第138話 二月十五日は次に行こうの日
株式会社国立音楽院が制定。学校になじめないなどさまざまなことで悩んでいる小学生、中学生、高校生が、同音楽院の自由な環境の中で一人ひとりに合った音楽活動を学び、新たな一歩を踏み出すきっかけの日とするのが目的。
日付は四月の新学期を前に、二と一五で「次に(二)行(一)こう(五)」の語呂合わせから。
「父さん、俺、中学で野球を辞めようと思ってるんだ」
リビングでテレビを観ていると、息子がやって来て真剣な表情でそう言った。
「野球を辞めるって? 小一から九年も続けて来たのに辞めるのか?」
「うん……」
息子は高校野球が大好きで、春と夏の開催期間になれば、毎日テレビ観戦を欠かさない子供だった。息子は春から高校生になるので、野球部に入って甲子園を目指すものだと俺は思い込んでいた。
確かに息子の進学する高校は強豪校とは言い難い。普通の公立高校で、息子が野球部に入ったとしても甲子園出場はまず無理だろう。でも、息子は今までエースとして主力でチームを引っ張っていた。やり甲斐はあったと思う。
「甲子園が無理だから野球を辞めたいのか?」
息子がそんな根性無しだとは思いたくなかったが、それしか理由は思い浮かばなかった。
「違うよ。他にしたいことが出来たんだ」
「したいことって何だよ」
「軽音に入って、バンドがしたいんだ」
「バンド?」
息子がバンドに興味があるなんて初めて聞いた。今まで楽器なんてさわったこともない筈だ。
「ベースがしたいんだ。最近インディーズを良く聴いていて……」
「分かった好きにしろよ」
俺は息子の言葉を遮って、不機嫌な口調でそう言った。
「うん……」
息子は少し寂しそうに返事をすると、自分の部屋に向かう。その息子と入れ違いに妻がリビングに顔を出した。
「知ってたのか?」
俺はあえて内容も言わずに、妻に問い掛ける。
「バンドしたいとは聞いては無かったけど、前からよく音楽を聴くようになってたからね……」
「そうか……」
「応援してあげないの?」
妻が心配そうに聞いて来る。
俺は生まれた時からずっと、息子を本当に可愛がって愛してきた。信頼関係も出来ていると思っている。息子が野球を辞めると、俺に報告してきたのはその証拠だと思う。
「そうだな……」
俺の気持ちとしては、野球を続けて欲しかった。小中高と、ずっと一つのことをやり続ける経験なんて貴重だと思っているから。でも、それを押し付けるのは愛情じゃなくて、エゴだろう。息子が選択した新しい道。それを見守って、応援するのが親として正しいんじゃないか。
「うん、応援するよ」
俺は妻にそう言うと、立ち上がって息子の部屋に向かう。
「開けるぞ」
「あっ、うん」
俺は息子の部屋に入って行った。
「ベースはどうするんだ?」
「貯めていたお年玉で買うよ。それに高校に入ったら、バイトも始める。いろいろお金が必要になってくるだろうから」
「そうか、全て自分で用意するんだな」
「うん。そのつもり」
親に頼らず、自腹切ってまでやるつもりなんだ。
「でも、バイトを熱心にして、練習が疎かになったら意味ないぞ」
「それは分かってるよ。あくまでバンドの為のバイトにする」
「ちゃんと高校の三年間は続けるんだぞ」
「それも分かってるよ。中途半端にはしないよ」
「そうか。なら応援する。なにか困ったことがあれば、俺やお母さんに相談するようにな」
「うん、ありがとう」
息子はようやく、笑顔になった。
俺は息子の部屋を出て、また妻の待つリビングに戻る。
「応援するって言って来たよ」
「そう、良かった」
俺の報告を聞いて、妻はホッとした表情になる。
「本音を言うと、野球を続けて欲しかったよ。でも仕方ないな」
「うん、成長してるってことよね。私たちは見守って行こうね」
「ああ……」
まだまだ子供だと思っていても、息子はどんどん成長していく。それが寂しくもあり、嬉しくもある。息子が新しい道で、多くの喜びとやり甲斐を見つけて欲しいと願うばかりだ。
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