第5話

 結空は面うんざりしながら日本史準備室がある別館の2Fに向かう。


 この大枝大学付属高校の校舎は本館と別館に分けられている。

 別館は建て替え前の校舎の一部で、非常勤講師の待機室や授業で使う資料の置き場として扱われている。


 教師に質問をする生徒がいたりするが、今日は授業がないので誰もいなかった。

 準備室を窓から覗くと一人の女性がノートパソコンと向かい合い、キーボードを叩いていた。


 さらさらなロングの黒髪にスーツに身を包んでいた。

 ただ、彼女には左側の頭頂部から赤白い突起物、角が顔をのぞかせていた。

 黒坂の角は肌に覆われていたため肌色だったが、女性教師の角はそれに加えて角が皮膚に覆われていなかった。

 角がむき出しになっている鬼憑きのことを生成りと呼ぶ。


 先生のほうに近づくと独特な匂いが微かにし始める。

 これは生成りの鬼憑き特有の匂いだ。角が皮膚に覆われていないために鬼の瘴気が外に漏れ出ているものらしい。

 ちなみにこの匂いは一般人には気づかないほど微弱であり、鬼憑きである結空が辛うじて気づくレベルだ。


 「どうも」

 「こういうときは『失礼します。木島先生いますか。』でしょ。春休み挟んで忘れちゃった?」


 木島と名乗った鬼憑きはパソコンに顔を向けたまま返事をした。


 「次からそうします」


 結空は『誰もいないからいいじゃないか』と心の中で悪態をついた。


 「キリ悪いからソファでちょっと待ってね」


 「わかりました」


 部屋の奥にある黒い革のソファに腰を下ろした。

 待つこと数分、木島先生がんーっと体を伸ばしながらやってきた。


 「仕事、大変そうですね」

 「先生って職業は教えるだけじゃないのよ」

 「今年はどこの副担任ですか?」


 去年は結空のクラスではなかったが一年生の副担任を勤めていた。


 「君のクラスの副担任だね」


 結空の予想通りだった。


 「転校生が鬼だからあてがわられたんですか」


 鬼の転校生のクラスに鬼の教師をつけるのは当たり前の話だ。


 「直接言われてはないけどそんなところでしょうね。でも君とも同じクラスになったのは不思議だわ」

 「一応聞きますけど俺が鬼憑きのことバラしてないですよね」

 「安心しなさい。してないわよ」

 「角なしの鬼なんて珍しくないし鬼憑きとバレてもしらばっくれるつもりでしょ」

 「まぁそのつもりですね」


 先生の言う通りだった。角なしの鬼憑きは国に登録されているだけでも千人近くいるらしい。

 それに加えて、無自覚で鬼憑きだったり、鬼憑きであることを隠している例もあるため、潜在的な数を含めたらもっと多い。

 実際に、社会人となり健康診断で初めて採血を行った結果、鬼憑きと判明したという事例が過去に何度もあるらしい。


 「君が知らんぷりするならこっちも知らんぷりしたほうが楽なのよ」

 「加賀智君は何か飲む?」

 「いや、いいですよ。それよりも本題に入ってください」


 先生は「そう」と小さく返事をしてから一人分の飲料水をケトルで温め始めた。


 「わかってると思うけど転校生の話よ」

 「そんなことだろうと思ってました」

 「教室だとどんな感じだった?」


 結空は今日の出来事を思い返しながら口を開いた。


 「元気はつらつとした女の子でしたね。角が生えていることが不気味に感じるくらいでした」


 鬼憑きというのはあまり話そうとしない。昨年度卒業した先輩と一学年上の先輩に鬼憑きはいるが、どちらも大人しい印象だった。


 「やっぱりそうなのね。転入する前に話す機会があったのだけど主担任や私相手でも同じだったのよ」

 「公安の人間は違いますね」

 「そのことまで言ってたの?」


 木島先生は少し驚いた様子だった。


 「はい、後はポスターに載ったとかどうとかも言ってました」

 「黒坂さんの方からいろいろ話してたのね。加賀智君に話聞いといてよかったわ」

 「調べれば出ることじゃないんですか?」

 「生徒っていうのはね、教師に使う顔と生徒に使う顔が違うのよ。だからなるべく知っておきたかったのよ」

 「そんなことするですね」


 結空は昨年までほとんど学校に通っていなかったため、想像ができなかった。


 「あなたが鬼憑きであることを隠してる相手とそうでない相手とで態度が違うみたいなものよ」

 「なるほど」


 結空はその例えに違和感を覚えたが、納得したフリをした。


 「で、黒坂さんとは仲良くなれそう?」

 「無理ですよ。俺は誰とも話さないので」

 「せっかくの鬼憑きの同級生なんだし仲良くすればいいじゃない。角なしなんて珍しいわけでもないじゃない」

 「無理なものは無理なんです。俺からバラすくらいなら先生にバラされて退学したほうがマシです」


 結空はきっぱりと否定した。結空は自分が鬼憑きであるということだけはどうしてもしたくなかった。


 「前もこの話したけどそこまで拒否するってことはよっぽどなのね」

 「そんな感じです」


 こぽこぽと音をたてていたケトルからカチっと音がする。


 「ちょっとごめんね」


 先生はマグカップにお湯を注ぎ、インスタントコーヒーを作った。


 「そういえば、先生って鬼憑きの知り合いとかっているんですか?」

 「どうしたの急に。もしかして、あの子と仲良くなりたいの?」

 「いや、鬼憑き同士の会話がどういうのが気になっただけです」


 先生じゃなかったらさっきの会話の流れからどうしてそうなるのかと言うところだった。


 「んー……まぁ何も変わらないわよ」


 先生は一呼吸おいてから再び口を開いた。


 「ただ、鬼憑き相手の方が気楽だから、鬼憑きであることをばらしておいて黒坂さんと仲良くなったほうが後の学園生活で楽になるわよ」

 「それだけは嫌です」

 「強情だねえ」


 先生はコーヒーを一口飲んだ。


 「私の話は終わりなんだけど、聞きたいこととかある?」

 「え、これだけのために呼んだんですか?」


 あまりに話の内容がなさすぎて驚きを隠せなかった。


 「そうね。結空君の今後の方向性も確認したかったし」

 「わかりました。俺の方でも何かあったら教えますね。大した情報は渡せないと思いますけど」

 「わかったわ」

 「失礼します」


結空は日本史準備室を後にした。

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