2022年12月

第62話 十二月一日は映画の日

 映画産業団体連合会が一九五六(昭和三十一)年に制定。

 一八九六(明治二十九)年十一月二十五日、神戸で日本で初めての映画の一般公開が開始された。この会期中のきりの良い日を記念日とした。



 約束の時間まであと五分。俺は今、駅の改札の前で倉敷くらしきさんと初デートの待ち合わせをしている。

 倉敷さんはゼミの同級生で、笑顔が似合うショートカットの女の子。入学した時から一目惚れレベルのスピードで好きになったのだが、奥手な俺はクリスマスが近づく今になって、ようやくデートに誘えたのだ。


「長谷川君、お待たせ!」


 改札から出てきた倉敷さんが、俺に向かって手を振る。自然に顔がにやつくぐらい可愛い。


「ちょうど待ち合わせの時間だし、全然待ってないよ。今日は楽しみだね」


 実は緊張し過ぎて早く起きてしまい、一時間前に到着していたのだがそれは言わなかった。


「今日は映画に誘ってくれてありがとう。ホント、楽しみ。やっぱり映画は誰かと行って感想を言い合うのが楽しいよね」

「ホントそうだね!」


 と調子の良いこと言っているが、俺は映画の感想など言い合ったことなど無い。それどころか映画を劇場で観たことすら無いのだ。

 そんな俺がなぜ倉敷さんを映画に誘ったかと言うと、最近彼女が映画好きとの情報を入手しこれを利用しない手はないと考えたからだ。しかしマズいことが一つある。倉敷さんを誘う時に、俺も映画好きって嘘を吐いてしまったんだ。

 俺達は駅前にある商業施設内のシネコンに向かった。



「今日は俺が誘ったから、俺が奢るよ」


 チケット売り場に着くと、俺は倉敷さんにそう言った。


「ええっ、そんなの悪いよ。私も観たかったし、自分の分は出すよ」

「良いって。実はバイト代も入ったんで、余裕があるんだよ」


 決して懐具合に余裕がある訳じゃ無いが、俺は見栄を張った。


「ありがとう。じゃあ、素直に奢って貰います」

「じゃあ、チケット買って来るよ」

「あっ、ちょっと待って!」


 チケット売り場に向かう俺を倉敷さんが止める。


「長谷川君の言ってた時間って、吹き替え版じゃない?」


 確かに吹き替え版だが、俺はそれで良いと思っていた。だって、俺が映画を観るのはほとんどテレビだし、たまにアマプラで観る時も吹き替え版だ。だからみんなそうだと思っていた。映画好きな人は字幕で観るものなのか?


「あっ、ホントだ。ヤバかったな。間違えるところだったよ」

「字幕版までまだ少し時間があるね。チケット買ってどこかカフェでも入ろうか。映画代のお返しに、私が奢るよ」

「うん、ありがとう。そうしようか」


 俺達はチケットを買った後に、商業施設内のカフェで時間を潰すことにした。



「ねえ、長谷川君は誰か好きな俳優はいるの?」


 倉敷さんがカフェの席に座るなり、俺に聞いてくる。


「うーん、好きな人が多過ぎてこれって人は挙げられないかな。倉敷さんは誰が好きなの?」


 俺は自分に質問されてボロが出ないように、逆に質問し返した。


「私はね……渋いって言われるかも知れないけど、モーガン・フリーマンが大好きなの!  セブンのベテラン刑事役でハマっちゃった」

「へえ、そうなんだ!」


 モーガン・フリーマンって人は全然知らないけど、俺は感心したように相づちを打った。

 その後も、倉敷さんは楽しそうに映画のことを話し続けた。俺は無知がバレないように、同意する感じで話を合わせる。

 笑顔の倉敷さんは可愛いけど、そう思えば思う程、罪悪感が湧いて来た。



「はい、これ、チケットね」


 時間になり、劇場の出入り口で倉敷さんにチケットを渡した。


「えっ、この席って……」


 倉敷さんはチケットを見て驚く。


「えっ、なにか変だった?」

「あっ、いや何でも無いよ。中に入ろう」


 倉敷さんの態度が気になったが、それ以上は追求せずに中に入った。

 初めて入る映画館に、俺は心が踊った。独特の雰囲気が珍しかった。

 字幕版が上映されているのは、シネコンの中でも一番大きいスクリーンだった。

 チケットに書かれた席に二人で座る。


「こんな席に座るの初めてだけど、凄い迫力あるね」


 俺が選んだ席は、スクリーンの真ん前。最前列の中央の席だった。座って初めて気付いたが、最前列だと見上げる感じになってしまうんだ。


「そうだろ。俺はこの席が一番好きなんだよ」

「うん、前に人がいるのが気になる人もいるよね」


 何となく倉敷さんの話し方から、俺に気を遣ってくれているが、この席の位置が良いとは思っていないように感じた。

 映画が始まると、やはりこの位置だと観づらいと感じた。慣れない字幕を読むのに必死で、画面が追い切れない。もっと離れた位置か字幕に慣れていたなら問題なかったのかも知れないが。

 心配になって横を見ると、倉敷さんは映画に集中して入り込んでいた。それだけが救いだった。



「あー面白かった!」


 映画が終わり、劇場前のフロアに戻って来たら、倉敷さんが伸びをしながら満足そうに言った。

 俺はそんな倉敷さんを見て、ホッとした。席の位置で失敗したけど、彼女が満足してくれたなら上出来だ。


「ああ、面白かったね!」


 俺は途中から首が痛くなり、あまり楽しめなかったけど、倉敷さんに同意した。


「どこかに入って、映画の感想を話そうよ。私は他の人の感想を聞くのが好きなの。自分の感性とは違う新たな発見があるから」

「うん、そうしよう」


 ここですんなり帰るより、もっと話をして親しくなりたい。倉敷さんの提案は俺も願うところだ。

 俺たちは映画を観る前に入ったカフェに、また行くことにした。



 カフェに入ると倉敷さんから感想を求められた。俺は聞かれることを予想していたので、批判的なことは言わず、無難な誉め言葉で感想を伝えた。

 倉敷さんは、俺の作り物の感想を聞いて喜び、次は自分の感じたことを話してくれた。

 感想を楽しそうに話す倉敷さんは本当に輝いていた。俺はそんな彼女を見ているうちに、また罪悪感が込み上げてきた。


「あの……俺、倉敷さんに謝らないといけないことが有るんだ」


 突然の言葉に、倉敷さんはキョトンとした顔をしている。


「実は俺、映画好きじゃないんだ。それどころか、劇場に来たのも初めてで、普段はテレビで吹き替え版で観てるだけなんだ。騙してごめん」


 俺は話し終えると頭を下げた。

 倉敷さんは俺の話を聞いてどう思っただろうか。呆れて絶交されるんだろうか。

 俺が恐る恐る顔を上げると、倉敷さんはさほど驚いた感じは無く、戸惑っているようだった。


「どうしてそんな嘘を吐いたの?」

「倉敷さんのことが好きだから、仲良くなりたかったんだ。一緒に映画に行ったら親しくなれるかと思って。嘘を吐いてでも仲良くなれるきっかけが欲しかったんだよ」

「じゃあ、どうして自分から話してくれたの?」

「それは……映画のことを話す倉敷さんが凄く楽しそうで……好きなことを純粋に楽しんでいる君を見ていると、騙している自分が恥かしくなったんだ。だから騙し続けられなかった……」


 俺の言葉を聞いても、倉敷さんは表情を変えない。怒っているのか、呆れているのか、それさえも分からない。


「今日、映画のことでいろいろ話をしていて、もしかしたらって思ってたんだ」


 倉敷さんにはバレていたんだな。まあ、当然かも知れないが。


「もし、このまま家に帰っていたら、凄くモヤモヤしてたと思う。後で本当のことが分かったら、軽蔑してたと思う」


 そう言うと、倉敷さんは笑顔を見せてくれた。


「正直に言ってくれたから今回は許してあげるわ」

「ホントに? ありがとう!」


 俺はホッとして体の力が抜けそうになった。


「でも、今回だけよ。次に嘘を吐いたら、二度と話をしないから」

「もう絶対に嘘は吐かないよ。約束する」


 俺は心から誓った。


「さっきサラッと好きだって言ってくれたけど、それは本当なの?」

「もちろん本当です。好きです付き合ってください!」


 俺は勢いでもう一度告白した。


「……悪いけど、その返事は保留させて。今度はさ、長谷川君の好きなものを教えてよ。それまで返事は待ってくれる?」

「ああ、もちろんだよ。俺、野球が好きだから、一緒に観に行こうよ。ちゃんと面白くなるように説明するから」


 俺は倉敷さんを好きになって本当に良かったと思った。こんな良い娘はもう俺の前には現れないだろう。これから好きになって貰えるように、全力で頑張ろう。

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