face.1-2 橋本奈由香、美に囚われたその半生
「いや! いやあああああああああああ!!!」
今私は、手術台にロープで縛られた状態にある。
「はーい暴れないでねー。今から平均化手術始めるからねー」眼鏡とマスクかけたキモ男が上からのぞき込んでる。
「ふざけないでよ!!! 私は百年に一人の美少女よ!!?」
「三か月も再教育したのに改心しないんじゃねー、平均化するしかないねー」
ああ、せっかく生まれもって授けられた私の才能が、誰だって言いなりにさせられた私の才能が……
奪われる。
ウバワレル?
イヤダ。イヤダ。イヤダ。イヤダ。イヤダ。イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ……
「はい、これから
2018年、東京都世田谷区の一等地に暮らす橋下家に、女の子が生まれた。
「まあ! 何て美しい子なの!!?」生まれたばかりの子を抱きながら母親が言う。
「ああ、この子は絶対大物になるぞ!!」その子の顔を覗き込みながら父親が言う。
「名前、どうしましょう?」夫婦はいまだに我が子につける名前を決めていなかった。
「よし!」父親はノートを持ってくると、万年筆で一画一画丁寧に書き記した。
「この子の名は、奈由香にしよう!!」
橋下奈由香が芸能界に鮮烈なデビューを飾ったのは、彼女が五歳の時だった。
その美しさがとある映画監督の目にとまり、子役にスカウトされたのである。
彼女が主役を演じた映画「ジーニアス・コラプス」は、IQが高すぎて自分で核融合炉の理論を完成させた幼女をめぐって各国が争うという内容であり、ドロドロな駆け引きと少女の心情の表しかたが上手いと大評判。
奈由香は初舞台でありながらアカデミー賞の主演女優賞を獲得。勿論史上最年少だ。瞬く間に天才幼女の名は世界中に知れ渡った。
彼女が成長するにつれ、その才能はますます開花していった。
女優の仕事は勿論、歌手、モデル、CM等、様々な仕事を一流以上にこなしていた。
にもかかわらず学校の成績はトップ維持。まさに子供たちからも憧れの的だった。
彼女自身もまた、自分の美貌に確信を持ち、次第に人々を従える立場であると自覚してきた。
そして、彼女が十一歳になるころには、そのあまりにも奇跡的な美貌とたぐいまれなる才能を称えられ、「百年に一人の美少女」とよばれるようになった。
高校を卒業した奈由香は、大学へは進学せず、芸能界の仕事も女優とモデルに絞った。
時は既に外見至上主義社会。彼女ほどの美人なら大学に進学せずとも将来を約束される。
2037年、奈由香がある大手週刊誌の取材を受けたときだった。
その時彼女は楽屋でコーヒーを飲みながらのんびりとしていた。
すると、誰かが扉をノックする音が聞こえた。
「どーぞ」椅子に身を投げ出したままの格好で生返事をする。
「こんにちは、週刊ウィメンズの
彼女は「血管腫」という病気を患っている。生れつき顔の血管が増幅・肥大し、ブクブクと膨れ上がっているのだ。
血管腫は遺伝性の病気でも伝染病でもない。人から人へ移る可能性は0だ。
しかし、「無知」は人にとって最大の恐怖となる。
ましてや、生まれたときから美意識を磨き上げられてきた奈由香にとって、醜いものは憎悪と軽蔑の対象だ。
「キャー!!! バケモノ!!! こっち来ないで!!!」奈由香は持っていたコーヒーのカップを晶子に投げつけた。
カップは晶子の顔の僅か数㎜左側にそれ、壁に当たった。
「来ないで!! 気持ち悪い!!!」奈由香の声は壁に当たったカップの割れる音すらかき消した。
晶子は声にならない悲鳴を上げながら部屋を走り去った。
翌日、奈由香からこのような声明が発表された。
「今後、バケモノのいる週刊ウィメンズの取材は一切応じません」
この声明文は瞬く間にネット上で拡散され、大賞賛を浴びた。
『よくぞ言った』『なんであんな奴が大手出版社で働いてんの?』『バケモノは死ね』『奈由香さんかわいそう』
二十年前には考えられないような、倫理も道徳も無視された発言の嵐。
群衆は揃って奈由香を擁護し、晶子に心無い批判の言葉をぶつけた。
週刊ウィメンズの出版社の株価は暴落し、出版社にも誹謗中傷の電話やメールが送られるようになった。
出版社は何の罪もない晶子を懲戒解雇処分とすることで、この炎上騒ぎを収めた。
……今思えば、外見至上主義が問題視されたのは、この事件以来かもしれない。
仕事に真摯に挑み、顧客に対して精一杯の立場を取っていた晶子が、ただ顔が悪いだけで人生を台無しにされた。
それにより、人々の中でも危機感が生まれ、美容外科や整形外科に駆け込んだり、美容室通いに勤しむようになった。
そして、その後晶子がどうなったのかというと。
懲戒解雇となったことから次の就職先はなかなか見つからず、血管腫の事も相まって就活先から嫌がらせの言葉を受けるばかり。
彼女は最後の望みをかけて、彼女を誹謗中傷した人々、彼女を解雇した出版社、そして悲劇を巻き起こした張本人・橋下奈由香を名誉棄損、不当解雇等で訴えた。
これがその裁判の一つの判決文である。
1 原告の請求を棄却する。
2 原告は被告に対し、250万円の慰謝料を支払え。
(中略)
本件はそもそも被告の精神的苦痛から始まり、被告の言動は正当と言える。
(後略)
もはや司法すら外見を取り繕っただけの抜け柄。
晶子はすべての裁判で負け、計数千万の慰謝料を追う羽目になってしまった。
晶子はこの世のすべてに絶望した。
この世のすべてを恨んだ。
……この世からいなくなることを決意した。
2040年7月6日、晶子は数個の睡眠導入剤の入った瓶を前に座っていた。
もはやこの世に未練はない。
そう思って一つ目の瓶を手に取ったその時。
「未練はないのか?」
彼女しかいない部屋の中に、確かに彼女以外の声が聞こえた。
「だ、誰!?」晶子はその声に驚きながら部屋中を見渡した。
だが、「本当にこの世に未練はないのか?」と黒いマントをまとった男がいつの間にか目の前に現れたときはもっと驚いた。
男は不法侵入とかそんなことは一切気にせずに話を続ける。
「お前にはやり残したことがあるんじゃないか?」
「な、ないわよ!! 今から私にできることなんて……」
「お前を罵倒し、冷遇し、お前のすべてを奪った人間がいるだろう?」
その言葉は晶子の目の色を変えた。
「……橋下奈由香……!」その目は暗く暗く闇に落ちていた。
「睡眠導入剤よりもっとふさわしい薬があるぞ。どうせ死ぬならこっちにしろ」と、男は一つの薬瓶を差し出した。
晶子の闇に染まった望みは欲望となり、何のためらいもなくその瓶を手に取り、一気に中身を飲み干した。
すると、彼女は胸を押さえて苦しみだした。
彼女の体がブクブクと膨れ上がり、断末魔とともに薄汚いベージュ色の異形へと変貌した。
「さあ『アグリー』よ、その憎しみを解き放て。美しきものすべてを打ち壊し、世界を本当に美しくするために。」晶子の最後の記憶は、男のそのセリフだった。
奈由香が意識を取り戻したとき、彼女は自宅の部屋のベッドに横たわっていた。
「あれ……ここは、私の部屋?」全身麻酔の影響がまだ残っているからか、意識がもうろうとしている。
「確か黒い仮面のクソおやじにつかまって……何か月も拷問を受けさせられて……」遥か彼方の記憶を手探りで呼び戻そうとする。
そして彼女は一つの結論にたどり着いた。
「あれは夢ね。全く、とんだ悪夢を見たもんだわ」そう思って部屋の鏡を見たとき。
彼女は現実に引き戻された。
そこにあったのは百年に一度の美少女と呼ぶにふさわしい顔などではなく、ただの平凡な女性の顔だった。
額は平凡、額のしわも平凡、眉も平凡、鼻も口も顎も、全くの無個性。
その顔が彼女の意識を覚醒させた。
「……え? 誰? これが私? え? 嘘でしょ? まさか、嘘よ。あんなのただの悪夢で、私は勝ち組で、……え? これが私? イヤ。イヤよ。こんなの私じゃない。私はどこへ行ったの? 私の顔……アハハ。アハハハハハハハハハハハハハ。アハハハハハハハハハハハハハハハハハハヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ……」
ついに彼女は発狂した。
その後、彼女を公の場で見ることはなくなった。
彼女は精神科病棟で、今も一人、乾いた笑いを続けている……
face.2-1 井川友子、生徒に真の美意識を教育する に続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます