第117話 一月二十五日は日本最低気温の日

 一九〇二年のこの日、北海道旭川市で、日本の最低気温の公式記録マイナス四十一・〇℃を記録した。

 一九七八(昭和五十三)年二月十七日に幌加内町母子里の北大演習林でこれより〇・二℃低いマイナス四十一・二℃を記録したが、気象庁の公式記録の対象から外れていたため、旭川の記録が公式の日本最低気温となっている。



 十年に一度と言われるぐらいの寒気が到来してきた日、昼頃に親友の浩司から「凄い美味い物を食べさせてやる」と連絡が入った。俺は今、奴と駅で待ち合わせしている。

 嫁さんには今日は浩司と食べるから夕飯は要らないとラインで連絡しておいた。だが、「分かった」だけの素っ気ない返事。嫁さんは浩司のことを良く思っていないのだ。

 浩司とは小学校からの付き合いで、三十代半ばになった今でも交流が続いている。十代の頃は、二人でよく馬鹿なことをやっていた。大人になった今では、どうしてあんなことをやっていたか不思議で仕方ないくらいだ。

 俺は結婚して子供も出来たが、浩司はまだ独身。落ち着いた暮らしをしている俺とは違い、浩司はまだ自由にフラフラ遊びまわっていて若い頃のままだ。嫁さんはそれが気に入らないのだと思う。


「お待たせ!」


 十分遅れて、浩司が車でやって来た。


「車で食べに行くのか?」


 俺は助手席に乗り込むなり、そう聞いた。


「ああ、場所が離れているんでな」

「何の料理だよ」

「それは見てのお楽しみだ」


 気にはなったが、しつこく聞いても浩司の性格からして教えてくれないのは分かっているので、それ以上は聞かなかった。

 世間話しながら走っていると、車はドンドン山道に入って行く。


「おい、今日は冷え込むんだから、山道は危ないぞ」

「大丈夫だよ。この辺は雪は降らないし」

「いや、今日はまずいって。十年に一度の冷え込みなんだぞ。山の上は降るだろ」

「まあ、俺はよくスノボに行くから、スタッドレスタイヤはいてるんで大丈夫だ」

「確かに今は雪が降ってはいないが、わざわざこんな寒い日に山越えしてまで食べに行くことは無いだろ。日を変えようぜ」

「いや、今日じゃなきゃ駄目なんだよ」

「どうしてだよ?」

「それは今は言えない」

「もう! 勝手にしろ!」


 俺が呆れて黙ってしまうと、浩司はそのまま車を走らせた。


「さあ、着いたぞ」


 浩司は山頂近くの展望台で車を停めた。こんな寒い日の夜なので、駐車場には車が一台も停まっていない。


「おい、冗談はやめろよ。ここは駐車スペースだけで、食事出来る店なんて無いじゃないか」

「まあまあ、ちゃんと美味しい物食べさせるから外に出ろよ」

「外に出ろ? この寒い日に、こんな山の上で外に出たら死ぬぞ」

「そんなこと言ってると、美味しい物が食べられないぞ」


 浩司はそう言うと、ドアを開けて外に出た。開けたドアから、耐えがたい冷気が車の中に入り込んでくる。


「ったく、何考えてるんだ」


 俺も仕方なく外に出た。


「うわ! 寒っ! おい、雪までちらついて来たじゃねえか!」

「あっ、ホントだ。こりゃあヤバいな」


 ヤバいと言いながらも、浩司の口調は呑気に聞こえる。


「すぐに帰ろうぜ。下りれなくなるぞ」

「まあ、待てよ。折角来たんだし。食べて行こうぜ」

「だから何をだよ!」


 浩司は返事をせず、後部座席から保冷バッグを出してきて、中から魔法瓶の水筒を取り出す。


「何だよこれ?」


 浩司は俺に水筒を渡すと、また後部座席に頭を入れ、カップラーメンを二つ取り出した。


「ノーマルなやつとカレー味のがあるけど、どっちが良い? 選ばしてやるよ」

「はあ?! お前まさか……」

「寒い場所で食べるカップラーメンは最高に美味いんだよ。一度お前と食べたいと思って」


 浩司は無邪気な笑顔でそう言った。


「もう何も言わん。ノーマルな方で良いよ」


 俺は呆れて脱力してしまった。


「じゃあ、お湯を入れるから、三分待ってくれ」


 今日は寒いと聞いていたので、厚手の上着を着ているが凍えそうだ。


「はい、どうぞ」


 三分経って浩司がカップラーメンとお箸を渡してくれた。俺は返事もする気になれず、黙って受け取り、麺を一口すすった。


「美味い……」

「だろ?」


 浩司のドヤ顔には腹が立ったが、確かに美味しい。この寒さに、この温かさは反則並みの美味しさだ。

 俺はフーフー言いながら、熱いカップラーメンを食べ続ける。体の中から温まり、寒さが気にならなくなった。


「あー美味しかった。さあ、帰るか」


 笑顔でそう言う浩司を見ていて、俺は気付いた。浩司はまだ十代の気持ちを持ったままなんだ。もし、十代の俺だったら、浩司と一緒に大笑いしていただろう。

 そう気付くと、こんな馬鹿な行為が可笑しく思えて来た。昔の気持ちを取り戻したみたいだ。


「どうしたんだよ。ボーとして」

「いや、美味しかったよ。ありがとう」


 素直にお礼の言葉が出て来た。


「お礼なんか水くさいな。道が悪くなる前に早く帰ろう」

「ああ、そうだな」


 俺は笑顔で車に乗り込んだ。車の中では昔みたいに馬鹿なことばかり言って、大笑いして帰った。

 大人になることは、決して悪いことじゃない。でもこうして子供の頃に戻してくれる友達は貴重だ。これからもずっとこいつと付き合って行きたいと思う。 

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