第105話 一月十三日は遺言の意味を考える日(月間ベスト作品)

 相続に関わるさまざまな問題を支援をする「NPO法人 えがおで相続を」が制定。

 相続法の改正で遺言書の方式緩和が二〇一九年一月十三日から施行された。これにより遺言の手続きが一般の人にさらに身近になることから、遺言の大切さ、その意味を考えるきっかけの日とするのが目的。

 日付は法律が施行される日であり、一と十三で「遺(一)言の意味(一三)」との語呂合わせから。



「俺は遺産相続を放棄しようと思ってるんだ」


 実家にある父親の書斎で、俺は兄にそう言った。

 父が亡くなり、母はすでに他界していたので相続人は俺と兄の二人だけ。兄から遺産相続について話し合いたいからと実家に呼ばれていた。

 俺の実家は地元では知らない人間がいないくらいの、有名な企業を経営している。父が二代目で、兄がその跡を継いで三代目として代表の座に就いている。俺は全く実家企業にタッチしておらず、都会に出て家族を持ち、気楽に暮らしていた。


「それでも良いのか? 相続税を払ったとしても、かなりの金額になるんだぞ」


 企業関係は兄が継ぐとしても、父の個人資産だけで考えてもかなりの金額になる。普通に考えて遺産相続放棄はあり得ないだろう。


「有紀さんとは話し合ったのか?」

「ああ、有紀も了解してくれてるよ」


 有紀は二つ年下の、俺の妻だ。大学時代の後輩で、もう交際期間も入れて十五年も連れ添っている。


「父さんの遺言で『兄弟平等に遺産を分けろ』って書いてあっただろ。あの意味を俺なりに考えたんだ」


 父は遺言状で、細かく相続内訳を書かなかった。ただ平等にとだけしか書いてなかったのだ。


「俺は昔、父さんも兄さんも憎かったよ。もう跡取りは兄さんに決まっていて、俺は何も期待されずに、放置されてたから」


 兄とは十歳歳が離れている。兄弟と言っても殆ど遊んだ記憶もなく、親戚の人間と変わらない関係だった。俺が物心ついた時には、もう兄がこの家の跡取りとなることが決まっていた。兄自身もそれを自覚した道を歩いていたし、父もそう教育していた。

 一方の俺は自由気まま。何もしなくても怒られることは無かったけど、何かしても褒められることも無かった。


「でも、今になって、俺は恵まれてたんだなって分かったんだよ。

 俺は放置されてたけど、父さんは自由をくれた。何をするにも制限は無かったし、その為のお金も与えてくれた。だから俺は十分に教育も受けて来れたし、そのお陰で今は一流と呼ばれる企業で働いている。普通に考えて、俺がこれ以上望むのは欲深いと考えているんだ」


 俺には今十歳になる息子と七歳の娘がいる。どちらも俺と同じように、自由に育てている。二人が自分の望む道を見つけたのなら、俺は全力でサポートするつもりだ。こういう育て方をしているのも、俺が育って来た道が間違いじゃ無かったと考えているからだ。


「親父がな、俺が大学生の時に、珍しく俺の部屋に来て話をして行ったんだ。その時に聞かれたよ。『自由ってどんな感じなんだろうな』って。俺は分からんと答えたよ。だって、俺は自由じゃ無かったからな。

 俺は幼い頃から、決められたレールの上を走らされることに不満があった。伸び伸び育てられているお前が羨ましくも思ってたよ。でも、親父のこの言葉で、そんな思いも消えた。親父だって、俺と同じように生きて来たんだと分かったから。

 俺はそのままレールの上を走り続け、跡取りとして頑張って来た。その人生に後悔は無い。でも、お前がどう思っているか心配だった。不公平に感じているんじゃないかと。お前を自由に育てたのは、親父なりの愛情だった。だが、それが伝わっているか分からなかったんだよ。

 今のお前の言葉を聞いて、一番喜んでいるのは親父だと思うよ。俺からも礼を言わせてもらう。本当にありがとう」


 父は父なりに、兄は兄なりに、俺は俺なりに、心に思うことは有ったんだろうが、今はもう誰を憎むことなく、全てが良かったと思える。それが父にとって、一番の供養になるだろう。


「分かった。それじゃあ、遺産相続を放棄する手続きを、弁護士に指示するよ。ただ一つだけ言わせてくれ」

「ああ、何だい?」

「遺産を放棄したって、お前はこの家の人間だし、俺の弟だ。何か困ったことがあれば、全力でサポートするよ。それは将弥にも言い聞かせておく」


 将弥は兄の息子で、俺の甥。次の跡取りとなるべく、兄と同じように、経営者の道を進んでいる。


「ありがとう。ただ、逆も忘れないでくれよな。俺も力になれることがあれば、手を貸すから、必ず言ってくれよ」


 俺は本心からそう思っていた。


「ありがとう」


 兄が手を差し出して来たので、俺はその手を握った。


「ああ、そう言えば肝心なことを忘れてたよ。遺産相続を放棄しても、これだけは貰って欲しいんだ」


 兄はそう言って、俺をガレージに誘った。

 この豪邸のガレージには、車六台分の駐車スペースがある。だが、二台分はある車達が常に占領していた。


「お前も知ってるだろ。親父が俺達にも触らせなかったこの車を」


 そこには二台の古い国産のスポーツカーが並んでいる。兄の言葉通り、俺達も乗ったことが無い、親父の大切にしていた車達だ。

 一台はシルバーのハコスカのGTR。もう一台は白のトヨタ2000GTだ。どちらも中古車市場じゃプレミアが付いる車だ。


「これか……」

「これを一台ずつ分けよう。お前が好きな方を選んでくれ」

「これで平等な遺産相続だな」


 俺はトヨタ2000GTを選んだ。実は昔からこの車のフォルムが好きだったんだ。

 今日は良い話し合いになった。俺も兄も、これからの人生を迷いなく進めるだろう。きっと天国で父も喜んでくれていると思う。

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