第158話 三月七日は家計の見直しの日

 熊本県熊本市に本社を置き、住宅紹介、土地の分譲、生命保険などのライフプランニング事業を展開する株式会社みらいコンシェルジュが制定。

 人生で一番大きな買い物と言われる住宅を購入する機会に、家計の見直しを行うことで後悔のない住宅購入を広めるのが目的。

 日付は三と七で「見直し」の「み(三)な(七)おし」の語呂合わせから。



 リビングでネットのニュースを読んでいると「今日は家計見直しの日です。家計チェックをしてみませんか?」ってタイトルが目に入って来た。

 俺は過去の苦い思い出がよみがえり、深いため息を吐いた。


「どうしたの?」


 横でテレビを観ていた妻が心配そうに聞いて来る。


「今日は家計見直しの日だってさ」


 俺がそう言うと、妻は「ああ……」と納得したようだ。妻も俺の過去を知っているので、理解出来たのだろう。

 実は、俺はバツイチで、今の妻とは再婚だ。



 一度目の結婚が破綻したのは、家計の見直しが切っ掛けだった。

 前妻の実家は父親に浪費癖があり、借金で随分苦労したそうだ。だから前妻はお金に関しては凄く敏感で、借金はもっての外という考えをしていた。

 結婚当時、俺には奨学金の返済が残っていた。長期の返済になっているので、月三万程度。これに関しては大学に行くのと引き換えに借りたお金だったので、俺に借金という感覚は無かったし、前妻も納得していると思っていた。


「家計の出費を見直したいの」


 結婚して一年ほど経ったある日、前妻からそう提案された。


「家計の見直しって言っても、何も無駄遣いしてないし、貯金も出来てるだろ?」


 前妻が借金を嫌っていることもあり、その時点で奨学金以外はお金を借りていない。家は借家だし、車も安い中古車を一括で購入していた。貯金に関しては積み立ての投資信託を続けていて、毎月の残金とボーナスで現金の貯金もしている。元々俺も前妻も浪費はしないタイプだったので、十分な家計管理が出来ていると思っていた。


「だって、今のままじゃあなたの奨学金を繰り上げ返済出来ないでしょ」

「えっ? 俺の奨学金なんて繰り上げ返済する必要ないだろ。だって金利がほとんど無いから、今返しても、将来返しても返済金の総額に差が出ないんだよ」

「そう言う問題じゃ無いの。奨学金って借金でしょ。早く返した方が良いに決まってるわ」


 前妻には奨学金の金利について何度か説明していたが、理解はしていなかったようだ。


「お金の価値って変わらないものじゃ無いんだよ。例えば、今はハンバーガーが一個二百円で買えるとするだろ。でも十年後には四百円になっている可能性もあるんだ。物価が上がることで、お金の価値が変わってしまうんだよ」


 前妻は俺の説明を懐疑的な目で見ている。まるで詐欺師の話を聞いている顔つきだ。


「物価は上がることがあっても下がることは無いから、月日が経てば借金の価値も減る可能性が高いんだよ。だから金利が殆ど無い奨学金を繰り上げ返済するのは損になるんだ」

「でも借金は借金じゃない。ずっとお金を借りたままじゃ安心して暮らせない。それに子供が出来たらどうするの? 借金を背負ったままで子育ては出来ないわ」

「かと言ってこれ以上出費を減らしたら、生活が窮屈になってしまうよ。繰り上げてまで返す意味の無い奨学金の為に生活が苦しくなるのはごめんだよ。子供が出来たら手当も増えるし、税金も安くなる。すぐお金に困ることは無いよ」

「あなたもお父さんと同じだわ。今の生活を楽しみたいが為に、借金しても平気なんだ」

「それは違うって!」


 それ以降何度も話し合いしたが、喧嘩になるだけで前妻は納得しなかった。借金イコール悪で、頭が凝り固まっているのだ。結局、性格の不一致で離婚となってしまった。



「奨学金も借金だから早く返さないと駄目って考え方する人はいるからね。仕方なかったのよ」


 妻は俺を慰めるように、そう言った。妻はしっかり者で、お金に関する知識も持っている。


「ネットで恐怖感を煽る記事を時々見かけるからね。勉強して良い企業に就職する意欲のある人間なら、奨学金を借りてでも大学に行くべきなんだよな。生涯賃金を比べたら、奨学金以上の開きが出て来るから」

「もっと義務教育でお金の教育もすべきよね」

「ホントだよな。ちゃんとお金の知識があれば、俺も離婚せずに済んだかも……あっ、でも今は幸せだから後悔はしていないんだよ」


 俺は今の生活を否定するようなことを言ってしまったので、慌ててフォローした。


「そんな慌てなくても分かってるって」


 妻は俺の慌てぶりが面白かったのか、笑いながらそう言った。


「俺が今幸せなだけに、少し罪悪感があるんだよな。あんな喧嘩別れしてしまったけど、一度は愛した人だからね。今は彼女も幸せであって欲しいな」

「今はどうしてるか知らないの?」

「離婚してからは連絡を取ってないからな」

「連絡先は分かるんでしょ?」

「残してはあるけど、もし寂しい思いをしていたら、気まずくて連絡する勇気は出ないな」

「共通の友達に聞いてみるとかは?」

「そうか、その手が有ったか……」


 具体的に前妻と連絡を取ろうと考えたことが無かったので、思いつかなかった。


「あっ、でも良いの? 俺が彼女と連絡を取るのは嫌じゃないか?」

「まあ、気分が良いとは言えないけど、あなたを信用しているから何かあるとは思わないし、それなら連絡を取ってスッキリした気持ちになった方が良いと思う」

「ありがとう。じゃあ、とりあえず共通の友達を連絡を取ってみるよ。それでもし彼女が孤独に暮らしてたら、連絡を取らないことにする。俺の幸せな話を向こうも聞きたくないだろうからね」

「うん、そうね。それが良いと思うわ」


 妻の了解を得たので、俺は後日、共通の友人である女性に連絡を取った。

「あの娘も再婚してるよ」

「そうなのか、それは良かった。直接連絡取りたかったけど、もし独りなら気まずいと思ってたんだよ」


 友人の言葉に、俺はホッとした。


「でも偶然よね。三日前に彼女からも、あなたの近況を聞かれたの。向こうも気にしてたみたいね」

「そうなんだ……」

「どう、私が会えるようにセッティングしてあげようか?」

「えっ、どういうこと?」


 友人の言葉の意味が分からなかった。


「久しぶりなんだから、電話やラインじゃ寂しいでしょ。直接会って、積もる話をしてみたら」


 確かに久しぶりに会うのだから、直接会って話したいと思った。友人の好意に甘え、再会を取り持って貰った。



 数日後、お互いの都合の良い日に、昔デートで使っていたカフェで会うことになった。もちろんお互いの配偶者には了解を取ってある。

 少し早く着いたので、カフェの中で待っていた。


「お久しぶり」


 笑顔で現れた前妻は、離婚当時の険のあった表情が嘘のように、穏やかな顔をしていた。


「ホント久しぶりだね」


 前妻も席に着き、俺達は三年ぶりに向かい合った。


「再婚したそうだね」

「うん、あなたも再婚したのよね?」

「ああ。お互い幸せになれて良かったな」

「本当にそう思うわ。自分だけが幸せになってたら悪い気がしてたから」

「同じこと考えてたんだな」


 俺がそう言うと、前妻は「そうだね」と言って笑った。


「離婚してすぐの頃は後悔してたわ」

「ええっ、そうなんだ。君は離婚でスッキリしてると思ってたよ」

「幸せになる為にお金が必要だって思い込んでいたの。でも、お金のことばかり考えてた所為で、離婚してしまった。独りぼっちになったら、凄く寂しかったの。幸せになる為に家計を見直そうって話だったのに、こんな不幸になるなんてって後悔したわ」


 前妻は当時を思い出しているのか、しみじみと話す。


「あれからお金の勉強もしたの。そうしたら、あなたの言葉も理解できるようになったわ……」

「あの時は俺も意固地になっていたよ。確かに子供のことまで考えたら、もっと貯金して余裕があった方が良かったと思う。もう少し君の意見に耳を傾ければ良かったよ」


 俺も素直に自分の反省の気持ちを話した。


「あの時もこうして落ち着いた気持ちで話し合えば、別れることも無かったのかな……」

「今は本当に幸せなのか?」


 前妻があまりにも昔を懐かしんでいるように思えたので、心配になって聞いてみた。


「もちろんよ」


 前妻は嘘偽りの無い笑顔で答えてくれた。


「落ち込んでいた私を励まして、元気づけてくれたのが今の夫なの。私がこうして笑えるようになったのは、間違いなく彼のお陰。本当に感謝しているし、尊敬もしてる」

「うん、本当に良かったね」

「あなたはどうなの?」

「俺もそうだよ。もう恋愛なんてこりごりだと思っていたのに、本当に気持ちが通じ合える人を見つけたんだ。妻に出会えなかったら、今でも寂しい思いをしているよ」


 俺がそう答えると、前妻も穏やかな笑顔を浮かべた。

 その後も、俺達は思い出話や、最近の生活状況などを語り合った。


「じゃあ、末永くお幸せに」

「はい、あなたもお幸せに」


 俺達はそう言い合って、握手して別れた。

 今日の再会で、心の中に残っていた重い物が無くなった気がした。これで今まで以上に、妻と幸せに暮らして行けると思う。

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