2023年4月

第183話 四月一日はエイプリルフール

 罪のない嘘をついて良いとされる日。日本では「四月馬鹿」とも呼ばれる。

 その昔、ヨーロッパでは三月二十五日を新年とし、四月一日まで春の祭りを開催していたが、一五六四年にフランスのシャルル九世が一月一日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が四月一日を「嘘の新年」として位置づけ、馬鹿騒ぎをするようになったのがエイプリルフールの始まりとされている。

 また、インドでは悟りの修行は春分の日から三月末まで行われていたが、すぐに迷いが生じることから、四月一日を「揶揄節」と呼んでからかったことによるとする説もある。



 壁に向かって事務机が二つ並んでいるだけの小さな一室に、若い男が二人で暇そうにしている。

 一人はサラリーマンのような白のワイシャツにスラックスで銀縁眼鏡を掛けた優男。もう一人は黒のデニムに黒のシャツを着た髭面の男。髭面は椅子の背もたれに体をあずけて暇そうにスマホを触っている。優男はその横でノートパソコンを使って小説を書いていた。

 暇そうに時間を潰しているだけに見えるが、実はこの二人の青年は天変地異から地球を守る為に、遠い星からやって来た異星人なのだ。何か地球に異常を発見したら、すぐに出動出来るようにこの事務所で待機しているのだ。


「今日はエイプリルフールか……」


 見ているスマホにそんな話題が出ていたのか、髭面が呟く。


「エイプリルフールも難しいよね」


 髭面の呟きを受けて、優男がパソコンの画面を見ながら話し掛ける。


「えっ、何? 何が難しいって?」


 急に話し掛けられたからよく聞いてなかったのか、髭面はスマホを置いて聞き返す。


「何って、エイプリルフールのことだよ」

「ああ、エイプリルフールか。エイプリルフールの何が難しいんだ?」

「エイプリルフールってさ、罪の無い嘘を吐いても良い日だろ?」


 優男もパソコンから目を離し、髭面の方に向き直って話を続ける。


「まあ、そう言われてるよな」

「その嘘の吐き方が難しいと思ってさ」

「嘘の吐き方が難しい? そんなの適当で良いんじゃないの?」

「相手を不快にさせない嘘って難しいものだよ。まず絶対に駄目なのは、相手を喜ばせる嘘」

「ええっ、喜ばせるんだから良いんじゃないの?」


 髭面は意外そうな顔をする。


「例えばさ、あるところに夫婦が居たとして、旦那が『宝くじで一億円が当たったぞ!』って嘘を吐いたとするよね」


 髭面は優男の言葉に、「ああ」と返して続きを促す。


「当然奥さんは喜ぶよ。『これで家のローンを完済できる。子供達の学費も何とかなるわ。それでも余るから家族で海外旅行も良いわね』って考えが一瞬で頭の中を駆け巡るだろう」

「ええっ、言うほど一瞬で駆け巡るか?」

「駆け巡るよ。だって、年収の二十年分ぐらいが一度に入って来るんだよ。もう脳内麻薬出まくりで、一瞬のうちに駆け巡るよ」

「まあ、そうなるのかな……」


 髭面は半信半疑な顔で同意する。


「で、そうなった状態で、旦那が『やーい騙された。実は嘘でーす』って言ったらどうなると思う?」

「いや、それは駄目だろ。俺なら相手の首を絞めたくなるよ」

「そうだろ。だから相手を喜ばせる嘘は駄目なんだ」

「なるほどね。じゃあ、逆に相手を悲しませる嘘なら良いんだ」


 髭面は納得の表情でそう言った。


「それも良し悪しなんだよ。さっきの夫婦の例で言うと、旦那が『実は、会社をリストラされたんだ』って嘘を吐いたとしたらどうなると思う? きっと奥さんは『ええっ、じゃあ家のローンはどうするの? 子供達もこれから学費が大変なのに。隣の奥さんから、また海外旅行に行ったってマウントされるわ』って考えが一瞬にして頭の中を駆け巡るだろうね」


 優男はしたり顔でそう言う。


「いや、言うほど一瞬に駆け巡らないだろ」

「なるよ。主婦なんていつもお金のことで苦労しているんだから。いつも何とか節約して高級ランチを食べて、隣の奥さんにマウント取らねばって考えてるんだから」

「いや、お前の主婦像どうなってるんだよ」


 髭面は呆れたように呟く。


「でも、それは嘘なんだから良いだろ。種明かしされれば『あー良かった』ってなるじゃないか」


 髭面が優男の主張に反論する。


「あー甘いね。ホント甘いよキミは。奥さんは心の底から心配したんだよ。それなのに、能天気に『あー引っ掛かった。実は嘘でしたー』って言われたら腹が立つだろ? 馬鹿にされたって気になるんだよ」

「いやそれ、嘘の種明かしの言い方が悪いんじゃないの?」


 髭面が呆れたように突っ込む。


「まあ、悪い方向に嘘吐くのは方向的には間違いじゃ無いけど、重過ぎると失敗するってことだね」

「じゃあ、軽い嘘を吐いたら良いじゃないか」

「その軽い嘘って言うのがまた難しい。何か軽い嘘を吐いてみてよ」


 優男にそう言われて、髭面は考える。


「そうだな……あっ、臨時収入が入ったからって花を買って帰るのは? 奥さんも花を貰えて喜ぶだろ?」

「それどの部分が嘘なの?」

「いや、臨時収入が入ったってとこ」

「それは嘘の部分に意味が無いだろ。臨時収入だろうが小遣いだろうが、旦那がお金を出して買って来ただけになるよ」


 優男は髭面の案に、鋭い突っ込みを入れる。


「そうか……じゃあ、実は浮気してましたってのはどうだ? 嘘でしたって種明かししたらホッとするだろ?」

「それはリストラ以上に重いって。そんな嘘吐く奴なんて、愛情も冷めちゃうよ」

「じゃあ、明日から長期間出張になったと嘘吐くのはどうだ? 嘘だと種明かししたら、寂しくならなくて良かったって奥さんは喜ぶぞ」

「それは微妙だな。もしかしたら、奥さんは長期出張で旦那の顔をしばらく見なくて済むって、喜んでたかも知れないぞ。それが嘘だと分かったら、ガッカリするぞ」

「そんな微妙な夫婦関係まで知らねえよ!」


 いちいち反論されるので、髭面もキレ気味になってしまう。


「じゃあ、どうすれば良いんだよ!」

「嘘を吐かなきゃ良いんだよ。エイプリルフールだからと言って、嘘なんか吐かずに誠実に暮らせば良いんだ。だって……」

「待てよ! 警報が!」


 優男が熱弁を振るっている最中に、いきなり部屋の中に「ビービー」とブザー音が鳴り響いた。このブザーは地球に緊急事態が発生したことを告げる警報なのだ。


「何が起こったんだ?」


 優男の顔にも緊張が走る。


(緊急警報! 緊急警報! 福井県沿岸の海底に、危険な断層ひずみ発生! 大規模災害発生の可能性! すぐに出動せよ!)


 スピーカーから、緊迫した野太い男の声で指示が出る。


「出動命令だ! あの辺りは原発密集地だぞ!」


 髭面が緊迫した表情で叫ぶ。

 地球に天変地異の兆候が観測されれば、二人の出番だ。二人は地球人となっている仮の姿から、本来の異星人の姿になる為に、腕時計のスイッチに手を掛ける。


(ハハハハハッ! 二人とも引っ掛かったな。今日はエイプリルフールなのだよ。緊急警報は嘘だ。面白かっただろ?)


 またスピーカーから男の声だ。今度は愉快に笑っている。


「司令官殿……」


 二人は肩を震わせて、スピーカーに呟く。


「さっきまでの俺達の話を聞いてなかったのかよ!」


 二人は同時に、スピーカーに向けて叫んだ。


(さ、さっきの話って、一体何のことなんだ……)


 頑張れ優男と髭面コンビ。地球の平和は君たちに掛かっている!

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