第202話 四月二十日は珈琲牛乳の日
日本で初めて「珈琲牛乳」(コーヒー牛乳)を製造販売した神奈川県平塚市の守山乳業株式会社が制定。
「珈琲牛乳」は一九二〇年(大正九年)に同社の創業者である守山謙氏によって開発され、王冠で栓をした瓶入りの「珈琲牛乳」が一九二三年(大正十二年)四月二十日に東海道線国府津駅で販売を開始。それ以降、東北から九州までの各駅で人気が広まっていく。
「珈琲牛乳」が多くの人に喜ばれるきっかけとなったこの日を「はじまりの日」として記念日と定め、その美味しさをPRするのが目的。
俺が子供の頃、おやつはコーヒー牛乳だった。
うちは母と俺の母子家庭だった。父は俺が幼い頃に死んでいる。母はパートを掛け持ちして俺を育ててくれたが、ずっと貧乏暮らしだった。
お菓子は買って貰えず、おやつはスーパーで買った一リットル入りの紙パックのコーヒー牛乳。それを毎日コップ一杯分だけだ。でも甘いお菓子の味を知らない俺にとっては、最高のおやつで大好きだった。
俺は高校を出てすぐ働き出し、三十歳で三つ年下の女と結婚した。妻は幼い頃に両親を亡くしていて、自分にも母親が出来ると喜んで、母との同居に賛成してくれた。母も妻を実の娘のように可愛がり、俺達の結婚生活は順調に始まった。
俺は結婚前まで、子供の頃と同じように毎日コーヒー牛乳を飲んでいた。だが結婚後は、糖分が多くて体に悪いからと、妻が自分でコーヒー牛乳を作ってくれた。ノンシュガーのコーヒー牛乳だ。母も気の利く良いお嫁さんと褒めていたので、俺は素直に嫁の作るコーヒー牛乳を飲み続けた。
こんな幸せな生活がずっと続くと思っていたら、結婚して一年過ぎた頃に母が亡くなってしまった。病が発覚してからあっという間に。
苦労を掛けた分、母にはこれから楽をさせたかった。幸せになって欲しかった。俺は悲しみが大き過ぎて、葬式で泣くことすら出来なかった。
母が亡くなって三か月。ようやく心も落ち着き出した頃。俺は妻と一緒にスーパーに買い物に出掛けた。
いろいろ買い物をして乳製品のコーナーに入った時、俺はそこで馴染みの商品に目が留まる。母がいつも買ってくれていたコーヒー牛乳だ。
俺はコーヒー牛乳に母を感じ、その場から動けなくなった。
「たまには、甘い物も良いよね」
妻が横から手を伸ばし、俺の見ていたコーヒー牛乳を取って買い物かごに入れる。
俺は妻の顔を見て微笑んだ。久しぶりにあのコーヒー牛乳が飲める。今夜は母の顔を思い出しながら飲もうと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます