第74話 十二月十三日は美容室の日

 美容師の正宗卓さんが二〇〇三年に制定。十二月は美容室に多くの客が訪れる月で、十三日の「13」をくっつけるとBeautyの頭文字Bになることから。

 美容界全体で社会貢献をしようと、盲導犬育成のための募金を呼び掛けている。



 私は今、少し震える足で美容室の前に立っている。

 これから私は美容室デビューする。予約は取った。持っている中で一番お洒落な服を着て来た。これから切ると言うのに髪も整え、上から下まで全て清潔に見えるように気を配った。彼氏はいないが、すぐデートに行けるぐらい気合を入れて美容室までやって来たのだ。

 今までの私は、幼い頃からの行きつけの散髪屋さんで髪を切っていた。だが先日高校の友達と雑談していた中でそれをポロリと漏らしてしまった時に、大笑いされてしまったのだ。「まだ散髪屋で髪を切ってるの?」と。私自身、もしかして高校生で散髪屋はマズいのかなって言う自覚はあったので、笑われて腹が立つより、やっぱりそうなのかと恥ずかしく思った。

 行きつけのヘアサロン「木曽路」のおじさんは優しくて好きだったよ。でもゴメン。私も女子高生なんです。大人の女性なんです。だから今日から美容室デビューして、もう散髪屋は卒業します。あと最後に言っとくと、店名は変えた方が良いと思う。

 こうして、私は美容室の前に立っている。緊張するし、怖い気もするが、もう後には引けない。

 私は小さく深呼吸して、店のドアを開けた。


「いらっしゃいませ!」


 綺麗な女性店員さんが出迎えてくれた。


「あ、あの……予約していた坂木です」

「あ、はい、ありがとうございます! それでは三番のお席にどうぞ」


 店員さんは予約票を確認して、席に案内してくれた。


「こんにちは! 初めてのお客様ですね。よろしくお願いします。今日はどんな感じにしますか?」


 イケメンの男性美容師さんがついてくれた。女性美容師さんが切ってくれると思い込んでた私は、想定外の事態に緊張してしまう。


「ああ、あの……こ、これでお願いします」


 私はキョドりながら、震える手でポケットから取り出したスマホを美容師さんに渡し、用意していた写真を見せた。美容室デビューでいきなりお任せにする勇気が無かったので、自分に一番近い顔の形や体型のアイドルを探して、モデルにしたのだ。

 美容師さんがスマホを受け取って写真を見る様子を、私はじっと鏡越しに凝視していた。なぜなら、きっと美容師さんはセールストークで「良い感じですね」とか、「似合うと思いますよ」とか上手いこと言うんじゃないかと私は想像していたのだ。でもそれじゃあ、本当に似合うかどうか分からない。写真を見た瞬間の、美容師さんのリアクションを見て本当に似合うと思っているのか確認したかったのだ。

 写真を見た瞬間、美容師さんはほんの一瞬、ホント、コンマ数秒間のほんの一瞬、表情が曇った気がした。彼は心の中で「こいつマジでこれになれると思ってんのかよ」って思った気がした。

 いや、違うんです! アイドルと同じようになるなんて思って無いです! ベースが違うのはもうホント嫌になるぐらい分かってますから。ただ雰囲気と言うか、アイドル風? と言うか、それっぽくしたいだけなんです! そんなアイドルと同じになれるなんて大それたこと思っても無いですから!

 私は心中で思いっ切り弁解しまくった。


「良い感じですね」


 いや、あなた顔が引きつってますから! 無理してますよね? セールストークですよね?

 美容師さんの一瞬曇った表情を見た私は、その後の笑顔は信用出来なかった。


「あああ、あの、あの、やっぱり美容師さんの良いと思うように切ってください!」


 私は奪い取るように、スマホを返してもらい、美容師さんにそう言った。


「お任せで良いんですか? その写真も良いと思いますよ。自分のしたい髪形にする方がお客様も良いでしょ」


 でた! 本音が出た! 私なんてどんな髪形にしても不細工にしかならないって思ってるから、希望通りに切って責任逃れするつもりなんだ。

 この時点の私は冷静さを失ってしまってた。きっと初めての美容室で緊張し過ぎて、どうかしていたんだと思う。


「お願いします! お任せでお願いします!」



 カットを終えて、店を出た私は後悔に打ちひしがれていた。

 切り終わった髪形は、私に似合うとは全然思えなかった。途中で気付いたが、お任せでと強く言った手前、修正してとは言い出せなかった。

 お母さんに無理言って、いつもより高いカット代を出して貰ったのに……。

 私は泣きそうな気持ちになって、財布を取り出して中を確認した。



 三十分後、私はヘアサロン木曽路の前にいた。美容室から直行して来たのだ。


「いらっしゃいませ!」


 カランコロンとドアベルを鳴らして私が店内に入ると、おじさんがいつもの笑顔で迎えてくれた。


「どうしたの、その髪型?」

「お願いします。何とかしてください……」


 半泣きの私を見て、おじさんは理由も聞かずにカットしてくれた。おまけに、散髪代を半額に負けてくれた。

 料理屋さんみたいな変な名前だけど、私にはヘアサロン木曽路が一番だ。大人の女性じゃなくて良いです。おじさん、これからもお世話になりますので、よろしくお願いします。

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