んでいる。
部屋に香夜の姿はない。
あるのは彼女が勉強のお礼として作って帰ったカレーだけ。
やけに重いと思っていた荷物だったがどうやら中身には勉強道具の他にいろいろな食材が入っていた様だった。
晩御飯作ってあげると豪語していた割に結局まともに作れたのはチキンカレーだけだったというのは可愛い事だと一峰は笑ってしまう。
一峰が疲れているのに気づいたのだろう香夜カレーを作ると早々に帰っていった。
ちなみに味付けは少々辛かったので次回は甘口でお願いしようと考えていた。
食器を片付けた後彼はソファーに寝っ転がりスマホを眺めている。
見ているのは事件の記事。
それは今回の連続殺人のものではない。
今から11年前のとある夫婦の殺人事件。
地方の資産家夫婦が殺害されたこの事件、普段の一峰なら聞き逃すニュースだったろうが亡くなったのが知人ならば話は別だ。
知人といっても夫妻とはそれほど親しくはなかった、せいぜい顔見知り程度だ。
世話になったのは夫人の実の兄、彼の元で一峰は医学を学んだ。
その彼は事件の数年前に残念ながら亡くなってしまったのだが、その後の家族の行く末は心のどこかで気になっていた。
まさかその結末をこのような形で知ることのなるとは思いもしなかった。
夫妻殺害、家は全焼。
記事の見出しにはそう記されていた。
夫妻は自宅のリビングで折り重なる様に倒れていたという。
火事が起きた割には遺体の損傷は少なく首に残った刺し傷そして血に塗れた包丁が遺体のそばに転がっていたことから死因は刺殺だと判断された。
また検死の結果、火は彼らの死後放たれたことが判明している。
不幸中の幸いだったには彼らの家が住宅街から離れていた為、火事が広がらなかったことと彼らの子供は外出していた為無事だったと言う事だろう。
夫婦を殺害したには誰か?
調査を進めるうち警察は一つの答えを導き出す。
警察が注目したのはこの事件より3日前に隣町で発生したもう一つの殺人事件。
阿久堂一果という二十歳の女性が自宅で殺害された。
被害者は全身滅多刺しで特に顔と腹部は十箇所以上刺し傷があった事から動機は怨恨と考えられた。
二つの事件は最初全くの無関係だと思われたが、阿久堂一果の傷口と夫妻殺害に使われた包丁の形状が一致した事でマスコミはこれを連続殺人か?と騒ぎ立てたが、それを警察は否定した。
それは捜査を進めていくうちに被害者同士の繋がりが判明した為だった。
夫妻の夫と阿久堂一果は不倫関係にあり、阿久堂は男との間に子供まで儲けていた事が判明する。
動機が見えたら後のストーリーは簡単なものだった。
阿久堂一果を殺害したのは夫妻の妻だろう。
夫の浮気を知った妻は激情の赴くまま不倫相手の家へ向かい、彼女を殺害した。
顔を滅多刺しにしたのは夫を誑かしたその美貌が憎かったからだろう。
腹部を刺したのは、これも後々に判明したことらしいが夫妻の間には子供が一人いたのだが夫人はその子を産んだ際、もう子供を望むことができない体になったらしい。
夫人は周囲によく子供は絶対女の子が良いと話していたという。
可愛い我が子に可愛い服を着せ一緒にオシャレをするのが憧れだと夢見る少女の様に語っていたらしい。
しかし二人の間に生まれた子は男児であり夫人は二度と子が産めなくなってしまった。
周囲は夫人を励ましたらしいが、その絶望は目に見えて明らかだったという。
家に引き篭もり些細なことでヒステリーを起こしたそうだ。
一時は養子を迎え入れたことで精神状態が安定したそうだがそれも長くは続かなかった。
夫人にとって一番の不幸は夫が浮気をしたことではなく浮気相手が身篭りあまつさえその子供が女児だったというところだろう。
自身が手に入れられなかった望みを浮気相手の女が手に入れた、その時の夫人の怒りは凄まじいものだったろう。
おそらくは、腹部の刺し傷は命を狙ったものではなく子供を二度と産ませないために刺したものだったのかもしれない。
その後夫人は夫とともに無理心中をした、これが警察の見解であり一峰もおおよそそれで間違いないものだと思っていた。
事件が再び動いたのはその3年後、今から8年前夫妻の一人息子が何者かに殺害された。
央華の常々疑問を胸に抱え日々を過ごしてきた。
それは自分自身の存在意義だ。
自分が異様だと気づいたのはいつだったろうか?
おそらくそれは子供の頃に行ったキャンプ場での出来事。
古い記憶であまり詳細な事はもう覚えていない央華だったがそれでも血まみれの自分を覗き込む家族の顔は今でも覚えている。
傷とは央華にとって治るものであり治らない傷なんて無いものだと思っていた。
今でこそ知識でなら治らない傷があることも怪我で人が死ぬのも理解できるが実感は未だ伴わない。
いや実感できることなどないのかもしれない。
何故なら央華は今だ治らない傷というものを経験できないでいるからだ。
傷を治すそんな事は生物のとって当然とも言える機能の一つでしかない。
自然治癒力は生命が生きていく上では欠かせない能力の一つ、ただ央華はそれが異常な程早かった。
崖から落ちた際の骨折や打撲、切り傷すら瞬時に治ってしまうほど異様な治癒力それは再生力といった方が正しいのかもしれない。
この力を家族が知った時、家族の皆は央華に決してこの力は他人に知られてはいけないと念を押し、そのことが知られる恐れを僅かでも少なくする為彼女を屋敷に閉じ込めた。
あの夏のキャンプの日より愛染時の屋敷が彼女の世界へすり替わってしまった。
その事で央華が家族を恨んだ事はない。
こんな力人に知られたらまずいという事は理解できるし、外に出られない央華に家族の皆はできる限りの配慮を施してくれている。
悪意があって閉じ込めているわけじゃないそれが理解できたから央華は家族を愛し続けることができ、家族に愛されていると実感できた。
だからこそ申し訳なく思ってしまったのだ。
自分の様な化け物のせいで家族に負担をかけてしまっているその事実を。
人ではなく、家に閉じこもり、社会にも貢献できないでいるそんな自分は一体何のために存在しておるのだろう?
この先の未来を考えるほどに央華の心は深く沈んでいく。
恐らくはこの体質を治す事はもう無理だと央華は半ば諦めている。
ならばこの先どう生きれば良いのか?
その疑問はいやでも頭に湧いてくる。
体質を隠して社会に出る?
それも手の一つだと思う。
大怪我なんてそうそうするものではない気をつければ社会に出ても問題なく日常を送ることができるだろう。
それは家族を含め央華も考えている事だ。
でも本当に問題はそれだけだろうか?
自室のベッドで横になっていた央華は右手を掲げぼんやりと眺める。
つい1時間ほど前、定例の検診を受け採決されたその手はもう傷もなければ痛みもない。
そんな事は央華の再生力を持ってすれば当たり前の事である。
担当医の東洞先生も健康面は全く問題ないと断言するほどに央華の身体は生命力に満ち溢れているらしい。
そのことが最近は不安で仕方がない。
東洞先生が嘘をついていると疑っている訳ではない。
そんな嘘あの先生がつかないことを央華はちゃんと知っている。
不安なのは先生の言葉が本当だからこそだった。
人の域を超えた異常な再生能力、当たり前だがそんな自然の摂理に反した事が起きれば当然体にも負荷がかかる。
仮定の話だが央華の様な常識から外れた再生能力が通常の人間で起きてしまったらどうなるのか?
その答えを東洞一峰は以前央華に語ってくれた。
『死ぬだろうね』
一峰は間髪入れずそう答えた。
『君の様な急激な肉体の変化細胞分裂に人の体は耐えきれない。まず間違いなく肉体の回復を待たずしてその人間は死ぬだろう』
それが一峰の答えだった。
そしてその答えに央華も異論はなかった。
同時にやはり自分は人間じゃないんだと改めて理解し、同時に新たな不安が生まれた。
普通なら死んでしまう肉体の変化に耐え切れる自分は果たして死ぬことがあるのだろうかと?
もしかしてこのまま一生生き続けるそんな事にならないだろうか?
生まれてこの方病気になった覚えはなく怪我もすぐに回復する自分は果たして死ぬことが出来るのかと?
死ではなく生に央華が初めて恐怖したのは中学一年になったばかりの頃だった。
コンコンと部屋の扉をノックされる音で央華は目が覚めた。
硬い机の感触を頬で感じ体を起こす。
どうやら資料を漁っているうちにうたた寝してしまったらしく、しわくちゃになった紙を枕に央華は勉強机で眠りこけてしまっていた。
だらしない。
そう自身に一喝を浴びせ散乱していた資料をクリアファイルに仕舞うと、来客を迎え入れるため自室のドアを開く。
「どうかしたの?」
扉の向こうにいたのは香夜だった。
お風呂に入ったあとなのだろう可愛らしいピンクのパジャマを着ている。
「最近話してないから、お話しいたくて。ダメ?」
首を傾げ尋ねてくる香夜、そんな潤んだ目で尋ねられて断る事も出来ない央華は渋々彼女を部屋へ入れる。
正直言って香夜を自室に入れるのは躊躇われた。
それは央華が彼女のことが嫌いだとかそういった理由ではない。
他の家族と同じ様に香夜の事も央華は大切思っている。
ただ他の家族と違うのは香夜だけが央華の体質のことを知らないという点。
もちろんソレも普通に過ごせばバレるはずのない事なのだけれど、香夜はやけに感の鋭いところがある。
めざといというのか?
よく細かいことに気づく。
気を抜けば秘密の体質もバレるかもしれない、そんな思いが香夜に対して央華に妙な緊張感を与えてしまっていた。
現に今も部屋に入った香夜はあたりを何かを探すかの様にキョロキョロと見渡していた。
「央華ちゃん、疲れてるなら早く寝たほうがいいよ。机でうたた寝なんてらしくない」
「やだ、やっぱりわかる?」
さっと身なりを整えようとする央華を香夜は呆れ顔で見つめる。
「片方のほっぺが赤い、髪が少し乱れてる、ソレに机が温かい。それで机で寝落ちしてたことくらい分かるよ。あと資料もちゃんと片付けた方がいいよ、ファイルから少しはみ出してる」
そう指摘され目を向けて見ると確かに机の棚にしまったファイルが傾きさらに隙間から紙がはみ出していた。
普段央華の周りが整理整頓されているだけにこういった小さなことが香夜の目には大きな不自然として目に映るのだろう。
「央華ちゃん、調べ物は進んでる?」
香夜がはみ出したファイルを見つめ尋ねた。
自身が調べ物をしている事はとっくに家族にもバレている事は分かっていた央華は元々用意してた答えを口にする。
「私も閉じこもってばかりじゃいられないからね。そろそろ社会勉強もしないといけないと思って。でも社会は色々複雑ね。なかなか調べても分からないわ」
そう肩をすくめて見せた。
「確かに複雑だねこの事件。ねぇ、央華ちゃんはこの事件社会勉強のために調べてるの?」
「えっ?」
予期せぬ返に央華は言葉が詰まってしまった。
調べ物をしている事はバレていると思っていた。
というより隠そうとしていなかった。
けれどまさかなにを調べているかまでバレているとは思わなかった。
それもまさか香夜に知られるなんて、驚きを通り越して央華はむしろその洞察力に感心してしまう程だった。
一体どういった経緯でバレたのだろう?
何か不手際があったのだろう。
「まさかそこまでバレてるなんてね。何でわかったの?」
「目線かな」
愛染時家は豪邸である。
それは周知の事実だが、意外な事にこの屋敷にはテレビはダイニングの一台しかない。
それは当主の教育方針であり、見れる番組もニュース番組のみとされている。
場所がダイニングという事もあり誰かがニュースを見ていると皆もそのニュースが目に入る。
大体テレビを見るのは当主の泰輝はあるのだがその時、ニュースの内容が祈り殺人事件になった時だけ央華の視線が毎回テレビに向いていたと香夜は言う。
「それだけの事でよく疑たわね」
「央華ちゃんが普段テレビなんて気にしない人だから余計気になったんだよ」
そう央華は普段テレビを一切見ない。
テレビがついていても目を向けもしない。
情報を得るなら新聞で十分だとかつて語っていたのを香夜も聞いたことがあった。
そんな央華がテレビに食いつく姿が香夜には異様に見えたのだ。
「央華ちゃん。央華ちゃんが事件を単に趣味で調べてるだけならなにも言わない。でも、もし本気で調べているならやめて」
香夜の言いたい事は央華も理解できる。
現実にこの町で起きている殺人事件、単にニュースで見る程度なら何の問題もないだろう。
けれで深追いしすぎたら思わぬ災難に巻き込まれるかもしれない。
香夜が心配するのも当然だろう。
そんな香夜をどう納得させようか?
央華は考えを巡らせる。
「香夜、座って話しましょ」
央華は先に自らのベッドに腰を下ろし香夜にもそうするように促す。
香夜も素直に横へ座ってきた。
2歳しか変わらない二人だが並ぶと香夜の方が頭一つ分ほど低い。
香夜は上目遣いで央華を伺うが彼女は視線は今は暗闇に包まれた外界を写す窓へ向いたまま動かない。
「なにから話そうか」
そう呟くと央華はしばらく無言となる。
その沈黙に水をささないよう香夜も黙って央華の返答を待つ。
コチコチと壁にかけられた振り子時計その心地良い音を聞きながら香夜は振り子の動きを目で追う。
振り子時計なんて見るのは初めての香夜にはその動きは物珍しい。
漆の塗られた時計は遠目でもずいぶん年季が入っているのが分かる。
鉄製の針の部分は至る所錆びているようで漆も所々剥がれている。
どう考えても最近買った物ではない。
中古だとしたらあり得るだろうが、そもそも外に出ない央華がわざわざこんなもの注文するとも考えにくい。
だとしたら他に考えられるのは。
香夜が考えを巡らしている間に央華の方は考えがまとまり、そこで神妙な顔で時計を見つめている香夜に気づいた。
「気になるかしら、その時計?」
「ずいぶん古いなって。これ多分貰い物だよね?央華ちゃんが買うとは思えないし。古い割に埃ひとつない、大事にしてるのが見て取れるのに所々痛んでる。誰かから譲り受けたんでしょ?」
その指摘に央華は頷く。
「パパのね。もう捨てるしかなかったものを私が頂いたのよ。腕時計もあったのだけれど、それはお兄ちゃんが持って行ったの」
無意識なのだろうか?
央華の家族の呼び方がいつもと違った。
彼女はいつも父のことは父さん。
兄のことは兄さんと呼んでいる。
少なくとも香夜はこれまで央華がパパ、お兄ちゃんと二人を呼んでいるのは聞いたことがなかった。
無意識に呼び方が変わるなんてあるだろうか?
不自然だと香夜は首を傾げる。
「パパだなんてずいぶん可愛い言い方。それって本当に泰輝さんの事言ってる?どうもわざと変えてる気がするんだけど」
「あっやっぱり香夜には分かる?」
バレたか、そう言うかのようにまるでちょっとした悪戯を見破られたかのように央華は笑って見せた。
「へぇ。もしかして教えられてなかったのは私だけ?」
それは十分あり得る話だと香夜は言いつつ思う。
兄の羽馬斗、父の泰輝、母の恵麻が知らないということはないだろう。
長年、愛染時家に仕えている祖父と先生も知ってると考えて間違いないと香夜は思う。
唯一、メイドの三佐川だけが彼女は愛染時家で一番の新参者なので知らなくても致し方がないだろう。
「三佐川さんも知らないわ。ごめんね隠していたわけじゃなかったのだけど」
「まぁいちいち言うことでもないね」
香夜がそう央華思いを代弁する。
「そうね。今の両親は血縁的には叔父叔母にあたるの。父さんの妹が私の産みの母。実の親が同時期に亡くなって、父さんたちが私を引き取ってくれたの」
「じゃあ羽馬斗さんとは」
「ええ、従兄同士って事になるわね。私の本当のお兄ちゃんは別にいるわ」
その告白には流石の香夜も目を丸くする。
央華が養子だということは彼女自身のヒントから予想できたがまさか他に兄弟がいるとは思いもしなかった。
何故ならば、そのような人物これまで香夜が知る限りこの屋敷を訪れたことがなかったからだ。
もちろん香夜とて常に家にいるわけではないのだが、今まで一度もそのような話を聞かなかったというのは不自然さがある。
「お兄さんが、そうなんだ」
「ええ、とはいっても母と入籍する前に出来たパパの隠し子だけどね。南風日和って言うのお兄ちゃんの名前。可愛い名前でしょ」
南風日和、やはり香夜には聞き覚えのない名前だった。
「それで最初の話に戻るけれど。香夜、私は事
件を本気で調べてる。だから申し訳ないけれど調査をやめる気はないわ」
「どうして?」
批難するというよりは純粋に疑問を感じる香夜。
央華がこの事件に執着しているのは分かるがその理由がわからない。
ただ予想は立てられる。
やけに詳しく教えてくれた実の兄の存在。
それが関係しているかもしれないという香夜の考えは直ぐに正解だと判明する。
「お兄ちゃんが、事件の被害者かも知れないのよ」
ベッドから立ち上がった央華はクリアファイルの中からシワシワになった新聞記事を渡してきた。
記事には連続殺人再びと大きく記されている。
火災により民家一棟が全焼、焼け跡から男女の遺体発見。
「この事件の被害者がお兄さんなの?」
香夜が首を傾げながら尋ねる。
「ええ、焼け跡からは見つかった男女の遺体は首の骨を折られたうえ両手を鉄ワイヤーで縛られていた。犯人は間違いなく今この街の事件と同一犯、私は兄のために事件の犯人と会わなければならないの」
「それは、警察の仕事だよ。央華ちゃんがすることじゃないでしょ?それに会ってどうするの?」
「犯人と話したい」
一瞬央華が冗談を言っているのかと香夜は笑いそうになるが、真面目にこちらを見据える央華を見てすぐにその笑みを引っ込めた。
冗談ではなく本気で言っている。
どう考えても変だと香夜の中で違和感がますます大きくなる。
こんなに感情的に動く央華を香夜は初めて見る。
理性ではなく感情の赴くままに犯人を探し求めている。
兄を殺されたというなら感情的になるのも分かるが、央華は犯人と話したいと言った。
どうもそこが香夜には引っかかる。
普通なら犯人を捕まえたいとか復讐したいというところではないのだろうか?
まだ、何か隠してる、香夜は直感的にそう感じるのだった。
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