第100話 一月八日は勝負の日(月間ベスト作品)
「一か八かの勝負」から。
俺には今、好きな人が居る。でも、完全に俺の片想いだ。相手は俺の名前も知らないし、存在を認識しているのかすら怪しい。実を言うと、俺も彼女の情報は
数か月前、俺は仕事帰りに入ったコンビニで、初めて彼女に出会った。特に美人と言う訳でも無く、可愛いタイプでもない。容姿で言えば平均並みだろう。でも、彼女はいつも笑顔で働いている。その笑顔が癒されるし、ほんわかした気持ちにさせる。俺は彼女の笑顔が見たくてコンビニに通った。そのうちに、この気持ちが恋だと気付いたのだ。
藤沢さんへの想いが恋だと気付いても、俺は何も行動を起こさなかった。だって、ただのお客がいろいろと絡んできたら、うざいし怖いだろう。そう思われたくなくて、俺は彼女に声を掛けることすら出来なかった。
そんなコンビニ通いを続けていたある日、俺は衝撃的な事実を知った。
「藤沢さんのバイトも今日で最後だね」
「はい、今までお世話になりました。今度はお客として来ますね」
「ああ、頼むよ。春から仕事頑張ってね」
「はい」
俺は商品整理している彼女の近くに居て、店長との立ち話を聞いてしまったのだ。
彼女のバイトが今日限りだと? それじゃあ、もう会えなくなるじゃないか。
俺は焦った。彼女がここを辞めると、もう二度と会えないかも知れない。
買い物を終え、俺はコンビニの外に出た。このまま家に帰ると、もう彼女には会えない。それは耐えられそうもない。
俺はコンビニの裏に回り、バックルームの出入口が見える場所に立った。
藤沢さんが出てくれば、すぐに分かるだろう。でも出て来たとしてどうする? 俺はまだ迷っていた。最近は告ハラという言葉も有る。見込みの無い相手に、自分の気持ちを一方的に伝えるのはハラスメントに当たるという訳だ。でもそれなら、今回みたいに接点の薄い相手を好きになってしまった場合は、どうすれば良いと言うのだ。どこかで勝負に出て気持ちを伝えなきゃ、親しくなるのは絶対に無理だろう。
人生には必ず、一か八かで勝負しないといけない瞬間がある。俺にとって、今まさにこの瞬間がその時じゃないか。ここで何もしなければ、絶対に後悔する。俺の気持ちを告白しよう。
俺は決心を固め、藤沢さんが出て来るまでに、告白のシミュレーションすることにした。
まず、絶対に恐怖心を与えないこと。失敗したとしても、彼女を嫌な気持ちにはさせたくない。断られたり否定的な反応なら、絶対に深追いせずスッパリと諦めよう。
そうこう考えているうちに、彼女が仕事を終えて出て来た。俺は驚かせないように、ゆっくりと近付いた。
「こんばんは」
俺は十分な距離を取り、シミュレーション通りに、ゆっくりとした調子で挨拶した。
「えっ、あっ、はい、こんばんは」
彼女は少し驚いた顔で挨拶を返してきた。
「あの、私、川上と言います。お話があるんですが、少しだけお時間を頂けないでしょうか?」
俺はむやみに近付かず、距離を取ったまま話した。
「えっ?」
彼女の顔に、明らかな警戒の色が浮かぶ。
「あの、変なことはしません。これ以上近付かないので、少しだけ聞いて貰えませんか?」
「ああ、はい……」
藤沢さんは近付かないと言ったことで少し安心したのか、警戒した表情のまま、同意してくれた。たぶん、変に俺を刺激したくないとも思ったのだろう。
「実は、この店で働いているあなたを見て、ずっと前から好意を持っていました。いつも笑顔で働くあなたを見ていると、凄く癒されたんです。でも、偶然あなたが今日でバイトを辞めると聞いてしまって、告ハラと思われるかも知れませんが、どうしても気持ちを伝えたかったんです。お願いします。付き合ってくれとは言いません。友達になって頂けませんでしょうか?」
俺はシミュレーション通り、一気に話した後に頭を下げた。とにかく、まず怪しい者と思われないようにしたかった。
藤沢さんは悩んでいるかのように、何も言わない。俺は催促することなく、じっと返事を待った。
「すみません。あなたのことをよく知らないので……」
彼女は申し訳なさそうに目を伏せた。
よく知らないのなら、友達になって知って欲しい。そんな言葉が喉から出掛かったが、何とか飲み込んだ。
「そうですか。すみませんでした」
俺は失望していたが、精一杯笑顔を作って頭を下げた。
「話を聞いてくださって、ありがとうございました。付き纏うことはしませんので、安心してください」
「こちらこそ、すみませんでした」
彼女はそう言って、頭を下げた。
「いえ、あなたは何も悪くないので、気になさらないでください。じゃあ、家の方向を知られるのも嫌でしょうから、私が先に帰ります。本当にすみませんでした」
俺はもう一度作り笑顔で頭を下げて、彼女から離れ、家に向かった。
俺は振られてしまった。まあ、当然と言えば当然の結果だろう。負けるべくして、一か八かの勝負に負けたんだ。
振られてから家に帰るまでの記憶が無い。それほどショックを受けていた。
振られてから一か月が経った。俺はまだ失恋のショックから立ち直れないでいた。新しい恋をすれば、気持ちも変わるんだろうけど、そう簡単に藤沢さんより好きになれる女性など出て来やしない。
俺は好きな作家の新刊本が発売されるので、仕事帰りに本屋に寄った。入ってすぐの平台に、目当ての本が積まれている。俺は脇目も降らずに、平台の前に行って、本に手を伸ばした。
「あっ」
すると、俺の横に居た人も同時に手を伸ばしていて、本の上で手が重なった。
「す、すみません」
「あっ、いえ、こちらこそすみません」
お互いに頭を下げて謝ったのだが、その時になって初めて見た、その相手に驚いた。
「あっ、あなたは……」
「ああ、あの時の人……」
相手は藤沢さんだった。
「あっ、あの、偶然なんです。あなたを尾行してた訳じゃなく、その……こ、この本を買おうとして……」
俺はしどろもどろになりながら言い訳した。
「あっ、はい、分かります。大丈夫ですから……」
彼女も申し訳なさそうな顔でそう言う。
俺達は平台の前で、恐縮しまくっていた。
「あの、俺が先にこの本買って出ますから、あなたはゆっくり出てくださいね」
俺はそう言って、本を手に取り、レジに急いだ。買った後にも藤沢さんを見ることもせずに、すぐ店外に出た。
驚いた。こんな偶然があるなんて。でも、どこかに喜んでいる自分が居る。久しぶりに藤沢さんの顔を見れて嬉しかったのだ。俺はまだ彼女のことが好きなんだと実感した。
「あの、すみません!」
女性の声で誰かに呼び掛けているが、俺には関係が無いと思い、スルーしていた。
「すみません!」
すると、藤沢さんが俺の前に回り込んで来た。
「あっ……どうしたんですか?」
俺はなぜ藤沢さんが追いかけて来たのか分からなかった。何か怒らせるようなことをしたんだろうか? 出会ったのが偶然じゃなく、ストーカー行為だと思われたんだろうか?
「あの、この前のことを謝りたくて」
「えっ、謝るって……」
「家に帰ってから冷静になって考えると、あなたは凄く紳士的だったなと感じ始めて……逆に私の態度が失礼だったと思ったんです」
そんなことを考えてたなんて、思いもよらなかった。
「いえ、私が突然告白したからいけなかったんです。あなたは何も悪くないですよ」
「でも……あなたが最後に、家の方向を知られるのが嫌だろうからと、先に帰ったのを見ていて、凄く真剣で誠実に告白してくれたんだと分かったんです」
改めて藤沢さんは凄く良い娘だと思った。見ず知らずに人間に対して、こんなに優しい気持ちを持てるなんて。
「ありがとうございます。そう言って貰えるだけで、少し気持ちが楽になりました」
「あの、もしよければ、今からでも、連絡先を交換して貰えませんか? いきなり付き合うのは早いけど、友達として」
俺は一瞬、自分の耳を疑った。まさか、後になってこんな展開になるなんて。
「もう、遅かったですか?」
「いえ、とんでもないです。あまりに嬉しくて、リアクションが取れなかったんです」
「そうですか。良かった」
そう言って藤沢さんは、俺が惚れる切っ掛けとなった笑顔を見せてくれた。
その場で、藤沢さんをお茶に誘い、俺達は楽しい時間を過ごした。これからの楽しい未来を予感させる時間だった。
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