第53話 十一月二十二日はいい夫婦の日

 余暇開発センター(現在の日本生産性本部余暇創研)が一九八八(昭和六十三)年に制定。

「いい(一一))ふうふ(二二)」の語呂合せと、十一月の「ゆとり創造月間」の期間中であることから。



「いらっしゃい、どうぞ」


 ママ友の伊藤さんが自宅マンションまで遊びに来てくれた。伊藤さんの次男と私の息子の将司まさしが同級生で、幼い頃からの親友だ。その縁で私も伊藤さんと知り合い、ずっと仲良くしている。息子同士も、母親同士も気が合い、難しいと言われるママ友関係に悩んだことが無くラッキーだったと思っている。


 お互いパートが休みの日に、どちらかの家に行ってお昼を食べたり、お茶を飲んだりするのが私たちの女子会だ。

 話題のほとんどは、夫や義実家の愚痴やパート先の不満だ。お互い話を盛っている面はあると思う。こうやって面白おかしく愚痴を言い合ってストレス発散させてるから、普段は良い妻や母でいられるのだ。


「お邪魔します」


 伊藤さんが家に上がって来た時、私は彼女の左手の薬指にいつもと違うダイヤのリングを見つけた。


「あれ? どうしたの、その指輪」

「あっ!」


 伊藤さんは慌てて右手で左手を押さえた。


「もしかしてそれ……不倫?」


 あまりにも慌てているので、誰か彼氏からのプレゼントかと思った。


「ちが、違うわよ! 旦那から貰ったの。旦那からのプレゼントよ」

「ええっ、旦那さんがプレゼントしてくれたの?」


 私にはそっちの方が意外だった。だって伊藤さんはいつも旦那さんの愚痴を言っていたから。


「旦那さん、どうして指輪をプレゼントしてくれたの?」


 伊藤さんは恥ずかしいと言いながらも教えてくれた。

 旦那さんは奥さんと、ずっと仲良く暮らしていくのが夢だと語り、愛していますの言葉と共に指輪をくれたらしい。伊藤さんは「こんな指輪で今までのことをチャラにしようなんて調子良過ぎるよね」と冗談っぽく言っていたが、その表情は幸せそうで照れ隠しだと分かった。


 伊藤さんが帰った後も、私はモヤモヤした気持ちが治まらなかった。正直言うと羨ましかったのだ。

 別にうちも夫婦仲が悪い訳じゃない。伊藤さんには愚痴を言ったりしているが、大袈裟に盛ってる部分はある。配偶者としても父親としても夫を信頼している。

 でも、夫婦としての愛情表現は物足りない。



「いいなあ……」

「何が良いの?」


 将司にそう聞かれて、ハッと我に返った。あれからずっと伊藤さんの指輪のことを考えていて、将司と二人で夕飯を食べている時に思わず呟いてしまったのだ。


「ううん、何でもないの」

「でもお母さん、今日はずっと変だよ」


 将司にも気付かれていたのか。


「ちょっと考え事してただけ。何でもないわ」

「そう……そう言えば今日、先生が『今日はいい夫婦の日です』って言ってたんだけど、それを聞いたトシが『最近親が凄く仲が良い』って自慢してきたんだよ」


 トシとは伊藤さんの次男の俊哉としや君のことだ。最近ってことは、指輪の一件で仲が良くなったのかな。


「それを聞いて、俺の親も仲が良い『いい夫婦』だよって言い返したんだよ」

「ええっ! どうしてそんなこと言ったの?」


 私は驚いて将司に聞いた。


「どうしてって、いい夫婦じゃないの?」

「あっ、いやそうじゃなくて、あなたがどうして良い夫婦だと思ったか聞いてるの」


 逆にそう聞かれて、私ははいともいいえとも言えずに、誤魔化した。


「だって、お父さんいつも『結婚するならお母さんみたいな女の人にしろよ。お母さんはしっかり者で優しくて、あんなに良い奥さんいないんだからな』って言ってるからさ。俺の見ていないところで仲良くしているんだなって思ってたんだよ」

「なっ……」


 私はあまりに驚きすぎて言葉が続かなかった。


「ただいま」


 ちょうどその時、夫が仕事から帰って来た。


「ごちそうさま。お父さんに直接聞いてみたら」


 将司はそう言うと、自分の部屋に戻って行った。


「ただいま。あれ? 将司が居たんじゃないの?」


 夫がダイニングに来て不思議そうに尋ねる。


「お、お帰りなさい。今ね、食べ終わったから部屋に戻って行ったわ……」


 将司の言葉を聞いた後だから、少し緊張してしまう。夫は本当に私を良い奥さんだと思っているのだろうか?


「そうか……」


 夫はそう言うと、上着も脱がずに私の前に座った。いつもなら、すぐ部屋着に着替えて食事にする筈なのに、なんだか様子が違う。


「どうしたの? 着替えて来ないの?」


 私がそう聞くと、夫はチラリと横を向く。ダイニングから見える将司の部屋のドアを見て、出て来ないのを確認してからまた前を向いた。


「あの、いつもありがとう。愛してます」


 夫はポケットから取り出した箱を開け、私に差し出す。中にはダイヤの指輪が入っていた。昼に見たのと良く似たデザインだった。

 一瞬、伊藤さんの旦那さんの入れ知恵か? と頭に浮かんで来たが、すぐに消えた。さっき将司が言った「あんな良い奥さんはいないんだから」って言葉がすぐに浮かんで来たからだ。


「ありがとう……でも、良いの? 私、そんな良い奥さんじゃないと思うよ」


 だって、ママ友と愚痴の言い合いしてるぐらいなんだから。


「いや、俺には勿体ないぐらいの奥さんです」

「ありがとう」


 私は少し申し訳ない気持ちで指輪を受け取った。


「あの、私も愛してます」

 愛してますの言葉は本心だった。普段愚痴を言っている申し訳ない気持ちは別にして、今の気持ちをちゃんと伝えようと思った。


 昼間見た伊藤さんの指輪は羨ましかったけど、実際に手の中にある指輪より、夫が将司に言った言葉の方が嬉しかった。私もこれからは愚痴じゃなく、のろけてみよう。きっと伊藤さんも本音ではのろけたい筈だ。愚痴を言い合うより、その方がきっとお互いの夫婦が「いい夫婦」に近付いていけるだろうと思った。

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