第188話 四月六日はしろの日

 「しっかりとお手入れをして白く美しい、美白の肌になりましょう!」と、素肌美研究家で株式会社クリスタルジェミーの中島香里社長が制定。美肌への意識を生むきっかけの日とするのが目的。

 日付は四と六で「シロ(白)」と読む語呂合わせから。



 今日は初夏を思わせるぐらいの日差しがたっぷりだ。私は大好きな洗濯を終えると、マンションのベランダから外を見た。公園で幼い女の子とお母さんが楽しそうに遊んでいる。

 私は結婚一年目の専業主婦だ。子供はまだ居ないので、毎日夫の為に家事を頑張っている。

 子供の頃から家でお手伝いをしていたので、家事は全般的に問題なく出来る。中でも洗濯と掃除は得意だし好きだ。家の中を掃除機で綺麗にしたり、真っ白な夫のワイシャツを干したりすると、自分の心まで真っ白になる気がする。そんな真っ白な心になれるから掃除や洗濯が好きなんだ。

 いつも綺麗に掃除しているのだが、今日は特に念入りにしている。今日の午後、高校時代からの親友である愛子が家に来てくれるからだ。

 愛子はバリキャリで、仕事が楽し過ぎて結婚なんて全然考えていないらしい。忙しくてなかなか会えないのだが、今日は担当していたプロジェクトが終わり、有休が取れたと言っていた。久しぶりにゆっくり会えるので、私も今日を楽しみにしていた。



「結婚式以来ね。会いたかったわ」


 約束の時間になり、愛子がマンションに来てくれた。


「いらっしゃい。私も会いたかったわ。中にどうぞ」

「ありがとう。お邪魔します」


 久しぶりに見た愛子はハツラツとしていた。毎日社会の中で生活しているからか、休日でも緩んだ感じが無い。


「凄く綺麗にしてるわね。さすが専業主婦」

「ありがとう。夫に快適に生活して貰いたいからね。そこは頑張ってるの」


 愛子は部屋に入り、綺麗だと褒めてくれた。

 私は自分で焼いたケーキと紅茶を用意して、リビングでソファに愛子と並んで座る。私達は近況報告として、愛子の仕事や私生活での出来事、私の新婚生活のことなどを、楽しく話した。


「でも、子供も居ないのに専業主婦をさせて貰えるって、旦那さんさぞかし高給取りなんでしょうね」

「そんなこと無いわ。年齢にしたら平均ぐらいだと思うよ」


 私は謙遜ではなく、事実としてそう返した。


「ええっ、ならあなたも働けば良いじゃない。ずっと家に居ても暇でしょ。正社員じゃなくてもパートぐらいなら出来るでしょ」

「うーん、そろそろ子供も考えてるしね。私達二人ともお金を使わないタイプだから、今でも十分足りてるから働く必要は無いかな」


 私も夫もインドア派で、映画鑑賞はサブスクだし読書は図書館利用だしで、趣味にお金は殆ど使わない。服も次々新しいのを買ったりしないので、夫の給料だけで十分に生活が出来ている。


「でも子供が出来たらお金かかるでしょ」

「うーん、大丈夫じゃないかな。ブランド物の子供服とか着せたりしなきゃ。子供手当も出るしね」

「それ、自分が働きたくないから、言い訳してるだけよ」


 愛子が急に表情をを変えて、意地になったように責めて来る。


「私はそれほど器用じゃないから。時間があるから、今は工夫して節約したり、家を快適に生活できるように頑張れてるけど、働き出したら無理だと思う。夫も、私が節約上手だから働く以上に価値があるねって言ってくれるのよ。夫婦で今の生活に満足してるから変える必要は無いと思うの」


 私がそう言うと、愛子は「はあー」とこれ見よがしなため息を吐いた。


「あなたがそんなに向上心の無い人だとは思わなかったわ」


 私はその言葉を聞いて、驚いて何も言えなかった。愛子からこんな言葉を聞かされるなんて、夢にも思わなかったから。


「ずーと家の中に居て、視野が狭くなるばかり。緊張感が無くなって、顔も緩んでくるよ。私なんか、男の中に入って戦ってるの。毎日毎日緊張感の中で生活してるのよ。日々自分を成長させなきゃやって行けない。でも毎日が充実してるわ。あなたにそれがある?」

「愛子……」


 私は愛子の言葉を聞いて悲しくなった。他人に対して、こんなきつい言い方する娘じゃ無かったのに。


「せっかくあなたの為を思って言ってるのに、これ以上話しても無駄みたいね」


 愛子は険しい顔で立ち上がる。


「えっ、もう帰っちゃうの?」

「私は専業主婦みたいに暇じゃ無いの」


 愛子の険しい顔が別人みたいに見える。

 何が彼女の気に障ったのだろうか? そんなに私の生き方が許せないのだろうか?

 昔の愛子は他人は他人、自分は自分で割り切った性格をしていた。他人に何を言われようとも、自分が良いと思ったことを実行する人だったし、その分他人も尊重していた。それがカッコ良かったし、私は尊敬していた。今の愛子は昔の愛子と同一人物とは思えない。他人の生き方にこれほど干渉するようなことは無かったのに。


「愛子……大丈夫? 何か悩んでない?」


 私は本気で心配して尋ねた。


「なにそれ……もしかして私を心配してるの? 専業主婦のあなたが」

「昔のあなたは、他人のことをそんな風に言う人じゃ無かった。あなたが仕事を頑張っているのは尊敬してるよ。私じゃ無理だと思うから。

 でも同じように、子供を持ちながら仕事をしている人も、育児に専念している人も、子供が居ないのに専業主婦をしている人も、幸せになろうと一生懸命生きている人なら、私は尊敬するわ」


 愛子は悲しそうに顔を歪めるが何も言わない。


「本当にあなたを心配してるの。頑張りすぎて余裕が無くなってない?」


 私は愛子の手を取り、心を込めて話した。


「私は成長したの。だからずっと変わらないあなたには私の気持ちが分からないだけよ」


 愛子はそう言って、私の手を振り払いマンションから出て行った。

 私の真っ白だった心の中に、一点の黒いシミが出来、それがどんどん大きくなる。悲しかった。なにより、そのシミの原因を作ったのは親友の愛子だったから。

 私はどうしたら良いんだろう? 愛子の言う通り、私が間違っているのなら口出ししちゃ駄目なのかな……。

 いや、私は間違ってない。だって、私は毎日、真っ白な心で生活していたから。ずっと幸せに生活していたんだ。それを否定することは間違っている。

 でも今の愛子にはどう伝えれば良いんだろう。

 私はスマホを手に取り、愛子にラインでメッセージを送った。


(二人の歩んでいる道が違っても、私は愛子をずっと親友だと思ってる)


 すぐに既読が付いた。でもメッセージは返って来ない。

 今は無理でも、もっと困った時には、このメッセージが心の支えになって欲しい。いつでも私は愛子のことを思っているから。私が親友だということを覚えていて欲しいと願った。

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