第6話 嘘つきしかいないな…
「みんな旅行とか行っちゃったらしくて私と二人だけど、大丈夫そうですか……?」
俺が席に着くと、いつもの席で待っていた美月がそんな心配をしてくれた。
「うん、友達は大事だからって言ってたよ。」
幸い、優姫さんも友達に誘われていたらしく、もう女子会を楽しんでる頃だろう。
ちなみに、部屋を出る直前には「女の子と遊んだら、その人数分キスしてあげるだけから」と嫉妬心を燃やしていた。
「心の広い彼女さんなんですね、羨ましいです。」
美月のその言葉が淡白に感じたのは気のせいだろうか。
「確かに、しっかり釘は刺されて来たけど、アニメで知ってるそれとは全然違ったよ。」
「樋口さんってどんな束縛するんです?」
「なんでそこに興味が湧いてるんだ…」
美月は何故かかなり食い気味で聞いてきて、目を輝かせてすらいる。
夏の薄い服で、身を乗り出すようにテーブルに肘をついているその姿勢になられると、色々と危ういので、一度座らせる。
「だって、あんな完璧な方がどんな束縛をするのかなんて、リアルじゃないと分かりませんから!」
「なるほどね──」
美月は漫画やアニメを見るのが好きなだけでなく、自分で漫画を書いたり映像を作ったりもしている。
だから俺は、取材のようなものなんだろうと解釈する。
「──束縛ではない気がするけど、女の子と遊んだらその人数分キスしてやるとだけ言われたよ。」
「ほうほう。じゃあ今日は熱い夜を過ごすんですね?」
「付き合い始めてから一週間ちょっとだし、まだだめでしょ。」
「かのイザナギとイザナミも営んでからと言われてますし、カップルや夫婦の関係にはいかなる点に置いても普通なんてないんです!」
続けて「敦人は考えが古いんですよ」と言ってくる美月だけど、「メモは紙に書くからメモなんです」とよく分からない事を口癖のように言ってるから、説得力の欠片もない。
「まあでも、そう言うのってするって決めてするんじゃなくて、流れでそうなるのが理想なんですよねー」
美月は「むふふっ」と不敵な笑みを浮かべる。
「時間をかけてお互いに色々と知ってからの営みは、突然その色々な知識が塗り替えられるような、まだ全然知らないなと思えるような、そんな快感があるんですよね。」
前々からこのような話を聞く事があったけど、やっぱり美月は経験が豊富らしい。
歳下感の強い愛嬌のあるルックスとは裏腹に、ある男子生徒と手繋いで歩いていたかと思えば、翌日には他の男子生徒と手を繋いでいたりと、なかなかな場面も何度か見た事がある。
「俺はまだ、優姫さんの事をあんまり知らないと思うから、そう言うのはまだまだ先になるだろうね。」
俺がそう言うと、美月は「つまんないです」と頬を膨らませる。
それから、注文をしていた明太子パスタがテーブルに運ばれ、食事をしている間も優姫さんとの馴れ初めやデートなど質問攻めにされた。
もちろん優姫さんにも事情や感情があるから、全てを話した訳ではない。
昼食を終えてお店から出た俺達は、美月の提案で様々な球技を行えるラウンドファーストに来ていた。
「久しぶりに身体動かすと、結構疲れますね…」
美月は膝に手を着いて息を切らしながら嘆く。
「運動は大事だから、週一くらいでもしておかないと。」
俺がそう言いながら美月の首に、冷水で濡らしたタオルをかけると、「ひゃんっ」と言う高い声が二人きりのバスケットコートに響く。
「なんか、デートしてるみたいで樋口さんに申し訳ないんですけど……本当に大丈夫なんですか?」
首にかかったタオルを頬に当て、気持ちよさそうな表情を浮かべながらそんな心配をする。
「さすがにちょっと焦ってたけど、一応許可は貰えたし、しっかり還元するから多分大丈夫。」
美月にここに来る事を提案されてすぐに電話で確認したけど、『え!?ま、まあ…明日私のわがまま全部聞いてくれるなら……』と許可をくれた。
「随分余裕あるんですね、もし私が敦人の事が好きでホテルに誘ったらとか考えないんですかね。」
キョトンと首を傾げているのを見るに、美月には純粋な疑問なんだろう。
「俺も優姫さんも付き合うどころか恋愛が初めてだから、分からないんだよ。俺も優姫さんも。」
それから、少し変な間を開けてから美月が不敵な笑みを浮かべ、俺の方にゆっくりと歩み寄ってくる。
「恋と性の勉強のために、私とホテル行きません?」
優姫さんよりも低いところからの上目遣いで、俺の腰──と言うより足の付け根に手を添える。
俺は思わず二〜三歩後退りをし、とにかく逃げたくなった。
「学園一の美少女の彼氏を寝盗るなんて、そんな快感ないと思うんですよ。敦人君も、学園一の美少女を彼女に持ちながら、私と言う友達だと思ってた人と営むなんて、最高の背徳感じゃないですか。私と一度してみませんか?」
「する訳がない」必死にそう叫ぼうとするけど、緊張なのか恐怖なのか、声が出なかった。
「私、こう見えて結構してるんですよ?敦人君に私が手取り足取り教えてあげられるように──私が敦人君の全てになりたくて。大好きだから……本当はもっと色んな人と練習したかったけど、今しかないのかなって。実は今日、他の四人は呼んでないし、最初からそれに誘うつもりだった。私、敦人君に会ってからずっとおかしくて、かわいくない私が敦人君を落とせるとしたらそれしかなくて、だから敦人君とするために好きでもない人と練習して──全部無駄だったのかな……ねぇ、しようよ。」
涙を流しながら不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりと一歩一歩俺に迫ってくる美月が怖くて、でも「近付くな」なんて強い言葉は言えなくて、後退りしかできなくてついに角に追いやられる。
バスケットコートに入る時、「使用中」の看板を表にしたから、当然誰かが入ってくるはずもない。
「全部敦人君がいけないんだよ?敦人君が私とばっかり話すからいけないんだよ。敦人君が優しいから、かっこいいからいけないんだよ。色んな人と練習してきた私の汚れた身体を綺麗にしてよ。全部敦人君の責任だから、やってくれるよね。誰としてる時もずっと敦人君の事しか考えてなくて、なんで敦人じゃないんだろうって──なんで敦人君に声をかけれないんだろうって思っちゃって一回も気持ちよくならなかったんだよ?私を幸せにできるのは敦人だけで、敦人君を幸せにできるのも出会ってからずっと敦人君の事を考えてきた私だけ。お願い…私を元に戻して……胸を揉むだけでもいいし、キスだけでもいいし、少し撫でてくれるだけで──」
ゆっくりと歩み寄って来た美月が、俺の目の前で膝から崩れ落ちながらも話している時、バスケットコートの出入口が『ガチャッ』と音を立てて開かれた。
♢ ♢ ♢
「受験勉強の息抜きにはスポーツが最適なんだよ?それに、受験勉強なんてしなくてもT大くらいなら余裕だし、アメリカのH大学からも声かけられたしねー」
今日は、受験勉強に詰まってると言うみゆきの相談を受けてラウンドファーストに来たけど、思ったよりみゆきのノリが悪くてびっくりしている。
「ちょっと彩葉!まだ他の人使ってるから……!」
私が使用中と書かれた面が表になってる看板を無視してバスケットコートに入ると、みゆきがそのクールビューティーな見た目とは裏腹に、駄々っ子のように私の腕を掴んで離さない。
私は今年のミス白咲コンテストでは二位だったけど昨年までは一位だったし、みゆきも今年は四位だったけど昨年までは二位だったのに、何を言ってるのだろう。
「みゆき?私達は見た目がいいんだから、テキトーにお願いすれば聞き入れてくれるんだよ。だから──おっと、修羅場か何か?」
私がみゆきを無視してズカズカとバスケットコートに入っていくと、角の方で何やら泣き崩れている女子の前に、葛藤してます感しか醸し出していない男子が立ち尽くしていた。
「頼むから戻ってきてよー」
「ちょっと、今面白そうなところだから!」
「もう…あ、これは面白そうね。」
みゆきもこう言うのが好きらしく、普通にバスケットコートに入ってきた。
なんだかんだでノリがいいのがみゆきの好きなところだ。
すると、泣き崩れている女子も立ち尽くしている男子も、何故か私達の方を見つめていた。
「あ、お気になさらず〜」
「どうぞ、続けてください!ただ見てるだけなので〜」
私もみゆきも似たような事を言ってその場を凌ごうとしたけど、なかなか続きが行われない。
「じゃ、じゃあ仲介でもしましょうか……?って、あっちゃんじゃん!どしたの!彼女?彼女を泣かせてるの!?」
仲介をしようと近付くと、小学生の頃家が隣でほとんどずっと遊んでたあっちゃん──西園敦人だった。
「違う。」
あっちゃんは低く小さな声でそう言う。
どう見てもカップルだけど、違うんだ。だとしたら──
「じゃあ、どした?」
あっちゃんは私の毒舌っぽいところは知らないだろうから、優しく質問する。
「水野さんには関係ない。」
「でも、彼女凄く泣いてるし、あっちゃんも困ってそうだし、話してみな?」
少し会わないうちに、私は「いろはちゃん」から「水野さん」になったらしい。さすがにちょっと悲しいかな…
「俺がどうにかしないといけないから、帰って。」
「でも……」
「ほら彩葉、ちょっと外でよ?」
私が再び問いかけようとした時、みゆきが私の腕を引っ張りながらそんな提案をする。
もちろんそんな提案は飲めない。
「あっちゃん、──。」
私は、昔あっちゃんにしつこく言っていた言葉を耳打ちで伝えた。
この膝から崩れ落ちている女子があっちゃんの何なのかは分からないけど、彼女じゃないのにこの体勢で泣いてるなんて、メンヘラを拗らせたからに他ならない。
それから、もし何かあってもいいように、少し離れたベンチに座り、ただ見守る事にした。
「大丈夫なの?結構重症みたいだけど……」
みゆきがさっきまで私がしてた心配を口にしたけど、あっちゃんのあの目を見ればもう安心だ。
「人って成長するからね。年齢を重ねるだけで精神がいつまでも子供なら、ゴミと同じだから。」
「そ、そう……」
♢ ♢ ♢
「あっちゃん、女の子が泣いたら頭撫でて謝るの!」
闖入者が水野さんだった事と未だに俺の事を覚えてる事に驚いて、未だに俺を子供扱いしてる事に苛立って、でもまだ俺は子供で、だからあの頃毎日のように言われてたその言葉が俺の背中を押した。
「ごめん。」
♢ ♢ ♢
「ごめん。」
敦人君のその言葉には、色んな事に対してそう思ってると言う強い気持ちが乗っていた。
気付かなくて、勘違いさせて、汚して、綺麗にできなくて、何にも応えられなくて。
そんな色んな意味の詰まった「ごめん。」だった。
でも、敦人君は何も悪くない。
言わなきゃ伝わらないし、特別扱いされてると勘違いして、勝手に好きでもない人として、勝手に汚れたのに洗えと言って、敦人君を汚そうとした。
「敦人君は悪くないよ……悪いのは全部私で、全部八つ当たりで、ごめんなさい…私なんか根本的にだめだよね…そうだよね……」
何言ってるんだ私…この期に及んで慰めて貰おうなんて……今までの性欲にまみれて私に近寄ってきた男と同じだ…
そう思ってるのに
「私なんか、好きになるわけないよね…私に生きてる価値なんてないよね……」
口が止まらない。涙が止まらない。慰めて欲しい…優しく頭を撫でて──
「ごめん。」
再び敦人の低く小さな落ち着いた声がすぐ上から聞こえて、頭には大きく温かい感触があった。
「ごめん、私──ごめん……」
もう泣く気力もなく、ただ床に両膝を着いて床を見つめる。
もう何も望まない。まだ友達でいれるなら、そうしたい。いや、そんなのも今の私には贅沢な望みか。
「美月の漫画とか映像は好きだし、美月と漫画とかアニメの話をしてる時は楽しい。だから、美月が友達でいてくれるなら、そうしたい。自分勝手なのは分かってるけど、友達でいたい。」
「えっ?」
私の思考を読んだようなそんな優しい言葉に、私は思わず声が漏れて、途端に涙が溢れてくる。
「ありがとう……」
♢ ♢ ♢
それから数十分経ってやっと落ち着いたのか、美月から「帰ろっか」と提案されてそれに同意した。
まだあの時の恐怖心は完全には消えてないけど、美月のいつも通りの笑顔を見てほっとする。
「ちょちょちょちょちょっと待った!」
俺と美月が帰る支度を始めると、対面のベンチから水野さんが走って来た。
「結局なんの話だったの?めっちゃ仲直りしてない?なんで?」
水野さんがそう言った直後に、「あんたストレートすぎ!」と後ろから頭にチョップを食らっていた。
「友達になってくださいってお願いをしてただけですよ?」
ダブルミーニングになってる気もするけど、「ね?」とこちらに振ってきた美月の笑顔を見て、今まで通りの友達の事だろうと確信できた。
「うん。ついさっきまで呼び捨てに敬語とか言うよく分からない組み合わせだったのに、君付けにタメ口になったしね。」
「嘘つきしかいないな…生徒会長権限で退学にするか。」
「そこまでの権力はないでしょうが!」
「言わなきゃバレなかったのにー」
「バレバレだわ!」
その後、彩葉に強く引き止められて、仕方なくバスケやらサッカーやらボウリングやらを一通りやらされた。
最初こそ若干の気まずさはあったけど、帰る時には女子三人の荷物持ちをさせられるなど、なんだかんだあったけど仲良くなった。
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