第180話 三月二十九日は作業服の日

 ものづくり大国の日本では多くの労働者が第二次産業に従事している。日本の屋台骨を支えている作業服姿の人々に感謝し、新年度の四月一日から新しい作業服でさらに頑張ってもらいたいとの願いを込めて、作業服の販売などを手がける埼玉県川口市の「まいど屋」株式会社が制定。

 日付は三と二九で「作業服」の語呂合わせから。



 俺がまだ実家で暮らしていたころ、父は毎朝作業服を着て出勤していた。父は家から自転車で三十分ぐらいの工場勤務。作業服で出勤し、作業服で帰宅していた。

 毎日どこにも寄らずに帰って来て、家で晩酌し、風呂に入ってテレビを観る。父の行動は完全にルーティーン化していた。病気もしたことが無く、俺の知る限りでは、工場を休んだことなど一度も無かった。

 父は無口な男で、必要最小限の会話しかしたことが無い。家に帰って来た時も「お帰り」「ただいま」とだけ。

 着ている作業服からは煙草と油の匂い。決して良い匂いでは無かったが、俺は嫌いでは無かった。無口だけど真面目に働いている父。その匂いが父である証明のように感じていたからだ。


 病気などしたこと無かったのに、父は六十五歳の若さで亡くなった。癌の発見が遅れ、気付いた時には手遅れだったのだ。

 通夜の晩には、三人の男兄弟で父の思い出話になった。だが、すぐに話は尽き、あまり盛り上がらなかった。みんな大した思い出も無く、無口で何を考えていたのか分からないとのイメージしかなかったのだ。


「それでもお父さんは、いつもあなた達の成長を喜んでいたのよ。私が子供たちの話をしたら、嬉しそうに聞いていたから」


 母の話を聞いて、俺達兄弟は驚いた。そんな素振りを見たこと無かったから。

 父は父なりに、不器用だけど家族を想っていたんだと知った。


 俺は今、結婚して、五歳の息子がいる。家に帰ると息子は「お父さんお帰り!」と嬉しそうに出迎えてくれる。俺も「ただいま」と笑顔で息子を抱き上げる。

 俺はスーツで通勤しているし、煙草も吸わない。子供とよく話をするし、遊びにも連れて行く。息子から見た俺は、俺から見ていた父とは違うだろう。でも、俺も父も、大切な家族を守って、真面目に生きている。きっと今の俺の姿を見て、天国の父も喜んでくれていると思う。

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