第56話 十一月二十五日はOLの日

 働く女性の異業種間交流サークル「OLネットワークシステム」が一九九四(平成六)年に制定。

 一九六三(昭和三十八)年のこの日、初めて「OL」という言葉が女性週刊誌『女性自身』十一月二十五日号に載った。

 以前は、職場で働く女性のことを「BG(business girl)」と呼んでいたが、この言葉がアメリカの隠語で「商売女・娼婦」という意味があることがわかり、一九六三年九月十二日にNHKが放送禁止用語とした。これに代る言葉を『女性自身』が募集し、「OL(office lady)」という言葉を一九六三年十一月二十五日発売の号から使い始めた。



 私は片桐部長が嫌いだ。いや、嫌いと言うか寂しい人だと見下している。

 片桐部長はもうすぐ初の女性役員になるだろうと噂されるぐらい、仕事はよく出来る。総合職の女性社員の中には、信者と言って良いほど彼女に心酔している人までいる。だが、私は片桐部長が立派だとは思ったことがない。なぜなら、彼女が手にした物は仕事しか無いからだ。

 私がこの会社を選んだのは、女性に関する制度が整っているからだ。私は仕事もベストを尽くしたいし、結婚や子育ても諦めたくはない。全て手にすることこそ能力の証だと思う。その意味で、仕事は出来るかも知れないが、アラフィフで独身の片桐部長は負け組とさえ思っている。



 私は入社して二年で大学時代の彼氏と結婚。その三年後に妊娠。子供が一歳になるまでは育児休暇を取る予定だ。うちの会社は育児休暇を取ったからと言って、不利になるようなことはない。若いうちに子供を産んで、その後バリバリ働けば十分に昇進も可能だ。


「おめでとう。元気な子供を産んで戻って来てね。あなたの席は空けて待っているから」


 妊娠の手続きを申請したら、片桐部長から声を掛けられた。


「ありがとうございます。必ず戻って、会社の為に頑張ります」


 そう返事をしながら、私は部長の表情を窺った。自分の手に入れられなかったものを若い部下が手に入れる。内心の複雑な気持ちが表情に現れるのを見たかったのだ。

 だが、彼女の笑顔には陰りが無く、心から祝福してくれているように見えた。

 この人は元々、恋愛とか家族とかを必要としていないんだろう。ナチュラルな仕事人間で、仕事さえ成功すれば人生満足な人なんだ。出世はしているけど、寂しい人だ。

 私は片桐部長をそう結論付けた。


 総務に必要書類を取りに行くと、女性課長が対応してくれた。片桐部長より下の管理職には女性も多いのだ。


「会社のことは忘れて、ゆっくり出産と育児に専念してね」


 私に書類を渡しながら、総務課長はそう言ってくれた。


「ありがとうございます」

「お礼は片桐部長に言うべきね。部長がいなければ、これだけの制度はまだ取り入れてなかったかも知れないんだから」

「えっ、どう言うことですか?」


 課長の言葉の意味が分からなかった。どうして片桐部長が関係しているのだろう。


「ああ、あなたは知らなかったのね。片桐部長は、育児休暇や生理休暇など、女性が働きやすい環境を整備する為に、先頭に立って会社と交渉してくれたのよ。

 我が社が当時はまだ一般的じゃなかった育児休暇をいち早く取り入れ、優秀な女性を入社させることに成功したのも彼女があってのことよ。最初は組合員になって交渉してたけど、うちの会社は組合が弱いからね。それじゃあ、自分が会社内で力を付けて、発言力を高めようって、昼夜関係なく働いてね。会社内で一目置かれるような存在になって、制度を整備してくれたのよ。

 でも皮肉なものね。部長は美人だから、社内に言い寄る男も居たみたいだけど、仕事第一だったからね。制度を作る為に一生懸命働き過ぎて、自分は婚期を逃してしまったんだから。ホント、私たち女性社員はあの人に頭が上がらないわ」


 課長の言葉を聞いて、私は声が出なかった。自分が寂しい人だと思っていた相手は、自分の理想を叶えるための手段を作ってくれた人だった。

 私はなんて愚かな人間なんだろう。そんな人に対して、見下し、心の中でマウントを取っていたなんて。


 私はすぐに部長室に向かった。


「どうしたの? 顔色が悪いわ。体大丈夫?」


 急に来た私に、片桐部長は優しい声を掛けてくれる。


「あの……部長が育児休暇とかいろいろ会社と交渉して制度を整えてくれたって聞いたんですけど……」


 興奮して何を言うべきか自分でもよく整理できない。


「ああ……」


 部長は可愛いいたずらがバレた子供のように笑う。


「もう昔の話よ。今となれば普通の制度よね」

「部長は後悔していないんですか? 人の為に自分を犠牲にして」

「犠牲にしたとは思ってないわよ。そんな時代だったってことよ。私は私で充実した日々を過ごしてきたし、今あなたたちが制度を使って人生が充実するなら、嬉しくて後悔なんて全く無いわ」


 そう言って笑う部長は本当に輝いていた。私ごときじゃ足元にも及ばない。


「あの……私は育休が終わったら必ず戻って来ます。それであなたを社長にする為に、がむしゃらに働きます」

「ええっ、そんなこと気にしなくて良いわよ。あなたはあなたの生活を楽しんで」

「違うんです。私は部長を見下していました」


 私の言葉に部長は驚いた顔をする。


「それなのに私は、部長が頑張って作ってくれた制度で理想を実現しようとして……。

 このままじゃあなたに借りを作っただけで、私は完敗です。部長への借りを返す為には社長になって貰うしかないんです」


 無茶苦茶な論理だが、私がこれから部長に勝とうとすればそれしかないと思った。部長を社長にする為に努力して、貸し借りなしにするしかない。


「分かったわ。戻って来るのを楽しみにしてる。妻として、母として、私には経験出来なかった視点を武器に活躍してもらうわ」

「はい! 必ず力になります!」


 部長を見下しいい気になっていた時より、気持ちが充実している。育休後の復帰が楽しみになった。

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