第205話 四月二十三日は子ども読書の日
二〇〇一年十二月に制定。文部科学省が実施。
こどもの読書活動についての関心と理解を深め、こどもが積極的に読書活動を行う意慾を高めることを目的としている。
俺は中堅出版社で三十年間、文芸部の編集者一筋で生きて来た男だ。今日は我が出版社で一番の売れっ子作家である
先生とは俺が編集者になった頃からの付き合いだ。お互い新人で右も左も分からない中でヒットを飛ばして実績を上げて来た。作家と編集と言うより、戦友のような関係だ。
もう俺は殆ど現場に出ずに若い奴らに任せているのだが、行田先生のご指名とあらば、何を置いても出て行く。ただ一つ気になることがあった。最近の先生は編集と打ち合わせなどせず、自由に書いて頂いている。なのに改めて先生から打ち合わせの依頼、しかも俺を指名するとは、これは何か特別な作品の可能性があるのだ。
俺は期待を胸に、先生の自宅前に立った。
「ありがとう。よく来てくれたね」
俺が来訪を告げると、先生自身が出迎えてくれた。
「先生のご指名とあらば、何を差し置いてもお伺いしますよ」
「草薙君も、もう偉くなったのに悪いね」
俺は応接間に通されて、ソファに座って先生と向かい合った。
「今日は新作の打ち合わせと聞きましたが、どういうことでしょうか? 最近は先生の思うまま、自由に書いて頂いていたましたが……」
俺はさっそく先生に疑問を聞いてみた。
「そうなんだよ。それだけ今回の新作が特別だと言うことだ」
「特別ですか?」
俺の勘は当たっていた。やはり通常とは違う作品になるのだ。
「実はね。次の新作は児童文学を書こうと思っているんだ」
「児童文学?!」
俺は驚き過ぎて声が裏返った。
行田先生はハードボイルド作家だ。裏の世界で暗躍する主人公。暴力や濡れ場も毎回出て来る。ターゲットは成人男性。新刊が出たら必ず購入して頂ける固定ファンも多い。ややパターン化しているとは言え、ファンはそれを求めている。児童文学と先生の作品では天と地ほどの開きがあるのだ。
「君が驚くのも無理はない。今までの私の作風からすれば、児童文学を書きたいと言うなど、気が触れたのかと思われるだろう。でも、私は書かねばならんのだ」
先生の目は真剣で、とても冗談を言っているとは思えない。先生は本気で児童文学を書こうとしているのだ。
「理由を聞かせて頂けますか?」
俺が尋ねると、先生は無言で頷く。
「私に孫がいるのは知っているよね?」
「ええ、存じ上げております。今は確か小学五年か六年生の男の子だと記憶しておりますが……」
「そうだ。この四月で六年生になった。一人息子に生まれたたった一人の孫だ。目の中に入れても痛くないほど可愛い孫なんだ」
「そのお孫さんと児童文学に繋がりがあるんですか?」
俺がそう聞くと、先生は「うむ……」とため息を吐く。
「その孫が、本を全く読まないんだよ」
「えっ、全くですか?」
「そうなんだ。いろいろ本を買ってやったり、読むように仕向けたんだが興味が無いみたいでな……」
「そうなんですか……」
出版業界にいると、本を読むのが当たり前のように感じるが、世間ではどんどん読書人口は減っている。それは本の販売数からも明らかだ。
「別に私の孫が特別でも無いようなんだよ。子供達の本離れが進むと、その子達が大人になった時に、今以上に出版業界が廃れていくと思ってな。そこで子供達にも読んで貰えるように、私が児童文学を書こうと思ったんだ」
「なるほど……」
理由はよく分かった。
「でも、先生が書かなければならないんでしょうか? 他に適任者もいると思いますが」
「腐っても、私は行田豪だ。それなりの知名度はあると思っている。私が児童文学を書くことで、話題にもなるだろう。それで一人でも多くの子供達が本を読むようになってくれれば、育てて貰った出版業界に恩返しが出来ると言うものだ」
先生がここまで言うのなら、俺が止める訳にはいかない。いや、全力で後押しすべきだ。
「分かりました。やるからには絶対に成功させましょう。先生のモットーである『行くんだゴー』ですね!」
「ありがとう。私がペンネームを付けた時の言葉を覚えてくれてたんだな」
先生は喜んで手を差し出す。
「もちろんですよ」
俺も手を差し出し、ガッチリ握手した。
先生には作品に取り掛かって貰い、俺は会社の説得だ。先生一人で児童文学書を出してもインパクトが弱い。どうせなら新たな児童文学レーベルを立ち上げ、何作か同時に出版したい。俺は会社に根回しすると同時に、うちから出版している人気作家にも声を掛けた。
一年の時間が掛かったが、会社の役員を説得し、書いて頂ける作家も見つけて出版に漕ぎつけた。行田先生の作品と合わせて、五冊同時に発刊、レーベルの立ち上げを成し遂げたのだ。
発売の結果、名の有る作家が手掛けた児童文学は話題を集め、販売数は上々の滑り出しを見せた。
「やりましたね。先生」
「ありがとう。君のお陰だよ」
俺と行田先生は、児童文学レーベルの成功を祝い、行きつけの料亭で祝杯を挙げた。
「孫も本を読んでくれたよ」
「そうなんですか! おめでとうございます」
「ありがとう。孫だけじゃなく、多くの子供たちに本の楽しさを伝えられるように、今後も継続して行こう」
「はい、全力を尽くします」
本という大切な文化を継承していく子供達。このレーベルで、少しでも多くの読書家を育てられるように、頑張ろうと誓った。
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