第5話

「さっそくじゃがパトリシア、儂の頼んどった例のものは見つかったか?」

「残念ですがそれはまだ……。今日は別件でご挨拶に参りました」

「ふうむ、まあよかろう。二人とも座るがいい」


 どこからともなくティーセットが応接机に飛んできたかと思うと、見る間に湯気の立つ赤い液体がカップに注がれていく。

 その様子を見たパトリシアとヨルンは無言で頷き合うと、重厚な布張りのソファーに腰を下ろした。


「挨拶とはここを辞める挨拶かの? なんぞ面白いことになっとるようじゃのう」

「もうご存知でしたか。……長官にはとてもお世話になったので、最後にきちんとご挨拶したかったんです」


 魔法庁の倉庫にある貴重品のほとんどは、このエムニネスが長い年月をかけ集めたコレクションと言っても過言ではない。

 若かりし頃の彼が討伐したドラゴンや調伏した精霊達から得た素材、そして全世界から収集した貴重なサンプルの数々、それらが倉庫には眠っているのだ。

 ゆえに、パトリシアが魔法庁で一番世話になったのは、間違いなくこのエムニネスである。


(エムニネス長官には何度わからないことを質問しにきたか。本当にお世話になったわ。だからこそこの新人を挨拶に連れてきたんだけど……)


 ちらりと横に座るヨルンを見ると、彼はティーカップに注がれた紅茶にまさに口を付けるところだった。


(あーあ、知ーらないっと……)


 生ぬるい目でヨルンを見つめていたパトリシアは軽く首を振り、改めてエムニネスに向き直った。


「今後はこのヨルンが担当になります。今年入ったばかりの新人ですがきっとお役に……お役に立つといいですね?」


 最後が疑問形になったのは、隣に座っていたヨルンが飲んでいた紅茶を勢いよく吹き出したからだ。

 この部屋で出された物に素直に口をつけてはいけない。

 それはパトリシアが自身の身を持って得た教訓だが、ヨルンも今後は是非自分の身で体験して学んでいってほしいものである。

 パトリシアは心の中でそっとエールを送り、改めてエムニネスに向き直った。


「それでどうして急に辞めようなんぞ思ったのか、その理由を儂にもわかるように説明してくれるかの?」


 一転柔和な笑みを消し真剣な瞳を向けるエムニネスに、パトリシアは背筋を伸ばした。


「ええ。それは……」


 パトリシアは正直に自分の想いを語った。

 倉庫番の仕事は好きだしやりがいもあるけれど、もう四年も同じことを続けてきた。

 功績のないパトリシアがこの先違う部署へ異動することはないだろうし、退庁までずっと倉庫から出られないのは辛い。そしてなにより、パトリシアが倉庫番を続ける必要性が感じられない。ならばパトリシアを必要としてくれる場所に行きたい────。

 パトリシアが静かに語り終えるとエムニネスは物思いに耽るかのように目を瞑り、自慢の髭を撫でた。


「ふうむ、パトリシアがここに来てもう四年か。人間とは時間の感覚が違うもんで、うっかりしとったわい。……どうじゃ、儂の権限でパトリシアを希望の部署に異動させよう。じゃからなんとか思いとどまってはもらえんかのう」

「え……?」


 思ってもいなかったエムニネスからの提案に、パトリシアは大きく目を見開いた。


「それはすごく光栄ですが……実は次の仕事も決めてしまったのです」

「リーンハルトの研究所か」

「どうしてそれを?」


 次の就職先は同期のエミリーにしか伝えていない。それに人付き合いを極端に嫌うリーンハルトが、自から他人に話すこともないだろう。

 パトリシアが驚きのあまり声を上げると、エムニネスはにいっと悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべた。


「ふぉっふぉっふぉっ、蛇の道は蛇と言うじゃろう。魔法使いには魔法使いの繋がりがあるもんじゃ。それに昔からパトリシアを欲しがる人間は多い。それを見越してあの男に預けておったんじゃが、どうやらあいつはまったく役に立たなかったようじゃな」

「なんの話ですか?」

「ふむ、それもわからんのか? まったくあの男は今までなにをしておったんじゃ。……まあいい。パトリシア、いいことを教えてやろう。お前さんがアカデミーで発表した論文はのう、当時魔法庁はおろか、有名な魔法使いの間では注目の的じゃった。だから優秀なお前さんが魔法庁に入庁すると聞いて、各局長は獲得に躍起になったもんじゃ」

「えっ!? でも私が倉庫番になったのは魔力量が低いお荷物だからって」

「ほう、誰かにそう言われたか」


 いつもは柔和なエムニネスの口から出た今まで聞いたことのない低い声に、パトリシアは背筋がぞわりと冷たくなるのを感じた。


「い、いいえ、違います……!」

「ふうむ……、まあいいじゃろう。パトリシア、そもそも備品管理局の倉庫部がどうして『お荷物』と言われているか知っておるか?」


 それからエムニネスが語ったのはパトリシアが初めて聞く、驚くべき真実だった。


 魔法庁の中で最もお金が動くのは、間違いなくパトリシアが所属する備品管理局である。

 巨大な倉庫に保管してある数々の国宝級のお宝はもちろん、なにより魔法庁全ての部署からの申請品を管理するのだ。取り扱う金額はとてつもない額にのぼる。

 ゆえに巧妙に横領に手を染める人間があとを絶たず、かつての備品管理局は不正の温床にもなっていたのだそうだ。

 そしてその腐敗を一掃したのが当時執行局に所属していた若きエース、ディアンだった。


「ディアンは不正の証拠を掴み、関わった者全員を魔法庁から放逐した。だがその後がいかん。皆が尻拭いを嫌がるもんじゃから、備品管理局の局長がなかなか決まらなくてのう。それがお荷物なんて言われとったゆえんじゃよ」


 どこか懐かしむように遠くを見つめながら、エムニネスは続ける。


「ついに当事者のディアンにお鉢が回ったが、当時の奴は二十四歳。まだまだ若造じゃ。自分にはできんとさんざん逃げ回っておったがな、とうとう観念したのか最後に一つ条件をこちらにつきつけおったんじゃ」

「条件?」

「うむ。パトリシア、お前さんを備品管理局に欲しいと言うたんじゃよ」

「私を? そんな、どうして局長が……信じられない」


その話が本当なら、ディアンは入庁以前からパトリシアのことを知っていたということになる。だが、いったいいつ彼がパトリシアのことを知ったというのだろう。


(入庁前というとアカデミー時代? でもディアンと在学中に接点はなかったし、今までだってそんな素振り一切なかったわ。いったいいつから私のことを知っていたんだろう……?)


「あの、局長はどうして私を……」

「っていうかさあ、パトリシア先輩は鈍感すぎるんですよー」


 ハッと隣を見ると、顔を真っ赤にしたヨルンがティーカップを大事そうに抱えながらパトリシアを見つめていた。


「ヨルン、もしかしてそれ!」


 パトリシアが慌ててヨルンからティーカップを奪うと、紅茶からはかなりきつい酒の香りが漂う。呆れたパトリシアがじっとエムニネスを睨むと、彼はあからさまに目線を逸らし、空を見つめた。


「エムニネス長官、いったいこの紅茶になにを入れたんですか?」

「……ドワーフの火酒じゃ。これはかなり判りやすいと思ったんじゃがのう」

「ドワーフの火酒って、あんな強いお酒……」

「っていうかパトリシアさん、局長があれだけ貴女のことを口説いてんのに、どうしてわからないんですかー?」


 その時目を据わらせたヨルンが、いきなり二人の会話にはいった。


「へっ?」

「だーかーら! 誰がどう見ても局長はパトリシアさんのこと口説いてるじゃないですかー!」

「く、口説く? 口説くってなんのこと!?」

「あーまったく、まどろっこしいなあ!」


 頬を紅潮させ目を据わらせたヨルンがまさにパトリシアの肩を掴もうとした瞬間、バンッと大きな音がして長官室の扉が乱暴に開けられた。

 驚いたパトリシア達が振り向くと、そこには額に汗を光らせ肩で息をするディアンの姿が見えた。


「わーい、ディアン局長だー待ってましたー!」

「ふぉっふぉっふぉっ、ずいぶん時間がかかったのう。もう間に合わないかと思うとったぞい」

「え? ど、どうして? だって戻るのは来週の月曜って……」

「……長官、ちょっとこいつを借ります」


 なぜか怒ったように眉間に皺を寄せるディアンは、自分の上着を脱ぐとばさりパトリシアに被せる。そして彼女の手首を掴み強引に立たせると、慌ただしく長官室をあとにした。





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