第224話 五月十二日はザリガニの日
一九二七年のこの日、鎌倉食用蛙養殖場に餌としてアメリカからアメリカザリガニなどが持ち込まれた。
持ち込まれたのはわずか二十匹であったが、逃げ出した個体が爆発的に広まり、一九六〇年代には九州でも確認されるほどになった。
俺は子どもの頃、ザリガニが苦手だった。昆虫とか小動物とかも全般的に苦手だったが、特にザリガニは苦手だった。
掴もうと手を伸ばすと、二つのハサミを目一杯広げて威嚇してくる。臆病者の俺は、あのハサミが怖かったのだ。
男の子が、昆虫やザリガニが怖くて触れないなんて、恥ずかしくて言えなかったので、出来るだけ避けて生きて来た。だが中学以降はそれで困ることも無く、大人になる頃にはすっかり忘れてしまっていた。
俺も今は三十代半ば。結婚して、今年小学生になった息子が一人いる。息子も俺に似たのか昆虫や小動物に興味を示さず、俺は安心していた。
そんなある日、我が家に事件が起こる。
その時、俺は休日だったので、リビングでくつろいでいた。
「お父さん!」
外から帰って来た息子が、飼育ケースを抱えて、嬉しそうに俺のいるリビングにやって来た。
「どうしたんだ、それ?」
「ザリガニ貰ってきたんだ!」
「ええっ、ザリガニ!」
俺は驚いて、息子の持つケースの中を見た。中では俺の大嫌いなザリガニがハサミを大きく広げて威嚇している。固そうな真っ赤な甲羅のアメリカザリガニだ。
「最近なにかペットを飼いたいって言ってたのよ。タカちゃんがザリガニ取って来たから一匹あげるって言われたから断れなくて……」
妻は申し訳なさそうな顔で説明する。
妻は俺がザリガニを苦手としていることを知らない。そんな話をする機会が無かったからだ。
息子はキラキラした目で、俺が許可するのを待っている。出来れば飼うことを阻止したい。でもその理由が、俺が怖いからだと言う勇気も無い。
「飼うのは良いが、ちゃんと自分でお世話出来るのか? ザリガニを掴むことが出来なきゃ飼えないぞ」
俺は何とか自分で諦めさせようと、難題を吹っ掛けた。効果が有ったのか、息子の顔色が変わる。きっと今まで触ったことが無いのだろう。
それでも息子は諦めず、飼育ケースをテーブルの上に置き、蓋を取った。
さすが俺の息子。ケースの中のザリガニをじっと見ているが、ハサミが怖いのかなかなか手を入れない。
「ちゃんと掴めないのなら、返してきた方が良い」
俺は諦めさせるつもりで、そう言ったが、息子の背中を押してしまったようだ。
息子は恐る恐る、手をザリガニに近付け、背中の方から手で掴んだ。
「出来た!」
息子は嬉しそうにザリガニを持ち上げた。
「じゃあ、お父さんの言った通り、自分でお世話するのよ」
妻は解決したと思ったのか、キッチンに帰って行った。
「飼っても良いよね」
「ああ、そうだな……」
こうなってしまっては駄目だと言えない。勇気を出した息子の為に我慢するしかない。
いつか俺もザリガニを掴まないといけない場面が来るのだろうか? その時は息子に負けずに勇気を振り絞ろう。
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