第3話

一峰はいつも通りの検査結果を確認した後、リビングに戻り定位置のソファーに座るとテレビをつける。

時刻は昼を少し過ぎた頃、番組はニュースしかやってなく、それを垂れ流しにする。

そう8年、アレから8年が経ってしまった。

この8年で央華も自分の身体が人とは違う事を理解してしまい、時折自分の身体を卑下する事が多くなった。

常に健康な身体、そういえば聞こえはいいが央華のソレは間違いなく異常なものだ。

人とは違うその事に優越感を抱く人もいるだろうが、央華はそうでは無かった。

央華は普通でありたかったのだろう、だから異様な体質の自分に劣等感を抱いている。

体の秘密がバレないかと常に怯えている。

そんな自分を受け入れてくれた家族だからこそ央華は家族への愛情が強い。

唯一気を許せる存在それが家族だけだから。

だから一峰は央華が1日でも早くそんな悩みから解放される様、体質改善の研究をしてきたがこの8年進展は何も無かった。

ここまで来ると自分の無能さには笑えてくる。

本当はもっとちゃんとした研究機関にでも行けばわかることもあるのかもしれないが、央華を実験動物の様にしたくないという愛染時家の思い出それはなされていない。

一峰もその意見に賛同し、央華の身体は愛染時家の秘密となった。

あの時の判断は間違ってはいない、それは今でも強く思っている事だ。

けれど個人でできる事はやり尽くした、そろそろ何か他の考えをしなければ。

ボーとテレビを見ながらそんな考えを巡らしていると、唐突にインターホンが鳴り一峰は驚き身をすくめた。

来訪者?

誰だろうか?

重い腰を上げてモニターを確認すると予期せぬ人物の訪問にまた身体をビクリと反応させる。

居留守を決め込もうか?

そんな誘惑が頭をよぎるがそういうわけにもいくまいと理性がとめた。

結局嫌だ嫌だと重い足取りで玄関を開けると。

「こーんにちは、先生!」

そう眩しい笑顔を見せてくれる針河香夜がそこにいた。


「香夜くん、どうしたんだ。学校は?」

腕時計を見ると時計の針は12時13分を指している香夜は中学生今の時間は学校のはず、そう驚く一峰を香夜は面白そうに笑う。

「先生、今日は日曜日だよ学校はお休み。家に篭りっきりで曜日わからなくなったんじゃない?」

「日曜日そうか」

一峰は基本時間をあまり気にしない。

だからこうして時たま今日が何日で何曜日なのかがわからなくなる、それは学生で時間に縛りを受けている香夜にはあまり実感のない事柄だろう。

「先生その分だとご飯もろくなもの食べてないんでしょ!へへ、愛妻が手料理振る舞うよ」

という事は先ほどから気になっていた香夜が持つエコバックの中身は食材か。

一峰はそう納得する、けれどまだ一番の疑問があった。

「お邪魔しまーす!」

一峰の脇をすり抜け玄関へ侵入する香夜。

今更ここで彼女を追い返す気はない一峰は素直に家へ入れてはあげるが代わりに気になる点を追求する事にする。

「まったく君はいつもいきなりだな。そもそもなぜ僕の家を知ってるんだい?」

まぁ愛染時家の誰かに聞いたのだろうが、断りも無く人の住所を教える困った人は誰かと気にはなる。

「三佐川さんが教えてくれたよ」

香夜は靴を綺麗に揃えながら答える。

あのメイドかと一峰は頭が痛くなる思いだ。

どうも自分と三佐川さんは相性が良くないと一峰は常々思う。

そりゃ彼女からすれば自分の忘れたい過去を知る存在、しかも異性ときたら目の上のたんこぶだろうけれどそんな逆恨みをされてはたまったものではないと一峰は思う。

どちらにせよ人の住所を勝手に話すのはどうかと思うので今度この事は注意しておこうと考える。

「だとしてもまったく、急だね君は」

香夜に手からエコバックを受け取りキッチンへと運ぶ。

その際中身を確認すると、リンゴにバナナといったフルーツとパスタにウィンナーとにんにくそれに何やら紙袋に包まれた箱が入っていた。

どうやら料理を作るというのは本気の様だ。

「だって先生全然お屋敷に来てくれないんだもん。お土産の賞味期限切れちゃうよ」

一峰の間に割って入る香夜は紙袋を取り出し差し出してきた。

「はいお土産!なんかテレビでも特集してた有名なお菓子みたいだから美味しいと思う」

「ああ、そうか修学旅行に行ってたんだね。ありがとう、後でいただくよ。それでどうだった旅行?」

一峰が聞くと香夜はまぁまぁと答えた。

「楽しくない訳じゃないけど旅行なのに行動が制限されるのが嫌。好きなように行きたいじゃん。先生!今度は二人でどこか行こうよ」

何故そうなるのか?

香夜の話は時たま飛躍して一峰はついていけなくなる。

「いやいや、なぜそうなるんだい?それこそ友達と行きといいじゃないか?」

「や!初めてはなんでも好きな人とするって決めてんの」

堂々と宣言してくる香夜に一峰はタジタジになる。

結局何も言えずソファーに座りニュースに目をやる。

そんな一峰の様子を見ても香夜は特に何も言いはしない。

積極的に言い寄る香夜とその対応に困り黙り込む一峰、二人のこんなやり取りは日常となっていた。

「台所借りていい?」

そう聞きはするが香夜はすでに鍋に水を入れてパスタを取り出していた。

どうやら今日の昼食はスパゲティで決まりのようだ。

とりあえず、料理は任せようと再びテレビに目を向けると、またもやこの街がニュースで取り上げられていた。

それに気づいたのか、香夜もお湯が沸くまでの時間潰しでリビングの方までやってくる。

そして当たり前のように一峰の隣にちょこんと座り一緒にテレビを見る。

「ああ、この事件まだ続いてたんだ」

が見ているニュースは今この街で起きている事件。

始まりは、一月ほど前空き地で男性の他殺体が発見された事だった。

警察や報道は連日この事件を取り上げたが進展は見えず、そして今日また新たな犠牲者が出た。

被害者は二人。

場所は小学校近くの民間、そこに住む老夫婦が昨夜遺体となって発見された。

二人とも首の骨を折られその両手は針金で巻かれ祈るような体制をしていたという。

「この街でも新たな犠牲者、犯人一体いつ捕まるんだろ?」

そう言いながら香夜はテレビを切る。

「食事中に見るニュースじゃないよ先生。どうせなら、私と愛を語ろうよ」

どこまで真面目なのかニコニコ微笑む少女の胸のうちを一峰は測る事ができない。

自分は一体この少女とどう向き合うべきなのだろうか?

近いうちに答えを出す時が来るのだろうか?

そうなるとこの時間も完全に無くなってしまうかもしれない。

そう考えると僅かな寂しさが胸の内にある事に一峰は気づくのだった。



伸之がハバト宅を訪れたのは彼らと会ってから一週間後のことだった。

その間またこの町で殺人事件が起きたが、今回は管轄外ということもありあまり情報は降りてきていない。

伸之としては殺人事件なんて関わりたくもないのでその方がいいが、上司の健永がまた裏で何かしているのが少し気にはなっていた。

今回の事件が起きた時も『やっぱりまた起きたか』と何やら嬉しそうに呟いていたのを伸之は目撃していた。

事件が起きて何が楽しいのか?

仕事が増えるだけなのに、それが伸之には理解できなかった。

今回の休みも事件が起きてるのによく休みが取れるなと小言を言われたが、そんななことは知ったことではなかった。

彼には今それ以上に重要な事柄があるからだ。

それがこのハバト邸へ訪れることだった。

正確にはハバトの妹に会うこと、なんとか彼女と親交を持ちたい。

その想いが彼を突き動かしここまできたが、いざ家の前に立つと臆しまい正面玄関で立ち尽くしていた。

「でっか」

独り言が漏れる。

つい口にしてしまうほど、その家は圧倒的な存在感と重圧感を出していた。

その規格は家の範囲には収まらず館といって差し支えのない。

牧場でも始められそうな広大な面積の土地。

人の背丈の倍ほどあるだろう鉄扉に侵入者など許さないと言うような重圧な外壁。

何もかもが規格外で故に異質である。

そんなオーラに圧倒されてしまった伸之は門の前で立ちすくんでかれこれ2分ほど経とうとしていた。

インターホンを押すか押さないか悩んでいると、突然どこからともなく女性の声が響いた。

『申し訳ありませんが、何か御用でしょうか?』

どうやら声はインターホンから響いている、よく見ると外壁に監視カメラが設置されており外の様子を伺う事が出来るようになっていた。

だとしたら自分は随分と不審な人物に映っただろうと伸之は恥ずかしくなる。

「あ、あの私、その先日この屋敷のハバトさんにお世話になりまして。今日はそのお礼に参りました」

緊張から声を裏返しながらも手土産の紙袋を見せながら自分は怪しいものではないと必死にアピールをして見せる。

それがまた怪しいのだが、声の主人はそれで何か要領を得たのか納得する様に息を漏らした。

『ああ、ハバト様から話は伺っています。どうぞ中へお入りください』

同時に開く鉄扉、その音に驚き伸之は後退りをしてしまう。

『どうぞ中へ』

再び促される事でようやく伸之の足は動き出した。


ハバトの屋敷はこの地域の人達なら知らない人はいないお屋敷だ。

伸之もその存在は噂程度には聞いていた。

あのお屋敷には世界的にも有名な財閥の跡取りが住んでいる。

いや、住んでいるのは大病院の院長だ。

その噂は人により変わり要領を掴めないが、とんでもない金持ちが住んでいるそれが皆の認識だった。

そしていざ来てみてその認識に間違いはないと伸之は実感した。

広大な敷地の庭、そこには色とりどりの花が咲いている。

大きな正面入り口の木目の扉の前に立つとそれだけで扉は勝手に開く。

正面玄関にもカメラがあり客人が来るとボタン一つで開け閉めが可能となっているのだ。

そして開かれた扉の先にはメイド服に身を包んだ女性がお辞儀をして伸之を迎え入れてくれた。

「お待ちしておりました、勝木様。ハバト様から伺っています。ご案内いたしますので、どうぞ中へ」

声質から先程のインターホン越しの女性だとわかる。

メイドといえばメイド喫茶でくらいでしか目にした事がなかった伸之からすれば職業としての

メイドはとても新鮮に見える。

喫茶店などで見かける可愛らしい見た目というよりはピシリと着こなしたメイド服は美しく目の前の女性の印象もあってクールに伸之の目には映った。

無表情でメイドにしては暗い印象の女性に案内されるまま屋敷に入るとあろうことか、そのまま入り口の真向かいにあった出口へ通された。

出口へ向かう時、歓迎されていないのかとひどく不安になる伸之だが扉を抜けるとすぐにそんな思いは消え去った。

そこはとても幻想的な世界だった。

扉が開け離れた瞬間鼻腔に広がる優しい香り、目の前に広がる世界は色鮮やかで赤やピンクと美しい花達が出迎えてくれる。

「これは、薔薇ですか?」

「はい、ハバト様自慢の薔薇園です。勝木様がお越しになりましたらこちらに通す様仰せつかっておりました。ちょうど、ハバト様もこちらにお越しです。どうぞ」

通される先にあるには薔薇園の中心のガゼボ。

強い日差しを避けるのにちょうどいい白い屋根の休憩スペース。

そこにハバト兄弟は優雅にティータイムを楽しいんでいた。

「ハバト様、勝木様をお連れしました」

「ああ、ありがとう。彼にも紅茶を用意してあげてくれ」

読みかけの洋書を閉じてハバトは再会を喜ぶ様に伸之に微笑みかけた来た。

相変わらず爽やかな笑みを浮かべる男だが、この前は朦朧とした意識だった為気づけなかった事に今回伸之は気づく事が出来た。

「ハバト君、大丈夫か?顔色が悪い」

その指摘に彼は手を振って大丈夫だとアピールして見せた。

「この本おもしろくてね、少々寝不足なだけさ。それよりよく来てくれたね、歓迎するよ」

「ああ、これお土産。この前は世話になったから。良かったら妹ちゃんと二人で食べてくれ」

紙袋を差し出すと、ハバトに促された妹が受け取る。

「勝木さん。わざわざありがとうございます」

そう頭を下げる妹さんは前回と同じ様に厚手の白いパーカーと水色のロングスカートを着ていた。

「そんな、お礼を言うにはこちらの方ですよ。市民を助ける僕が助けられるなんて。申し訳ない」

そう頭を下げる伸之、そんな彼の両肩を掴みハバト妹は姿勢を戻させる。

「そんな頭を下げないでください。悪いことなんてなにもしていないんですから。困っている人がいれば助ける、兄さんはただ当然の事をしただけなんですから」

ねぇと促されたハバトも笑顔で頷く。

「ああ、そうさ!そんなこと全く気にしなくていいよ。お互い様ってやつさ」

そんな会話をしていると先程のメイドが紅茶をを運んできたので3人は椅子に座りティータイムを楽しむ。

今までの人生で体験したこともない優雅なひと時に伸之はまるでこれが自分自身のことではない様に思えてしまう。

美しい庭に貴族にような男、美しい少女この場で自分だけが明らかに場違い。

伸之は緊張を少しでも緩まそうと辺りを見渡し何か話題を見つけようとする。

そんな彼をハバト妹は不思議そうに見つめる。

コレでは完全に変な奴だ。

焦った末に話題にしたのは目の前の薔薇園だった。

「それにしても凄いなこの薔薇園。こんなの初めてみましたよ」

緊張を隠す様に大袈裟に声を張る伸之の様子を見てハバト妹は口元を隠し微笑む。

「ありがとうございます。この薔薇園は母の自慢なんですよ。私も詳しくはないのですが、世界各地の薔薇を集めているそうで今でも週に一度は業者さんがお越しになって手入れをしてくれるんです」

薔薇園の薔薇の数は一万株、個人でこれだけの数を管理できる筈もなく薔薇職人が何人もこの屋敷を訪れていた。

屋敷を初めて訪れる職人達は皆その数に驚くと言う。

故にこの屋敷は俗に薔薇屋敷と呼ばれている。

「ですけど、実は今は見頃過ぎているんですよ」

困った様な顔をするハバト妹に兄が捕捉する。

「薔薇の見頃は主に5月から6月が多いからね。今は返り咲きで、花自体は少なめなんだよ」

「えっ!コレで!?」

そう驚きの声を伸之が漏らすのは致し方がない。

見頃を過ぎているとはいえ咲いている薔薇の数はゆうに五百本を超えているのだから。

大概の人はこの数で十分満足してしまうだろう。

「いつか満開の花も見てもらいたいよ、君にも。この家の自慢だからね。そうだ興味があるならちょくちょく屋敷に来てみておくれ。薔薇は季節ごとに移り変わる。次来た時はまた違う顔を見せてくれるはずだ」

ウキウキした様子で伸之を誘う兄を妹が嗜める。

「兄さん、無理言っちゃダメだよ。勝木さんにも勝木さんの時間があるんだから。それに刑事としてのお仕事だって、最近事件が起きたばかりですしお忙しいでしょう?」

ハバト妹は言う事件とは先日起きた殺人事件の事である。

近年事件という事件など久しく起きていなかったこの町で発生した殺人事件。

近隣住民もその話題で持ちきりだった。

そして再び起きた殺人事件、被害者同士の接点が無いため連続殺人か判断されてはいないが、殺害方法の類似性から同一犯の見方が強くなっているのが現状だ。

連続殺人となると警察の警戒もより一層強くなる交番勤務とはいえ彼女の言うように伸之の仕事も増えるかもしれないのは確かな事だった。

でもそれでこの誘いを断るのは惜しい。

そう伸之は考える。

「全然大丈夫です!むしろ自分もまた来たいと思っていたんで光栄なくらいです!」

食い入る様な伸之にハバト妹は若干引くように体を逸らした。

結局コレを経緯に伸之はこの薔薇屋敷へ幾度となく訪れることとなる。

それが彼の人生を大きく変える決断だったと今はまだ知る由もないことだった。



結局お茶会はその後一時間ほど続きたわいのない会話が終始続いたが、お開きはハバト妹の時間が訪れた為だった。

「ごめんなさい。そろそろ授業の時間なんで失礼します」

正直言えば伸之はもっと話を聞きたかったがだからと言って止めるわけにもいかないので、またと言ってその場で別れた。

駆け足で館へ戻るハバト妹を伸之は名残惜しそうに見つめる。

スカートを少し持ち上げ走るその後ろ姿がとても愛らしい。

「妹さん忙しいみたいっすね」

「ああ、来年には大学受験も控えているからね。あの子が落ちるなんてことはないだろうが今が頑張りどきなんだろう」

つまりは今は高校二年生という事。

歳は十六、七ぐらいだろう。

もう少し若い印象を持っていた伸之にはこの話は意外でもあり嬉しい事実でもあった。

十六、七なら今年二十歳の伸之との歳の差は3歳ほど高校卒業まで待てば十分付き合える可能性もあるではないかと嬉しくなる。

「あの子は特殊な体質もあって学校にもなかなか行けなくてね。今もオンラインで授業を受けているんだ。あまり外を出歩くこともできなくて、だから君みたいに客人が来る事は僕からしても喜ばしいことなんだよ。あの子にとっていい刺激になるはずだから」

そんな事情があったとはと伸之は驚く。

特殊な体質と言っていたが何か病気でもあるのだろうか?

いや、あるのだろう。

でなければ外を出歩けないわけがないのだから。

「もしかして、妹さんが真夏なのにあんな格好しているのもそのせいなんですか?」

そう伸之が尋ねるとハバトはひどく辛そうに頷いてみせた。

「ああ、そうだ。あの子には本当に辛い思いをさせている。もっとみんなの様に生きれたらと不憫でならないよ。勝木くん、奇妙に見えるかもしれないが、あの子の格好や体質については触れないであげてくれないだろうか?」

伸之は勿論だと頷く。

そもそも体質や病気なんて本人ではどうしようもないことなのだ、その様なことで彼女を傷つけるような真似は決してしない。

伸之は己の心にそう刻みつける様に深く頷いてみせた。

「ありがとう。最近なにかと物騒だし君のような友人ができた事はとても心強いよ」

本当に嬉しそうに安堵するかの様な笑みを見せるハバト、もしかすると妹の事で随分思い詰める事があったのかもしれないと伸之は考える。

やつれた顔も人にはわからない苦労があるのだろう。

「すまないね、出会って間もないのに色々と頼りにしてしまって」

「いや、気にしないでください。頼られるのは警察官として誉です」

心にもない事を言ってしまうが、まんざら嘘でもなかった。

人から頼られる、確かに赤の他人なら面倒な事でしか無いがこの兄妹なら話は別だ。

いつでもどこでも駆けつけようそんな気持ちになってしまう。

「本当にありがとう」

ハバトが差し出す手、最後に二人は固く握手を交わすのだった。




ハバトはいつも疑問に思っていた

どうしてこの世界はこうも苦しく悲しいことが多いのだろうかと?

なんでみんなそんな世界で頑張って耐えなければいけないのかと?

人生において幸せのまま一生を終える人間は一体どれだけいるのだろう?

間違い無く人生に苦しみを抱いている人の方が多いだろう。

理由はさまざまだろうけれど。

最後まで幸せに人生を終えることができる人間なんて本当にいるのだろうか?


誰もが幸せだったら良いのに。

けれどそこでまた疑問だ、ならば幸せとは一体何なんだろう?

考えるがハバトにはそれがわからない。

何故なら幸せも人それぞれ違うだろうから。

お金持ちになることが幸せなのだろうか?

それも幸せの一つだろうとハバトは思う。

貧乏よりは幸せなのかもしれない。

なら金持ちになれば皆幸せだろうか?

それも違う、お金を持つ事で破滅した人たちをハバトは知っているからだ。

なら、愛情はどうだろうか?

よくお金で愛情は買えないと聞く。

それが本当かどうか知らないけれども、それだけ比較されるという事は愛といいうものはかけがえの無いものなのだろう。

愛情それは、誰かへ向ける特別な想い。

けれどハバトにはそれがわからない。

何故ならハバトにとって特別だと思える人間なんてこの世にいなかったからだ。

とは言ってもハバトにだった感情はある、だから嫌いな人間ももちろんいる。

それは人様に迷惑をかける人間だ。

ハバトの望みはみんなの幸せ。

なのに人様の幸せを無意味に踏み躙る存在が残念ながらこの世の中にはいる。

そんな人間はなぜ存在するのだろうか?

なんの利益もない存在、そんな人間を見るとハバトはとても不快な気持ちになった。

けれど逆はどうかと問われると困る。

家族もいる、友人もそれなりに作ってきた彼女こそいないがそれも恋愛に興味が持てなかっただけで告白をされたことは幾度となくあった。

彼は魅力的であり彼の周りには人が集まった。

けれど彼、ハバトはそんなみんなの事を大切だと思うことがどうしても出来ないでいた。

いや昔はそうではなかったかもしれない。

きっかけはあった。

それが彼が自分は人間じゃない怪物だと認識した時。

あの日からハバトは人間たちが自分と同じ存在だと思えなくなってしまった。

脆く弱く儚い存在それが人間、自分とは違う別種の存在。

自分とは違う存在たちそれに彼はどうしてもそれがたとえ家族であろうと特別に思うことができなかった。

ハバトにとって人間とは不快かどうでもいいかの二種類だけ。

ならなぜハバトはそんなどうでもいい存在の幸せを願うのか?

それはそれこそが人間ではない自分が死ぬ事の出来ない生物ともつかない彼が人の世にいる意味だと信じているからだった。



三件目の殺人が起きたのは二軒目からさらに半年経ってのことだった。

世間がようやく事件の記憶が薄れてきた頃に起きた殺人、それは再び恐怖を呼び起こし人々はまた不安に怯える日々を迎えることとなった。

事件がこうまで続くと、騒ぎ出すのは地元住民だけではない。

多くのテレビ局が街へ集まり連日報道合戦が始まった。

殺人鬼への恐怖、連日の取材。

人々のストレスはピークに達し今にも爆発寸前。

しかしそれは一般市民に限った事ではない。

事件を追う警察たちも捜査やマスコミ対応、そして住民たちからの苦情に追われその疲労は極限の域にまで達していた。

特に本部で事件を追っている蕪木は部下からの要望と上司からの命令の板挟みで今にも回りそうな目を抑え深いため息を休憩所で吐いていた。

頭を整理してくるといいなんとか本部から抜け出してきたが、十分もたたずして戻り今後の方針を決めなければならない。

この半年間、事件について捜査をしてきたが一向に手がかりは見つけることができずまた新たな殺人を許してしまった。

それこそ警察を嘲笑うかの様に。

蕪木には犯人が手慣れてきた様に感じていた。

現に犯人は警察の目を掻い潜り三件目の殺人に成功している。

このままだと次の犠牲者が出るのも時間の問題

そんな気がしてならない。


せめて被害者同士の共通点でもあれば犯人に近づくことができるのだが、今のところそれが達成される事はない。

蕪木は手帳を開き今までの事件を振り返る。

第一の殺人。

被害者は貝沼裕作。

死因は首を折られた事による頸髄損傷。

遺体は空き地の車に放置されてひどく腐敗していた。

動機は未だ判明していないが、金銭を取られていなかった事と彼が恨みをよく買う人物だった事から怨恨の線で捜査を進めている。

しかしそれも買う恨みが多すぎていまっだ絞りきれていないに現状である。

第二の殺人はその一月後に起きる。

被害者は百々牧惟孝、道子夫妻。

両者ともに80を超える老夫婦で隣人付き合いはあまり無かったらしく聞き込みを行った際も、そういえばそんな人達いたかもという意見が大多数だった。

夫婦の遺体を見つけたのは福祉の職員だった。

以前から生活保護の申請があった夫婦に話をしようと向かった先で遺体を発見したそうだ。

遺体は両者ともに布団に寝かされ、犯人に詰められたのだろう。

その胃の中からは大量の畳の残骸が見つかった。

現場の畳が所々虫食い状態となっていたので恐らくはこの畳を口に詰められたのだと思われる。

また、その手は紐で結びつけられまるで祈りでも捧げる様に組んでいた。

死因は貝沼と同じく首の骨を折られた事による頸髄損傷。

殺害方法と一般には公開されていない手を縛り組ませるという方法から同一犯と考えられているが、貝沼との繋がりは見つかっていない。

そもそも近所付き合いの少なかった老夫婦と貝沼に接点など本当にあるのか?

それが大多数の疑問だった。

老夫婦は人付き合いこそ少ない人物だったが他者に恨まれる様な人柄ではなかった事が捜査でわかっている。

おまけに交友関係が少ないだけあって周囲に怪しい人物も浮かび上がらない。

貝沼の時とは逆に動機が少なすぎて捜査は難航した。

それから半年、事件は止まり警察の捜査は続いていたが世間はやっと安堵した頃に起きた第三の殺人。

それは警察、市民双方にとって完全な不意打ちの様な殺人の被害者は今までで一番若い二十代の女性だった。

遺体発見現場は彼女が学生時代通っていた高校。

その校門の壁に遺体は寄り掛かる様に遺棄されていた。

発見者は学校の用務員。

その日は日曜日だった為、部活動の生徒たちも登校は遅く清掃の為朝6時に学校に訪れた用務員の彼が遺体の第一発見者となってしまった。

彼は最初酔っ払いが寝ているのかと思い声をかけたという。

けれどいくら呼び掛けても返事がないので、恐る恐る肩を揺すってみると女性はそのまま地面に倒れそこで初めて異常に気づき救急と警察に連絡を入れたそうだ。

被害者は浪川南美。

年齢は22歳、今年の春から銀行で働き出したばかりだったという。

浪川南美の顔を蕪木も写真で拝見したが、清潔感のあるショートカットが似合う美人だった。

この娘が今はもう死んでいる、写真の向こうの笑顔を見ると不意に自身の胸が虚しくなるのを蕪木は感じていた。

歳でいうと蕪木の娘に近い年代の子だ。

まだ明るい未来があっただろうに。

死因は今まで通り首を折られた事による頸髄損傷。

またその両手は紐で括られ胸元で祈りを捧げる様に組んでいた点も類似しており、本部では本事件を連続殺人と断定して捜査を始めている。

しかしどれだけ調べようと四人の被害者の共通点がない。

また事件が暗礁に乗り上がりそうになった時、浪川南美の高校時代の同級生から有力な話が聞けた。


「南美、高校の時付き合ってた元カレがいたんですけど。ちょっと問題のある人で。その束縛が激しいってのかな?常に自分のそばに彼女を置きたいって人だったんです」

そう話すのは浪川南美の友人。

浪川の死に涙を流しながらも捜査員が彼女のことで最近気になることはなかったかと尋ねられた際鼻をすすりながら「あります」と答えた。

それが浪川の元カレだった。

束縛癖の彼氏、それは彼女の睡眠時間さえ指示するほど異様なものだったという。

そんな男だった為、浪川もすぐに別れを切り出したが男は受け入れることはせず結局高校を卒業し男が県外へ出ることを機に別れる事ができたという。

その際も男は相当ごねたらしいが、最後は渋々受け入れたという。

「別れた当時はLINEとかで何度も連絡が来たそうですが、それも無視しているとその内向こうから連絡がなくなったそうなんです。でも一年位前彼が地元に帰ってきて、寄りを戻そうと南美に言い寄る様になったんです」

男が地元に戻ったのは失業の為だったのが後の調べで判明している。

食い扶持も無くなった彼は元カノの元へ縋りにきたというわけだ。

だからといって浪川南美がよりを戻すわけもなく、そこから男は浪川へストーカー行為を行う様になったという。

職場や家に現れたり、嫌がらせだろうゴミを郵便物に混ぜたりしていたらしい。

「南美を殺した奴がいるなら絶対アイツです、早く捕まえて!」

最後に彼女がそう絶叫し聞き込みは終わった。

蕪木は例の元カレの顔を思い起こす。

多賀元京也。

無職の22歳の若者は今現在署内で取調べを受けている。

ストーカー規制法違反の任意同行として来てもらっているが、今は殺人の疑いで調査を受けている。

けれど蕪木にはどうもあの男が連続殺人なんて大それたことをする様には思えなかった。

尋問を受けて青ざめる男の姿、あれが演技なら大したものだがどうもあの姿が多賀元京也の底のようが気にしてならない。

この連続殺人、犯人と被害者の関係はまだわからないが殺害方法と手を縛るという点は共通しておりそこに犯人のこだわりを感じられる。

おそらく犯人なりのルールかこだわりがそこにはあるはずだと蕪木は考える。

その様なことをどうもあの男が考える様には思えない。

それにやはり第三の殺人も今までの殺人と同じく被害者同士の繋がりが見えない。

無論、多賀元とも。

今のところ手がかりが多賀元しかない為、彼に取り調べが入っているがおそらく分かっても浪川南美の事までだろう。

考えがまとまらないまま結局休憩時間を迎えてしまった。

蕪木は一度伸びすると手帳をしまい再び捜査本部へと戻っていくにだった。

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