第135話 二月十二日はレトルトカレーの日
大塚食品が制定。
一九六八(昭和四十三)年のこの日、日本初のレトルト食品である「ボンカレー」が発売された。
朝起きたら体がだるくて熱っぽい。これは普通じゃないと思って計ってみたら、熱が三十九℃もあった。昨日まで息子の
幸い今日はパートが入って無い日なので、体を休めることが出来る。ただ、悠馬はまだ五歳で自分一人で出来ることは限られていた。
「おかあさん、だいじょうぶ?」
私が今にも倒れそうな状態で青い顔をしている所為か、悠馬が泣きそうな顔で聞いて来る。
「うん、大丈夫よ。悠馬はパンにジャムを付けて、自分で食べてくれる?」
「うん、おかあさんは?」
「お母さんね、少し疲れたからまた眠るわ。悠馬はパンを食べたら、絵本を読むかテレビを観ていてくれる? 絶対にお外に行っちゃダメだよ」
悠馬を一人で放って置くのに不安はあるが、今はそうも言ってられない。
「うん!」
悠馬は素直に頷いてくれた。
「何かあったら、お母さんを起こしてね。絶対に外には行かないでね」
私はもう一度念押しして、薬を飲んで寝床に戻った。
ごめんね。悠馬。
私は布団の中で謝った。
こんな時にはあの人が居てくれたら……。いや、もし離婚していなかったとしても、あの人が悠馬の面倒を見てくれたとは思えない。
元夫とは、一年前に相手の不倫で離婚している。元夫は可愛い盛りの悠馬と私を捨てて、不倫相手の元に行ってしまった。
私の親は高齢で頼ることが出来ない。離婚時に貰った慰謝料と養育費はまだ残っているが、この先の生活を考えるとむやみには使えない。私はパートで働き始め、悠馬と二人で質素に暮らしている。
離婚からの一年はあっと言う間だった。幼い悠馬の育児に追われながら、空いた時間でパートと家事をこなす。元々のんびり屋の私が今まで生きて来た中で一番濃い一年を過ごした。一年経ってようやく生活に慣れて来たと思っていたら、今回の体調不良だ。
もし体調不良がなかなか治らなかったら、私たちはどうすれば良いんだろう。そんなことを考えると、急に不安になり涙があふれて来た。
駄目だ。悠馬を守って行かなきゃいけないのに、私が弱気になってどうするの。今は寝て体力を回復しなきゃ。
そうやって自分を励ましていると、薬が効いて来たのか、いつのまにか眠っていた。
「おかあさん、だいじょうぶ?」
どれぐらい眠っていたのだろうか? 私は悠馬が呼ぶ声で目覚めた。目を開けて見たら、悠馬はふすまを少し開けてそこから覗いていた。
今何時だろうか? 随分寝ていた気がする。悠馬は不安だったんだろうな。
「大丈夫よ。ごめんね、ずっと寝ていて……」
私は枕元の時計を見た。午後一時。午前八時から寝ていたので、五時間も悠馬を一人で放って置いたことになる。
「ごはんが……」
「ごめんね。すぐにお昼ご飯を作るね」
私は布団から出て起き上がった。幸い、熱は下がっているようだ。五時間ぐっすり寝た効果はあった。
私ははんてんを羽織り、寝室を出た。
「おかあさん、ごはんつくったよ!」
悠馬が得意そうな顔でそう言った。その言葉通り、テーブルの上にはカレーライスが二つ乗っていた。
「これは……」
よくみると、冷凍ご飯を温めた上にレトルトのカレーをかけているようだ。でもちゃんと温かい。
ハッとして、キッチンに視線を向ける。食器棚の前には踏み台にしただろう椅子があり、冷凍庫の引き出しは少し開いている。流しはレトルトカレーの汁が飛び散っていて、電子レンジを開けてみると、中はカレーで汚れていた。どれもこれも、悠馬が苦戦してカレーを作った様子が見て取れた。
「これ、自分で作ったの?」
「うん、おかあさんが作ってくれたの見てたから」
「ありがとう!」
私は悠馬を抱きしめた。
離婚してからずっと、悠馬を守らなきゃって、気を張りながら生きて来た。でも、悠馬も私を守ろうと思ってくれているんだ。一方的な関係じゃない。私たちは家族として協力して生きているんだ。
「カレーたべようよ」
「うん、食べようか」
私たちはテーブルに着いてカレーを食べ始めた。
風邪を引いた体にカレーは望ましい食べ物じゃ無いけど、悠馬が一生懸命作ってくれたんだからそんなの関係ない。レトルトなのに、今までに食べたどんなカレーより美味しいかった。
「おかあさん、だいじょうぶ?」
悠馬が心配そうな顔をしている。いつの間にか、私は笑顔で涙を流しながら、カレーを食べていた。
「大丈夫よ。美味し過ぎて涙が出て来たの。本当に上手に作れたね」
「うん!」
悠馬は安心して笑顔になる。この笑顔さえあれば、私はまだまだ頑張れる。
私は風邪のことなど忘れて、幸せな気持ちで一杯だった。
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