そして死を念う
宮下理央
第1話
自身の異常に気付いたのは彼が一体幾つの時だったろうか?
昔から病とは無縁だった。
風邪をひいたことも怪我をした事もなかった。
幼少期、友達と遊んでいた時二人ですべり台の上から落ちたことがあった。
子供ならではの事故というものだ。
その時も彼は落ちた衝撃こそ感じたが痛みは無くその身体も汚れはあるが傷は一切負うことはなかった。
対して友達は落ち方が悪かったのか腕を骨折し擦り傷からは滑らかな血が滴っていた。
痛い痛いと泣き叫ぶ友達が可哀想でヨシヨシと頭を撫でてあげたことを覚えている。
同じように子供の頃義兄がインフルエンザにかかり一週間寝込んだ事があったがその時も苦しそうな義兄の為つきっきりで看病をしたが自身インフルエンザにかかることはなかった。
だから彼は痛みや苦しみを知識で知ることはあってもついぞ、自身が体験することは一度としてなかったのだった。
もし誰かがその異常さに気づき真摯に説くことをしていれば後にあれほどの人間が死ぬことはなかったのかもしれない。
彼、ハバトが死神へ成り果てない道が用意されていたのかもしれない。
しかしもう全てが遅い。
死神は完全に目を覚ましてしまったのだから。
その死体が発見されたのは6月も終盤に差し掛かり、陰気な梅雨が明けようとする頃だった。
死体が発見されたのは空き地に放置されていた車のトランクの中。
数日前から不審な車が止まっていて気になる。
そんな通報があり駆けつけた交番勤務の警察が見つけたのは空き地のど真ん中に駐車された真っ黒な高級車だった。
見たところ新車、こんな所に放置されるのは確かに不自然だと、巡査は慎重な足取りで車へと近づく。
ついつい忍び足になってしまうのはどうしてもいやな想像が頭をよぎってしまうからだ。
例えばこの車に爆弾が仕掛けられいて開けようとした瞬間に爆発するとか。
そんな妄想をしてしまい巡査は笑う。
現実はそんなドラマチックじゃない。
自分の様な交番勤務の警察はこういった地域の相談事がちょうど良い。
変に慎重になるのやめ素早く車内を確認する。
車に中に人影はなく、鍵もかかって車内に入る事はできない。
ただ妙な匂いがする。
家具だけで嫌悪感が湧く様な、吐き気のする。
「なんだ、この臭い?」
袖で鼻を塞ぎながら車の周囲を回ってみる。
するとどうやらこの匂いの原因がトランクから来ていることがわかった。
近づくとむせかえるほどの匂いが漂ってくる。
しかし開けようにもトランクにも鍵がかかっており開けることができない。
嫌な予感がする。
自分の予感なんて当たるわけもない。
そうたかを括りながらも上司に連絡をする。
その一時間後だった警察によって開けられたトランクから腐乱死体が出てきたのは。
東洞一峰は耳障りなアラーム音で不快な目覚めを迎えた。
デジタル時計の数字は午前6時45分になった所、普段の自分なら絶対に起きることのない時間だ。
起きろ起きろと責め立てる目覚ましを殴る様に押しアラームを止める。
-早起きは健康に良いそうですよ-
以前、愛染時央華から言われた言葉を思い出しす。
それは嘘だと一峰は強く思う。
このような不快な事が健康に繋がるとは思えない。
-先生もお歳なんですから健康気にした方がいいですよ-
こちらを心配しての央華の言葉だがそれこそ余計なお世話だと思う。
こちとら今まで好きなように生きてきた。
いまさら変えれるとは思えない。
それとも、自分は24も年が離れた娘に心配される程自堕落的なのだろうか?
ソファーの上でミノムシの様に布団に丸まりながら一峰は自身の部屋を見渡してみる。
といってもこの部屋に物はほとんど無い。
約八畳のリビングルームにあるのは液晶テレビとエアコンそしてソファーに机くらいのものだ。
眠気まなこのまま視線を向けるのはソファーの目に前に丸机。
以前何となく買ってみた気まぐれの品だが、一峰は今この机を重宝している。
家での生活のほぼ全てをこのソファーで過ごす一峰は大概のものを手が届くこの机に上にまとめて置いている。
乱雑に物が散らばる机の上にはテレビのリモコンにエアコンのリモコン。
そして昨日夕食としてコンビニで買って帰った唐揚げ弁当の空箱と飲みかけのペットボトルのお茶があった。
やけに喉が渇くのでお茶を手に取り口を潤す。
見るとエアコンがついたままになっていた。
それどころか電気もつけっぱなしである。
そういえばと一峰は昨日の記憶を思い出す。
昨夜は食事の後ソファーでねっ転がりアプリゲームで遊んでいるうちに寝落ちしてしまったのだ。
その証拠にスマホが床下にゲーム画面のまま転がっていた。
良い年大人がゲームで寝落ちとは確かにこれは不健康だと思われても仕方がないかもしれないと多少の反省をし。
その様なつもりは今後一切ないが央華にはこの部屋は見せることは出来ないと決意を固くしたところで一峰はソファーから起き上がる。
「いたた」
起き上がると共に腰に鈍い痛みが走る。
ソファーで寝てしまったツケだろう腰だけじゃなく肩や首周りもひどく凝っている気がした。
軽いストレッチをしながら眠気覚ましにテレビをつける。
この家のテレビはよく利用されはするが果たして真の意味で価値があるのかは疑問に思うところがある。
一峰にとってテレビとは見る物ではなく、ただ流す物となっている。
物寂しいひとり部屋を僅かながらに華やかにするための装置、だから流す番組は何でも良い。
とはいえこんな早朝やっているのはニュースぐらいだろう。
朝から硬っ苦しい情勢など聞く気も起きず早々に洗面所部屋に身なりを整えに行く。
鏡に映る自分の姿を見るたび最近めっきり老け込んだと思ってしまう。
髪や無精髭は白髪が混じり目尻の皺は一層疲れた人相を引き立てている。
まぁ後2年で半世紀生きてることになるのだから老けるのも当たり前か。
半世紀、いつのまにか親父より年上になってしまったな。
髭を剃り顔を洗った一峰は父親似の垂れた目を隠すかの様に眼鏡をかけてリビングに戻った。
着替えを済ませリビングに戻った一峰は珍しくテレビに目が移る。
自身と関係のない世界の事柄など興味のない彼だったが、自分の住まう街がニュースに取り上げられているとなると多少なりにも興味が出てしまう。
『・・・遺体が発見されたのは朱鷺ヶ丘市の空き地。警察は遺体の身元を調べるにあたり事件の可能性も含め捜査しています』
可愛らしい顔の女子アナが真面目な顔でよくあるニュースを読んでいる。
そう人が死ぬなんてことはよくあることだ。
いまこの時も世界のどこかでは誰かが死んでいるだろう。
そんな当たり前のことを今更気にしても仕方がないかと一峰は興味を断ち切る様にテレビを切り仕事場へ向かうのだった。
「それで、被害者の身元は分かったのか?」
数町健永は白髪混じりの癖っ毛をかきむしりながら、くちゃくちゃと音を立てながらシューマイ弁当を頬張っていた。
勝木伸之は青い顔ででっぷりと太った健永を見る。
その余りの品のなさに上司といえどいつもなら顔を顰めてしまうが今日ばかりはそんな余裕はない。
昼食として配られた弁当も手付かずのまま机に置かれている。
「身元はまだ、その腐敗が進んでいるでいて持ち物から身元を洗ってるみたいです」
話ながら例のトランクの中身が脳内にフラッシュバックする。
あの時応援の警察官たちと共にこじ開けた放置された車のトランク。
明ける前から嫌な予感はしていたが開けてみるとその予感は正しく、そして中の光景は想像以上に凄惨な物だった。
扉が開くと同時に無数の蝿達が外気にとき放たれ飛び立ち、それと同時に醜悪な腐敗臭が一気に立ち込める。
その悪臭と顔に向かって飛び交う蝿から逃げる様に顔を背けた。
ブンブンと飛び回る蠅の音。
ビシビシと顔にまとわりつく不快な感触を払い除けると目の前にはそれ以上に不快な光景が広がっていた。
「酷いな、コレは」
応援に来た警察官たちも口を塞ぎながらトランクを覗き見る。
トランクの中には人が一人横たわっていた。
年齢性別はわからない。
人の形をしているからコレが人間だったとかろうじてわかる程度にその死体は崩壊が進んでいた。
体はグズグズに腐り顔に至っては肉が溶け頭蓋骨に僅かに腐れた肉がへばりついているのみとなっている。
そしてそのわずかに残る肉片を餌に蛆虫どもがその身体を這いずり回っていた。
もはや生前の姿など微塵も残らない醜悪な姿。
そのあまりに酷さに伸之は自身の胃液が一気に喉を駆け上ってくるのを感じて空き地から飛び出し胃の中のものを盛大に吐き出した。
アレからもうすぐ六時間ほど経つ。
胃の中身はあの時全て吐き出し空腹のはずなのだが弁当を前にしても食欲は一切湧いてこなかった。
「まぁ身元は車や鞄も置いてあったんだろ?意外とすぐわかるかもな。腐乱死体の遺体と対面する遺族は可哀想だが」
シュウマイ弁当を食べ終わった健永は本気でそう思ってるのだろうかと疑ってしまうほど、爪楊枝で歯をほじりながら太々しい態度を見せる。
「それで、お前殺人現場は初めてだったんだろ?しかも初が腐乱遺体とはついてないな。どうだったよ」
食わないなら貰うぞと健永は伸之の弁当を取っていく。
食欲がなく食べてくれるなら好きにすればいいが、人の物まで取るとは卑しいやつだと伸之は軽蔑の眼差しを向ける。
「どうって、最悪ですよ。あんな現場、二度と行きたくないです」
「まぁ、でも俺達はそれで金もらってんだ。嫌だってんなら警察やめるしかねーな」
正論だが、どうしても健永に言われると反感を覚えてしまう。
やはり、嫌いな人間の言葉は素直に飲み込めない。
警察学校時代もそれで教官と揉めてきた。
なぜ、このオッサン達はこうも上から目線なのだろうか?
自分がどれだけ偉いと言うのだろうか?
そんな不満を伸之は常々抱えていた。
「まぁ。それより、数町さん。どうしてアレが殺人だと思うんですか?」
まぁ、あの状況ならまず間違いなく事件ではあるとは思うが。
単なる死体遺棄の可能性だってあるはずだ。
だというのに言い切れる根拠が気になったのだ。
「お前現場ちゃんとみたんか?」
呆れる様な口調の健永はマウスをクリックするとパソコン画面上に例の腐乱死体写真を映し出した。
「ちょ!何でそんなの持ってんっすか!?」
顔を背き抗議の声を上げる伸之を冷めた目で見る健永は画面を拡大する。
「本庁の知り合いに送ってもらった。お前が第一発見者の事件、どんなもんかと思ってな。ほらここ見ろ」
目を背ける伸之を健永は画面を指差し無理やり見せる。
伸之が指差す先にあるのは遺体の手足。
その手首と足首に何か銀色の何かが絡み付いていた。
「縛られてるんですか?」
「ああ、話によると針金で動けない様に手足を縛り上げられていたそうだ」
その痛々しい話に伸之は無意識に顔を歪める。
画面に目をよく向けると、確かに両手足が針金でキツく結ばれていた。
特に胸元に置かれた手は掌まで針金が結び付けられ、まるで祈りを捧げている様にも見える。
さながらこのトランクは棺桶の様だ。
「死体遺棄なら遺体の手足を縛り付ける理由はないだろ。このやり口犯人はいかれた猟奇殺人犯かな?」
健永は弁当をかき込みながらそう呟いた。
東洞一峰の職場は郊外の森の中にある。
世間との関わりを断つ様に緑の壁に閉ざされた世界、その森の中心に一つの館が建っている。
西洋の洋館をイメージした三階建ての赤い屋根の建物。
森から館までは一本道で迷うことがないのはありがたい。
それほど深い森ではないとはいえ、同じような木ばかりの代わり映えしない景色、迷うには十分な要素が揃っている。
そんな道を進むとその館は姿を表す。
洋館などほとんど一峰は見たことが無いので比べる程知識はないが、それでも小学校の校舎ほどの大きさの個人宅が規格外に大きいことは分かっていた。
愛染時邸、それがこの館の名前。
現当主の愛染時泰輝が一峰の雇い主ではあるのだが元々は先代当主の愛染時歳丸との縁でここで雇ってもらっている。
高い塀と鉄柵扉の入り口に車を止めると約10秒ほどで鉄扉が自動で開いていく。
よく見ると門近くの塀に監視カメラが付けられている。
一峰は慣れた様子で車を発進させ門の中へ入っていく。
正門を抜けるとすぐに姿を見せるには来客を迎える色とりどりのバラたち。
左右に陳列された花たちの間を排気ガスを撒きながら走るには妙に居心地が悪く、一峰は毎回ここを素早く通過する。
そのまま屋敷に裏手側に向かうと来客用の駐車場がある。
車は一峰のものの他に三台ほど駐車されていた。
どれもこの館には似つかわしく無い庶民的な車ばかりだ。
おそらく使用人達のものだろう。
車の扉を開けるとそれを見計らった様に物陰から若い女性が姿を表す。
黙礼をする二十代中頃のポニーテールの女性はスッと両手を一峰に差し出す。
「おはようございます。東洞様、お荷物お預かりします」
「おはよう、三佐川さん。最近、変わりはないかい?」
手に持った鞄をメイドの三佐川に預けながら尋ねる、特にこのメイドと話すことはないのだが無視するわけもいかないのでこんな当たり障りのないことを聞いてしまった。
「はい。皆変わりないです」
そんな一峰の心のうちを知ってかしらずか三佐川は最低限の受け答えしかしない。
相変わらず愛想のない女だ。
一峰は内心そんな悪態をつく。
三佐川絢子がこの愛染時邸で働く様になったのは3年前の秋頃だったと一峰は記憶している。
酷く汚れた格好をした彼女を愛染時泰輝は慌てた様子で怪我を診てくれと頼んできた。
面倒ごとが舞い込んだ、その予想は彼女の体を見てすぐに確信に移った。
身体中の擦り傷にあらゆる所にある打撲痕。
さらに服もはだけた状況、暴行を受けたのは間違いなさそうだった。
「この子どうしたんです?」
酷く狼狽している雇い主を落ち着かせるためにも一峰は温かなミルクティーを差し出した。
泰輝は一口飲むとふーと深いため息をつく。
「正直私にもよくわからないんだけど。ここへ向かう途中、突然茂みから彼女が飛び出してきて。あんな格好で怪我もしていたから君に診てもらおうと思ってね」
それでこんな厄介ごとに自ら首を突っ込むとは、親子揃ってお人好しの様だ。
どうせなら、そんな厄介に巻き込まれるこちらのことも配慮して欲しいがそんな愚痴は心の中に留めておく。
「まぁ見た感じ命に別状はないし身体の方も後遺症が残るような大きい怪我はない様ですよ。ただ暴行を受けたならちゃんとした病院へ行ったほうがいいですよ」
そう、自分は小さな町医者。
知識はあっても器具がない。
「暴行を受けたなら早めに病衣へ行ったほうがいいです。もし妊娠なんてしてたらあの子もより傷つくでしょう」
「うんうん。そうだな。よし、とりあえず私が付き添いで行ってくる。警察の方には彼女の意見を聞いて決めるよ。ありがとう東洞くん」
礼を述べ再び少女を連れ出ていく泰輝。
そんな事が起きたのが今から3年ほど前の。
結局あの後身寄りがない事が判明した例の女性、三佐川絢子は助けてもらった恩義を返したいとこの愛染時邸で使用人として働く様になった。
アレから三年、一峰はいまだに彼女の笑い顔を見た事がない。
そこにあるのはあの日から変わらない虚な瞳だけだ。
3年の月日ではまだ彼女の心の傷は癒えないのだろう。
一峰は三佐川と共に先ほど車で通った道を今度は逆向きに歩き正面玄関の方へと向かう。
コツコツと無言のまま一峰を扇動する三佐川。
屋敷裏に駐車場から正面玄関までは3分ほどだが、それでもこの三分間を陰気な空気を纏う三佐川と共に無言で過ごすことに居心地の悪さを感じる一峰はまた、適当な話題を探す。
「針河の爺さんも元気にしてるかい?」
針河の爺さんというのは、本名針河睦矢。
この屋敷の使用人長を務める老齢の男性のことである。
おそらく使用人の中では一番歴が長いであろう針金は今は孫娘と共に屋敷に住み込みで勤めている。
「ええ、針河さんも、香夜ちゃんも元気ですよ。香夜ちゃんは昨日から修学旅行で留守ですが」
それを聞いて内心ほっとする。
そんな内心を見透かしたのか三佐川は正面玄関へ向かう曲がり角でピタリと止まり睨みつける様な視線で一峰を見据えてきた。
「差し出がましいですが、東洞様はもう少し香夜ちゃんときちんと向き合うべきだと私思います。そんな逃げる様な態度、香夜ちゃんが可哀想だと思います」
感情などとうに無くしたと思っていた女の他人を思ってに発言。
機械の様に日々を過ごすだけだと思っていた女の僅かな感情、故にその言葉の真剣さが一峰にも伝わる。
伝わりはしたのだが、だからと言ってそれで解決というほど簡単な話でもない。
針河香夜、針河睦矢の孫娘である彼女は何の間違いか東洞一峰に恋をしているのだという。
最初彼女に想いを伝えられた時、それは冗談だと一峰は思った。
なんせ自分はもう四十前のオジサン、これまで浮いた話も大してなかった。
そんな自分がまさか若い女の子から告白されるなど夢にも思っていなかったからだ。
告白されるなんて嬉しいことではある。
誰だろうと好意を持たれて嫌な気持ちを抱くことはないだろう。
だが、自分の年齢もあり一峰は当初その告白を愛の告白とは捉えていなかった。
香夜が抱いているのは一種の憧れの様なもの。
いわゆるLOVEではなくlikeの感情なのだと考えていた。
それでも嬉しい話だ。
こんなおじさんを尊敬してくれるなんてありがたい事だと一峰は思っていた。
けれど彼女と接するうち、その態度表情言葉とあらゆるアクションに自分への好意が溢れ出しておりいよいよこれは本気だと自覚したのがつい二月ほど前のことだ。
そうなると香夜の思いは一峰には荷が重くなる話である。
問題が色々とありすぎるからだ。
一つは歳の差。
彼女との歳の差は親子ほどある、そんな娘相手に一体何を話せばいいというのか?
恋愛経験も乏しくそもそもこの歳になるまで恋愛なんて大して興味も持てないでいたのだ女性が喜びそうな話などとんと思いつかない。
二つ目に彼女の年齢だ。
歳の差だけならまだ問題はなかった。
今時親子どころか孫ほど歳の差のあるカップルだってありえない話ではない。
けれどそれも相手が成人の場合のみだ。
相手が未成年となるとまるで話も違う。
香夜はまだ13歳、そんな少女に愛を語られれば一峰でなくとも対応に困るだろう。
そう未成年だからこそその好意は憧れなんだろうと一峰は信じたかったのだがその当てもハズレ最近は彼女と会う事自体がストレスとなりつつあった。
また追い討ちをかける様に香夜はオープンな性格なので人目も省かず告白を連発してくるものだから彼女の想いは屋敷に住むものなら全員が知っている事実となり、最近は屋敷の方にも最低限しか出入りしなくなっていた。
そんな一峰の態度を逃げ腰だと捉えたのだろう三佐川はきちんと対応しろと非難お声を上げる。
たしかに、真剣な想いには真剣に答えるべきだろう。
それは一峰も分かる。
けれど13歳の少女相手に39のオヤジが一体どの様に告白を断ればいいのか、一峰にはそれが重い難題だった。
「そうはいうがね三佐川さん。僕にはあの無邪気な笑顔で語りかけてくる少女に一体どんな言葉を返せばいいのかが分からないのだよ。まさか気持ちを受け止めるわけにもいかないだろうし」
「当然です。あの子はまだ何も知らない無垢な少女なのですよ、決してあなたが触れていい存在じゃありません」
ピシャリと失礼な言い方をする三佐川だが、言ってる事はもっともで彼女の過去から男性に対して不信感が強くなるのも仕方がないと思うので一峰は特に何も言わない。
「とにかく、香夜ちゃんの想いをきちんと聞いた上で、傷つける事なく香夜ちゃんの思いを諦めさせてください」
そう頭を下げ再び先導し出す三佐川の後ろ姿を眺めながら、一峰はそれが難しいのだよとため息を吐くのだった。
伸之は車内での暇な手待ち時間をアプリゲームで潰していた。
今流行りのオンラインTPSゲームで伸之も友達の勧めで始めてみたがこれが面白く、今じゃ暇さえあればプレイしている。
伸之が得意とするのはスナイパー。
遠距離から敵に気づかれず脳天を撃ち抜いた時の爽快感。
それは、仕事で蓄積されてストレスを一気にぶっ放す快感を伸之に与えてくれる。
一応断りを入れておくが、伸之には別に殺人願望とかそんなものはない。
強いて言えばこういったゲームをしているので銃をぶっ放したいという願望は少なからずあるが、だからと言って本当にしようなんてことは考えていない。
ゲームだってただの娯楽だ。
「勤務中にゲームとはいい身分だな馬鹿野郎」
急に頭に衝撃が走る。
その不快さに伸之は顔を顰めながら衝撃が起きた方向に顔を向けた。
運転席の開けられた窓、そこから健永はこちらを睨みつけている。
「数町さん、すいません」
急いでスマホをポケットにしまい謝る、そんな若者を健永は呆れた目で見ながら助手席へ乗り込んでくる。
「上司がトイレに行ってる間くらいおとなしく待てないかね、お前は」
パトロール中にトイレ休憩として寄ったコンビニ。
用を済ませたあと買ったのであろう缶コーヒーを開けながら健永はため息を吐く。
その光景を見ながら伸之は自分の分はないんだなと思う。
そんな不満を振り切る様に伸之はエンジンをかけて車を発進させる。
「あの、数町さん本当にいいですか、パトロール中に聞き込みなんて?そんなの指示されてないですよね?」
現在、伸之と健永の二人は地域の巡回中。
決められた時間に決められた道行をパトカーで廻る日課の様な作業。
その道順を変えてみようと言い出したのは健永だった。
理由は巡回前に入ってきた情報、例の伸之が発見した腐乱遺体その身持が判明したとのことだった。
遺体こそ生前の面影が分からないほどひどい有様だったが、健永の読み通り多くの遺留品があったため身元を割り出すのはそう難航せずに済んだのだ。
免許証や健康保険証なども残されておりそれによるとどうやらこの遺体は貝沼裕作という人物らしく、調べてみると一月ほど前から行方知らずとなっていた。
貝沼裕作、57歳。
若手の伸之は知らなかったが、ここいらの警察では知らないものはいない有名人であった。
彼が最も名を馳せたのは今から40年ほど前に遡る。
『レッドクイーン』
それは当時、大きく名を馳せた暴走族その7代目総長を務めたのが貝沼裕作だった。
喧嘩恐喝の常習犯、警察とも何度もいざこざを起こした。
健永も当時のことはいまだに鮮明に思い出せる。
今より少年犯罪が多発していた時代、まだ新人で現場にも多く駆り出されていた健永たち当時の警察官達にとってレッドクイーンは恐怖と悪
象徴だった。
暴力、恐喝、強姦その所業は暴走族というよりも一端の犯罪組織に近いものがあった。
その頭目として君臨していたのが若き日の貝沼裕作である。
彼が総長に担ぎ上げられた理由は単純、その腕っ節の強さと凶暴性からだった。
貝沼を逮捕する際警官10人でやっと抑え込めたのは今でも伝説となっている。
そしてその時の10人の一人が若き日の健永だった。
彼にかけられた容疑は恐喝に傷害そして女学生数十名に対する強姦という凶悪極まりないものだった。
未成年の少年がそれだけの凶悪事件を起こした若き日のまだ青臭い理想に燃えていた健永にはそれが信じられなかった。
けれどもそんな思いは実際に貝沼と対峙した際に消え去った。
刈り込まれた髪に異様に細い眉、筋肉質な体は未成年とは思えないほど大きく着ている学ランが異様なほど不自然に見えた。
登校中に警察に取り囲まらた貝沼は包囲を突破しようと暴れに暴れた。
暴力の渦の様な猛攻、相対した健永は貝沼が人ではなく凶暴な野獣、熊の様な獣に見えた。
結局その凶悪な獣をとりおさえることに成功したのは彼を取り囲んでから30分後の事、その間に10人の警官は皆どこかしらに怪我を負ってしまった。
健永自身も顔を殴られた際奥歯が折れてしまった。
こうして罪状に新たに公務執行妨害を加えられた貝沼はその後7年を刑務所で過ごすこととなった。
その後刑期を終えた彼と健永が再び出会う事はなかったが風の噂で良からぬことをしているというのは聞いていた。
そんな彼が殺されたのは仕方がない事とは言わないが十分すぎるほどあり得る事だったんだと思う。
なにせ、それだけ多くの恨みを買っていたのだから。
だから被害者である彼に対する哀れみは今回健永は持つことができなかった。
それでも命令もされていない捜査を独断でしている理由は二つ。
一つは単純に犯人に興味があるからだ。
貝沼は健永の長い警察人生の中でも稀に見る全身凶器の様な男だった。
そんな男をいったい誰がどの様に死へと追いやったのかそれが気になったからだ。
そしてもう一つはこの事件はほっとくとまだまだ続く気がしたからだ。
何故かと問われれば困る。
今時、刑事の感なんて言ったら笑われるかもしれないが、そんな悪い感だけが今まで当たってきた。
嫌な感じがする事件だと直感が働いたものは今までなぜか解決まで長引いた酷いものはいまだに解決してないものもある。
それが今回も働いてしまった。
感が働いたからといって全ての事件には関われないしそんなもの関わりたくもない。
健永は自身がヒーローではない事がわかってたし警察がただの仕事だとも割り切っていた。
だから今回動いてみたのは、先の理由、単純に事件そのものに興味が湧いてしまったからその意味合いが強かった。
悪く言えば興味本位ただそれだけだ。
「良いんだよ。パトロールのついでだ。別に本格的に捜査しようなんて思ってないさ、なんか見つかったらみっけもんぐらいの気持ちだ。お前も第一発見者なんだ興味くらいはあるだろ?」
余計なことをしている。
そのことが明らかに不服な伸之だが乗り気な上司の言葉を否定する勇気はなかく適当な肯定をしてしまう。
「まぁ気にならないわけではないですけど」
嘘だった。
あんな気持ちの悪い事件なるべく関わりたくない、今やってるには明らかに自分の仕事じゃないそれが本心だ。
そんな思いに気づくことのない健永はそれ見た事かと笑う。
「まぁ本格的な捜査は上がしてくれるさ。気楽にやろうや」
そう呑気に言う健永に伸之はまた一層不満を募らせるのだった。
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