第3話

「……というわけで、ついに局長に辞表を渡してやったの」


 賑やかな声で溢れた週末のパブ。待ち合わせの席に現れたパトリシアは友人のエミリーに先程のでき事を一気にまくしたてると、満足したように目の前に置かれたエールを煽った


「あらら、パトリシアにしてはえらく頑張ったじゃない。でもそれ、あの局長が本当に受理したの?」

「ふふふ、目を見ながら直接手渡ししたんだもの。抜かりはないわ」


 アカデミー時代の同級生で魔法庁の同期であるエミリーは、パトリシアの一番の親友だ。

 入庁してからもずっと相談を受けていたエミリーは、パトリシアがもうずいぶん前から自分の机に辞表を用意していたのを知っていた。


「ええと魔法庁の規定だと、たしか退職予定日の二週間前に辞表を提出しなきゃいけないんだっけ。パトリシアはいつ魔法庁からいなくなるつもりなの?」


 エミリーの質問に、パトリシアはよくぞ聞いてくれましたとばかりに大きく頷いた。


「辞表にはきっかり一ヶ月後の日付を書いたの。上手い具合に局長は月曜から一週間出張なのよ。だから私は来週の一週間で引き継ぎを終わらせて、再来週からは有給消化に当てるつもり」

「ん……? それってつまりパトリシアはもう局長と会うつもりはないってこと?」

「その通り! あの無駄にイケメンな顔を二度と見ないで済むのかと思うと、心の底からせいせいするわ!」

「はあ、ずいぶん念入りねえ」


(……そこまで徹底しないと辞められないってことは、裏を返せばそれだけ未練があるってことだとも思うんだけど、自覚してないのかしら)


 首を傾げるエミリーに気付くことなく、パトリシアはキラキラした目で熱弁を続ける。


「局長には間違いなく辞表を渡したし、有給はたっぷり一ヶ月は残ってる。つまり来週さえ乗り切れば、私は晴れて自由の身ってわけ。どう? 完璧な計画だと思わない?」

「んー、まあそうかもしれないけど、でもあのディアン局長がそれで納得するかしらね。それに引き継ぎは大丈夫なの?」

「もちろん抜かりはないわ! ……と言いたいところだけど、そもそも引き継ぎするべきこ仕事なんてほとんどないのよね。各部署の担当者が誰とか、申し送り事項なんてそれくらいだし。……結局みんなの言う通り、倉庫番なんて誰でもできる仕事ってことよね。はぁ……」


 寂しそうに目を伏せ小さく溜息を吐くパトリシアの頭を、エミリーはポンポンと撫でた。


「まあまあ落ち込まないで。パトリシアはよく頑張ったわ。それに、あんたがそう決めたなら、私は全力で応援するし。それで、次の仕事はもう決めてるの?」

「ええ。ほら、アカデミーで一緒だったリーンハルトを覚えてる? 彼の研究所に来ないかって誘われてるの」

「ええっ? リーンハルトって、稀代の魔法使いにして稀代の変人って言われてた、あのリーンハルト?」

「そう、そのリーンハルト。ふふ、変人なのは相変わらずで、彼の研究所に人が長続きしないんだって。給料は弾むし私の好きなようにしていいから、とにかく学生の時みたいにサポートしてほしいって」

「サポートねえ……」


 アカデミー時代を思い出したエミリーは、思わず遠い目になった。

 ぼさぼさの髪に分厚い瓶底眼鏡がトレードマークのリーンハルトは、入学当時から注目の的だった。

 歴代のアカデミーの出身者を凌ぐ魔力量を持つと言われ、入学早々研究室を与えられたものの、極度の人間嫌いのリーンハルトは徹底した秘密主義で、講義はおろか人前に出てくることも滅多になかった。

 たまに見かけてもは研究に没頭するあまりに寝不足で倒れた時か、食事を抜きすぎて栄養失調で倒れた時。上昇志向の強い一部女子からエリートかと狙われていたのも最初だけで、見向きもされなくなるまでにそう時間はかからなかった。


 そんなリーンハルトの研究室に、パトリシアは根気よく足を運んだ。

 共同研究の話のついでにちゃんとした食事を差し入れし、きちんとベッドで睡眠をとるように説教し、乱雑極まりない研究室を掃除して片っ端から整理整頓した。

 その結果、見事リーンハルトからのデータと信頼を勝ち得たパトリシアについたあだ名は、リーンハルトのお世話係、もしくは────飼い主。

 パトリシアにすっかり懐いたリーンハルトは、卒業するまでの間、それこそ飼い犬のようにパトリシアの側に付いて回ったのは、同期の間では有名な話だ。



「……卒業してから四年も経つのに、まだ諦めてなかったのか、あいつ。まったくあんたはモーガン局長といいリーンハルト先輩といい、とことん執着心の強い男に縁があるみたいね」


 なにか呆れたような目で溜息をつくエミリーに、パトリシアは首を傾げた。


「なによそれ。執着?」

「わからないならいいのよ、わからないなら。……ねえでもパトリシア、せめて貴女の最後の一週間が素敵になるように、私に協力させてくれない?」


 いつもぶかぶかのねずみ色のスーツを着て埃を被ったパトリシアのことを、倉庫の赤鼠と陰口を叩き嘲笑う輩も多い。

 エミリーは常々それを苦々しく思っていたのだ。もったいない、磨けば光るのに、と。

 それに……エミリーは考えた。

 このままパトリシアがリーンハルトの研究所に行ったとしても、結局はアカデミー時代と同じように奴にいいように使われて、研究所から出してもらえないのは目に見えている。

 だとしたら魔法庁とリーンハルトの研究所、条件がいいのは魔法庁ではないのだろうか……?

 なんとも不敵な笑みを浮かべるエリミーに、パトリシアはエールのジョッキを抱えたまま首を捻る。


「それはいいけど、協力ってなんのこと?」

「まあ私に任せなさいって」


 エミリーは自分のジョッキをぐいと煽って一気に飲み干すと、勢いよくカウンターに置いた。


「さあパトリシア、これからちょっと付き合ってもらうからね。覚悟しないさい」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る