第2話

 それは先週の金曜日、いつものようにパトリシアが倉庫から備品管理室に戻った時に起こった。


「おう、パトリシアお疲れ。どうだ、このあと一緒に夕飯でも」


 帰り支度をしているパトリシアに声をかけたのは、備品局局長のディアンだ。

 ディアン・モーガン、備品管理局局長、二十八歳。

 魔法庁最年少で局長まで上り詰めたこの男は、エリート揃いの魔法庁の中でも一、二を争う膨大な魔力を持つといわれる、エリート中のエリートである。

 ちなみにすらっとした長身に嫌味なくダークスーツを着こなし、シルバーの髪に透き通るような切れ長のアイスブルーの瞳を持つこの男は、魔法庁の抱かれたい男、五年連続一位に輝く独身女性の憧れの的でもあった。


 だが、パトリシアはこのディアンという男が苦手だった。

 なんの目的があるか知らないが、ディアンは皆が見ている前で、頻繁にパトリシアを食事に誘う。だがそれはパトリシアにとって、苦痛以外のなにものでもなかった。彼の隣に立つと、自分の地味で平凡な外見が否応なく目立つのを自覚してしまうのだ。

 しかもパトリシアが誘いを断ると、決まって後日、ディアンを狙う女性達からやっかみまがいの嫌がらせを受けるのだ。

 そんなことが何度も繰り返される内に、入庁直後パトリシアがほのかに抱いていたディアンへ憧れは、いつしかすっかり消え失せていた。

 そしてなによりパトリシアの不信感に追い打ちをかけたのは、この男こそがパトリシアに有無を言わせず倉庫番を押し付けた、その張本人だったからである。


(入庁初日にわざわざ呼び出して『倉庫へ行け』って命令するくらい嫌いなのに、どうしてこの男はいつも私を構うんだろう。もしかして嫌がらせ?)


「お疲れ様です、局長。生憎ですが今日は先約があるんです」


 心の中で舌打ちしながらパトリシアが食事の誘いを断ると、この日に限ってディアンは鋭い目つきで睨みつけた。


「パトリシア、いつもそうやって俺の誘いを断るが、本当にその先約っていうのはあるんだろうな」

「ええ、もちろんですよ。 ちなみに今日は同期のエイミーとパブに飲みに行く約束があります」


 にこやかに笑って即答するパトリシアに、ディアンは忌々しげに舌打ちする。そして足早に歩み寄ると彼女の座る椅子をぐいと自分のほうへと向けた。


「……ではいったいいつなら空いてるんだ。俺はお前に大事な話があるんだ」

「へ……?」


 眉間に深い皺を刻みながらパトリシアを睨むディアンは、第三者からは二人が喧嘩でもしているように見えるに違いない。


(な、なんでこの人こんなに怒ってるの? 私に断られたのがプライドに触った? いやそんな、まさかね。それにしても……なんかいい香りがするんだけど)


 暑いのか第二ボタンまで開けられた仕立てのよいシャツから覗くのは、意外にも鍛えられた筋肉。微かに漂うシトラスの香りが、またなんとも色っぽい。

 思わずドキリとしてしまったパトリシアは慌てて目を逸らし、わざとらしく手帳を開いてスケジュールを確認する振りをした。


「……ええっと……そうですね、来年になればなんとかスケジュールが空くとは思います。はっきりわかったらまたお知らせしますよ」


 そう言いながら席を立って逃げようとしたパトリシアの腕を、ディアンは強い力で掴んだ。


「ちょ、ちょっと局長、さっきからいったいなんのつもりですか」

「……俺を焦らしてなにが楽しい。あまりいい気になるなよ?」


 冷たく、まるで見下すように睨みつけるディアンに、パトリシアはカチンとした。


(いい気になるなですって……?)


 入局当時からしつこくパトリシアを誘うこの男は、いったいなにが目的なのだろう。

 たしかに顔はいいことは認める。

 魔法庁の抱かれたい男五年連続一位のタイトルホルダーは伊達ではない。悔しいことに仕事もできる。

 ディアンが備品局の局長になったのは、パトリシアが魔法庁に入った年と同じ、今から四年前である。当時入局したばかりのパトリシアですら、入庁最速で局長就任というセンセーショナルなニュースに驚き、素直に賞賛したものだ。……その賞賛が軽蔑に変わるのもそう時間はかからなかったけれど。


(この男は私を三年間も暗い倉庫に押し込んで、誰もやりたがらない仕事を押し付けた挙げ句、今みたいにみんなの前で食事にさそって地味な女を揶揄って……。私を貶めていったいなにがしたいの? それとも自分に墜とせない女はいないとでも思ってる……?)


 ────パトリシアは静かにブチ切れた。


「……いい気だなんて、私にみたいな地味な女が局長相手に、そんなこと思えるわけないじゃないですか」


 わざとらしく困ったように眉を下げたパトリシアは机から小さな封筒を出すと、ディアンを不安気に見上げた。


「実は私、ずっと局長にこれを渡そうと思っていて……でも、今まで勇気が出なかったんです。よかったらこの機会に受け取っていただけますか?」

「お、俺に?」

「はい」


 殊勝に頷くパトリシアになにを思ったか、ディアンはまるで危険物でも扱うように慎重に封筒を受け取った。


「これは仕事の資料か? それとも……その、パトリシアの私的な手紙か?」


「私的と言えば私的な文章ですが……。あの、私の正直な気持ちが書いてあります。でもこの場で読まれるとちょっと恥ずかしいので、よかったら家に帰ってから読んでいただけませんか?」


 パトリシアがわざと語尾を濁しながら首を傾げると、頷いたディアンは大事そうに封筒をジャケットの内ポケットへと仕舞い込んだ。


「そうだな。ここで読まないほうがいいよな。よし、わかった。これは家に戻ってからじっくり読むとしよう」

「よかった! 局長が受け取ってくれて安心しました!」


 パトリシアが心の底から喜ぶと、ディアンは顔を背け、銀縁眼鏡のブリッジを忙しなく持ち上げる。そんなディアンを内心ほくそ笑みながら、パトリシアはしれっと話題を変えた。


「そうだ、確認ですが、局長は月曜から一週間出張でしたよね?」

「あ、ああ、そういえばそうだったな。国を跨いでの会議だから、どんなに早くても帰国は再来週の月曜になる。その、この返事は再来週になるが、それでも大丈夫か?」

「もちろんです。急ぐものではありませんから、ゆっくり読んでください。……じゃあ局長、皆さん、今日はお先に失礼しますね」


 すっきりした顔でパトリシアは周囲の人間に挨拶をすると、振り返りもせずに備品局の部屋をあとにした。


 だから彼女は気がつかなかった。

 ディアンが熱心に彼女の背中を見つめていたことも、そんなディアンの様子を見ていた備品局の人間が、ニヤニヤしながら目配せを交わしていたのも────。




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