第137話 二月十四日は聖バレンタインデー(月間ベスト作品)

※基本的に本作は一話読み切りの短編集ですが、この話に関しては次の三話を読んだ方が内容をより理解できます。

十月十一日はウィンクの日(月間ベスト作品)

十二月二十三日はテレホンカードの日

一月二十八日は逸話の日


 西暦二六九年のこの日、兵士の自由結婚禁止政策に反対したバレンタイン司教が、時のローマ皇帝の迫害により処刑された。それから、この日がバレンタイン司教の記念日としてキリスト教の行事に加えられ、恋人たちの愛の誓いの日になった。

 ヨーロッパでは、この日を「愛の日」として花やケーキ、カード等を贈る風習がある。

 女性が男性にチョコレートを贈る習慣は日本独自のもので、一九五八(昭和三十三)年にメリーチョコレートカムパニーが行った新宿・伊勢丹でのチョコレートセールが始りである。一年目は三日間で三枚、百七十円しか売れなかったが、現在ではチョコレートの年間消費量の四分の一がこの日に消費されると言われるほどの国民的行事となった。

 一箇月後の「ホワイトデー」に返礼のプレゼントをする。



霧島凛子

 これ、可愛い。これなら喜んで貰えるかも。

 私は目に留まったピンクの包装紙に包まれたチョコを手に取った。


「それ、予算オーバーだけど、もしかして本命チョコ?」

「えっ!」


 麗美が後ろから急に、冷やかすように声を掛けて来たので、私は驚いた。

 今日は依里と麗美の二人と一緒にバレンタインの友チョコを買いに来ている。明日のバレンタインデーは、私の家で友チョコの交換会を開く予定なのだ。友チョコは金額の上限を決めていて、一個三百円まで。それを自分の分も含めて各自三つ買う予定だ。

 私が手に取ったチョコは、千円もする。高校生に取っては高級品だ。


「ち、違うわよ! 可愛いと思ったから手に取っただけよ」

「なんか慌てるところが怪しいなあ~」


 麗美はニヤニヤしながら、更に冷やかす。


「慌ててなんかないし」

「あっ、凛子ちゃん、嘘ついてる。 鼻の頭を掻いているのがその証拠よ」


 依里まで寄って来て、私を冷やかす。でも、嘘を吐いたのは本当なので、私は観念した。


「もう、別に告白するような相手じゃ無いんだけどね。だけど、バレンタインデーは良いチャンスだからどうしようかと思って」

「それだけじゃ事情が良く分からないわね。チョコ買ってから凛子の家に行って相談しよう」


 麗美が興味津々でそう話す。


「ええっ、明日もチョコの交換会するのに」


 最近は何かと私の家に来て三人で遊んでいるから、別に二日続けて集まるのは珍しくない。だけど、まだチョコの件でちゃんと相談するかどうか、私は決めかねていた。


「私と麗美ちゃんで話を聞いてあげるよ。もし渡さないって決まったら、三人でそのチョコの代金を割り勘にして食べれば良いじゃない。麗美ちゃんもそれで良い?」

「私は良いわよ」


 確かに依里の提案はありがたい。相談に乗ってくれるのなら、二人にちゃんと話すか。


「ありがとう。じゃあそうさせて貰うわ」


 私は手に取ったチョコを買い、二人に相談に乗って貰うことにした。



 チョコを買い終わった私達は、三人で私の部屋に集まった。


「これを見て欲しいんだけど」


 私はローテーブルの上に、幼稚園の卒園アルバムを置いた。アルバムは集合写真のページで開いてある。


「可愛いー」

「懐かしい! これが私で、これが凛子ちゃんよ」


 二人はアルバムを見ながら、楽しそうに話している。


「で、このアルバムがどうしたの?」

「この子を見てよ」


 麗美に聞かれた私は、集合写真の中から、一人の男の子を指差した。二人はその子の顔を見つめる。


「この子がどうしたの?」

「この子が初恋の相手なの」

「ああ!」


 二人は同時に声を上げた。


「この前言ってたの、この子だったんだ!」

「依里は覚えているの?」


 依里が声を上げたので、麗美が尋ねる。


「ううん、全然」

「なに二人で漫才みたいな会話してるのよ。下に名前が書いてあるでしょ。ちょっと読んでみてよ」

伊藤康介いとうこうすけ? どこかで聞いたような……」

「あっ、うちのクラスの男子と同じ名前だ。この人クリスマスイブの前日に凛子ちゃんをデートに誘った男子でしょ?」


 依里は私と同じクラスなので気が付いたようだ。


「そう言えば、イブの日にそんなこと言ってたね。で、この初恋の男の子がクラスの男子と同一人物なの?」


 クリスマスイブの前日の夜、私はクラスの伊藤君から急に翌日のデートに誘われた。でもイブの日は、麗美の家でパーティーを開く予定になっていたから断ったのだ。それ以降、三学期に入っても伊藤君から何か話し掛けてくることは無かった。

 どういうつもりで誘ってくれたのか、今でも謎だ。


「クラスの伊藤君が初恋の男の子かどうかは聞いてないから分からないの。依里は分からない?」

「私も全然覚えてないから分からないな」


 依里も分からないみたいだ。


「初恋の子かどうかは別にして、伊藤君のことはどう思ってるの?」

「うん……」


 麗美が答えにくいことを聞いて来る。

 私は伊藤君のことをどう思ってるんだろうか? イブのデートを断った時は何とも思って無かった。ただ、もしかして私に気があるんだろうかとは思っていた。その後、伊藤君から話し掛けても来ないので忘れかけていた頃に、卒園アルバムを見てしまった。それからはどうしても意識してしまう。その感情が何かは分からない。


「正直に言って、よく分からないの。でも初恋の子かもって考えてからは、少し意識はしているよ」

「チョコレートを渡そうと思ったんでしょ? 好きになったからじゃないの?」


 私がはっきりした答えを言えないからか、麗美が続けて質問して来る。


「うん……何か話す切っ掛けになるかなって。でもチョコレートをあげたら誤解されるよね」

「いかにも義理チョコならまだしも、あれなら告白だと思われるでしょうね」

「やっぱりそうよね」


 私も麗美の言う通りだと思った。でも、あのチョコを見た瞬間、これをあげたら凄く喜んでくれるかもって思ってしまったんだ。


「じゃあさ、明日とりあえず、初恋の子かどうか確かめてみたら良いよ。その上で付き合いたいって思えたら、チョコレートを渡したらどう?」

「ええっ……もし同姓同名なだけで別人だったら、チョコレート渡さずにさよならってするの? それは残酷じゃない?」


 正直、依里の提案はどうかと思った。


「依里の提案は良いと思うよ。だって何かしなきゃ始まらないでしょ?」

「そうかなあ……」

「そうよ! やってみようよ!」

「分かった。明日、伊藤君と話をしてみるよ」


 二人に相談して、決心がついた。どうなるか分からないが、前に進もう。



伊藤康介

「二人とも、明日はチョコを貰えそうか?」


 珍しく家族四人一緒に夕飯を食べていると、ビールを飲んで上機嫌になった父さんが、俺と俊哉に聞いて来る。


「最近は友チョコが主流で、バレンタインデーは女の子から男の子に愛の告白をするって考えは古いのよ」


 父さんの横に座る母さんが、俺達をフォローしてくれた。


「そうなのか。つまらんな。じゃあ、もう男はチョコレートを貰えないのか」

「そんなこと無いよ。俺は明日、彼女からチョコを貰えると思うよ」

「そうなのか?!」


 俊哉の言葉に驚いた俺は、思わず聞き返す。


「そりゃあ、告白は減ったかも知れないけど、彼氏には本命チョコ渡すでしょ」


 弟の俊哉は中学生の癖して、彼女が居やがる。俺なんて高校生なのに一度も彼女が出来たこと無いのに。


「なんだ、康介は俊哉に先を越されてるのか」

「馬鹿なこと言ってないで、早く食べなさい!」


 母さんが父さんに怒鳴る。


「夫を捕まえて、馬鹿なことってなんだよ!」

「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いのよ!」


 父さんが余計なことを言ったので、二人は喧嘩になってしまった。


「ごちそう様」


 喧嘩を始めた両親を放って置いて、俺は夕飯を食べ終わると部屋に戻った。


「余計なこと言ってごめん」


 俊哉も部屋に戻って来て、俺に謝ってくれた。


「良いよ。お前が悪い訳じゃないから」


 謝られると余計にみじめになる。俊哉はマウントを取ろうとして、あんなことを言う奴じゃ無いから。

 明日はバレンタインデーか。

 ふと頭の中に、霧島凛子の顔が浮かんで来た。


「明日チョコくれねえかな……」

「何か言った?」

「いや、何でもない」


 俺が霧島のことを意識しだしたのは、十月のあの出来事からだ。



 あの日、俺は部活に行こうとして、下駄箱で靴を履き替えていた。すると、近くから聞いたことのある女の声が聞こえて来た。


「お願い。凛子ちゃんがウィンクしたら、ウィンクを返してあげて」


 ウィンクしたら、ウィンクを返してあげて? 何だそれ?

 俺は気になったので、声の主を探してみた。すると校舎を出てすぐのところで、同じクラスの桜田依里が佐川ヒカルに頭下げていた。佐川の横には同じバスケ部の奴もいる。

 さっきの声は桜田だったんだ。同じクラスだから聞いたことがあったんだ。じゃあ、凛子って霧島凛子のことか。ウィンクしたらウィンクを返してあげてってどういう意味なんだろう?

 俺が少し離れた場所で様子を見ていると、桜田は何度も何度も佐川に頭を下げ続ける。根負けした佐川は「分かったよ」と投げやりな返事をして、歩いて行った。

 結局言葉の意味は分からなかったが、桜田が霧島の為に一生懸命佐川に何か頼んでいるのは分かった。たぶん、霧島は佐川のことが好きなんだろう。佐川の野郎は性格が最悪なのにモテるから。

 そんなことを考えながら、俺も校舎を出てグランドに向かう。途中で今日は部室の鍵当番なのを思い出した。体育館内にある体育教官室に取りに行かないといけない。

 俺が体育館に着くと、佐川とバスケ部の奴が大きな声で話をしてた。


「しかしさっきの女、変な奴だったよな。お前に『凛子ちゃんがウィンクしたら、ウィンクを返してあげて』って、意味わからんよな」


 バスケ部の奴が佐川に言う。


「あれ、クラスの桜田って奴だ。凛子は奴の友達で、そう言えば授業中に怖い顔してウィンクしてたな。あんな女にウィンクし返せって、何の罰ゲームだよ」


 奴ら桜田のことを笑っていやがる。友達の為に、あんなに必死で頼んでいたのに。あれを笑うなんて腹立つ奴らだ。


「あの桜田って女は天然でさ。いつもボケかまして笑われているんだぜ。ホント変な奴だよ」


 俺は本当に腹が立ったので何かひとこと言ってやろうと、体育館建屋に入ろうとしたその時。


「その発言、取り消してよ!」


 どこから出て来たのか、霧島が二人の背中に怒鳴った。


「あっ、霧島……」


 佐川が振り返って驚く。


「さっきの酷い発言を取り消してよ!」


 もう一度霧島が怒鳴る。俺からは表情が見えないけど、凄く怖い顔をしていると思う。


「あっ、いやだってあんな顔でウィンクされたら……」

「私のことはどうでも良いの! 依里が笑われてるとか、変な奴って発言を取り消して! 依里はね、素直な優しい良い子なの。あんたたちみたいに陰で悪口言って人を貶めるようなことはしない。依里のことを笑ったら私が許さないからね!」


 俺は霧島の言葉に感動していた。霧島のことを思って佐川に頭を下げた桜田。その桜田が笑われているのが我慢ならずに怒る霧島。二人は固い絆で結ばれているんだ。

 佐川が謝って話が終わった。霧島は興奮した表情で体育館建屋から出て来る。俺とすれ違ったが、霧島の視界には入って無いようだ。

 すれ違いざまに見た霧島の顔は、俺には凄く綺麗に見えた。同じクラスで毎日のように顔を見ていたけど、こんなに美少女だとは思わなかった。

 俺はその日から、霧島のことを意識するようになってしまった。

 クリスマスイブの前日。俺は決心して霧島をデートに誘ったが、予定があると断られてしまった。正直失敗したと思う。クリスマスイブの前日なんて無理に決まっているのに。でも、一度断られたのに、しつこく付きまとうとストーカー扱いされそうだ。俺はそれ以降、余計に話し掛けられないようになってしまった。



 バレンタインデーの当日になった。登校してすぐ、緊張して下駄箱を見たが、当然のごとく上靴が入っているだけだった。

 いつもより少し浮ついた雰囲気をよそに、俺はいつもと変わらぬ学校生活を過ごす。俺の友達もモテない奴らばかりなので、チョコの話題なんて誰も口にしない。

 そんな感じで昼休みになり、俺は教室でお弁当を食べた後、クラスの友達と雑談していた。


「ちょっとトイレに行って来る」


 俺は一人、席を立って教室を出た。


「伊藤君」


 教室を出てすぐの場所で、俺は後ろから声を掛けられた。


「き、霧島……」


 振り返ると、そこには赤い顔した霧島凛子が立っていた。


「あの、今日の放課後、少しだけ時間あるかな?」

「あっ、ああ、少しなら……」

「ありがとう。じゃあ、体育館裏に来てくれる?」

「う、うん、行くよ……」

「ありがとう」


 霧島はそれだけ言うと、すぐに去って行った。

 残された俺はトイレに行くのも忘れて、呆然と立ち尽くしていた。



 午後の授業が始まってからも、俺は霧島の言葉の意味を考え続けていた。

 バレンタインデーの当日に、女子から体育館裏に呼び出される。これは告白以外に何が考えられるのだろうか? ドッキリ? 罰ゲーム? いや、あんな性格の良い霧島がそんなことをする筈ない。絶対にチョコを持っていて告白してくれる筈だ。



 放課後になった。俺は部活仲間に、適当な理由で少し遅れるからと了解を取り、一人で体育館裏に向かう。緊張して約束の場所に行くと、すでに霧島が待っていた。


「ごめん、遅くなって」

「ううん、私も今来たところ」


 長身でボーイッシュな霧島が緊張した面持ちでそう話す。あの時、体育館建屋で見たのと同じように、凄く綺麗だ。


「は、話って何かな?」

「あの……伊藤君って宿川幼稚園に通ってた?」

「えっ……」


 予想外の質問に戸惑う。確かにそうだけど……。


「うん、宿川幼稚園に通ってたよ」

「ホントに? じゃあ、私も同じ幼稚園だったの覚えてる?」

「いや、それはちょっと……」


 なんだろう? 同窓会の確認とか? そんなの、バレンタインデーの当日にじゃなくても良いし、こんな場所じゃなくても良い筈だ。


「私、伊藤君に謝らなくてはいけないことがあるの」

「謝る? 何を?」

「女の子に毛虫を見せて、怒られたことを覚えてる? その時の女の子が私なの。伊藤君は全然悪くなかったのに、怒られて悪かったと思って謝りたかったの」

「えっ……」


 俺は記憶を総動員したが、そんなことがあったかもぐらいしか覚えていない。


「本当にごめんなさい」

「いや、良いよ。今更謝らなくても。もう忘れてたし、気にしないで」

「ありがとう」


 俺がそう言うと、霧島は頭を上げてニッコリ笑った。告白じゃなくて拍子抜けしたけど、この笑顔を見れたから良いかと思えた。


「それから、これ受け取ってくれる?」


 霧島は足元に置いていた鞄から、ピンクの包装紙の箱を取り出して、俺に差し出す。


「これって……チョコなの?」


 結構高そうに見える。義理じゃ無いよな。


「ごめん、チョコだけど、そこまで深い意味は無いの。幼稚園の頃のお詫びと、それから……」

「それから?」


 深い意味はないってどういうこと? 告白じゃないってことだよな。


「これからよろしくってこと」

「これからよろしく?」

「うん、友達になってくれるかな?」

「えっ? 逆に友達になってくれるの?」

「もちろんよ。私からお願いします」


 そう言って、霧島は頭を下げる。


「いや、俺からもお願いします。友達になってください!」


 俺は飛び上がりたいくらい嬉しかった。人生最高の瞬間だった。

 義理以上本命未満のチョコだけど、一生忘れられない物になった。



霧島凛子

 無事、伊藤君にチョコを渡せた。伊藤君が部活に行った後も、まだ少し緊張と興奮で体が震えている。


「凛子ちゃん、良かったね!」

「凛子、おめでとう!」


 物陰から見ていた、依里と麗美が近付いて来て祝福してくれる。


「二人ともありがとう。でも、告白はしてないの」

「ええっ、どうして?」

「まだ焦らなくて良いかと思って。いきなり付き合うとなると、私達は意識し過ぎて上手く行かないような気がしたの。とりあえず、友達から始めるよ」


 私は麗美に答えた。


「良いじゃない、友達でも大成功よ!」

「ありがとう。依里」


 私は依里にお礼を言った。


「それはそうと、結局、初恋の男の子だったの?」

「うん、多分ね。同じ幼稚園だったから」

「そうなんだ! やっぱり二人は運命で結ばれているのよ」


 麗美は自分のことのように嬉しそうだ。


「うん、これからどうなるか分からないけど、運命だったら良いな」

「大丈夫! 私たちが応援するからね!」


 依里が私に抱き着いてくる。

 チョコを渡した時に、無邪気に喜んでくれた伊藤君。ちょっと可愛いと思ってしまった。

 本当に運命の相手で素敵な恋になると良いな。私は心からそう思った。

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