第177話 三月二十六日は食品サンプルの日

 全国の飲食店の店頭を飾る食品サンプルのパイオニアとして知られるいわさきグループの「株式会社いわさき」「株式会社岩崎」「岩崎模型製造株式会社」の各社が制定。

 日本独自の文化である食品サンプルの販促効果や見た目の楽しさ、思わず注文したくなるその魅力などをより多く人に知ってもらい、将来にわたるさらなる普及と発展が目的。

 日付は三と二六で「サン(三)プ(二)ル(六)」と読む語呂合わせから。



 今から十年ほど前、俺は貧乏学生だった。

 貧しい家庭で育ったので、良い大学を出て一流企業に就職し、お金に余裕の有る生活をするのが夢だった。俺はその夢の為に、努力を惜しまず勉強した。その甲斐があって、現役で旧帝の大学に合格し、実家を離れて生活することとなった。

 学費関係は奨学金を借りて何とかしたが、下宿代を含めた生活費はアルバイトでもして工面するつもりだった。もちろん実家からは一切援助など無い。だが、勉強も続けながらのアルバイト生活は想像以上に厳しかった。給料日前には食事に困ることもあった。そんな俺を助けてくれたのは、大学近くに在った一軒の中華料理屋だった。


 その店に気付いたのは、店の前を通った時に見た焼きめしの食品サンプルが、驚くほどのボリュームだったからだ。

 その食品サンプルの器はまるで洗面器のように大きく、焼きめしはその器からはみ出さんばかりに山盛りとなっていた。しかも値段は五百円。どう考えても元が取れるとは思えない。詐欺のようなサンプルだと思ったが、毎日の粗食に飽きていた俺は、騙されても良いかと中に入った。

 カウンター席のみの店内に入り、出入口から一番近い席に座った。


「あの、表のサンプルにある焼きめしをください」

「ああ、ビックリ焼きめしね」


 あれはビックリ焼きめしと言うのか。出て来たら、あまりにサンプルと違うのでびっくりするというオチじゃないだろうな。

 俺は警戒心を持ちながら、焼きめしが出て来るのを待った。


「はい、どうぞ!」

「おおっ……」


 俺は思わず声が出てしまった。目の前に置かれたのは、サンプルと全く同じボリュームの焼きめしだった。

 レンゲですくって一口食べる。

 美味い!

 具の比率は少なめだと思う。だがこのボリュームで五百円なら当然だろう。具が少なくても、タマゴとご飯は絶妙に絡み合い、一粒一粒がちゃんとパラパラしている。質素な食事を続けていた俺に取ってはとても美味しいご馳走だった。何より嬉しかったのは、食べても食べても減らないと思うぐらい量が多いことだ。

 俺は夢中になって焼きめしを口の中にかき込み、全て完食した。


 それからは、お腹が空いた時には、その店に行って、ビックリ焼きめしを食べた。お陰で飢えることなく、学生時代を過ごすことが出来たのだ。

 店主さんとも顔なじみになり話を聞くと、やはりこのメニューは貧乏学生用に、慈善事業のつもりで作ったそうだ。俺はそれを聞いて以来、アルバイトの給料が出た時には、他のメニューを頼んで、店の売り上げに貢献するようにしていた。



 大学を卒業した俺は、自分の夢を実現している。一流企業に就職し、十分に満足できる給与を貰っていた。妻と二人の子供も居て本当に幸せだ。

 ある日、たまたま出先の仕事の関係で、大学近くに寄る用事があった。ちょうど昼飯近くの時間だったので、卒業以来初めてあの中華料理屋に行くことにした。

 店の前に来ると、前と雰囲気が変わっていた。その理由はすぐに分かった。あのビックリ焼きめしのサンプルが無いのだ。


「お久しぶりです」

「おおっ、久しぶりだね。元気だったか?」


 俺が店内に入って挨拶すると、店主さんも覚えていてくれて、懐かしそうに言葉を返してくれた。


「ビックリ焼きめしはやめてしまったんですか?」

「そうなんだよな……」


 店主さんは悲しそうな表情で、事情を話してくれた。

 ある時、ビックリ焼きめしがSNSで話題になったそうだ。それでお客が増えたのは良いが、みんなビックリ焼きめしの写真目当てで、半分も食べずに残す人ばかりだった。貧乏学生の為にと思って作ったメニューなのに、ほとんど捨てることとなった状況に、店主さんの心が折れた。ビックリ焼きめしの終了は仕方ないことだったのだ。


「それは酷いですね」

「ホントにな。俺は今まで何をやって来たのかって、情けなくなったよ」


 俺は店主さんの言葉を聞いて、黙っていられなかった。


「それは違いますよ。店主さんが作ってくれたビックリ焼きめしは多くの学生を助けてくれたと思います。現に私はビックリ焼きめしのお陰で、飢えずに済んだんです。お金が無い時に、あのビックリ焼きめしがどれほど有難かったか。店主さんには感謝しか無いです」

「そうか……あれは人の役に立ってたんだな……」

「そうです。だから情けないなんて言わないでくださいよ。店主さんは立派なことしていたんだから」

「ありがとう。その一言で救われたよ」


 今日、この店に寄って良かった。俺が受けた恩を少しでも返せたのなら、本当に良かったと思う。


「また近くに来たら、顔を出します」


 食事が終わり、帰り際にそう言うと、店主さんは喜んでくれた。

 店を出てから振り返り、この店がずっと繁盛し続けますようにと願った。 

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