十八話 展望

「心配をかけたが見ての通り私は立ち直ることが出来た…………彼を見舞いによこしてくれた君の好意に感謝する」


 早朝の学校の教室。まだ二人以外の誰も登校していない教室に呼び出された環は呼び出した当人である神無の威風堂々とした姿を目にした。


「…………また予想とは違う立ち直り方したわね」


 神無の弱っているところを蓮太に見せて慰めさせるというのが環の目論見だった。その結果神無は蓮太を頼れる存在と認めて恋心を抱いてしおらしくなる…………まあ、そこまでうまくはいかないだろうが何か知らのきっかけにはなるだろうと考えていたのだ。それくらい環から見て神無は弱っていたのだから。


 しかし蓮太は一体どんな慰め方をしたのか神無は完全に立ち直っていた。それも若返って再会した時ではなく初めて出会った時…………いや、それ以上の自身と余裕に満ち溢れているように環には見えた。


「ふふふ、恋を知るというのはなかなか良いものだね」

「知れたの!?」


 環は驚く。もちろんそれが理想ではあったしニグラトと競うための前提条件だったので喜ばしい…………しかし自分で画策しておいてなんだが神無が蓮太に恋したと言われれば環は驚くしかなかった。


「まあこれが君たちのいう恋愛感情と同一のものかはわからないがね…………彼が共にいて欲しい、彼が欲しいと心の底から感じているよ」

「んんん、まあ…………似たようなもんでしょ」


 その物言いには甘酸っぱさが欠片も感じられなかったが環は良しとすることにした。恋愛を全く理解せずその対象であるはずの蓮太に恋心を抱くどころか恐れていたような状態と比べれば大幅な前進だ。


「それで、私はこれからどうすればいいのだろうか?」


 しかし次にその口からはそんな言葉が飛び出す。


「どうすればって、そんなものどんどん八月に好意をアピールしていけばいいじゃない」


 これまではアピールに感情が伴わないものだったから控えさせていたが、これからはちゃんと感情が伴うのだから白々しいものにはならない…………これでようやく本当の意味でニグラトに対抗することが出来るようになったのだ。


「それも別に特別な事をする必要はないわよ…………むしろ普通っぽい方が八月には効くんじゃない?」


 それは環の見立てではあるが間違っていないように思う。今の蓮太は普通の物事にこそありがたみを感じる状態だ。


「その、具体的には?」

「その手の参考になる資料ならあんた山ほど読んでるでしょ」


 恋愛系の創作物を始め実際の事例なども環は彼女に目を通させている。そのスペックの高さは自他ともに認めるものなのだからその全てを神無は覚えているはずなのだ。


「もちろん覚えているが…………それは彼に対してのものではないだろう?」

「そりゃまあそうだけど」


 参考はあくまで参考ではある。それは多くの人間に当てはまる事かもしれないが、当然当てはまらない人間もいて逆効果になる可能性だってあるだろう。


「その、だ。昨日は勢いもあって彼を押し倒してみたりも出来たんだが…………その、冷静になって落ち着いてみると何かをして彼に嫌われるのが怖く感じられてね」

「押し倒したりって…………いきなり何してんのよ」


 勢いが過ぎると環は思ったが、それに関してはショックを受けていないことを考えると穏便には済んだのだろうと理解する。けれど落ち着いたらそれがやり過ぎだったんじゃないか、もしかしたら嫌われていたのじゃないかと思うようになり、再び行動することに嫌われる恐怖を覚えるようになったという事なのだろう。


 いやいや、恋する乙女かよ。


 嫌われるのが怖くて行動できないとか正に恋する乙女そのものじゃないか…………と考えたところで環は気付く。


 その認識でなにも間違っていないのだったと。


                ◇


「ちょっと話があるから屋上に来てくれないか?」


 昼休み。最近は屋上ではなく部室で昼食を摂ることも多かったが、今日に限って祀は蓮太からそんなことを言われた。思わずニグラトに視線を向けるが彼女からは頷かれる。それであれば祀にとって断るという選択肢はありえなかった…………環からは心配するような視線を送られ、調子を取り戻したらしい神無からは敵意にも似た視線を向けられたがそれはどうでもよかった。


「それで蓮太君、一体私に何の用?」


 実を言えば蓮太と話すたびに祀は緊張している。けれど他ならぬ彼からタメ口を求められているのでそれをおくびにも出さずかつての間柄のような口調に努めている…………それがまたしんどいのだけれど、それに気づかれるわけにはいかなかった。


「や、そんな大した話でもないんだけど…………他の三人も一応他の人間がいない時だったからな」


 その答えで祀は呼び出された目的を大体察する。先日のボードゲームを蓮太は自分の負けとすることで終わらせてその補填として全員に勝者の報酬を約束した。そして昨日までに自分以外に対しての報酬は支払われたと聞いている…………つまり祀の番が来たのだ。


「この前のボードゲームの報酬の話なんだけど、祀以外のは終わったからさ」


 その予想に反しない言葉を蓮太が告げる。


「知っての通りまあ、そんな大した報酬じゃないけど」


 ハグと見舞いと名前呼び…………うん、そんなに大したものではないはずだと蓮太は再確認する。


「祀はどうする?」

「えっと、私は…………」


 尋ねる蓮太にしかし祀は戸惑う。正直に言えば辞退したかった。それが一番楽な選択だと彼女は理解していたからだ…………しかし辞退は出来ない。これはニグラトの絡んだ約束事でありそれは可能な限り履行する必要がある。例え他の三人が履行されていても祀一人分履行されなかったという前例は後に良くない可能性を生むかもしれないからだ。


「そんなに悩むようなものじゃないと思うんだが」


 蓮太からすればそれはぱぱっと決めてしまえるようなものに思える。


「あはは、そうだなんだけどね」


 それを笑ってごまかしながらも祀は胃が痛くなる思いだった。確かにできる事の程度で言えばそれは悩むものではないのかもしれないが、問題はその対象が蓮太であるという事だ。現状で彼女にとって彼は敬う対象だ…………その敬う対象にその程度の頼みごとをするというのが祀にとっては大きな抵抗を生んでいる。


 ましてや蓮太にはニグラトという強大過ぎる伴侶が付いている。祀は彼女から存在を認められているが情を向けられているわけではないのを理解している。だから例えば自分が彼女にとって不快になるだろう行動をすれば容易く切り捨てられるだろう。


 だから下手な事を祀は蓮太に頼めない。自分の愛すべき伴侶にそんなくだらないことをさせたのかと思われればそれでお終いになってしまうからだ。


「もしかして困ってるのか?」

「そんなことないよー?」

「…………」


 当然の如く祀は否定するが蓮太はそこに無理をしている雰囲気を感じ取る。それに祀は彼に頼まれて以前のように接してくれているだけなのだと思い出した。そこから考えてみれば今回のゲームの報酬は友人同士なら軽いノリでいけるものでも目上の相手に大しては内容に困るものではあるかもしれないと気づく…………蓮太の心情的には気づきたくなかったが。


「あー…………」


 別に自分は気にしないと口にしようとしたが蓮太はそれをやめる。彼が気にしないといっても祀は確実に気にする。むしろ気にしないからさっさと決めろというような強要と受け取られる可能性すらある。


「まあ、ほんとになんでもいいから」


 なので結局はそんな無難な言葉の繰り返しになってしまう。


「う、うん。わかってるんだけどね」

「ええとあれだ、特にないならジュースでも奢るけど」


 それでも追い詰めるようになってしまっているのを見かねて蓮太は提案を捻り出す。友人同士の賭け事の定番ではあるし、その行為自体は目上の人にやらせてもきちんと感謝を挟み込めば不敬というほどではないはずだ。


「ジュース、ジュースかあ」


 逃げ道としては最良に祀にも思えたが、ジュース一本となるともったいなく感じるのは人としての性だろう。


 人として自分よりも遥かな高みにいる存在。


 そんな存在である蓮太に頼みごとをする権利をジュース一本で消費してしまうのはとてつもない浪費だ…………もちろん他の頼みごとが浮かばない中で示された逃げ道に文句を言うのは筋違いだし、最初は辞退したいと思っていながらそれに近い逃げ道が提示されて惜しく思うのは本当に愚かしい話ではある。


 けれど具体的にジュース一本と引き換えになるという例が目に見えてしまうとやはり惜しいと思えるのだ。


「それじゃあ何か俺にして欲しいこととかある?」


 ニグラトであればハグを求め、環は神無への見舞いを、神無は互いに名前で呼び合うことを望んだ。


「蓮太君にして欲しいこと…………」


 以前の、そう以前までの関係であったらこれを一つのきっかけとして祀は蓮太をデートにでも誘ったかもしれない。しかし今の彼女には蓮太に対する恋心は崇拝に変わっていて畏れ多いことこの上ない…………何よりもニグラトの反応が恐ろしい。


 そもそも今の祀にはもはや異性に対する恋愛感情というのはあまり残っていない。あと少し高みに昇れれば寿命からは解放されるような感覚が彼女にはある…………自分が死なない以上は子孫を残す必要性は無くなるのだから。


 けれどそれを考えると自分よりも遥か高みにいるはずのニグラトや神無が蓮太という異性を求めるのは不思議に思える…………あれくらいの高みにまで昇ればそれもわかるのだろうか。


「…………」


 そんなことを思いながら祀は蓮太の顔をじっと見つめる。今はそんな気持ちはまるでなくなってしまったけれど、彼と同じところまで昇れればあの感情は戻って来るのだろうかと。


「どうした?」

「ううん、なんでもない」


 首を振って祀は気持ちを切り替える。


「やっぱりジュースを奢って貰おうかなって」


 今は無難に、高望みをしないことを彼女は選ぶのだ。

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彼の彼女は邪悪極まりない存在でした 火海坂猫 @kawaneko

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