第6話
魔法庁の石張りの廊下を大股で歩くディアンの靴音の後ろに、パトリシアのヒールの音が続く。
手首を引かれるパトリシアは転ばないように小走りになりながら、ディアンの背中に向かって話かけた。
「きょ、局長、いったいどうしたんですか?」
「……パトリシア、お前よくも……」
「あの、ちょっと待ってもらえませんか」
「俺が今週どんな思いで過ごしていたと思ってるんだ」
「局長、だから……」
「いいから黙ってついて来い!」
「あの、痛いんです! お願いだからちょっと止まってください!」
その言葉を聞いたディアンは急に立ち止まると、すぐさま振り返った。そして肩で息をするパトリシアを見ると、先程の怒ったような表情から一転、悄然と眉を下げた。
「すまない。少し冷静さを欠いていたようだ。痛いのは手首か? 大丈夫か?」
ひどく申し訳なさそうに掴んでいた手を放すと、ディアンは今度は慎重にパトリシアの手を握る。
いつになく真剣な表情で、まるで壊れ物でも触るかのようにそっと手首に触れるディアンに、パトリシアは思わずドキリとした。
(な、なんだか局長がいつもより優しい……?)
「だ、大丈夫です。痛いのは足だし、それにちょっと靴擦れになってるだけですから」
「靴擦れか? まったくこんな細い足なのにわざわざヒールなんて履かなくても……。どれちょっと見せてみろ」
「ちょちょちょちょっと! なにするんですか!!」
突然目の前に跪きヒールを脱がそうとするディアンを、顔を赤くしたパトリシアは慌てて止めた。
「本当に大丈夫ですから、脱がさなくてもいいです! あの、それより局長はいったいどこに行こうとしてたんですか?」
「大丈夫なのか? そうか……」
なぜか小さく舌打ちしたディアンは立ち上ると、思案するように顎に手を当て、辺りを見回した。
「そうだな……。パトリシア、倉庫の鍵を持っているか?」
「鍵ですか? もちろん持ってますけど、それがどうかしましたか?」
「誰にも邪魔されない場所でゆっくり話がしたい。倉庫へ行こう」
言いながらディアンはパトリシアの腰にさりげなく手を回す。
「ふえっ!? あ、あの、局長、これはいったい……!?」
「足が痛いんだろう? 遠慮することはない。俺が支えてやるからここまま行こう」
顔を真っ赤にしたパトリシアにディアンは優しく微笑むと、まるでエスコートするように倉庫に向かって歩きだしたのだった。
備品管理局が管理する巨大な倉庫は、魔法庁の広大な敷地の鬱蒼と木が茂る一角にひっそりとたたずんでいる。
苔むした分厚い石造の倉庫の内側は、天井まで届く高い棚が迷路のように立ち並び、埃を被った箱や石が乱雑に所狭しと置かれている。
一見どう見てもガラクタにしか見えないそれらの品の中には、この世に二つとないとされる希少品が紛れているのだ。
ディアンとパトリシアが倉庫に一歩足を踏み入れると、二人の魔力に反応して壁に掲げられた魔石灯が一斉に明かりを灯した。
薄黄色の明かりに照らされた通路をディアンは知った様子で進み、古びた机と椅子を見つけると、丁寧に埃を払ってパトリシアを座らせる。自分はどかりと机に腰を下ろすと、眼鏡を外し眉間を解すように揉んだあと、アイスブルーの瞳をパトリシアに向けた。
「……パトリシア、お前本気で魔法庁を辞めたいのか?」
「ええ。きっかけは何であれ、もうずっと考えていたことですから」
「理由を教えてもらえるか?」
「そうですね……、倉庫番の仕事は私でなくてもできると思うんです」
パトリシアは言葉を選びながらぽつり、ぽつりと語り始めた。
「たしかに倉庫番の仕事は楽しいし、やりがいもあります。でも、ある日ふと考えてしまったんです。一緒に入った同期の人間がどんどん昇進していくのに、私は四年経っても倉庫で埃を被ってる。……倉庫に捨てられたお荷物とか、役に立たない鼠とか、そんなことを言われるのはもう疲れました」
「……ほう、そんなことを言う奴がいたのか」
ディアンのアイスブルーの目がスッと細くなり、唇に冷酷な笑みが浮かぶ。
パトリシアは妙な既視感と共に背筋がぞわりと冷たくなるのを感じ、慌てて頭を振って否定した。
「いえ、もうそれはどうでもいいんです。この五日間で気が済みました」
実の所、月曜から今日までパトリシアが魔法庁をやたら歩き回っていたのは、彼女のなりのささやかな意趣返しも兼ねていた。
パトリシアの顔を見る度に嫌味を言ってきたディアンの信者達。だが彼女達はまだ可愛いほうだった。なにより彼女が辛かったのが、同時に入庁したアカデミー同期達からの辛辣な言葉だった。
「私達の代の主席がこんなに地味で、しかもよりによって配属先が倉庫番だとは……恥でしかないな」
「教授達はなにを考えてこいつを首席にしたのか」
「こんな奴が同期だなんて思いたくもない」
「最初から倉庫番がお似合いだったんだ」
「そうだな。一生埃を被って倉庫に閉じこもっていればいいのに」
雪のように降り積もっていく心ない言葉の数々。
それは少しずつパトリシアの心を蝕み、いつしか彼女はすっかり自信をなくしていた。
「……だが、お前が辛い思いをしたのは事実だろう? 気がついてやれなくて悪かった」
「いえ、それは局長とは関係ありませんから……って、ちょ、ちょっと局長、止めてください!」
唐突に深く頭を下げたディアンを、パトリシアは慌てて止める。
部下が嫌味を言われたくらいで上司が頭を下げるなんてなにか違う、絶対おかしい。
(それに傷ついたのは私なのに、なんで局長がそんなに悲しそうな顔をするの……?)
「あ、あの、本当にもういいです。もう終わったことですから。それに、次の仕事はすごく条件がいいんです。お給料も今までよりずっと上がるし、仕事の内容も私のやりたかった分野の研究をさせてくれるって。ですから局長が気にする必要は何もありません」
「次の仕事? もう決まってるのか?」
「ええ、アカデミーの同期の研究所です」
「……リーンハルトか。あの野郎……」
忌々しげに舌打ちをするディアンに、パトリシアは首を傾げた。
(エムニネス長官もそうだったけど、どうして私がリーンハルトの研究所に誘われているって知ってるのかしら)
そんなパトリシアの疑問をよそに、おもむろにテーブルから降りたディアンは片膝をつき、真剣な眼差しでパトリシアを見上げた。
「パトリシア、俺がお前に辞めるなと言ったらどうする」
「え?」
「俺はゆくゆくはお前を備品管理局の次長にするつもりだった。給料も上げる。仕事の内容もお前の希望に添うように検討しよう。……俺にはお前が必要なんだ」
普段は冷たく感じるアイスブルーの瞳の奥に熱が燈り、パトリシアを直向きに見つめる。
ずいぶん慌てて出張から戻って来たのだろう。いつもは綺麗に撫でつけられたグレーの前髪が汗ばんだ額にはらりと落ち、妙な色気が醸し出されている。パトリシアはたじたじとなった。
(そんな……どうして? 局長は私の事が嫌いであんな嫌がらせをしてたんじゃないの?)
「ちょっと待ってください。そんなことを今さら言われても……。それに、局長は私が気に喰わないから倉庫番にしたんじゃないんですか?」
「おい待て、誰からそんなことを聞いた?」
「だって局長はいつも私のことを揶揄うし、顔を見れば嫌味ばかり言うし……。この間だってずいぶんひどい嫌味をおっしゃってましたよね?」
「なにだそれは。俺は嫌味なんて言った覚えはないぞ?」
「嘘! 私を思いっきり睨んで、いい気になるなよって言ったじゃないですか! だいたいみんなが見てる前で私を食事に誘うとか、嫌がらせ以外のなにものでもないじゃないですか!」
「違う! そういう意味じゃない! ったくなんでそうなるんだ……!」
思わずといった様子で立ち上り頭をガシガシと掻いていたディアンは、なにかに気がついたようにハッと顔を上げた。
「……おい待てよ、つまりお前は俺が今まで食事に誘ってたのを、ずっと嫌がらせだと思ってのか?」
「それ以外にいったいなんの目的があるっていうんです?」
「そんなの普通に考えればわかるだろうが! 俺はお前と一緒に飯を食いたいから誘ってたんだ! 嫌いな奴をわざわざ誘うか!」
「嘘……!」
パトリシアは思わずぽかんと口を開けた。
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