2023年2月
第124話 二月一日はニオイの日
P&G「ファブリーズ暮らし快適委員会」が二〇〇〇(平成十二)年に制定。
「に(二)お(0)い(一)」の語呂合せ。
デスクで仕事中、突然どこからか凄く良い匂いが漂って来た。何の香りだろうかと周りを見回すと、俺の後ろを香川さんが通っていた。
おれはやっぱりと思った。今までで何度か同じようなことがあったのだ。
香川さんはどちらかと言うと地味な女性だ。香水を付けているイメージは無いが、若い女性だから付けているのかも知れない。でも、嗅いだのは香水のような匂いでは無かった。何と言うか気持ちが落ち着くような、そんな良い匂いだった。
その匂いの秘密を知りたいと思っていたが、最近では匂いを指摘するのもセクハラ扱いされるので、香川さんに聞けないでいた。
そんなある日、会社で送別会があり、俺も参加することになった。仕事の関係で少し遅く会場の居酒屋に着くと、香川さんの隣の席が空いていた。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です。ビールどうぞ」
俺は香川さんの隣に座り、ビールを注いでもらった。その後乾杯して、他愛のない話をしていたが、香川さんからあの時の良い匂いを感じない。もしかしたら俺の勘違いだったのだろうか。俺は匂いのことは忘れて、香川さんと飲みながら話を続けた。
今まで香川さんとはあまりプライベートな話をしたことが無かった。だが、こうして飲み会の席で話すと、案外彼女は気さくで楽しい。俺の趣味は映画鑑賞なんだが、彼女もよく観るようで、好きな作品や俳優の話で盛り上がった。
とその時、不意にあの良い匂いを嗅いだ。匂いの方向から考えて、香川さんから漂ってきたようだ。
「あ、あの、失礼なことを聞くようですが、香川さん何か香水付けていますか? 時々凄く良い匂いするんですよ」
俺はここぞとばかりに、聞いてみることにした。
「えっ? 私何か臭いますか?」
「あっ、嫌な臭いじゃなくて、凄く良い匂いなんです。だから香水でも付けてるのかなって。あ、あの、セクハラするつもりは無いんですけど、気になったもので……」
香川さんが勘違いしてしまったようで、俺は必死に言い訳した。
「実は私、匂いに敏感で香水類は苦手なんです。化粧品も無香料のしか使えなくて……だからその、岡崎さんが嗅いだのは……きっと私の体臭だと思います……」
「体臭?」
香川さんは恥かしそうに下を向く。
「あっ、でも凄く良い匂いだったんで……」
やっぱり女性に匂いのことを言うのはタブーだったか。それ以降は気まずい雰囲気になり、話が弾まなかった。
飲み会が終わって翌日以降も、香川さんとは気まずいままだった。だが、俺は逆に飲み会前より香川さんを意識していた。あんな良い匂いの体臭を持つ香川さんが、凄く素敵な女性に感じていたのだ。
ある日俺は、仕事終わりに友達の家に行くことになり、いつもと違うホームで電車を待っていた。すると、階段から香川さんが現れたのだ。
飲み会以来ずっと、香川さんとまともに話が出来ていない。これはチャンスだと、近づいて行った。
「お疲れ様です」
「あっ、お疲れ様です。岡崎さん、このホームから電車に乗るんですか?」
「ええ、今日は特別に行くところがあって」
俺が声を掛けると、香川さんは驚いた。
「あの、この前の飲み会では失礼しました。女性に匂いの話はタブーでしたね。いくら良い匂いだと言っても、話すべきじゃ無かったと思います」
俺は香川さんに謝った。
「いえ、別に匂いのことを言われて、気分を悪くしたんじゃないんです。良い匂いと言ってもらったし……」
「そうなんですか? それは良かった。失礼なことを言ってしまったと、あれからずっと香川さんに謝りたいと考えていたんです」
香川さんが気分を悪くしたんじゃないと言ってくれて、俺は少しホッとした。
「それは逆にすみませんでした。あの後匂いのことを調べたら、体臭が良い匂いと感じる相手とは、遺伝子的に相性が良いらしいんです。それを知って、変に意識してしまって……」
「えっ? じゃあ、私達は遺伝子的に相性が良いんですか?」
「ああっ! いや、それを信じて良いのか……」
「あっ、じゃあ私の匂いも嗅いでみますか? もし良い匂いに感じたら、相性が良いんですよ!」
「ええっ!」
俺が調子に乗って変な提案してしまったので、香川さんは驚いてしまった。
「あっ、すみません。非常識ですね」
「いや……もし失礼でなければ、嗅がせてもらっても良いですか」
「えっ? いや、もちろん、嗅いでくださいよ」
俺は香川さんの言葉に一瞬驚いたが、すぐに嬉しくなった。
「じゃあ、失礼します」
香川さんが近付いて来たので、俺は少しひざを曲げて、胸元を彼女の顔に近付けた。
香川さんに嗅いでもらう為に近付いたのだが、逆に彼女の良い匂いが漂ってきた。
「どうでしたか?」
香川さんが少し離れたので、感想を聞いた。少しドキドキして緊張する。
「あの……良い匂いでした」
「ホントですか? やっぱり私達は相性が良いんだ。いやー嬉しいな!」
俺はホッとして、無邪気に喜んだ。
「嬉しいんですか?」
「あっ、そう言う意味じゃ……」
いや、そう言う意味じゃ無かったら何なんだ。
「いや、そう言う意味です。香川さんと相性が良くて、私は嬉しいんです」
そうだ。俺はハッキリと香川さんを意識しだしている。この感情はきっと恋だ。
「そうですか……あの、私も岡崎さんの匂いが、良い匂いだったので嬉しいです」
「えっ? それはもしかして……」
「はい、そう言う意味です」
香川さんははにかんで顔を赤くする。その顔が凄く可愛くて、俺は彼女から目が離せなくなった。
それから俺達は付き合いだし、二年後に結婚した。今でもお互いに匂いを嗅ぎ合い、愛情確認している。
匂いが取り持ってくれた、俺達の縁。これからもずっと大切にして、幸せに暮らしていきたいと思う。
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