第181話 三月三十日は妻がうるおう日

 主婦の努力を称え、家族が手助けし、身も心もうるおって貰う日。

 日付は美容コラーゲン「アミノコラーゲンヨーグルト」の発売日。



「ただいまって、何してるんだよ」


 残業して会社から帰ったら、長男の康介が廊下に掃除機を掛けていた。


「ただいまじゃ無いよ。今日は早く帰って来てって、朝に言ってただろ」

「そんなこと言ってたか?」


 そう言われてみればそんなことを言われた気がするが、理由を聞いてなかったから、頭から抜けていた。


「もしかして、重要なことがあったのか?」

「康ちゃん、洗濯物たたみ終わったよ」


 奥から次男の俊哉が出て来て康介に言う。


「ありがとう。じゃあ、お父さんはご飯食べ終わったら、食器を全部洗ってね」

「ちょ、ちょっと待てよ。お母さんはどうしたんだ? どうしてみんな家事をやってるんだ?」


 俺は子供たちの行動の意味が分からないので、康介に聞く。いつもは家事を手伝うなんて考えられないからだ。


「今日はね『妻がうるおう日』なんだよ。だからお母さんに楽して貰って、潤ってもらうんだ」

「そんな日があるんだ……」

「お帰り! 遅くまでお疲れさま」


 顔を見ただけで上機嫌だと分かる妻が奥から出て来る。


「ただいま。顔見たら本当に潤ってそうだな……」

「今日はみんなのお陰で楽させて貰ってるわ。観たかったドラマを一気に観れたしね。ご飯食べるでしょ。今日は康介が作ったのよ」

「ええっ……大丈夫かよ」

「失礼だな。みんな美味しいって食べてくれたのに」


 俺は部屋着に着替えて、ダイニングに行った。

 テーブルにはホットプレートが置いてあり、その横にお好み焼きの生地が入ったボールがあった。


「へえ、結構面倒なものを作ったんだな」

「今から焼くわね」


 そう言って妻が冷蔵庫から具材を取り出す。


「お母さん、俺がやるよ」


 焼き始めようとする妻を、康介が止める。


「もう十分してもらった。二人とも先にお風呂に入って宿題をしておいで」

「いや、せっかく家事を休んでいるんだし、自分で焼くよ。康介は風呂に入って来いよ」

「うん、分かった」


 俺にそう言われて、康介は引き下がった。


「康介は今年に限って、どうしたんだろ?」


 俺は温めたホットプレートに生地と具材を乗せて蓋をし、妻に聞いた。


「最近できた彼女と『妻がうるおう日』の話題になったみたいよ。家事を手伝うって見栄を張ったんじゃないかな」


 妻は小声で俺に教えてくれた。


「それでこんな珍しいことやってるんだ」


 俺は缶ビールをグラスに注いで、グッと飲み干した。


「あいつ彼女と上手く行ってるのか?」

「まだ付き合い始めて間が無いから、大丈夫じゃないの。初めての水族館デートは楽しかったみたいよ。俊哉の情報だけど」

「そうなんだ。相手はどんな娘なんだろう」

「連れて来てくれると良いのにね」

「それまでに振られたりしてな」


 俺はそんな軽口叩きながら、お好み焼きをひっくり返して、またビールを飲んだ。


「康介は優しいから大丈夫よ」

「俺に似たんだな」

「ええっ……」


 俺の冗談に、妻はおどけて返してくれた。


「我が家にも春が来たな」

「ホントね。康介は奥手だから心配してたけど、安心したわ」


 俺と妻は小声で話しながら、目を見て笑い合った。



「さあ、片付けるか」


 食べ終わった俺は、シンクに残る食器を洗おうとした。


「仕事で疲れてるのに、あなたまで手伝ってくれなくて良いよ。私がやるから」

「そうは行かないよ。今日は『妻がうるおう日』なんだから、最後までゆっくりして貰わないとな」

「ありがとう。確かに、康介が優しいのはあなたに似たのね」


 妻が笑顔でハグしてくれた。

 俺は息子たちが居ないのを確認して、妻に軽くキスをする。


「妻がいつまでも綺麗だと、夫は優しくなれるんだよ」


 俺が柄にもないことを言うと、妻は嬉しいと返事をするように、ハグした腕に力を込める。

 康介の思い付きで、夫婦仲が深まった。俺は「ありがとよ、康介」と心の中で礼を言った。

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