6 聖地の感動はひとしおです
私の横まで退避していたフランシスが、呆れて言った。
「なに、抱きしめられただけで、浄化の魔力が溢れたの?」
「ちがうわよっ、アルバートの守りスキルの高さが胸に来たの!!!」
彼の言葉は看過できず私は抗議した。
「いい!? 今私は自分で気づく前に手を引かれて、完全にかばわれたわけ! 千草の即座の戦闘態勢の速さとかっこよさにもしびれる中で同じ速度でかばわれたのよ! 浄化の力が必要だから視界を塞がないという絶妙な角度を保ちつつ! 慣れた動作で守ってくれたのよ! それを間近で繰り広げられたの。あなたも私の今の立場でアンソンに守られたと思ったらわかるでしょう!?」
腕、力加減、視界、すべてに配慮が行き届いてるんだぞ!
私が小さかった頃はぞんざいに腕が引っ張られ、放り投げられ、あとは自力でなんとかしろという対応。
それも圧倒的解釈一致の素晴らしい仕事人ぶりだった。いやあ塩対応万歳。
その時代を知っているからこそ、今の完璧なボディガードぶりに大変心が滾ってしまったのですよ。
「ぐ、それはそうかもしれない……?」
フランシスが真剣な顔で考えはじめるのに、私は我が意を得たりと笑う。
だが私を離したアルバートがため息を零した。
「それでもあなたが浄化の魔力を暴発させたことには変わりありませんよ。以前よりもかなり沸点が低くなっていませんか?」
私はぐっと黙り込むしかない。本当にその通りですね。
「いや、だって……最近のアルバートがすごくときめきの宝庫なんですよ……」
弱々しく抗議しても、萌えの臨界点が最近だだ下がりしているのは自覚していた。
でもまさか暴発するとは思ってなかったんですよ。きちんと社会の仮面をかぶれるオタクとして、めちゃくちゃ恥ずかしいので反省しています。
千草に生ぬるい表情でチラ見されるのが申し訳ない。
けれど千草はもう私の本性を知っているのでまだ耐えられる。
って、そういえば一般人のリデルがいるじゃない!?
さあっと青ざめた私がぎしりと振り返ると、案の定リデルは大混乱とドン引きの表情をしていた。
「しょ、瘴気を吹っ飛ばしてくれたのはええんですけど、ど、どういうことなんだ……!?」
「お願い忘れてください大丈夫なんです。ごめんなさい」
「その通りです。エルア様は少々浄化の仕方が特殊なだけですから」
うわあい、アルバートのフォローがちょっと辛辣! だけど正しいんですよね。
リデルも、アルバートの圧におされたお陰で、無理矢理納得してくれたようだ。
私もなんとか我を取り戻して向き直った。
「……こほん、これで私の能力は証明できたでしょう? フランシス、それでどう?」
私達の取り乱し具合のなかでも、さっさと安全になった門を調べてはじめていたフランシスは、くいと眼鏡を直した。
「うん、これなら安全装置を外付けするだけで、しばらくは持つよ。この門を作り上げた技師とも話をすればさらに安全に行き来できるようになる。もちろんお前達ががくぐるのも問題ない」
ならばよし!
リデルはフランシスの言にゴクリと、唾を呑む。
そう、彼にとっては喉から手が出るほど欲しい安全な技術の登場である。
リデルが技術者に対して、魔法陣の起動を命じる。
フランシスが技師と話し合うのを眺めていると、アルバートがこっそりと語りかけてきた。
「先ほどの瘴気の放出現象ですが、前回、前々回と魔界の門を前にした時もありましたね」
「私も同じことを考えていたわ。あまり軽率に結びつけたくはなかったけれど、ここまで重なると無視できない」
ナイトメアの夢の中で、私はゲイザー越しに魔神の一端を垣間見た。魔神は執拗に私を狙っていた。その前、アンソンVSアルバートを演出した時も、魔界の門が勝手に開いた。
準備もなく門をくぐると、瘴気の影響を徐々に受けるほかに、門をくぐった人の周辺で門が開きやすくなるという。
けれど、こうしてリデル達は平然と活動をしている。
ならば、まだ別の要因があったのではないかと仮説が生まれるだろう。
「とはいえ、まだ仮説の域を出ないわ。浄化の力を使えば、瘴気の影響は祓えるとわかれば今は充分。慎重に行きましょう」
アルバートは目を細めて頷く。
千草も警戒は解かないまでも、側にいてくれた。
皆がいれば、きっと大丈夫。
そして私は、魔界に足を踏み入れたのだ。
*
魔界の門をくぐると、暗いところから明るい所に出た時のような、軽いめまいのような感覚を覚えた。
けれど、胸の内まで探られるような不快感はない。瘴気の影響は私の浄化で防げているようだ。
そこは、石造りの広々とした部屋だ。周囲には大量の梱包された箱や樽が積み上げられていて、倉庫であることを教えてくれる。
先行していた千草は油断なく周囲を見渡している。後ろを振り返ると、大きく開いた空間の亀裂から、出てくるところだった。
「まあ、お客さんを迎えるようなことをするとは思ってなかったもんで、許してくださいよ」
「……かまわないわ」
リデルの言葉に応えた私の声はずいぶん平坦だった。
ああ、気を悪くしていないだろうか。不愉快になってるわけじゃないんです、荒ぶりかける感情を抑えるために仕方がないんです。
幸いにもリデルは肩をすくめるだけで、淡々と荷物に隠れるようにある扉に案内してくれた。
引き戸のそれはリデルが扉に付いていた板に触れると、重い音をさせて開いていく。
この厳重さは、きっと瘴気に呑まれた魔族が現れたら、厳重に閉じ込めるためなのだろう。
だが、それよりも。私はまぶしい明かりに目を細めた。
まず感じたのは、乾いた空気だ。次に決定的に違う、魔力の気配。人間界とは段違いな濃密さだ。
そして耳に雑踏の音が聞こえてくる。朗らかな声、呼び込む声、歩く音、荷車の車輪。
目が慣れてくると、そこに広がっていたのはカラフルな町並みだった。
地球で言うのなら、中華文化圏とトルコを足して二で割った風景が一番近いだろう。建物はお互いを支え合うように建ち並んでいて、その前には天幕を張られた露天が所狭しと並んでいた。活気のある通りには、ゆったりとしたガウンのような衣装を身に纏い、丸い台形の帽子をかぶっている人が行き交っている。
私達人族とほとんど変わらない姿の人も居れば、千草のように何らかの獣の耳を持った人。エルフのように長い耳を持った人。ドワーフのように背の低いひとがずしずしと歩いていたりする。
それは、人界の町の風景とほとんど変わらない。
唯一違うのは、彼らの中に魔族が混じっていることだ。背中にあるスリットから翼を出している人。よく見ると、少しだけ目の雰囲気が違う人も居る。
ああ、本当に本当に、ここにきたのだ。
胸の奥から大きな昂揚が湧き上がってくる。
押さえようとしても襲い掛かってくる感情の波に抗えなかった。
私は空を仰ぐ。この空の下に私が愛した彼ら、彼女らが居るのだ。
よろり、と私はよろめきながらも、膝を突くのはかろうじて堪えた。たくさん魔界側の人が居るのに、現状人界代表になる私がそんなことをするわけにはいかない。
せめてと胸の前で両手を組む。
それでもつう、と涙が頬を伝う。
私を振り返ったリデルがぎょっとした。
「ホワードさん一体どうしたんです!? 人間でも大丈夫なはずだけども調子悪くなりました!?」
「いえ、お気になさらず。いつものことですから」
私の代わりに平静そのものでアルバートが答えてくれる。
そうなんだ。特に体調は悪くない。いやある意味体調が悪くなっているんだけども……。
「いやいつも泣いてませんでしたよね!」
「いいの、いいのよ……なんでもないの。ただ感動が溢れてしまっただけなの……」
目が点、という見本のような顔をするリデルが言いたいことはわかる。
なに言ってるんだこいつ、だよな。
初めての場所にどうして感動するのか、と。
それでもこの感動は、揺るがない。
やっぱりああ、ああ、本当に来たのだ!
魔界に!!!
私が感動に打ち震えているのだと気付いたリデルは、驚いて良いのか呆れて良いのかそれともどん引いて良いのかという複雑な表情をしていた。
言いたいことを十個くらい呑み込んだあと、話してくれる。
「まあええですわ。ひとまずの滞在先に案内しますよ。その目立つ服装どうにかしてもらわんといけませんし」
「ええもちろんよ! 是非!」
私が喰い気味に聞くと、リデルは引きつった顔をしながらうなずいた。
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