第127話 過去からの使者

 すっかり日も落ち、騒がしかった祝勝会は終わりを迎えた。

 机やら何やらを片付け、今は研究所内を歩いている真っ最中だ。


「所長さん、結局来なかったね」

「まあ、本来は多忙な人だからな」

「それに決算月ではないとはいえ、今は年度末。私たちには推し量れぬ領域があるのだろう」

「そう、だよね。お礼とご挨拶ぐらいはしたかったんだけど……」


 そんな俺たちは出入り口に向かいながら、ついぞ姿を見せることのなかった零華さんに思いを巡らせていた。

 特に第二研究所を提供してもらえなければ、現状に至れなかったであろう朔乃と風破は見るからに肩を落としているようだ。


 まあ、ただの学生が零華さんに恩返しなんて出来るはずがないし、せめておしゃくくらいは――とでも、思っていたのだろう。だがこうして恩を受け取るだけになってしまったのだから、そのことを悔いるのも無理はない。

 ちなみに祝勝会に用意されていたのは、ソフトドリンクのみ。いくら大人が参加予定だったとはいえ、この辺りは流石にな。


「まあ礼はまとめて本人に伝えておくから、そんな顔するな。それより春目前とはいえ、もう外は暗い。送っていこう」

「でも、これくらいなら……」

「お礼云々うんぬんより、三人をこのまま帰す方が零華さんに怒られる。乗り掛かった舟だし、今日家に帰るまでが年度末試験……ってことにしておいてくれ」


 同居人二人。

 同クラス。

 第二研究所での顔なじみ。

 アザレア園。


 既に同じような経緯で全員の家の場所は知ってしまっているし、躊躇ちゅうちょするのも今更だろう。

 何より、夜道は何かと物騒だし、これは紳士ジェントルとして当然の配慮だと思っていたのだが――。


「え……三人?」


 送られる側というか、送る必要がある側の三人。

 朔乃、風破、キサラギ先輩は、雪那とヴィクトリアさんへと視線を送る。


「うん、私たち三人・・・一緒に帰る・・・・・から、気にしないで。それより三人を無事に送り届けなきゃだしね」

「ふぇ……!?」


 片や神宮寺家。

 片や立派な成人女性。


 いくらでも理由を作ってスルー出来たはずなのに、ヴィクトリアさんは盛大にドジっ娘属性を発揮してくれやがったらしい。

 送られる側の三人は、目を見開いて驚愕している。


「そ、それって、つまり……!?」

「い、いや、まさかそんなことが……!?」

「ふ、不潔……!?」


 三人の脳内では、思春期全開の妄想が繰り広げられているのだろう。

 普段冷静なキサラギ先輩まで、家が一緒の方角なだけじゃないのか――と、指摘してこない辺り間違いないはずだ。


「……」


 それになぜか雪那の頬も微妙に赤かったりで、全部答えを言ってしまっているような気もするが、これ以上は自分から言及しない。

 完全に藪蛇やぶへびだからな。


「よし……!!」


 しかし一方のヴィクトリアさん本人は、そんなことなど露知らず。ミツルギ教師としての初仕事だと意気込んでいるらしい。

 現に、私がしっかりしなくちゃ――と、全身からやる気に満ち溢れたオーラが吹き出していた。


 この人の情緒が女子高生以下なのか。

 それとも周りの連中が大人びているのか。


 恐らくは両者だ。

 第一印象だけなら、こんなに大人っぽいのに。

 とはいえ、俺の時は、いきなり階段の上から降って来たせいで色々と台無しだったわけだが――。


 ともかく、これで楽しい一日も終わり。

 受付のお姉さんに挨拶をして研究所を後にしようとしたわけだが、そんな最中に事件が起こった。


「きゃっ!?」


 朔乃は押し出されるように体勢を崩し、近くにいた風破に抱き留められる。

 無論、朔乃が一人で勝手に転んだわけではなく、原因は恰幅かっぷくの良い背広スーツ姿の男が半ば無理やり通路を押し通ろうとしたことにあった。

 しかも当の本人は、ぶつかったことを謝るどころか、何事もなかったかのように去って行こうとしている。

 申し訳なさそうな表情を浮かべるなり、会釈するなり、謝罪をしないにしてもやり様はあるだろう。

 大人としてというか、人としてあり得ない行動だ。


「ちょ……っ!?」


 朔乃の近くにいた風破が反射的に声を上げようとするが、何とその男は逆に向こうから近づいて来ている。

 スーツの内ポケットに手を伸ばしながら向かって来るとあって、受付のお姉さんもカウンター下の警備員呼び出しボタンに手をかけるが――。


「……間違いない! アリアじゃないか!」


 当の男は携帯端末の画面と風破を見比べた直後、歓喜の声を上げた。

 何事かと思ったものの、目を見開いて固まる風破を見てしまえば、謝る気はゼロなのか――という指摘すら吹き飛んでしまう。

 なぜなら――。


「お、父さん……?」


 消えそうな声で紡がれた言葉は、あまりに衝撃的過ぎるものだったから――。

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