第219話 五月七日はコナモンの日
日本コナモン協会が二〇〇三年に制定。
五(こ)七(な)で「こな」の語呂合せ。
たこ焼き・お好み焼き・うどん等、粉を使った食品「コナモン」の魅力をPRする日。
五月の日曜の午後三時。ゴールデンウィークが明けてからずっと、あり得ないぐらい店が暇なので俺は途方にくれていた。
俺の名は菊池幸也(きくちゆきや)。桜元(おうもと)駅前にある寂れた商店街の中で小さなたこ焼き屋を経営している。店内はカウンター席が五つあるだけで、中で食事する人は少ない。売り上げは商店街に来ている買い物客のテイクアウトがメインだ。
桜元駅は私鉄の支線の駅で、都心から離れていて乗降客数もそう多くは無い。近くには、桜元北(おうもときた)と宿川工業(やどがわこうぎょう)の二つの高校と、市立病院があるだけ。それらの施設の関係者と近所の住民が、商店街の主なお客様になる。それでも昔は競合相手も少なく、商店街のどの店も活気があった。だが今は、車で少し走れば大型のショッピングセンターがあるので、かなり苦戦している。
俺は商店街の人通りを確認するために、店の前に出た。買い物客はまばらで、暇なのはうちの店だけでは無いようだ。
天気予報では、今年の梅雨入りは例年より早くなるという。その所為か、今月は雨の日が多い。今日も朝から強い雨が降っている。アーケードがあるので、お客が直接濡れることは無いのだが、今日のように商店街自体の客数が減るので当然うちの店も暇になる。
俺は暇になると、店の奥に置いてあるノートパソコンでネットを見ながら時間を潰す。
最近は気が付くと転職サイトばかり見ている。だが、思い切った決断も出来ずに、もし店を畳んで転職したらと妄想するだけ。このままでは、将来食っていけなくなるという危機感はあるのだが、なかなか腰が重くて動けない。
ネットをしていると、店の入り口に人の気配を感じた。視線を上げると、ガチャとドアが開いて一人の女性客が入って来た。
「いらっしゃいませ!」
接客の挨拶をしながら、入り口に向かい女性客を出迎える。
女性客の年齢は二十代後半ぐらい。かなり太めの体型を隠す為なのか、ゆったりとした薄い緑のワンピースを着ていた。ウェーブの掛かったセミロングの髪は美容院から出てきたばかりのように整っている。ファッションに疎い俺でもそれなりにおしゃれしていることが分かり、うちの店に来る雰囲気ではないように感じた。
「中でお食事ですか?」
普通、テイクアウトのお客さんは窓の外から注文するので店内食だと思うのだが、初見のお客さんなので念の為に確認した。
「はい、お願いします」
女性はニコリともせず、暗い表情で小さく呟いた。
「ありがとうございます、どうぞ」
俺が奥に促すと、彼女は入口に一番近い席に腰を下ろした。
「ご注文が決まりましたら声を掛けてください」
俺が水を出しながらそう言うと、彼女は間髪入れずに「たこ焼きください」と返してきた。
「あの、当店のたこ焼きはいろいろ種類があるのですが……」
俺はカウンター席に置いてあるメニュー表を手に取り、お客さんに差し出した。
うちの店はネギの乗った「ネギたこ」や甘辛ソースの「照り焼きマヨネーズ」等何種類かのたこ焼きを揃えている。最近ではスタンダードなソースだけでは勝負出来ないのだ。
「お任せします」
女性はチラリとメニュー表に視線を移した後に、表情を変えずにそう言う。
「マヨネーズをおかけしてよろしいですか?」
「はい、お願いします」
お任せしますと言われれば、通常はソースで仕上げる。後はマヨネーズをかけるかどうかだけだ。
「何個にしますか?」
「一番多いので何個ですか?」
「十個ですけど……」
うちの店のたこ焼きはかなりの大玉で、正直、女性で十個は多いと思う。だが、今月の売り上げを考えると少しでも売りたい。最悪残れば箱に入れて持ち帰りもできると考え、何も言わなかった。
「じゃあ、十個ください」
「はい、ありがとうございます!」
俺は弱火で保温しているたこ焼きを皿に十個取り上げ、ソースとマヨネーズ、粉カツオと青のりで仕上げる。
仕上げが終わり女性にたこ焼きを持って行くと、彼女はなにかするでもなく、カウンターに置いてあるピッチャーをじっと見つめていた。だが、彼女の目にピッチャーは映っていないんじゃないかと俺は思った。
「お待たせしました」
俺は皿を置くと、厨房に戻って新たなたこ焼きを焼き出す。
たこ焼きを焼き始めると、店内にはBGMにしているFMラジオと、クシとたこ焼き鍋がこすれる音だけが鳴っている。女性は気配を感じないくらい黙々と食べているようだ。
「ううっ……」
ゆったりとした空気の中で、突然俺の背中に女性のうめき声が聞こえた。
俺は慌ててコンロの火を止めると、振り返って女性の方を見る。何かたこ焼きに異物が入っていたんじゃないかと心配だったのだ。
「大丈夫ですか?」
俺が近付くと女性は顔を両手で覆って、「ううっ……」と苦しそうにうめいている。
「大丈夫ですか? たこ焼きが、何か変でしたか?」
俺は完全にたこ焼きに何かがあって、女性が苦しんでいるのだと焦った。
「美味しいんです……」
「えっ……」
俺は彼女の言葉の意味が分からず、絶句した。
「こんな状況なのに、たこ焼きが美味しいんです……」
彼女は涙に濡れた顔を俺に向けて、意味の分からないことを言う。
「あっ、いや、こんな状況って?」
「私、ついさっき彼氏に振られたんです。一年も付き合ったのに、今さら『太った女は嫌いだ』って言われて振られたんです」
「ええっ……そんな事で……たこ焼きの所為で苦しんでいるのかと思った」
「そんな事ってなんですか! 苦しんでますよ! 本当に好きだったんですよ! なのに、私、お腹が空いて……痩せなきゃいけないのに、たこ焼き食べたら美味しいんです……痩せれば今まで通り付き合っていられたのに!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて……」
興奮して俺に掴み掛らん勢いの彼女を何とかなだめようとしたが、また顔を両手で覆って泣き出してしまった。
手出し出来ずにしばらく様子を見ていると、段々嗚咽に変わって大人しくなってくる。
「人間、怪我や病気をしたら、食べなきゃ治らないんですよ」
俺は彼女を慰めようと、ゆっくりとした調子で呟いた。返事をしなかったが、彼女はちゃんと聞いているようだった。
「あなたは心を怪我したんだ。今は何も考えずに食べれば良い。で、怪我が治って元気になったら、その時にいろいろ考えれば良い。今は美味しいたこ焼きを食べれば良いんですよ」
彼女は両手を降ろして俺を見る。
「食べても良いんですか? こんなにデブなのに」
「確かにあなたは太目かも知れんが、俺には清潔感のある、良い感じの女性に見えますよ。それに痩せているより太めの方が良いって男は一杯います。絶対に、もっといい男が見つかりますよ」
「本当ですか?」
彼女の顔に光が差す。
「ああ、だから残りのたこ焼きも全部食べれば良いんですよ」
「はい!」
彼女は嬉しそうに残ったたこ焼きをまた食べ始める。幸せそうに食べる彼女を見て俺も嬉しくなった。
全て食べ終え、彼女は笑顔で礼を言って、帰って行った。
「俺も食べて元気出すか」
俺は久しぶりに店のたこ焼きを腹いっぱい平らげた。
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