第187話 四月五日はヘアカットの日 

 一八七二(明治五)年のこの日、東京府が女子の断髪禁止令を出した。

 前年に散髪、脱刀が許可されたが、これを受けて断髪をする女性が続出したため、「男性に限って許可した断髪を女性が真似てはならない」とする禁止令を発布した。



※この話は「十二月十三日は美容室の日」の続編です。この話だけでも楽しめますが、前編を読めば面白さ倍増です。



 美容室デビューを失敗してから約四か月、私はまた美容室の前に立っている。今日はあの失敗を教訓にしてリベンジに来たのだ。



 幼い頃からの行きつけの散髪屋さん、ヘアサロン「木曽路」に不満がある訳じゃない。むしろ木曽路のおじさんは優しいし、私の髪を知り尽くしている。だから木曽路で何の問題も無い訳だが、私は考えた。一度の失敗にビビって、これからもずっと木曽路で良いの? って。いや木曽路に恨みは無い。むしろ木曽路のおじさんは(以下略)。これから女子大生やOLになっても木曽路に行けるのか? その方が勇気がいるようになるんじゃないか。どうせいつかは、また勇気を出して美容室に挑戦しないといけないのなら、早い方が良い。そう考えた私は、前とは違う美容室に予約を入れて、今ここにいるのだ。

 前回の失敗の理由は分かっている。美容室デビューで緊張し過ぎた為に、過剰に美容師さんの表情を意識してしまい、おまかせで切って貰ったからだ。せっかく自分のしたい髪型を調べて行ったのに、それを引っ込めて美容師さんに任せてしまった。美容師さんのセンスが最悪だったので失敗したのだ。

 今日もスマホには私とよく似た顔立ち(顔が似ているとは言ってない)のアイドルの写真を用意している。今日は自分の意思を曲げずにこの髪型に切って貰えば良いのだ。



 私は美容室のドアの前に立ち、小さく深呼吸して中に入った。


「いらっしゃいませ!」


 私が中に入ると、店員さんが一斉に挨拶してくれた。


「ご予約のお客様ですか?」

「あっ、はい。坂木です」

「はい、ありがとうございます。こちらの席にどうぞ」


 受け付けてくれた店員さんが、予約を確認して席に案内してくれる。席に座って待っていると。すぐに女性の美容師さんがやって来た。


「いらっしゃいませ。お客様、当店は初めてですね?」

「あっ、はい」


 美容師さんは凄くお洒落に見えた。こういう仕事だから当然かも知れないが、なぜか緊張してしまう。


「もしかして、今日が美容室デビューですか?」


 美容師さんが私にケープを掛けながら聞いて来る。


「あっ、はい」


 一度失敗して二回目なのだが、言い出せなかった。


「そうなんですね! いやー、責任重大ですね。今回で良いイメージ持たないと美容室が嫌いになっちゃうもんね」


 美容師さんはにこやかにそう言う。


「あっ、はい……」


 私はなぜ、この美容師さんに身構えてしまうか分かった。この美容師さんの陽キャ、リア充感が、私を緊張させるのだ。私みたいな陰キャでスクールカーストの底辺層(最底辺ではない)にとって、この美容師さんみたいな頂点付近の人たちは畏怖の対象でしかない。出来れば関わり合いにならずに、干渉せずに済ませたい存在なのだ。でも、こんな場所で従業員とお客さんの立場になれば、関わり合いにならずにはいられない。私は肉食動物の檻に入れられた草食動物のような気分になった。


「本日はどんな感じにしましょうか?」

「あっ、はい……」


 私は慌ててポケットからスマホを取り出し、用意していた写真を見せた。


「ああ……こんな感じにするんですね……。この娘可愛いですよね。きっと似合いますよ」


 美容師さんの表情が、一瞬曇った。前の男性美容師さんと同じだ。でもここでまたお任せにしたら、失敗するかも知れない。


「お、お願いします」

「はい、わかりました」


 美容師さんから先ほどまでの笑顔が消えた。まず髪を洗って貰い、その後カットが始まった。


「ちょっと……癖のある髪質ですね……」

「ええっ! す、すみません!」

「あっ、いえ、全然大丈夫ですよ。可愛くカットしますからね」


 そう言ってまたカットし始めたが、なんだか苦戦しているように見える。前に行ったところの美容師さんも木曽路のおじさんも癖のある髪質なんて言ったこと無かったのに。

 そう思って観察を続けると、もしかしてこの美容師さんは下手なんじゃないかと思えて来た。そう言えば歳も若そうだし、初心者じゃ無いの?

 どうしよう。もしかして、私が頼んだ髪型は難しいのかも。


「あ、あの……」

「はい?」


 鏡を通して目が合った美容師さんは、少しひきつった表情をしていた。


「あっ、あの、もしかしてあの髪型が難しかったら、ほ、他のでも良いですけど……」


 最後は消え入るような声で私はそう言った。


「そんなのいまさら言わないでくださいよ。もう切り始めたんだから」

「ああ、そ、そうですよね。ご、ごめんなさい……」


 美容師さんは小声だったが、それが余計に怖かった。めっちゃ怒ってる。確かにもう切り始めたんだから変更する方が難しいか。


「あっ、でも、部分的に少し変えても良いですか? あの、癖毛ですし」


 美容師さんはまた笑顔になったが、有無を言わせぬ迫力があって怖い。


「ああ、そ、そうですよね。癖毛ですしね……」


 癖毛なんて言われたこと無いのに。でも、陰キャは陽キャに逆らえない。蛇に睨まれた蛙状態なのだ。

 私は泣く泣く黙って切られるに任せた。



「はい、お疲れさまでした。可愛くなりましたね!」


 私は「ええ、そうか?」と思ったが、口に出す勇気が無かった。やはり部分部分が写真とは違い、別の髪型のようだ。


「想像以上に、アイドルっぽいですよ!」


 もう完全にカットを始める前の笑顔に戻った美容師さんが言う。


「あっ、はい、ありがとうございます」


 私は文句も言えずに、美容室を出た。

 出てすぐ、スマホの画面で髪形を確認した。やっぱり気に入らない。私は財布を取り出し中のお金を確認する。


「また木曽路に行くか……」


 大丈夫。木曽路のおじさんなら、きっと見られる髪型にしてくれるよ。だっておじさんは(以下略)。


※今回は美容師さんをディスった表現していますが、コメディーの演出です。

こんな美容師さんは存在しないと思いますので、安心して美容室に行ってくださいね。

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