第76話 十二月十五日は観光バス記念日
一九二五(大正十四)年のこの日、 東京乗合自動車により日本初の定期観光バスである「ユーランバス」の運行が開始された。
皇居前~銀座~上野のコースを走った。
今日は高校に入って初めての校外学習なのだが、俺は凄く緊張している。移動が観光バスになったからだ。
俺は小学校の初めての遠足からずっと、観光バスが苦手で毎回乗り物酔いしていた。その所為で不名誉なあだ名も付けられ、中学時代は良い思い出が無い。知り合いの居ない遠くの高校を受験して過去を切り捨てたのは良いが、ここで乗り物酔いしたら元も子もなくなるだろう。だから今回で乗り物酔いを断ち切りたいのだ。
今日はバスの前から四番目の通路側の席を確保するつもりだ。その辺りの席が一番揺れが少なく、酔いにくいとネットの情報サイトに書いてあったから。遠くの高校に入学した所為で、今はまだ友達も居ない。逆に言えば、誰に気兼ねすることなく、席を確保すれば良いのだ。
バスの乗車が始まると、俺は我先へと乗り込んだ。前から四番目の通路側の席を確保出来た。ヨシ、まずは幸先の良いスタートだ。乗り物酔いは気分にも左右されるので、席を確保出来たのは大きい。今日は大丈夫だと思い込めるからだ。
クラスメイト達も次々とバスに乗って来て席に座る。
「あの……窓側の席、良いですか」
女生徒が一人、俺の横に立って窓側の席を指さしてそう言った。クラスでも目立たないタイプの
宗方さんは、確か俺と同じように遠くの中学出身で、クラスに同じ出身校の人は居なかった筈だ。きっと一人で席にあぶれてしまったんだろう。
「ああ、良いよ」
俺は席を立ち、宗方さんに窓側の席を譲った。
「ああ、良かった……」
「良かった?」
俺は何が良かったのかと反射的に聞いてしまった。
「あっ」
宗方さんは少し驚いたように俺を見る。
「ああ、ゴメン。つい……」
もしかして聞いちゃいけなかったのかと思い、俺は謝った。
「ううん、私、乗り物に弱いの。だからこの辺りの席に座りたかったんだけど、空いてる席がここしか無くて。だから座れて良かったって」
「宗方さんも乗り物酔いするの?」
「宗方さんもって、もしかして
「そう、だから真っ先にこの席を確保したんだ」
「そうなんだ。じゃあ、今日は二人で酔わないように頑張ろうね」
仲間が出来て嬉しかったのか、宗方さんは笑顔でそう言った。その顔が新鮮で可愛く見え、俺はドキッとしてしまった。
「あっ、ああ、頑張ろう」
俺が少し動揺しながら返事をした瞬間、バスは走り出した。
バスが動き出すと、独特の音と振動と匂いが気になりだす。今はまだ大丈夫だが、意識し過ぎると余計に気持ち悪くなる。他のことを考えて気を紛らわそうとするが、気にならずにいられない。
ふと横を見ると、宗方さんも少し顔色が悪くなっている。たぶん乗り物酔いしない人には分からないだろうけど、苦手な人は本当にすぐ気持ち悪くなったりするのだ。
「大丈夫?」
俺は宗方さんに声を掛けた。
「うん、ありがとう。まだ大丈夫よ」
そう言って笑うが、さっきの笑顔とは違った。
「宗方さんって、休みの日とか何してるの?」
「えっ?」
急に俺が質問したので、宗方さんは驚いたようだ。
「あ、いや、気を紛らわした方が酔わないかと思って」
「そ、そうよね……」
「私は音楽を聴いてる時が多いかな。歌うのも好きでカラオケもよく行くよ」
「俺も同じ。音楽が好きでカラオケも好きだよ。でも、高校に入ってまだ一緒に行く友達がいなくてね」
偶然にも趣味が同じで嬉しくなった。
「私も。最近カラオケに行ってないなあ……」
「じゃあ、ここでカラオケしようか」
「ええっ、ここで? どうやって?」
「俺、口イントロ得意なんだよ。最近の歌なら結構出来るよ。自分達に聞こえるぐらいの声で歌ったらどうかな」
俺の特技がこんな場所で活かされるとは思わなかった。
「やってみようか。乗り物酔いも忘れられるかも知れないしね」
「じゃあ、何か曲を言ってみて」
「髭男のノーダウトとか出来る?」
「それ得意! じゃあいくよ。チャラチャラチャラチャラダッダー チャラララン……」
「凄い! 上手いね!」
「だろ? もう一度やるから歌ってね」
こうして、俺達は小声で歌いながら口イントロのカラオケを続けた。熱中してたので、乗り物酔いも気にならずに、到着まで楽しく過ごせた。
「あー面白かった。乗り物酔いもしなかったし、藤堂君のお陰ね。ありがとう」
「俺も楽しかったし、乗り物酔いもしなかったし、良かったよ」
笑顔でお礼を言ってくれた宗方さんを見て、俺も嬉しかった。
「あの、良かったら、今度カラオケ行かない? 宗方さんが大きな声で歌うの見てみたいんだ」
「うん、私も藤堂君と行きたいと思ってたの。あっ、その前に帰りも口イントロお願いします」
「もちろん。喜んで!」
憂鬱だった観光バスだったが、凄く楽しくなった。これからの高校生活も楽しくなるだろう予感がした。
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