第2話 完璧な準備
白咲祭の余韻に浸りながら夏休みに入り、俺は一週間である程度の課題を終わらせた。
『ピーンポーン』
クーラーの冷たい風に当たりながら録り溜めたアニメを見ていると、インターホンが響いた。
親から何かが送られてきたんだろうと思っていたが、ドアを開けると全く違った。
「あ、と、隣に引っ越してきた樋口と言います…えっと、つまらないものですがお納めください…!」
そう言って腰を直角に折り紙袋を突き出してくるのは、樋口さん──樋口優姫さんだった。
樋口さんはその風貌こそ綺麗だが、ミス白咲コンテストの時とは明らかに雰囲気が違い、挙動不審そのものだった。
「あ、はい。よろしくお願いします。」
こう言うのは初めてでよく分からないけど、取り敢えず当たり障りない事を言って紙袋を受け取る。
すると樋口さんはビュンビュンと激しく上半身を上下に振る。
「あ、あの!私の部屋なんでか火が出ないようでして、か、管理人さんからは明後日に修理業者が来るって言われたんですけど、そ、それまでお貸し頂けませんでしょうか…」
そんな欠陥があるのに売ってたなんて正気を疑うが、俺にはどうしようもない。
「全然大丈夫ですけど、もうひとつ隣の部屋に女性が住んでるので、そちらの方が──」
「い、いえ!お、お気になさらず……!」
「そ、そうですか……」
会話が上手く噛み合ってないような気もしたけど、樋口さんがそう言うなら多分大丈夫だろう。
そして、お昼時と言う事もあって俺の部屋に樋口さんを招いたはいいけど、同じ部屋で違うものを作って食べると言うのも空気が重い。
「チャーハンかオムライスくらいなら作れますけど、どうしましょうか。」
冷蔵庫の中を確認し、昨日の残りの米と常備してある卵とウインナーと玉ねぎが入っていた。
「は、はひぃ!美味しいです!」
樋口さんは右手を鋭く上に伸ばし、まだ材料を出してすらいないのにそう叫ぶ。
樋口さんの印象は、この数分であまりにも大きく変わった。
「取り敢えずオムライスにしますね。」
「あ、ありがとうございます……」
樋口さんは見るからに緊張していて、ずっと星座でガッチガチだった。
初対面の人の家に入るなんて、緊張と言うより恐怖だよな。
「あの、友達呼びつけましょうか?」
初対面の男と二人きりの空間は居心地が悪すぎるだろうと思い、美月でも呼びつけようかと思ったが、「大丈夫です!」と即答された。
俺も俺で、あの時無意識に目で追っていた人と同じ部屋に二人きりと言うのは、緊張する。
「あき、に、西園さんは同じ学園のあの西園さんですよね?」
言葉のところどころで声を裏返しながらも、そう聞いてくる。
「あの?」と言われても、別に学園内で有名な訳でもないし、俺ではない有名な西園がいるかもしれないし、回答に困る。
「確かに西園敦人ですけど……」
「で、ですよね!すみません。」
少しずつ緊張が解れてきているのか、苦笑いではあるが、笑顔を見せてくれた。
何故か少し嬉しくなり、勝手に口角が上がっていた。
「ばひゅん!」
樋口さんのどこかの部位から、どう発せられたのか分からない程おかしな──馬の鳴き声のような音が出た。
「ばひゅん?」
「い、いえぇ!なんでもありませんです!」
樋口さんのおかしな敬語と共に、オムライスが完成した。
一応、しっかり火を通した玉子と最近流行りのトロトロ玉子の二種類を作った。
「樋口さんはどっちが好きですか?」
俺は二皿をテーブルに置き、そんな質問をする。
「ど、どっちも好きです!」
「どっちもですか…じゃあ、半分ずつにします?」
「え?あ、は、はい!」
我ながら訳の分からない提案をしたと思ったけど、何故か了承されて少し動揺してしまう。
それから玉子を半分ずつに切って入れ替え、それぞれに「いただきます」と言って食べ始めた。
「お、美味しいです!料理お上手なんですね!」
今度は苦笑いではなく、曇りのない満面の笑みでそう言ってくれた。
「ひとり暮らしにも慣れちゃいまして、すっかり料理好きになったんですよ。」
「わ、私もひとり暮らしを始めるんですけど、何かアドバイスとかありますか…?」
樋口さんからそんな質問が飛んできたけど、アドバイスができる程は慣れてないし、考えて生活をしてない。
「お、親との連絡をこまめにとるとか…ですかね。」
「ほ、ほう!無駄な心配をさせないって事ですね?」
「それもそうですけど、たまに寂しくなる事とかあって、その時だけ連絡してるとバレるので…」
「なんだか、かわいいですね」
最初は無言の時が流れると思ってたけど、実際そんな事はなく、会話はかなり弾んだ。
樋口さんの緊張も、完全にとまでは言えないけどかなり解れたらしく、言葉の詰まりや裏返りが少なくなっていた。
「ありがとうございました…!また夜もお邪魔してよろしいでしょうか…」
「特に予定もないので、いつでも大丈夫ですよ。」
「本当にありがとうございます…!」
そう言って樋口さんは一礼して自分の部屋に帰って行った。
♢ ♢ ♢
「ああああああああああああああああああ」
敦人君の部屋から自分の部屋に帰った私は、玄関に入った途端に膝から崩れ落ちて呻き声をあげる。
どうしようどうしようどうしよう!
「せっかくミス白咲コンテストで優勝して、夏休みって言う最高のタイミングで隣の部屋に引っ越して──それもガス栓が壊れてるのを無理言って借りて……」
思わず息が深く漏れて、全身に力が入る。
話題も思い付いたらすぐにメモして、今日はどの話題を出そうかと悩んで夜も眠れなかった。
ミス白咲コンテストの優勝を以て告白しようなんて考えてた二週間前の自分に「もっと考えろ」って言いたい。
管理人さんはもちろん、両親にも無理を言って引っ越して来たけど、ひとり暮らしをするための知識なんてない。
何もかも思い付きでやってきたけど、しっかりと時間をかけて完璧な準備をしてやってきたはずなのに…
それなのに、敦人君を前にすると頭が真っ白になって、息が詰まって、心臓を掴まれるような感覚になって、ずっと敦人君が会話を回してくれていた…
「ばかばかばかばか!高校卒業までずっと隣人だなんて確証はどこにもないし、クラス替えで同じクラスになる確率も低い!もっと入念な準備をして頑張らないと…」
敦人君との結婚生活があると思えば、どんな過酷な環境下でも、耐えて耐えて成長して見せる。絶対に敦人君と付き合って、結婚して、それから…子供も──
「きゃはん!」
それからふと我に返り、自己嫌悪に襲われる。
ずっと片想いでいいと思ってたのに、でも本気で頑張れば上手くいくと思ってたのに、完璧な準備をしたはずなのに、なんの成果も得られなかった自分が嫌になる。
そりゃもちろん「家に入れたなんて凄い成果だ!」とか、そんな楽観的な見方だって一瞬はした。
「こんなんじゃだめだ…今晩、告白はできなくてもいいから、とにかく話す。」
話して話して話しまくって、明日に繋げる。明日も話して話して少しゲームをしたりして、Limeを聞いて電話して夏祭りに誘う。
イメージは完璧、徹夜で考えた話題だってまだ残ってる。
「よし、頑張ろう。恥なんて捨てて、好きって気持ちを、付き合いたいって気持ちを──家族になりたいってオーラを出しまくる。」
ミス白咲コンテストで、あの水野会長を抑えて一位になったんだ。見た目も所作も問題はない。
♢ ♢ ♢
やがて夕方になり、エコバッグパンパンに食材を詰め込んだ樋口さんを困惑しつつも部屋に入れた。
「夕飯は私が作ってもいいですか?」
「あ、ありがとうございます。」
樋口さんは昼とはどこか雰囲気が違って、かと言ってミス白咲コンテストの時のような雰囲気でもない。
ただ落ち着いていて、なんかこう──母のような雰囲気だった。
「苦手な食べ物とかアレルギーはありますか?」
「海外の特有のソウルフードとか以外なら、大丈夫です」
「そうですか、では大丈夫ですね!」
樋口さんは本当に妙に落ち着いていて、エプロン姿には思わず「かわいい…」と声が漏れそうになったけど、どこか母のような雰囲気を感じて無意識に理性が働く。
樋口さんの料理の手際はよく、たったの十数分で千切りキャベツの添えられた生姜焼きと、人参や玉ねぎが入ったコンソメスープが出来上がった。
「「いただきます」」
二人の声が重なり、二人とも目を見開いて見つめ合い、やがてどちらからともなく「クスッ」と笑みがこぼれる。
「敦人君、すごい顔でしたよ?」
「樋口さんだって、目玉が落ちるんじゃないかと思いましたよ?」
たった一時間前後を過ごしただけの関係だけど、そんな軽口が言い合えるようになった。
樋口さんからずっと暖かいオレンジ色のオーラが見えて、なんだかほっこりする。
「そう言えば、敦人君は彼女とかいるんですか?」
普段なら恋話を振られても曖昧な返事で終わらせるけど、何故だか今はこの話を伸ばしたいと思っていた。
「自分からは話しかけられないし、表情が硬いから話しかけられないしで、出会いみたいなのがないんですよね。」
それで言うと、この状況は間違いなく出会いだ。でも、そんな事を言えばドン引かれるのが世の理。
「じゃあ、これが出会いなんですかね〜」
俺の思考を読んだような樋口さんの言葉に、思わず樋口さんに視線を合わせたままフリーズしてしまう。
「え、えっと──顔に何か付いてますか…?」
樋口さんが自分の口周りを手で探り、首を傾げる仕草までいったところで我に返る。
「あ、いえ──なんか、多分嬉しくて…」
「多分…?」
樋口さんがそう疑問を持つのも分かる。なにしろ、俺が俺の感情を理解できてないし、今の今発した言葉を忘れそうなほど、樋口さんから伝わる情報量が多い。
「そう言えば、私の家ガスがちょっとおかしくなってるらしくて、お風呂もお借りしたいんですけど…」
「え?」
「あ、いえ…近くの銭湯に行きます、すみません……」
「いや、お風呂を貸すのは全然いいんですけど、樋口さんが不安かなと……」
「い、いえ!私は大丈夫です!敦人君と一緒に入るのも大丈夫です!」
「そんな事はしませんけど…まあ、ご自由にお使いくださいとしか…」
「敦人君のご厚意に甘えるばかりになってすみません。」
突然、とんでもない事を言い出した樋口さんにかなり焦ったけど、樋口さんは夕飯が終わってすぐに俺の部屋のお風呂に入っていった。
♢ ♢ ♢
「敦人君が毎日入ってるお風呂…」
妙なワクワクと、妙なヒヤヒヤに取り憑かれて変な妄想をしてしまいそうになるけど、お風呂が使えないなんて言う嘘をついたからには、全力を出さなければ行けない。
自分でも、あの咄嗟の嘘は訳が分からないし、はしたない女だと思われる可能性しかない。
「引っ越しの挨拶をしてから、まだ数時間なのに、やっぱりあの優しさが好きだな…」
敦人君は立って洗うのかな、座って洗うのかな。頭から洗うのかな、体から洗うのかな。湯船は先かな、後かな。敦人君の身体って──
考えちゃだめな事が頭を過ぎってしまい、シャワーを顔に浴びながら首を振る。
「ぷはぁ!」
よし、いい感じ。緊張はするけど、上手くいってる気がする。この後は好きなゲームの話をして、明日に繋げよう。
「頑張るぞー!」
頭まで湯船に浸かり、大声で気合を入れる。
♢ ♢ ♢
「お風呂、ありがとうございました!」
樋口さんがぽわぽわとした表情で、髪を拭きながらリビングに戻ってきた。
お風呂上がりの女子。それも、学園で一番かわいい綺麗美しいと言う称号を持つ女子なんて、あまりにもかわいい──と言うより、神秘的にすら思えた。
「ス、スッピンなのであんまり見ないでください…」
思わず見惚れていると、樋口さんが髪を拭いていたバスタオルで顔を隠した。
なんかさっきから、柄にもなくかわいいばかりが頭に浮かぶな…
「あ、すみません…」
リビングが少し気まずい空間となり、今すぐにでもお風呂に入って逃げようかと思ったけど、今日知り合ったばかりの女性が入った直後と言うのは気が引ける。
「敦人君は、好きなゲームとかあるんですか?」
俺の葛藤を察したのか、樋口さんが優しく微笑んで話題を提供してくれた。
「流行りのFPSは全部好きですよ!あとはバケモンみたいなまったり系も好きです!」
「ほんとですか!?」
「ほんとです!」
「私もヴェロレジェンズとかバケモン好きなんですよ!」
「じゃあ、今度フレンドなりましょうよ!」
「ヴェロのランクマスターですけど、私に着いてこれます?」
「ヴェロでマスターって凄いですね!でも、俺はヒーロー帯行った事ありますから!」
「ヒーロー帯!?競技シーン出れるじゃないですか!やっぱり、プロチームからの勧誘とかあるんですか?」
「勧誘はないけど、競技シーン出てる何人かは友達ですね。LAMって選手って配信ではあんな事言ってるけど、彼女いないんですよ…」
「え!?まじの話ですか!?」
「まじの話です。」
「ほへぇ〜すげぇ〜」
それからまた、ゲームの話に花を咲かせているうちにあっという間に三時間が経ち、明日ゲームをする約束をして樋口さんは帰ってしまった。
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