エリート魔法使いと倉庫の鼠

このはなさくや。

第1話

 その日の朝、パトリシアは自室の姿見の前で念入りに全身をチェックしていた。

 普段は目立つのが嫌できっちりまとめている癖のある赤い髪は、今日はそのままに背中に下ろしてある。

 子供の頃は人参とからかわれ自分では大嫌いな色だけど、こうしていれば多少は顔色がよく見えるかもしれない。

 お馴染みのブカブカな鼠色のスーツに代わって着ているのは、購入したばかりの黒のスーツだ。友人のエミリーと店員から強く勧められたスーツは、いつもの自分より痩せて見える。何度も丈を合わせたタイトスカートと初めて履く五センチのヒールのおかげか、今日は足までも細く見える気がするから不思議だ。

 そして仕上げに口紅を塗ろうとしたところでパトリシア手を止め、再び目の前の鏡に目を移した。


 自分にとってはコンプレックス以外のなにものでもない、赤い髪と緑の目という組み合わせ。

 不吉な魔女の色だとか、派手で似合わないだとか、幼い頃からさんざん言われていたせいで、ずっと隠すように分厚いレンズの伊達眼鏡をかけてきた。

 でも、自分はどうせ今週いっぱいで仕事を辞める身だ。


(なら、今さら隠すようなことをしなくてもいいわよね)


 パトリシアは色気のかけらもない無骨な黒縁眼鏡を外すと、鏡に向かってぎこちない笑みを浮かべた。






 魔法庁備品管理局に配属されて四年目のパトリシア・マッケイが上司に退職届を叩きつけたのは、先週の金曜日の出来事である。


 パトリシアは、王都から遠く離れた小さな農村で生まれた。

 村民より羊のほうが多いくらいの田舎では、「魔法使い」はそれこそお伽噺に出てくるような憧れの存在だった。だからこそ幼いパトリシアに魔力があると判明した時、すわ初めての魔法使いの誕生かと村中が大騒ぎになったものだ。

 この国の法律では、魔力を持つ人間はすべからく王都にあるアカデミーに通うことを義務づけられている。

 ゆえに家族の期待と夢に胸をいっぱいに膨らませ、パトリシアが王都のアカデミーへ入学したのは、彼女が十歳の時だった。

 だが、パトリシアは入学早々に自分が井の中の蛙の一人だという現実を知る。

 国中、いや世界中から優秀な子供が集まるアカデミーの中では、パトリシアの魔力はごく平均的に過ぎなかったのだ。

 けれど、それでめげるようなパトリシアではなかった。

 せめて座学だけは誰にも負けないようにしよう。そんな決意を胸に毎日寝る間も惜しんで勉強を続けた結果、彼女は見事学年首位の成績を勝ち取ったのだ。

 そしてパトリシアの熱意と弛まぬ努力は、アカデミー最終年度になって見事結実することになる。


 魔法使いというものは、えてして徹底した能力主義であり、同時に秘密主義でもある。つまり、よく言えばプライドの高い孤高の一匹狼であり、悪く言えば協調性のない奇人変人の集まりだ。特に魔力の多い魔法使いにその傾向は強く、彼等は自分だけしか使えない高度でオリジナルの術こそが至高だと言って憚らない。

 パトリシアはそんな彼等の意識を逆手取り、今までの魔法使いが見向きもしなかった『魔力の少ない人間でも使える術』の研究を、卒論のテーマに選んだ。


 まずパトリシアは同学年の魔法使い全員に頭を下げ、共同研究と言う名目で彼等が途中で見捨てた膨大な量の魔法陣や術のデータを集めて回った。それらを集計する過程で、彼女はデータにある種の共通性があることを発見する。そして気が遠くなるほどのトライアンドエアーの結果、パトリシアは数値化した共通性を既存の魔法陣に組み込むことにより、魔力消費量の効率を大幅に向上させることを可能にしたのである。

 それは一部のエリートしか使えなかった高度な魔術が一般人でも使用可能になる、画期的な発見だった。


 論文の成果を認められ、見事アカデミーの学年首席を獲得したパトリシアは、とんとん拍子で国の魔法使いのエリートが集まる魔法庁への入庁を決める。

 アカデミーを首席で卒業して、魔法使いの中枢機関である魔法庁に入庁。

 そんな誰もが夢見るエリートコースを見事勝ち取ったパトリシアだったが、晴れて憧れの魔法庁に登庁した彼女を待っていたのは、またしても残酷な現実だった。

 彼女が配属されたのは、魔法庁のお荷物が集まると言われる魔法庁備品管理局。その中でも特に目立たない倉庫部だったのだ。


 魔法庁備品管理局倉庫部、通称「倉庫番」。

 魔法庁が所有する広大で巨大な倉庫には、国宝級のお宝から厳重に封印された「いわくつき」の品、さらにドラゴンの爪や人魚の鱗、妖精の粉といった貴重品から、羊皮紙やペンなどの一般的な消耗品まで、多岐に亘る物品が保管されている。

 それらを管理する備品管理局の仕事の中で倉庫部に割り振られた仕事は、申請のあった品物を倉庫から探し出し申請者に届ける、ただそれだけ。

 魔法使いが集う魔法庁の中で最も魔法を使う必要のない部署とも、能力のない人材が集まるとも言われるゆえんであった。


 配属当初は落ち込んだパトリシアだが、意外にも倉庫番の仕事は彼女の性に合っていた。

 毎日何十件と届く申請品の中には、時としてパトリシアが思いもよらない品がある。

 例えば「虹の袂の土」、「雨の最初の一雫」、「聖女のラブレター」。

 そんなものが本当にあるのか? と疑いたくなる品を探すのは、謎解きや宝探しのようで楽しかった。お目当ての品を探し出し申請者に届けた時の、なんとも嬉しそうな顔を見るのも好きだった。

 さらに空いた時間を見つけて、パトリシアは埃に埋もれた保管品を掃除していった。一つずつ取り出し、埃を払い、磨き、そしてまた元の棚に戻すという地道な作業をコツコツと続けたのだ。

 キラキラと輝く大きな宝石の結晶。小さな瓶に入った七色に輝く液体。古びた羊皮紙の巻紙に書かれた緻密な魔法陣に、古の偉大な魔法使いが残した文献……。

 おかげで、今や巨大な倉庫の中にパトリシアが知らないものはないと言っても過言ではないだろう。


 だが二十四回目のの誕生日を間近に控えたある日、パトリシアはふと思った。

 何年経っても自分の仕事は倉庫から言われたものを探す、ただそれだけ。

 目立った功績もない自分は、きっとこの先も倉庫から出ることはないだろう。

 そしてなにより倉庫番という仕事は、パトリシアでなくともできるのではないだろうか。


 家族みんなに応援されて村を出た。

 せめて座学は誰にも負けないようにと、毎日遅くまで机にかじりついて勉強したアカデミー時代。

 その成果が認められて華々しく首席で卒業して、誇りと期待を胸いっぱいにして入った魔法庁。

 それなのに彼女を待っていたのは、仕事のできないお荷物がすると言われた倉庫番だった。

 倉庫番の仕事が嫌いなわけではない。嫌だったら三年も続けられなかっただろう。

 だが、自分のやりたかった仕事は、果たしてこれだったのだろうか。

 

(来る日も来る日も暗い倉庫で埃にまみれ、誰とも話さず、誰からも見向きもされないような、そんな今の自分に私はなりたかったの……?)

 

 幸いにも、アカデミー時代の横の繋がりはまだ切れていない。

 卒論の共同研究のメンバーは未だにパトリシアと一緒に仕事がしたいと熱心に誘ってくれるし、他の研究施設から声をかけられたこともある。

 もしかしたら二十四歳の誕生日は、仕事を変えるラストチャンスになるかもしれない。


 そんな風にパトリシアが悩んでいた矢先、その出来事は起こった。



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