第115話 一月二十三日はワンツースリーの日
「一二三」で「ワンツースリー」とよむ語呂合せ。
人生に対してジャンプする気持ちを持とうという日。
今日は俺に取って、人生の分かれ道になるかも知れない日だ。中学途中から不登校になり、今は十九歳。ここまでずっと引きこもっていた俺が、今日バイトの面接を受けるのだ。
五年間も引きこもっていて、ずっとこのままじゃ俺は駄目になる。思い切って外の世界にジャンプするんだと自分を励まし、俺はとりあえず家の外に出ることにした。何をする訳でもなく散歩するだけなのだが、それでも凄く勇気のいる行動だった。引きこもりの原因となった奴らと出くわす可能性もあるのだから。
それでも頑張って外に出続けたある日。散歩していて駅前の書店でアルバイト募集の張り紙を見つけた。
働く……か……。
いつかは働かないと、このまま無職で逃げ続けることが出来ないのは分かっている。
俺は引き込まれるように、その書店の中に入った。
「いらっしゃいませ!」
俺と同年代ぐらいの可愛い女性定員が挨拶してくれた。思わず彼女の方を見てしまったので、目が合ってしまう。俺は引け目を感じて、すぐに目を逸らした。
同年代なのにちゃんと働いている彼女は俺にとって眩し過ぎた。俺を見て彼女はどう思っただろうか? 変な奴だと思ったんじゃないだろうか。
俺は彼女に気持ちを向けながらも、直接見ないようにして店内を見て回る。だが、どうしても気になるので、チラリチラリと彼女に視線を移してしまう。すると何故か彼女もこちらを見ていて、その度に目が合った。
俺はそんなに気になるほど、変な奴だと思われているんだろうか? ずっと引きこもっていて、もう普通が良く分からない。きっと動作も不自然だし、見た目も変なんだ。
「何かお探しですか?」
「えっ!」
不意に声を掛けられて驚いた。彼女が傍に来ていたのだ。
やっぱり挙動不審で怪しい奴だと思われていたんだ。
「あっ、いや、何でもないんです」
俺はそう言うと、逃げるように書店を後にした。
家に帰った俺は、また外に出るのが怖くなった。ずっと家に居れば傷付くことは無い。外に出てもろくなことは無い。
そうやって、また三日間どこにも出ない日々が続く。でも、家の中に居ても、とても苦しかった。外の世界にジャンプしようと決意して頑張っただけに、また元の引きこもりに戻るのはとても苦しかった。
俺は覚えていた書店の名前をネットで検索して電話を掛けた。
「あの……バイト募集の張り紙を見たんですが、まだ受け付けていますか?」
幸いにもまだ募集は打ち切られておらず、俺は翌日に面接の約束を取り付けた。
「いらっしゃいませ!」
書店内に入ると、前に来た時に居た女性店員が挨拶してくれた。今度もまた目が合ったが、俺は視線を逸らさずに、そのままレジに向かう。
「あ、あの、アルバイトの面接に来た笹村です。あの、店長さんはいらっしゃいますか?」
俺は緊張で逃げ出したいくらいだったが、なんとか要件を告げた。
「ああ、はい。しばらくお待ちください」
女性店員は笑顔でそう言うと、レジ奥に向かって「店長!」と声を掛ける。
するとレジ奥の扉が開き、眼鏡を掛けた三十代位の男性が出て来た。
「アルバイトの面接に来た、笹村です」
俺は小さく頭を下げて、もう一度店長に自己紹介した。
「ああ、ようこそ。店長の村田です。面接しますので、どうぞこちらに」
俺は店長に促されて、レジ内に入って行く。
「吉川さん、面接しているから、何かあったら声を掛けてね」
店長が女性店員に声を掛けて、俺達はレジ奥のバックルームに入った。
「さ、笹村です。よろしくお願いします」
俺は緊張しながら深く頭を下げた。
「よろしくお願いします。店長の村田です。履歴書は持って来てますか?」
「あっ、はい」
俺は慌てて鞄から取り出した履歴書を差し出した。
こうして、狭いバックルーム内で、パイプ椅子に座って面接が始まった。
「長期の希望で、シフトはいつでも入れるんですね」
店長が履歴書に目を通しながら、質問して来る。
「はい、店の都合でいつでも働きます」
俺のセールスポイントはそこしか無い。他に何もしていないから、いつでも自由に働けるのだ。
「今までアルバイトも含めて勤務経験は無いんですか?」
「は、はい、一度も無いです」
店長の顔色を窺いながら返事をする。やはり職歴が無いのはマイナスだろう。店長の顔に変化が無かったのが幸いだが。
「最終学歴が中学校ですか、間違いは無いですか?」
「はい、そうです」
「中学を卒業してからは何かされていたんですか?」
聞かれたくない質問だった。だが、当然聞かれるだろうと思っていた。
「ずっと引きこもってました」
「中学を卒業してからずっとですか?」
思ったより店長の顔色に変化はない。
「正確には……中学二年の時からです。つい最近までずっとです」
俺は顔が赤くなるのを感じ視線を下に落とした。嘘を言う訳にはいかず、かと言って正直に言うのは本当に恥ずかしかった。
「どうして、働こうと思ったんですか?」
「このままじゃ、自分が駄目になると思ったんです! 勇気を出して、外の世界にジャンプしなきゃ、このまま駄目になると思って……」
俺は顔を上げ、必死の思いで気持ちを話す。凄く感情が入りすぎて泣きそうになった。
「分かりました。本は好きなんですか?」
「あっ、いえ……正直、あまり読んだことは……」
「じゃあ、これから本のことも勉強してもらわなきゃ駄目ですね」
店長が初めて笑顔でそう言ってくれた。
「あの、じゃあ……」
「はい。採用させて頂きます。シフトの条件を調整しましょうか」
「ありがとうございます! で、でも……どうして俺みたいな引きこもりを?」
面接に来てていてこんなことを聞くのもなんだが、信じられない気持ちだった。
「どうしてと言われるとね……」
店長は少し困ったように苦笑いを浮かべる。
「あなたがどう考えているかは分からないけど、外の世界と言っても案外簡単に物事が進む時だってあるんですよ。君が勇気を出してジャンプしたから、採用と言う結果が付いて来たんです」
「俺が勇気を出したから……」
「そうですよ。ただこれで安心したら駄目。これから何度も同じように勇気を出してジャンプしないといけない場面が出て来ると思います。その時も今の気持ちを忘れないでくださいね」
「はい! ありがとうございます!」
この店に応募して良かった。店長は尊敬出来る人のようだ。もう一度人生をやり直すつもりで、この店で頑張ろう。
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