第144話 二月二十一日は日刊新聞創刊の日
一八七二(明治五)年のこの日、現存する中では日本初の日刊新聞『東京日日新聞』(現在の毎日新聞)が創刊した。
日本初の日刊新聞は一八七〇(明治三)の『横浜毎日新聞』であるが他社に吸収されているため、現存する中では最古とされている。ただし、毎日新聞は自身のことを「東京で最初の日刊紙」と表現している。
父が亡くなって初めてのお盆。私は母が一人で住む実家に帰省した。
私は東京の大学に進学して、そのまま東京で就職した。今は二十九歳。仕事が面白くなってきた今日この頃で、故郷に戻る気は無い。
父が亡くなった時に、家を売って私の住む町に引っ越さないかと提案したのだが、母はここを離れたくないと言ってそのまま住み続けている。まだ老け込む歳ではなく体も元気なので、とりあえず今は母の好きにする方が良いかと、それ以上は何も言わなかった。
「あれ? まだ新聞取ってるんだ」
帰省して最初の朝、私はダイニングテーブルの上に置かれた新聞を見て、母にそう言った。
私が実家に居た頃から新聞を取っていたが、読むのは父だけ。母はテレビ欄ぐらいしか読んでなかったと思う。
「うん、チラシが入るしね」
「スーパーのチラシぐらいネットで調べれば載ってるよ」
「テレビ欄も読むからね」
「テレビで番組表を見れるでしょ。もったいないから止めたら」
私がそう言っても、母は返事をしない。
「新聞を止めると、お父さんが本当に居なくなると思って……」
母はぼそりと本音を漏らした。
「そうか……」
そう言われると、私もそれ以上は母を責めることが出来なかった。
父は寡黙な人だった。私は父と楽しく話をした記憶が無い。記憶の中の父は、いつも新聞を読んでいた。朝起きてから出勤するまで、朝食を食べている最中でも新聞を読んでいた。いつも遅くに帰って来るので、夜は殆ど顔を見ない。休日はリビングで新聞を読んでいるか、テレビを観ているか。遊びに連れて行って貰ったり、一緒に買い物に行ったりした記憶も無いのだ。
「お父さんは私のこと愛してくれていたのかな?」
小さな頃から、父に構って貰えないのが当たり前になっていた。それが普通の父親だと思っていたから、疑問を感じることも無かった。でも、今になって考えると、やはり異常な親子関係だったと思う。
「あなたがそう思うのも無理は無いね……」
母は悲しそうな顔でそう言った。
「お父さんはあなたを愛してなかった訳じゃないのよ。ただどう接したら良いか分からなかっただけなの。お父さんのお父さんもそんな人だったから」
お父さんのお父さん……そう言えば、私は祖父に会ったことが無い。父と祖父は絶縁状態で、全く交流が無かったようだった。
「お父さんね、よくあなたのことを聞いて来たのよ。『友達と仲良くやっているのか』とか『学校の成績はどうなんだ』とか『何か悩んでいる様子は無いか』とかね」
「そんなに気になってたんなら、直接聞いてくれれば良かったのに」
私は母の話を聞いて腹が立った。なぜ私に聞いてくれなかったのか、不思議でならない。少し勇気を出すだけで、私達の親子関係も変わっていただろうに。
「あなたの気持ちも良く分かるわ。でも許してあげて。それが出来ない人もいるのよ」
「うん……でもね……お父さんとまともに話をした記憶が無いのもね……」
もう今更故人である父を責めるつもりは無いが、何かモヤモヤした気持ちが残ってしまう。
「逆にあなたから話し掛けたことは無いの?」
「そんな話し掛けられるような雰囲気じゃ……あっ」
話の途中で古い記憶が甦って来た。そうだ、一度だけ私から話し掛けたことがあったんだ。
「私、お父さんに話し掛けたことがあったわ。あれはまだ、小学生になる前だと思う。おとうさんがいつも新聞を読んでいるから、私は『それ、面白いの?』って聞いたんだ」
「そうなの! お父さんは何て答えたの?」
「『新聞は面白いから読むんじゃない。生きる為の知識を得るために読むんだ。お前も毎朝新聞を読む大人になりなさい』って」
「だからお父さんは毎日、新聞を読んでたのね……」
母は父を思い出しているのか、しみじみとそう言った。
私はテーブルの上の新聞を手に取り広げた。一枚一枚新聞をめくり、簡単に目を通す。
「私はお父さんの望んだ大人になってないなあ……」
「お父さんはそれを責めたりしないと思うよ。あなたが健康で幸せに暮らしているなら」
確かにそうなんだろう。でも、父から唯一のアドバイスを守れていないのは心残りだ。
「私、今日から新聞を読むよ。お父さんの気持ちも何か分かるかも知れないし」
「うん、そうだね」
母は笑顔で頷いてくれた。
その日から私は新聞を読み始めた。帰省している間は実家の新聞を。自宅に戻ってからは新しく新聞を契約した。
もう半年以上新聞を読み続けているが、まだ父の気持ちは分からない。でも、分からなくても良いかと思い始めている。こうやって新聞を読んでいると、父の存在を身近に感じられる。それだけで十分幸せなことだと思っているから。
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