第2話

正面扉が開くとそこには見慣れた大広間が出迎えてくれる。 

広がる絨毯に木目の大階段はまるで何かの舞台の様だ。

その舞台をゆっくりと降りてくる、美しい少女。

清潔感のある白いワンピースにピシリとと整えられたポニーテール。

キリッとした表情は力強い意志を感じられ、彼女を年齢よりも大人びて見せる。

「おはようございます先生。今日は遅刻されなかったんですね?」

ふっと微笑して見せるこの館の主人、愛染時泰輝の娘、央華は此方を見下した様な態度を取る。

央華が言っているのは以前、予定の時間より一峰が一時間遅刻したことを指しているのだろう。

アレは全面的に一峰の落ち度であるため央華の

目上者に対する礼儀のない態度も注意できない。

「おはよう。央華くんその節はすまない。今後あのようなことがないように注意するよ」

なんと返答しようか迷った末に素直に謝罪をすることにした。

そんな一峰に央華は表情を崩すことなく。

「良いです。失敗は誰でも起こり得ることですから。私は気にしません」

と慈悲深い女神のような微笑みをしてみせる。

けれど一峰は内心思う。

ああ、アレは多分だいぶん怒りが溜まっていると。

央華が朝が苦手な事は一峰も知っている。

平日もできるだけ睡眠を取りたいということでギリギリまで寝て登校時は執事の針山に送り迎えをさせているらしい。

本人はそんなだらしない一面見せまいと隠しているつもりらしいが人の口に戸は立てられぬと言うようにその話は一峰の耳にも入っていた。

そんな彼女だ休日はできるだけ寝たいだろところを無理して起きている。

なのに予定の相手は遅刻となれば怒りも深くなるだろう。

おそらく怒りはまだ収まっておるまい。

面倒だ。

自分が悪いとはいえ、今から自身が原因で機嫌が悪い相手と二人っきりというのは憂鬱な気分になる。

階段を再び登り出す央華に続くよう重い足取りで階段を登り出す一峰。

すると階段を登り切った廊下にある扉が開き一人の青年が顔を出した。

ジーパンにワイシャツとラフな格好だと言うのにそれがモデルのように決まっている美形の青年。

央華の兄にあたる愛染時羽馬斗だ。

「ああ、先生いらっしゃてたんですね。おはようございます」

ピシリと姿勢を正し礼をする羽馬斗はそれだけで見惚れる美しさがあった。

「おはよう、羽馬斗くん。休日だと言うのに早いね」

一峰は腕時計を見る。

時刻はまだ8時前だ。

「そうですか?今日は朝から大学のレポートを纏めてたのでいつもより遅いくらいですよ」

そう王子のように笑う羽馬斗は実に爽やかだ。

「兄さん。学業も大事ですがもう少し休まれても良いと思います。先日も風邪気味だったじゃないですか?」

央華が眉を寄せ兄へ詰め寄る。

そんな妹に兄は大丈夫だと笑いかける。

こうしてみると実に絵になる美男美女の兄妹である。

そもそもこの屋敷に出入りしている人物は皆美形ばかりだった。

館の主である愛染時家の人々は勿論、ここで働く使用人達も皆美形。

それこそまるで意図してかのように。

いやむしろそんな美形揃いの中で一峰だけが平凡な容姿をしている、それこそ何か意図があるようだと悲観的な考えを冗談半分に時たま考える。

「風邪は治ったよ。でもそうだな、次体調崩した時は僕も診てもらっても良いですか先生?」

そう聞かれ一峰は頷く。

「ああ、連絡さえもらえればいつでも良いよ」

一峰は肩をすくめ答える。

そこに割って入るのは央華だ。

「兄さん。診てもらうならキチンと病院へ行ってください。その方が確実です」

言っていることは間違い無いのだが本人を前にその発言はどうなのだろうと一峰は苦笑するしか無い。

羽馬斗も失礼だと感じたのだろうすぐに央華を叱咤した。

「失礼だろ央華。先生はわざわざ君のために診療に来ているのにそんな言い方して」

怒鳴るわけでも無い諭すような注意けれどそれで十分効いたのだろう央華は先程までの女王のような気質が消えシュンと縮こまる。

「あっ、すみません。そんなつもりじゃなかったんです」

すぐに謝罪する央華を一峰はいいと止める。

「ああ、分かってるよ。気にして無いさ。羽馬斗くんも央華くんを責めないでやってくれ、君の身を案じて言ったことなのだから。それに央華くんの言うように診てもらうならキチンと病院へ行きなさい。その方が設備も整っているからね」

「先生がそう言うのなら。すまなかったね央華。体調には気をつけるよ。央華もキチンと先生に診てもらうんだよ?」

「はい、兄さん」

そう会話を交わすと羽馬斗は用事があると言い屋敷を後にした。

その見送りには三佐川が行ったようだった。

その後、央華と一峰の二人は直ぐに央華の寝室へ向かった。

部屋のカーテンは締め切られ薄暗い。

彼女の部屋は年頃の少女とは思えないほど簡素なものだ。

あるものは勉強机にベッドそして様々な小説が並ぶ本棚くらいなもの。

ただ何かアロマでも焚いたのか部屋は何か心地よい香りに満たされていた。

部屋に入るなり央華振り向き一峰に再度謝罪をした。

「先程はすみません先生。軽はずみな発言をしました。決して先生を軽んじているわけでは無いんです。ただ先生は私みたいなのを診ています。兄には普通でいてほしんです」

一峰は医療器具を詰めた鞄を床に置く。

「央華くん。君の思いはわかるが自分の身体をみたいななんて言うもんじゃ無い」

一峰としては央華の自身の体に対する負い目とそれを気にかけない家族に対する感謝は理解しているつもりでいる。

けれど、これからも続く彼女の長い人生、その人生で自分の身体に対して負い目を感じ続けるなんて事は決して精神が耐えきれない。

本来なら何か励ましの言葉を述べたいところだが、あの特殊な体質を分かち合えるものなどいるはずがない事を理解している一峰はそんな一般論を口にするしかなかった。

「そうですね。こんな自分が不幸みたいな言い方良くなかったです。先生お願いします」

気まずい空気を振り払うように央華は努めて明るく診断をお願いする。

背中に手を回しファスナーを下げるとワンピースはまるで脱皮でもするかのように彼女の体から床へとストンと落ちる。

下着姿となった央華はすぐさまブラジャーも外し脇にあった椅子へかけた。

清々しいまでの脱ぎっぷりにはまるで羞恥心というのは感じられない。

もっとも月一である診察のたびに恥ずかしがられては一峰も面倒なのでありがたいことではある。

央華の裸体は美しくまだ15とはいえ女性としては完成され尽くしている。

はだまきめ細かく、ウエストも綺麗に引き締まり、少女というのを忘れるほどに胸も成長している。

一眼で健康とわかるほどにその身体は生にみなぎっていた。

美しいその姿は男ならば赤面してもおかしく無いほどのものだったが、一峰はそれほどピュアでもない。

しかも相手は患者であり赤ん坊の頃から見てきた相手だ欲情などするはずもなかった。

もっともそんな一峰だからこそ央華も全面的に信頼し身体を見せれるのだろう。

診断はいつも通り簡単な触診、聴診器による確認最後に採血を行う。

自身の血を取られる様子を央華はじっと見入っている。

なんでも自分の血の色を見ると安心できるからだそうだ。

採血が終わり、本来なら止血用のテープをつけるのだが、彼女に関しては必要あるまい。

念のため聞くがやはりいらないと言う。

事実、採血を行った場所はすでに血も出ておらず傷すら無かった。


「うん、今回も問題ないね。健康そのものだ。採血の方はまた追って結果を連絡するよ」

用が済んだので身支度を済ませ部屋を後にしようとする一峰を央華が呼び止める。

「ああ、先生。そういえば香夜から連絡がありましてね。修学旅行お土産買ったので楽しみにしてて下さいと言ってましたよ」

なんと答えれば良いのだろう?

それが分からない一峰は苦笑してしまう。

「先生もオモテになりますね。歳の差が凄いですけれど、私二人はお似合いだと思います」

随分とお気楽なことを言ってくれる。

その歳の差が何より問題なのだとどうしてこの子は理解してくれないのだろうか。

一峰は頭が痛くなる思い出ある。

「私みんなには幸せになってほしんです。みんなが安らかに過ごせるどんな風になってほしんです」

それはとても傲慢なことだと一峰は告げることができずそうなれば良いねと曖昧な返事をして屋敷を後にしたのだった。



自分は化け物ハバトが己の事をそう認識したのはいつだっただろうか?

いつも母に殴られた。

痛みはない。

むしろハバトを殴る母の手の方が痛そうに赤みがかっている。

どれだけ殴られてもケロリとしているハバトを見て母は化け物と息子を罵った。

それが彼の日常だった。

そんなハバトが自分が化け物と自覚したのはいつだろう?

そう多分あの時だ。

それは彼が11の頃。

この歳になると流石に今まで怪我や病気の類を一度もしたことがない自身がおかしいという事くらいは理解できていた。

自分が本当に化け物なのか?

それを知るために自らビルの屋上から飛び降りた。

高さは15メートルはあっただろう。

普通なら死ぬ高さだ、だけれどここから落ちようと自分が死ぬとはハバトはどうしても思えない。

飛び降りる時も不思議と恐怖はなかった。

いやそもそも、自分は人生で一度でも恐怖というものを感じたことがあっただろうか?

屋上から地面へと墜落する僅かな時間の中で思案するが、やはり覚えはなかった。

ダン!という強い衝撃が全身に走る。

直ぐに地面に落ちたんだと理解する。

それと同時に自分がまだ生きていることもわかった。

むくりと起き上がり、自分の身体を伺う。

服は汚れているがやはり身体には擦り傷一つない。

身体を動かしても痛みひとつとしてない。

そこで笑いが溢れた。

これで証明されてしまった。

高さ15メートルのビルから落ちて無傷の人間などいるはずが無い。

そもそも怪我や痛みを人生で一度も経験できない人間なんているわけがない。

それくらいの常識はある。

自分は間違いなく化け物だ。

結局全て母の言う通りだった。

こうしてハバトは己が死ぬことができない怪物という事実を受け入れた。



例の空き地殺人から三週間が経った。

被害者の身元こそ早い段階で割れたものの捜査の方は率直なところ暗礁に乗り掛かりつつあった。

今までの捜査で分かったのは以上のこと。

被害者の貝沼裕作が姿を消したのは先月6月2日。

貝沼はその日、知人とともに夜の街を飲み歩いていたらしい。

これは知人の方からも裏が取れている。

その後二人は午前一時ほどまでキャバクラなどで飲み明かし午前一時半ごろには別れたという。

それ以降彼の行方は分かっていない。

2日後に妻が捜索願いを出しているが結局見つかったのは1ヶ月後、彼が遺体となってからだった。

死因は首の骨を折られた事による頸椎損傷だった。

おそらく即死だったと思われる。

首の骨を折るという特殊な殺害方法から犯人は男で尚且つ何か武術の様なものを習っているのでは?と予想された。

また車は被害者のものだったが当日、貝沼は車で出かけていなかったので何らかの理由で貝沼本人が車を後に使用したか犯人が盗み出したと思われる。

車内をくまなく調べるが犯人の痕跡は見つからず、貴重品も持ち出されていなかったので金銭目的ではないと思われる。

また車の鍵は犯人が捨てたのだろう、空き地横の用水路で発見された。

現在は怨恨説で捜査を進めているがこれが難航している。

理由は貝沼の交友関係の広さ、そして悪名の高さにあった。

貝沼は若い頃の行いもあり悪い意味で有名人でありその人間関係は後ろ暗い繋がりから被害者と様々な人々がいた。

よってそれらしい動機が多すぎて捜査が難航してしまったのだ。

「ここまでやりたい放題だったとはね。コレじゃあきっかけさえ在れば誰が殺してもおかしくないな」

健永は話を聴き終えると貝沼の悪行に対する怒りを押し流すかのようにビールを飲む。

それに続く様に目の前の男、蕪木寿夫も黄金色の液体を口元へ運ぶ。

「ああ、捜査本部も困り果ててるよ。裏がある男だとは思っていたが、叩いたらまさかここまで埃が出るとは思ってなかったからな」

蕪木はほとほと疲れたという様に傍の壁に体を預ける。

よく見れば来ているスーツはシワだらけ襟は僅かに汚れている。

もしかすると捜査本部に何日か泊まり込んでいるのかもしれない。

そんな中呼び出したのは少し申し訳なかったと今にして健永は思う。

白髪の方も以前見た時より倍ほど増えた様だ。

今回の事件が彼にとって大きなストレスとなっているのが目に見えてわかる。

「まぁ、俺が呼び出したんだ愚痴なら嫌ってほど聞いてやるよ」

空になった蕪木のジョッキにビールを流し込むと蕪木はすぐさまビールを飲み干す。

「おいおい、お前酒強くないんだからそんなに飲むと直ぐ潰れるぞ」

すでに目が据わってる同期を心配する健永だが、蕪木はいい良いと手を振る。

「構わない、やっと酒が飲めるんだ今のうちに溜め込む!」

そう暴飲を始める蕪木、こんな彼を見るのはいつ以来だろうか?

警察学校の頃からの仲である二人は今でこそ刑事と警視と随分位に差は出来てしまったがこうして会うと変わらず昔のように語り合える。

今回健永が蕪木をこうして居酒屋へ呼び出したのもそんな旧友だからこそ例の空き地殺人について交番勤務の自分では知ることのできない情報も教えてくれるのではと下心あっての事だった。

実際、捜査も難航していた蕪木はストレスの捌け口として大いに様々な事を語ってくれた。

それによると貝沼は23の頃にレッドクイーン総長の座を後輩へ引き継ぎ自身は引退、その後

一時期は真面目に働こうとしたのかボクシングジムを開業するも、行きすぎた暴力が問題となりわずか2年足らずで廃業へと追い込まれる。

その後知人を当てに何度か職につくもその先々度暴力沙汰を起こし定職に就くことは無かったという。

また、女性に対する暴行行為も裏で働いており30歳の時と46歳の時に強姦容疑で逮捕されていたことが判明している。

その数判明しているだけで実に24件、立件出来なかった事件も数多くあると思われる。

しかも悪趣味な事にこの貝沼という男その時の暴行の様子を撮影しコレクションとしていた。

自宅には何百というそれらの記録が保管されていた。

泣き叫ぶ女たちの顔が映し出される映像は見るに堪えないものだったと聞く。

貝沼はその後も定職に就くことはなく、恐喝などあくどいやり方で金をくめしていたという。

正直殺されるのは時間の問題だったかもしれないと、健永は思う。

「それでお前のとこの若いのどうなんだ?彼が第一発見者なんだろう?」

つまみとして頼んだ唐揚げを頬張りながら蕪木が尋ねる。

「ああ、随分へこんでるようだ。まぁトランク開けて腐乱死体と対面したら分からんでもないが、自分が見つけた事件、俺が解決しようって気概がないもんかね」

若者の軟弱さを嘆く健永を見て蕪木が笑う。

「今の若い者にそんな情熱ある奴の方が稀さ。理想求めたら現実に置いてきぼりにされるぞ」

おそらく、蕪木自身も上に立つものとして苦労があるのだろうその言葉は力なくどこか諦めに似た感情が伺える。

「時代かコレも」

「そうだな、時代の流れには逆らえない。何事も捜査のあり方もどんどん変わっていくだろう。そして犯罪も」

だとしたら、そんな時代の流れにすでに取り残されている自分はこの先どうなるのだろう?

健永はそんな一抹の不安を抱くのだった。



時刻が午後2時を回った頃日は一番高く昇り、気温も40度近くまで上がっている。

そんな上からは日の光下からはアスファルトの熱とまるでかまどの中にいるような炎天下の中、勝木伸之は汗を流しながら事件のあった空き地周辺を見回っていた。

元々ここは見回り地域ではなかったのだが事件が起きた事で住民たちの不安が高まり今では日に二度この付近のパトロールが実施されている。

その為、事件現場に一番近い交番に勤めている伸之は来たくもないこの場所へ毎日二度訪れなければならない。

それにより忘れたくて堪らないあの腐乱死体がここに訪れるたびに思い起こされてしまう。

今日も思い足取りであたりを散策する。

なぜ自分がこんな事をそう内心毒づきながら探索していると、突然通行人に声をかけられた。

「刑事さん、大丈夫ですか?ひどい顔色だ」

そう話しかけてきたのは若い男だった。

白いポロシャツにジーパンというラフな格好であるがそにルックスに良さでその格好すらオシャレに見えるモデルのような男だった。

「え?ああ大丈夫」

そう答えると同時に目の前がくらりと揺れた。

力無く地面に倒れ込もうとする伸之の体を男ががっしりとたくましい腕で支える。

「おっと、危ない。とりあえず日陰にいきましょ」

その心配そうな顔を最期に伸之の視界は真っ白になった。


「近くの自販機で買ってきました。とりあえずどうぞ」

男の買ったスポーツドリンクを受け取り変わりに財布から小銭を出そうとすると男はそれを止める。

「良いですよ。このくらい気にしないでください」

そうはいうが民間人から物を受け取るにはどうだろうと、まだフワフワした頭で伸之は考える。

「いえ、警察官である自分が市民から物をもらうなどできません」

そう断りを入れると、男はハハと爽やかに笑う。

「真面目だな。警察官も同じ人間助け合うのは当たり前だと思うのだけど。それにコレは詫びでもあるんだ」

どういう事なのかと顔を上げると男は申し訳なさそうにはにかむみ、すっと指を伸之の後方に向ける。

運んでもらた日陰それを成す木々の向こうに見えるの大きな屋敷が一つ。

「あそこが僕の家なんだけどね、3階の部屋から例の空き地がよく見えるんだ」

話の趣旨はよくわからないが、例に空き地というのは事件現場のあの場所のことだろう。

屋敷は高い塀と木々に覆われているがたしかに三階からなら空き地全体を見渡すこともできるだろう。

「それで空き地に不審な車があるって気づいたんだよ僕の妹が。で、警察に電話したのが僕。話し声でわかったけどお巡りさん、電話受けてくれた人だよね?」

生憎、その後の記憶が強烈すぎてあの時の電話の相手の声など覚えてはいない伸之だったが確かに電話を受けたのは間違い無かったのでその認識は正しいものだろう。

「ああ、貴方が通報者?」

「そう。それでこれも妹が気づいたんだけどお巡りさん最近よくここをパトロールしてるよね?前はそうでもなかったのに。それって事件があったせいでしょ?」

よく見ている妹だと伸之は顔も知らない人物に

感嘆する。

「まぁそうだね。事件があってみんな不安なんだよ。それでパトロール」

「じゃあ、これは僕たちのために頑張ってくれてるお巡りさんへのお礼って事で」

そこでまたずいっとスポーツドリンクを差し出される。

そうまで言われるとこちらも断りづらい。

結局、伸之はそのペットボトルを受け取った。

言葉では断っていたがいざ口に水分を含むと体は正直なもので渇きを潤そうと一気に半分ほどまで飲み干した。

あまりに勢いよく飲んだせいで激しくむせ返ると、『大丈夫ですか?』と随分と可愛らしい心配する声が聞こえた。

何度か咽せ、ようやく落ち着くといつの間に現れたのか?

男の横に異様な人物が立っていた。

異様というのはその容姿を指す。

季節は真夏、木々のそばを通ると蝉が狂ったように泣き喚いている季節、だというのにその人物はまるで真冬のように厚手のパーカーとロングスカートを着込んでいた。

まるで一人雪国からワープでもしたような異様な風体。

そしてもう一つの異様さはそんなことなどまるで気にならない可愛らしさがそこににあった。

それは先程まで座り込んでいた伸之が衝撃のあまり無言で立ち上がってしまうほどの。

彼が人生で一度も見たことがない美の集合体のような容姿だった。

「あの、本当に大丈夫ですか?」

突然立ち上がった伸之の行動に目を丸くして驚く、その人物は少し怖がるように男の後ろに隠れた。

「なんだ、来たのか?」

「兄さんの帰りが遅いんで気になったんだよ。

そしたら、何かお巡りさんと話し込んでるんで心配した」

二人の関係はどうやら恋人などではなく兄妹だという事が会話から察する事が出来て伸之は内心ほっとする。

そしてその自身の心境に驚く。

どうやら自分はこの初対面の彼女に惚れてしまっているようだ。

その事実に動揺してしまう。

「心配性だな。僕が警察に職質されているとでも思ったのかい?」

「あるいは」

兄の冗談に微笑みながら乗ってくる妹。

その様子から兄妹仲は良いようだ。

美男美女のまさに理想の兄妹。

そんな光景をポケーと伸之が眺めているとその視線に気づいた妹が恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「すみません。目の前で騒がしくしてしまって」

そう目を伏せる妹に伸之は慌てて手を振る。

「いやいや、そんなことないです。自分こそお兄さんには助けてもらって。あの、良ければ今度改めてお礼を言いに家へ伺っても良いですか?」

なんとか接点を持ちたいと食い気味に約束を取り付けようとする伸之に妹の方は少々たじろき助けを求めるように兄の方を見る。

「良いじゃないか、刑事さんと知り合えるなんてなかなかない機会だぞ」

「・・・兄さんがそういうなら」

妹の方は明らかに不服そうだがそれでも、約束は取り付けることはできたと伸之は心の内でガッツポーズをとる。

そんな内心を見透かすように兄は耳元で、

「良かったね刑事さん」

と囁いた。

顔から火が出るほど恥ずかしかったが、今回は素直にこの出会いに感謝する事に伸之はした。

最後にお互いに名を名乗り別れる。

男はハバトと名乗った。



東洞一峰の自宅は診療所も兼ねている自宅兼職場である。

とはいっても診療所は殆ど締め切っており診察を行なっているのは週一くらいなものだ。

それも殆どは愛染時家の様に問診へ伺うので診療所は実質医療器具の物置とかしていた。

そんなごちゃごちゃとした部屋の中で一峰は央華の血液サンプルを調べていた。

結果はいつも通り至って正常。

その事実に一峰は深いため息をつく。

「また何もわからずか」

異常がないそれは本来いいことなのだが央華に関しては異常がないことこそが異常だった。

昔っから体が丈夫な子だった。

誰もが人生で一度は経験してるだろう風邪も産めれてから引いたことがない。

幼少期はおてんばで活発な子供だったが怪我をしている姿も見た試しがない。

検診を行っても常に健康体。

常々、父親とは真逆の子だと当時一峰はよく思ったものだ。

そんな彼女の異常に皆が気づいたのは央華が小学2年生の頃。

その日は愛染時家の皆でキャンプへ出かけていた。

一峰は愛染時家の人間でもないし使用人でもなかったが、外で遊ぶときは怪我がつきものという前当主の奥方、南風綱子の考えで彼も付き添いとして呼ばれていた。

一峰からすれば興味のないキャンプなど面倒なだけだったが結果として綱子の予想は大当たりとなる。

「央華が崖から落ちた!」

大人たちから離れて二人で遊んでいた羽馬斗と央華、夕食の準備でみんなが目を離した数分間の間に事故は起きた。

一人青い顔をして皆の元に戻ってきた羽馬斗は

出来るだけ素早く状況を伝えてくれた。

なんでも二人で崖付近でふざけていたら央華がそのまま落ちてしまったと。

央華は足から血がいっぱい出ているという。

なぜそんなところで遊んだの!?

そう母である愛染時恵麻が肩を掴み叱るが、怒るには後だと泰輝が言うとそれを合図としてみんなで現場へ向かった。

場所は河原沿いの崖下、央華はそこにちょこんと座っていた。

皆が来た事に気づくと何事もない様に走って近づいてくる。

「ご飯もう出来たの?」

そんな無垢な笑みを見せて。

けれどその姿はあまりに異常だった。

右足は羽馬斗が言う様に太ももから膝にかけて血だらけだった。

ワンピースで来たのが災いしたのだろう、恐らく落下の際足を剃ったのだ。

あの傷、本来なら走る事など出来るはずがないのに央華はまるで何事もない様だ。

そして頭も落下の時打ち付けたのか、額から大量の血が流れ出し白いワンピースを赤く染めていた。

その異様な風体に一同が固まるのを見て央華も足を止める。

一体どうしたんだろう?

首を傾げる様子はそう不思議がっている様に見えた。

そして央華が切り出した言葉は、

「ごめんなさいお服汚しちゃいました」

だった。

直ぐに央華へと駆け寄る家族、怪我は?

痛くないの?

救急車!

そう次々に口にする。

そんな家族に央華は笑顔で答える。

「痛かったけどもう痛くない」

もしかしたら頭を打った事で痛みが麻痺しているのだろうか?

とにかく傷を見ようと一峰は央華へ近づき驚愕した。

「まさか、そんな・・」

驚きに言葉を失いながらも一峰は持っていたミネラルウォータで央華はの血を洗い流す。

そこには傷など一切なかった。

その後頭の方も確認したが出血は完全に止まりやはり傷はなかった。

どうゆう事だ?

その疑問は皆が抱き誰もその謎がわからなかった。

結局、直ぐに病院へ向かい精密検査をしてもらったが体は至って正常との事。

それが変な事だというのはあの場にいた皆の共通認識。

故に一峰は泰輝に頼まれた娘の体に何が起きているのか調べてくれと。

アレからもう8年、判明した事は央華はあらゆる病気にかからず、そして怪我をしても即座に治癒する回復力を持っているという事。

央華を普通の体質へしてあげる事は今も出来ていない。

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